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おっさんのやり直し世界史

1名無しさん@おーぷん:2016/10/01(土)10:09:49 ID:hPb()
このスレは、世界史初心者のおっさんが独学を続けていく上で、発見や疑問や洞察があったときにメモするスレです。
おっさん以外の人は、おっさんを助けてあげてください。

おっさん、まじで世界史音痴なんです。
57名無しさん@おーぷん :2016/11/05(土)20:58:31 ID:tt6
和魂洋才と中体西用、興味深い…。

おっさんの知の体系の発生が同時期なのはなぜかと言う疑問ですが、他でも指摘されてましたよ。記憶が遠くて、そこの対する答えらしきものがあったか思い出せない。
58名無しさん@おーぷん :2016/11/07(月)22:08:57 ID:GTT
文明の同時発生説は何かの本で読んだ気がする
なんだったか全然思い出せなくて申し訳ない
とにかくちょうどいい時期だったんだろう、と自分は思ってるw
産業革命からドーンと文明が進んだのも似たような感じなのかな

おもしろいスレです
また見にきます
59名無しさん@おーぷん :2016/11/11(金)23:16:59 ID:xW3
おっさんです

●文明の同時期多発について

文明の同時期発生については、いくつか要素があると思うんですね。
例えば気候変動。あるいはシルクロードを介しての知識の交流など。

オカルティックに言うと、この世の地上に知を授けようとした何者か(宇宙人とか、あの世の神とか)が、
全世界に智慧のタネを振りまいたので全世界で多種多様な形で芽吹いた、とか。

何が正しいのかわからないですが、疑問は疑問のまま疑問として頭の片隅においておくと、
そのうちなにかの拍子でぱらりと謎が解けることがあるので、ソレを楽しみにしておくと良いのかななどと
思ったりもしてます。


●テキストの変更について

おっさん、高校生用の教科書、2013年版の「詳説世界史B」(山川出版社)を入手したので
ここからはこれをベースとして記載することにしました。

それだと、ネタがないときはほんの文章を要約するだけでもかまわないことになるんでw
何を書いたら良いかについて悩む必要が無くなりそうなんで、そういうことにしてみます。

なお、今まで触れたところについては、あっさりと再復習して、その次に進みたいと思います。

ちなみに、山川出版社のHPで
2017年4月版の「詳説世界史B」(山川出版社)の目次をチェックしたら内容がちょっと違ってきてますね。
近世と近代を区分けしたり、現代を詳細に記載したり、中世のモンゴルをあっさり化したり、というような違いがあるようです。

ですが、まだ入手できてないんで、とりあえず2013年版の教本を使うことにします。


それにしても、今まで悪戦苦闘してきた範囲が、教科書でわずか10ページ程度の分量。
さすがにちょっとがっかりしてます。

おっさんにとっては古代オリエントの範囲は初出情報だっただけに、かなり苦労したんで、余計にがっかりです。

ま、気を取り直していくことにします。
60名無しさん@おーぷん :2016/11/11(金)23:28:43 ID:xW3
以下は、気になった点について、あっさりと触れます。

●人類の進化

ネアンデルタール人が、約20万年前には存在していて、「死者の埋葬をする」という精神文化を持っていた。
死後の世界、の意識化とも言えるわけで、ある意味原始的な宗教心の萌芽を見て取れます。

当時は宗教心があるとしても、アニミズムだったはずで、森羅万象の事物に「神なるもの」を感じていたと思われます。

で、一神教が継続的に拡大していく、その原点たるユダヤ教の始まりは、約25百年前。
つまり、一神教じゃない「宗教」の時代は、一神教の時代の80倍の長さだったと言うことができる。



現在の世界を見るとキリスト教とイスラム教の2つの一神教だけで世界の人口の過半数に達する。
つまり、一神教が正しいか正しくないかということを、多数決で決めるとすれば、「過半数が賛成で、結論は正しい」になってしまう。

しかし、現在の人類の深層心理には多神教の水脈が脈々と流れている、というよう思えるんですね。
何しろ多神教の期間は一神教の期間の80倍(!)ですから。



●文化から文明へ

ここでは、川と文明の話に於ける質疑を以前やりました関係上、ある意味話し尽くした気分です。
あの質問はなかなか素晴らしかったと思います。頭の整理に役立ちました。感謝感謝です。

特筆すべきは「文字の発明」かな。

これがない時代の文化は「暗黒時代」のようですから。
(ちなみに「文明」は物質なんで、遺跡が物語ってくれます)
61名無しさん@おーぷん :2016/11/11(金)23:40:25 ID:xW3
●人類と言語の分化

語族について、ちょっぴり面白い話があります。


イギリスがインドを植民地にしていた時代の話。

あるイギリス人が、インドの語源を調べていた。
何故調べる気になったのか。
それはある邪悪な動機によってであった。

その動機とは、、、、、


イギリスはインドを力で植民地化していた。
当然、人間としての良心の呵責が現地のイギリス人には、若干存在する。
それを合理化しようとするためにインドの語源を調べることにした。

つまり、インドに駐留して搾取していたイギリス人が、
インドの言語、特に語源を調べることにより、
「ほら、優秀なイギリスと違って、インド人はこういう劣悪な言語で育ってきた歴史があるので
優秀なる大英帝国様に支配搾取されるのは当然なんだね。わっはっは。

と、言いたかったわけです。その証拠探しのため、インドの語源を研究していた。


ところが、、、

調べると妙に英語の語源と似ていることに気がつく。
調べれば調べるほど、英語の語源との共通点が発見されてくる。w

その後、大勢の人が多くの労力と時間をかけて調べた結果、
なんと、いまから数千年前(約4,5千年ほど前)には英語とインド語が同系統の語族だったことが判明w



歴史というのは、皮肉なものです。
62名無しさん@おーぷん :2016/11/11(金)23:49:55 ID:xW3
●オリエント世界の風土と人びと

オリエント社会は、神権政治。

神権政治とは、宗教の権威によって統治する政治。

メソポタミヤ文明圏では、「王は神の代理」だったのに対し、
エジプト文明権では「王は神」そのもの。

ナイルの氾濫が期日がきっかりと定期的だったので、天文を習得している人にとっては予言が可能だった。
そのためエジプト文明では「私が神である」ということが可能だった。

メソポタミアの場合は「何月何日に氾濫する」ところまでは確定できない環境だったので、
神の代理止まりだったのではないかと思われます。



ちなみに、日本では、邪馬台国の時代(=弥生時代後期)に、
やはり卑弥呼というシャーマンが神の権威を使って集団を統治統括していたわけで、
これもある種神権政治といえるかもしれません。

ちなみに日本の場合は2人で1組。
神と対話するシャーマンと、神の言葉を民衆に翻訳して統括する権力者のペア。

ある意味、にほんにおいては、太古の時代から権威の代表者と権力の代表者が分離して併存していたと
いえるかもしれないです。

ちなみにこの日みポ的な体制は、遣隋使派遣の頃、聖徳太子の頃までは存在していたと思われます。
(証拠の文献が宋書倭国伝に記載されています)
63名無しさん@おーぷん :2016/11/12(土)00:08:04 ID:GbG
●シュメール人の都市国家

旧約聖書に記載されている様々なことは、実はシュメール人の都市国家がモデルになっていると言われます。

例えば冒頭の「神が6日間で世界を作り、7日目は休んだ(安息日)」というのは、シュメール人の7曜制の影響。

有名なノアの方舟。これはシュメール人が作った物語、「ギルガメシュ叙事詩」に記載されている物語。

聖塔であるジックラトは、バベルの塔のモデル。などなどなど。
エデンのモデルとなった都市もわかっているそうです。

なお、シュメール人は民族系統不明とのことですが、「どの民族なのかわからないから不明」ということではなくて、
逆に、「複数の民族系統が入り混じっているために特定不能」というニュアンスによる「不明」のようです。



●メソポタミアの統一と小アジア

ここではハムラビ法典がポイント。

特徴は「復讐法」と「身分法」の2つ。
よく具体的に「目には目を、歯には歯を」と言われることから、
「やられたらやりかえせ」的なニュアンスで理解されている場合が多いようですが、
これは「理解」ではなく「誤解」です。

ポイントは、復讐の上限を定めた、ってことです。
やられた以上にやり返しちゃいけないよ、ってこと。

ついでにいうと、同身分の場合のはなしであり、立場に強弱があれば、復讐の天井の高さも変わってきます。
これが身分法と言われている部分。

思うに、この法典ができる頃の時代は、やられたら、やられた以上にやり返すという、ヤクザの出入りのような無法状態が
蔓延していたんだろうなと。

なぜそう言えるかというと、
今から見ると随分野蛮に思える法典だけど、当時の慣習から考えて合理的で、納得性が高くて、
かつ、暴力を抑止するという性質のものとして機能していたんだろうと考えられるためです。

ちなみに引掛けで、「世界最古の法典」かどうかが問題になりますが、最古の法典はウル第三王朝の初代王ウル・ナンムが作った法典です。
ちなみにその法典の名前は、、、、ウル・ナンム法典です。。。。そのまんまですねw
64名無しさん@おーぷん :2016/11/12(土)00:16:56 ID:GbG
●東地中海世界

モーセによる「出エジプト」のイベントがある単元です。
出エジプトのイベントは紀元前13世紀説が有力です。
(説が複数あるようです)

はっと気がついたことがありました。

その頃の同地区の重要イベントといえば、「海の民」によってヒッタイトが滅ぼされ、エジプトが弱体化させられた、
という話です。

エジプトが弱体化した。

それはすなわち、エジプトにとらわれている人々にとっては、チャンス。
つまりエジプトから逃げ出すには絶好のタイミングというわけ。

つまりおっさんは、
「海の民」がエジプトをぶん殴り、ふらついたエジプトのタイミングで出エジプトの冒険をモーセが指揮した。
のではないかとにらんでいるわけです。
65名無しさん@おーぷん :2016/11/12(土)00:32:36 ID:GbG
ちなみに、この単元では、ことのついでのように
ユダヤ教の成立とキリスト教の成立についてあっさり書かれてます。

せっかくなんで整理しておきますね。

まずユダヤ教。

バビロン捕囚から開放されたユダヤ人は、
「なんで俺達だけこんなひどい目にあうんだ」と憤懣やる方なし。

しかしそのうち、以下のように考えが変わります。

「俺達はこんなに特別にひどい目にあってるんだから、きっと特別に良い出来事が待っているに違いない」
「つまり俺達は特別に神様から選ばれた、素晴らしい民族なんだ」(=選民思想)

「世界の終末が訪れたときに最後の審判が始まる。その時助けられるのは俺達だけだ」(メシアの出現、最後の審判)


ちなみに、「最後の審判」や、「ユダヤ教における一神教」の概念は、その頃流行中のゾロアスター教の影響をモロに受けています。
と言うか、丸パクリ。(パクリについては、以下にゾロアスター教の説明のところで触れます。)

ユダヤ教というのは、図々しい選民思想の部分以外の部分は、当時の文化環境から剽窃とパッチワークです。


ちなみにゾロアスター教は、善悪二元論で、善の神と悪の神が登場する。
ユダヤ教は、神こそ一人だが、悪魔が登場する。
悪魔も、悪の神ということができる。だから厳密には一神教というのはどうかという部分がある。

終末論や最後の審判の概念も、ゾロアスター教にすでにはいっている。

ユダヤ教よりもゾロアスター教のほうが成立が古いので、パクったのはユダヤ教側ということになります。


ちなみにこのようにぼろぼろなユダヤ教なんですが、「ユダヤ人しか救われない」という選民思想のため
ユダヤ人以外には広がらなかった。その為、害毒は余り垂れ流されることなかったわけです。

問題なのはキリスト教。
これは項を改めます。
66名無しさん@おーぷん :2016/11/12(土)00:56:45 ID:GbG
さて、キリスト教。

その前に。。。
ユダヤ教が、時代の変遷とともに(成立から約5百年ほど経過した頃)、儀式中心の形骸化が進みます。

これは、バラモン教も同様で、教義に中身が薄い場合、自己正当化の手段として、精緻な儀式化が進む。
儀式を複雑化することにより、ソレを執行するものの権威を高めようとする情けない(だけど普遍的な)方法論です。

実はこの方法論は、私達の住んでいる現在世界においても、宗教以外の世界の場所でも、アチラコチラに観ることができます。

それはともかく、ユダヤ教は形骸化した。
形骸化してはいるけれど、この教えに従わないと天罰が下る、というのがユダヤ教。

その宗教を改革したのが、イエス・キリスト。
神は、罰ではなく、愛である、と言う解釈。
大事なのは、形式ではなく本質だ、という考え方。

ユダヤ教から選民思想や煩雑な儀式を排除して、愛という普遍的な価値観を盛り込んだのがイエス。
なので、イエス・キリスト自身はユダヤ教の解釈改変をしたつもりはあっても、
キリスト教を発明したり布教したりしている気持ちは全然なかった。

そしてこの教え(イエス・キリストによる修正解釈のユダヤ教)は爆発的に広まる。
面白くないのが、従来の形式重視的ユダヤ教の祭祀者(=既得権力)側。

彼らにあること無いこと言われて、結局キリストは殺されるんだけど、
その「死」によってキリストの教えは永遠の生を受けるという皮肉。


面白いことに、、、、

例えばソクラテス。
その死を眼前にした弟子のプラトンが命がけで師の教えを書き留めていく。

日本では吉田松陰。
彼の刑死をまのあたりにした松下村塾の塾生たちが、吉田松陰の教えを引き継いで明治維新を成し遂げ、
ついでに日清日露戦争で大陸侵略までやってしまう。これすなわち、吉田松陰先生の教えの内容の具現化。

つまり、師の死を目の当たりにした弟子は、師の死という衝撃から、
師の教えを世に広めるために命がけの行動をするようになる。

必ずそうする、ってことではなくて、現在に残る偉大な哲学や概念は、
自分(開祖)の死を弟子が受け止めて布教の原動力とする、という行動パターンがよく見られる、ということを感じたのです。

布教という機構の動力源とでも言うのでしょうか。
67名無しさん@おーぷん :2016/11/12(土)01:02:13 ID:GbG
●古代オリエントの統一

これは、先週かな。言いたかったことは書いちゃったんで、省略しますね。

この単元で言いたかったことというのは、
アケメネス朝の素晴らしい制度は、実は滅亡したアッシリアのパクリだったということです。


先週まで別の本でやった内容は、詳説世界史Bの単元ではここまでになります。
以下からは、新規の単元になります。


●パルティアとササン朝
●イラン文明の特徴

これらの項目は、「ギリシャ世界」の単元を先にやってから、
あらためてここに戻ってきて触れることにします。

というのも、アレキサンダー大王との辛味の話になるんだけど、
まだギリシャ世界は触れてないんで、話が前後しちゃうためです。
68名無しさん@おーぷん :2016/11/12(土)05:58:08 ID:EP7
教科書という武器を手に入れたおっさんは最強だ
面白く読ませてもらってる
69名無しさん@おーぷん :2016/11/12(土)10:32:38 ID:GbG
ありがとう。

読者が一人でも居ると、おっさんの励みになります。


ところで、世界史、と言うか日本史もだけど、歴史というのは、本来面白いもののはずなんです。
歴史って、英語で言うとよく分かるけど、ヒストリー。要するに、ヒズストーリー(彼の物語)なわけ。
ヒズ(彼の)と、ハー(彼女の)二強つする「H」をストーリーの先頭に持ってきているのかも知れない。
いずれ過去の人間の死にものぐるいの足跡、人間臭い物語なわけです。

だから歴史(物語)が面白くないわけがない。

ところが、それが教科書になるといきなりつまらなくなる。
何故かと言うと、事実の網羅ばかりで、因果関係が見えなくなるから。

結果ばかり覚えさせられて、原因やさらにその背景や、(結果の後の)影響とか、人類共通の行動の方程式のあぶり出しなど、
肝心なこと、物語を「楽しむ」ために必要な要素がことごとく削り取られているからなんです。
でも教科書で伝えたい側の守備範囲が広すぎるから丁寧に感で含んで知らせるわけにもイカないんですよね。

しかし、だからといって、個人でその辺を踏まえて勉強しようとすると、いくらやっても先に進まないw
あまりにも広くて深いからです。

しかも、そういう悪戦苦闘の作業をやった後、その範囲を教科書で確認すると、心憎いほどにきれいにスマートにまとまっている。
行間を知ると、惚れ惚れするような記載なんだけど、学習者には行間はわからない。このあたりは学習のジレンマですね。


なので、おっさんは、教科書の周辺をさぐって、自分なりに「なるほどそうだったのか!」のワクワクドキドキしたことを
できればここに書いていきたいと思ったわけです。おそらくこれが一番合理的なのかなと。

でもこれはこれで難しいんです。というのは、無知のときの「なるほどそうか!!」の話ってのは、ある程度学習した人とっては
あまりにも当たり前すぎることだったりする。そして、自分自身が学習するに従い、「ある程度学習した人」の目線になってしまっている。
そしてそのことをいつの間にか忘れてしまってる。そういう危惧が残るんです。


ま、ぼちぼちやっていきます。
70名無しさん@おーぷん :2016/11/12(土)10:50:44 ID:GbG
●古代ギリシャ概論

この項目は、教科書にないんだけど、アウトラインを知っておいたほうが、理解しやすくなると思ったので、
おっさんが独自に設けた項目です。

古代ギリシャの時代は、ざっくり言うと、3段階に分かれます。


まず、伝説の時代。
次にアテネとスパルタに代表される、ポリス時代。
そしてアレキサンダー大王に蹂躙される時代。
この3つです。

「伝説の時代」とは、エーゲ海文明のこと。

クレタ文明→ミケーネ文明→暗黒時代、以下不明。
クレタ文明とミケーネ文明を合わせてエーゲ文明とも言う。

これが「伝説の時代」の概論。



次に、ポリスの時代。これが古代ギリシャの本線であり、華。

まずポリスという独特の都市国家が発生する。
奴隷活用社会である。

ポリスの中で、アテネとスパルタが抜きん出てきた。
アテネは原始的な民主国家、スパルタは古代系の軍事国家。
アテネとスパルタ、それと、外圧であるところのアケメネス朝ペルシャ。
この三つ巴で、歴史が作られていく。

歴史だけじゃなく、民主的な現在に通じる政治形態の原始形態も確立されていく。

さらには、ペルシャ戦争、その他の戦争があり、物語も面白い。
映画や小説の題材にもなる、素敵な時代です。



そして3つ目の時代。
アテネ等が都市国家が発展した後、内部抗争によって組織がだんだんと腐ってくる。
国としての勢いがなくなってきたため、外圧である田舎者のアレキサンダー大王に滅ぼされてしまう。

総括として、ギリシャ文化。これは後にルネッサンスで才脚光を浴びる。
またオリンピックが発明されたのもこの時代(ギリシャ時代)。


以上について、もう少し細かく見ていくことにします。
71名無しさん@おーぷん :2016/11/12(土)11:06:41 ID:GbG
●地中海世界の風土と人々

まず、地中海というのはあまり肥沃な海ではないということ。魚がわんさか取れるような環境ではないらしい。
なので、海上交通の要所にはなっても、漁業は盛んにはならない。

このあたりは、日本とはかなり違う。
日本は、暖流と寒流が近海でぶつかり、海岸線が複雑に入り組んでいる。
日本は、地中海世界比較で見ると、ものすごく肥沃な海。

なので、日本人の主食は魚。刺し身もウマウマ。世界中が生魚を食べるようになってきたのはつい最近のこと。
日本に生まれて本当に良かった。。。。それはさておき。


とにかく地中海の人々は海が痩せている。土地も痩せている。
土地も石灰系なので、穀物が育たない。平野にも恵まれていない。

というわけで、荒れ地にも育つ果樹(オリーブなど)を栽培し、他国に持っていき、穀物と交換する。
こうやって生きてきたのが、地中海世界の人々。
幸い、海上交通はしやすいので(∵地中海の存在)、貿易でお互いが豊かになる共同体の形になる。


さて、麦や米などの農業が発達しないとどうなるか?
実はここが重要。ちょっと考えてみましょう。

正解は、「大量の穀物を蓄えることができない」。
大量の穀物を蓄えることができなければ、当然、貧富の差が激しくなりにくい。
すると貧富の差が広がらないのだから、集団の頂点にいる人(=王様)の力も相対的に弱くなる。

ここが古代オリエント社会と決定的に違うところ。
古代オリエント社会は、富が頂点のものに集中した。
そしてその魅力的な地位を争奪戦シてたのがメソポタミア文明。だって平野部だから敵も侵略して着やすい。
おまけに東西文明の交通の要所でもあるので、富も蓄積されやすい。なので果てしなき殺し合いの舞台です。

同じオリエントでもエジプトは、砂漠という自然の要塞に守られていた。
なので王朝が続きやすいんでしたね。
72名無しさん@おーぷん :2016/11/12(土)11:22:17 ID:GbG
●エーゲ文明(前半)

エーゲ文明は伝説の時代。
前半がクレタ文明、後半がミケーネ文明。

「伝説」をざっくりいうと、迷宮の城があって、その中心の部屋に上半身が牛の化物が住んでいた。
牛は人間の生贄を求め続けた。その化物によると、人間の肉が旨いんだそうだ。

で、この化物を退治しようと一人の若者が立ち上がる。
化物を成敗して帰宅する。ところが帰宅するときに、(船で帰宅するんだが)、黒い帆をあげてしまった。
じつは、家族との約束があって、自分が生きて帰れたら白い帆、死んだら黒い帆を上げて帰ってくる、と家族に約束していた。

その黒い帆を見た若者の親父は、自分の息子が死んだと勘違いしてしまい、絶望して海に身を投げた。
それがいまのエーゲ海だったとさ、めでたしめでたし。いや、めでたくない。。。。


当時、クレタ島文明社会では、貢納王政だったようです。
オリエント文明と同じで、「お前らの生産物は一部を王様に収めなさい。王様はその貢物で暮らしていきます」って言う社会。

オリエントはその規模が拡大再生産されていったんだけど、エーゲ文明では、拡大のしようがなかったんで、次第に貴族共和制になっていく。
王様も金持ち貴族の一人です、的な流れ。



クレタ文明について言うと、平和な海洋文明だったそうだ。
まず城壁がない。なので戦争がない、という認識。壺(土器)や青銅器などを作って貿易をしていたと思われる。

さてここで問題です。
クレタ文明が滅んだ原因は何でしょう。

公式な正解は不明なんですが、正解となりうる要素は2つあります。
一つは近場のミケーネ文明の主がやってきて滅ぼしちゃった、という話。
これはどちらかと言うと、滅びの原因というよりは、滅びのきっかけといったほうが良いかも。

2つ目は、これがどちらかと言うと本質的な要素なんだけど、自然環境破壊。

さっき言いましたね。壺(土器)や青銅器を作って輸出していた、と。
ツボ(土器)も、青銅器も、作るのに必要なのは、「火」です。大量の火。
ところがクレタ島は小さい島なんで、シマノ森林は完全伐採。自然破壊でお手上げになった。
実際、クレタ島の現在は禿山だそうです。

国力がなくなってきたところに持ってきてダメ押しで敵の侵略。これで滅亡したというのが本当のところのようです。
73名無しさん@おーぷん :2016/11/12(土)11:40:34 ID:GbG
●エーゲ文明(後半)

エーゲ文明の後半は、ミケーネ文明。


ミケーネ文明を築いたアカイア人は、クレタ文明を滅ぼした犯人だったが、クレタの文明は引き継いだ。
ただし引き継がなかったのが城塞の有無。

ミケーネ文明は、戦闘的な文明だったので、城塞をガッチリ作っていた。
それが平和なるクレタ文明との違い。クレタ文明に城塞はなかった。


ミケーネ文明は、戦闘的で、戦争で敵を斬り殺した。
当然血が流れる。血があかいや。ということで、赤い野人。というわけで、アカイア人。
これって、こじつけだけどこれだったら、覚えたら忘れないし、混同もしなくなるw
74名無しさん@おーぷん :2016/11/12(土)11:42:29 ID:GbG
●エーゲ文明(まとめ)


以下は、クレタ文明とミケーネ文明の比較

クレタ文明
 ・時期:紀元前20世紀~紀元前15世紀
 ・場所:クレタ島
 ・遺跡:クノッソス宮殿
 ・発掘者:エヴァンス(英国人)
 ・文字:線文字A(未解読)

 ・民族:不明
 ・特色:海洋的、平和的(城塞なし)
 ・滅亡:アカイヤ人が滅ぼした。


ミケーネ文明
 ・時期:紀元前16世紀~紀元前13世紀
 ・場所:ギリシャ
 ・遺跡:ミケーネ、ティリンス
 ・発掘者:シュリーマン(ドイツ人)
 ・文字:線文字B(解読者、ヴェントリス)

 ・民族:アカイア人
 ・特色:戦闘的(城塞あり)
 ・滅亡:「海の民」が滅ぼした。

シュリーマンはトロイの木馬で有名なトロヤの遺跡の発掘でも有名。
自伝に「古代への情熱」があり、世界三大自伝の一つとして有名。
会社経営して大金持ちになって、できた暇と金で古代語学を徹底的に勉強して
私財を投入して発掘して発見したという、嘘みたいに壮大な人生の話。

ちなみに、三大自伝の残りは、フランクリン自伝、福翁自伝。(ただし日本に限る)
3つ目の自伝は、世界各国で自国の自伝を挿入する決まりらしいw
75名無しさん@おーぷん :2016/11/13(日)13:02:26 ID:B4b
●ポリスの成立と発展 (1 暗黒時代について)

ここでおっさん、教科書に疑問が生じました。
教科書が間違えているような気がしたんですね。

どこが間違いかというと、「暗黒時代」についての説明(あるいは解釈)の部分です。
まず、そこを指摘する前に、このへんの前提を整理する意味で、教科書と共有できる事実の部分を下記に書きます。

教科書と共有認知する部分
 ・ミケーネ文明は、紀元前1200年ころ、突然破壊され、滅亡した。
 ・その後ギリシャは400年間、「暗黒時代」を経過する。
 ・紀元前8世紀になると、人々は定住し、社会が安定した。


次に、共有できない部分を明示します。

まず、教科書の説明の仕方だと
「文字が忘れ去られ、人々がいなくなって、暗黒時代になった。
「約400年後に人々が定住し始めて、暗黒時代は終わった」

という内容です。

これだと、まるで、暗黒時代が、本当のいわゆる暗黒時代のような認識に誘導されてしまいます。


しかし、古代の歴史の場合、その当時の事情を示す文字が発見されないと「暗黒時代」と認定されるはずのわけで、
人々が散ったのか繁栄していたのかどうなのかについては証拠となる文字がないのだから、認定のしようがないわけです。

教科書は「暗い時代だったから暗黒時代」と言ってるんですが、
実際は仮に明るかったとしてもその明るさを伝える文字(文章)文字が発見されておらず、
当時のことを判定できない時代のことを暗黒時代と言ってるわけです。


教科書は、この点わかりやすいイメージを伝えようとする余り、勇み足をしてしまっているのではないか。
おっさん的にはこのように判断しました。
76名無しさん@おーぷん :2016/11/13(日)13:15:49 ID:B4b
●ポリスの成立と発展 (1 暗黒時代について、その2  400年という期間)

約400年間の「暗黒時代」に何が起きたのか。
これについて記載します。

その前に、400年という長さについてお話します。

日本で例えるなら、
たとえば、関ヶ原の戦いから21世紀までの期間、
あるいは平安時代(平安京遷都の794年~平氏滅亡の1185年頃)の長さと言ってもいい。
あるいは、卑弥呼の活躍した頃から、大宝律令(言い換えるなら中央集権機構の確立)のあたり。

要するに、一つの王朝が成立して消えるのに充分な期間であるということです。

約400年という期間のリアリティは、以上です。
77名無しさん@おーぷん :2016/11/13(日)15:12:36 ID:B4b

●ポリスの成立と発展 (1 暗黒時代について、その3 民族意識)

海の民に滅ぼされて約400年後、定住する民族が入れ替わっています。

ミケーネ文明の主であるアカイア人はどこぞに消えてしまい、かわりにギリシャ人が定住している。
このギリシャ人は、ギリシャ語を話すんだろうけど方言の違いから、人種が別扱いされてます。
イオニア人、アイオリス人、ドーリア人です。
これって、日本に例えるならば、博多人、大阪人、京都人、って言ってネット住人を区分しているようなもの。

博多人、大阪人、京都人。いずれも日本人であることには違いがなく、その意味では自分たちは同じ日本人だという
意識には変わりがないわけです。



これがギリシャの場合は、その同一民族意識を「ヘレネス」といいます。
これの反対語が異民族の意味で「バルバロイ」

野蛮人のことを英語でバーバリアンと言いますが、その語源です。

ちなみに、なぜ異民族がバルバロイと言われたかというと、
異民族の言葉は意味がわからず耳障りなので、聞いていても「バルバラバロバロ」と、何を言ってるのか解らない。
この耳障りな感じがバルバロイという表現になったものと思われます。

ちなみにこの間、線文字Bは廃れてしまい、、別の言語、おそらくはギリシャ語になってます。



民族が入れ替わり、言語が入れ替わる。
すると、当然ですが、政治形態も以前とは違ったものになる可能性が高いです。

実際、ギリシャでは、ポリスという独特の都市国家が乱立するようになりました。
200以上のポリスがあったそうです。
ミケーネ文明時代の、王様が搾取するというメソポタミア文明的な貢納政治ではなく、
共和制的な雰囲気が強いしろものです。

ポリスの中でも有名なのが、アテネとスパルタ。
これについては、次の次の項で述べます。
78名無しさん@おーぷん :2016/11/13(日)15:43:46 ID:B4b
●ポリスの成立と発展 (2 ポリスと文化)

ポリスがポリスとして成立したのには、地形的な理由、平野部が少なく農業が発展しにくい環境だったためではないかと
おっさんは推測しています。

まずポリスというのは、神殿と広場があって、城塞で囲んで、その中で人が集まって生活する。これがポリスです。
神殿はアクロポリス、広場はアゴラ、人が集まって住む(=集住)のがシノイキスモスと呼ばれてます。

人口が増えてくると、土地的には限界なので、地中海や黒海の沿岸外に出ていこうと言う流れになる。
そいつらが植民市を形成します。この布石が。この地域の交易が活発になる原因になります。



やがて、交易が発達するに従い、メモの必要性が増加する。そのため、文字が発展し、普及します。
というわけで、フェニキア文字から発展したアルファベットが交易地帯全般に広がってくる。

文字を活用する能力が発達すると、詩や物語が多くできてくる。
ということで、この頃の物語から生き生きとした人間臭い文化が発達することになります。
79名無しさん@おーぷん :2016/11/13(日)15:51:24 ID:B4b
●ポリスの成立と発展 (3 おっさんの疑問)


ポリスは、都市国家として散らばっており、ポリス間で小競り合いがあったんですね。
しかし、他の地域、たとえばメソポタミアのように、相手を滅ぼしたり奴隷にしたりして支配を広めていく、ということはしなかったみたいなんです。
なぜ、常に小国分立状態のままであり、統一国家にならなかったのか。それが不思議といえば不思議なんですね。

統一国家になるためには、何が足りなかったのか。土地が痩せていたからなのか、
外圧が弱かったからなのか、いまひとつ、おっさんがもやもやしている点です。


ちなみに、かつて朝鮮半島には新羅、任那、百済という三国「→それぞれが統一国家があったわけですが、
それらはそれぞれが辰韓、弁韓、馬韓といわれる都市国家群だったわけです。
高句麗や倭の半島侵略が度重なったために、都市国家軍は統一国家になっていったたんですが、そういう圧力はなかったんだろうか。

このあたり、おっさんがもやもやしているポイントです。
80名無しさん@おーぷん :2016/11/14(月)21:33:46 ID:fc4
本日は、予告編です

●市民と奴隷
 当時のギリシャはポリスという都市国家が群集してましたが、主たる労働力は「奴隷」によっていました。

●アテネとスパルタ
 ポリスの典型的な例として、アテネ。例外としてスパルタ。
 この2つに焦点をあてます。ここでは、主にスパルタ。

●民主政への歩み
 アテネについては、こっちで触れます。

 アテネにおける、民主主義政治の発展から完成への動きの流れ。これをまず分析します。
 簡単に言うと、貴族から平民が集団の統治権力を奪う過程の話になります。

 具体的には、
  ・1) ドラコンの法制改革
  ・2) ソロスの財政改革
  ・3) ペイしストラトスによる僭主政治(成功したクーデター、独裁政治)
  ・4) クレイステネスによる陶片追放制度

です。

ざっくり言うと、貴族の横暴に民衆が怒り、1)や2)により国民の待遇を整理し、扱いの公平化に努めた。
しかし民衆の不満は収まらず、ついに3)のクーデター。
しかしそれに弊害が発生したので、4)でその除去と未来における予防策を施す。

しかし、ここまでやっても、民主化はまだ完成していません。


●ペルシャ戦争とアテネ民主政

ペルシャ戦争については
 ・戦争の本質:どういう力学の発露に寄る戦争だったのか
 ・きっかけは何だったのか

 ・紀元前 492年:特に名前のない戦い
 ・紀元前 490年:マラトンの戦い
 ・紀元前 480年:テルモピレーの戦い
 ・紀元前 480年:サラミスの海戦
 ・紀元前 479年:プラタイアの戦い

マラソンの起源として有名なのがマラトンの戦い。
「300!」の映画で有名なテルモピレーの戦い。
後のアテネの完全民主政治化に影響を強く与えたサラミスの海戦。

詳しくは後日触れます。

●ポリスの変質以降については、また後日触れます。
81名無しさん@おーぷん :2016/11/14(月)21:38:14 ID:fc4
予告編をざっくりまとめると、紀元前8世紀から紀元前6世紀にかけて、民主化の試行錯誤が続いた。
紀元前5世紀にペルシャと度重なる戦争を行い、その結果民主化が完成する。

と、こんな感じでしょうか。
82名無しさん@おーぷん :2016/11/20(日)12:08:18 ID:BTc
●教科書について

教科書は「ダメ」である

今回取り扱う分について、教科書を読み、参考書を読んでみました。
結論として、教科書で勉強するのはダメだなあということを強く実感しました。


教科書が「だめ」な理由

歴史の流れや、歴史全体を通して語れる法則などについて、まったくわからないように記載されているからです。
しかも卑怯なことに、一通り学習をし終わった人が読むとこれがまた実によくまとまっているようにみえる。

色々端折った書き方をしていたりさらっと触れる程度に書かれていたりするんだけど、それって
「一応筆者の俺はソレについてちゃんと触れておいたもんね」というアリバイ程度の意味しかない。

その程度の触れ方では、教科書を読んで学習しようとしている人にとっては何がなんだか全くわけがわからない。
じゃあ参考書が良いのかというと、、、、


参考書が「だめ」な理由

教科書がダメなら参考書が良いのかというと、これまた不自由。
というのは、どの項目について触れて、どの項目について触れないといいのかという指導要領は、教科書が基準になるからです。

教科書から外れたところが詳しくなっても意味ないし、著者の思想によってはあえてフレマ買ったり少数派解釈を堂々と載せていたりする。
特に近現代史についてはこれが顕著です。

なので、複数の参考書を比較しながらチェックしないと参考書に溺れてしまうことになる。



結局・・・・

教科書を読んで、参考書を複数読んで、自分なりにイメージを固めた上で、
もう一度教科書に戻って整理する、というやり方しか無いのかもしれません。

それと、まとめるときには、大まかな流れを見た上で、枝葉を観る。
枝葉の一つ一つには、興味深い人間模様、物語が多くある。

こういうものをときに鑑賞しながら、世界史の流れに寄り添っていく、というのがいい方法なのかもしれません。
83名無しさん@おーぷん :2016/11/20(日)12:16:41 ID:BTc
●ポリスの成立と発展

本日は、ここから。

火曜日の段階ではもやもやしていたんですが、その後参考書を色々見ているうちに
そのもやもやがぼんやりわかってきました。

なぜポリス同士の闘いから「ポリス併合による大国家」が発生しなかったのか、という疑問のもやもやです。


結論としては、要因が大きく二つあるように思います。

ひとつは、ギリシャの地形ですね。

ギリシャは火山系の半島なんで、農地にしにくい。
そのため「灌漑農業の発展→貧富の差→専制君主」のような大きい流れが成立しにくかったんだろうと思います。

最も原初の頃、クレタ文明やミケーネ文明の頃ですが、この頃は貢納政治だったんで、そういう流れの萌芽はあったと
みることができます。しかしオリエント文明圏と違って、その萌芽が大きく発展することはできなかった。


もうひとつは、貿易が盛んだったということです。

穀物が作れないけど、果樹は作れた。オリーブとかオレンジとか。
でも主食にはできないので、交易により穀物を入手していた。

交易による富の蓄積は、自らが動くことで成立するので、土地に縛り付けられる発想がない。


なので、王政ではなく、貴族共和制として発展していったとみられるわけです。



もうひとつ、大きい特色として、植民市を多く作っていた。機能としては貿易活動の出張所みたいなものです。
84名無しさん@おーぷん :2016/11/20(日)12:23:19 ID:BTc
●ポリスの成立と発展 2

で、地中海と黒海の沿岸部では、貿易が活発になると同時に、市場の権益確保の争いが表面化するようになります。

具体的に言うと、ギリシャポリスグループ対、アケメネス朝ペルシャです。
そして、アケメネス朝メル者に結びついていたのが、フェニキアです。

当時オリエント文明圏に属していたフェニキアですが、地中海を活用した交易に力を注いでいました。
そのフェニキア人が使っていたフェニキア文字が商当時の商業文字として共有され、地中海沿岸文化圏に流布していたわけです。

このフェニキア文字が、ギリシャ文字になり、アルファベットになり、現在の英語で使う26文字に進化していくことになります。


とにかく、アケメネス朝ペルシャ(withフェニキア)とギリシャポリス(特にアテネ・スパルタ)の地中海商業圏権益争いが
その後に起きるギリシャ戦争や、ポエニ戦争の原動力になるわけです。詳しくは後に触れます。

ちなみにポエニという言葉はギリシャ人側の言葉によるフェニキアの意味です。
85名無しさん@おーぷん :2016/11/20(日)12:27:42 ID:BTc
●市民と奴隷

古代ギリシャのポリスでは、自由人と奴隷から成立しています。
奴隷は「モノを言う道具」という認識であり、どれにされた者の人権侵害、という意識は当時は全然ありませんでした。

たとえば現在でもISISがシリアなどを占拠したときに、現地住民を殺戮するか、奴隷状態(性奴隷を含む)にするかにして
いるわけですが、これはむしろ人間の世界史スパンで見た場合の歴史の中では自然な姿、といえるんです。

現在のような、国際法が浸透した時代とは随分違う感覚が支配していたわけで、ソレをまず理解しておく必要があると思います。
86名無しさん@おーぷん :2016/11/20(日)12:36:48 ID:BTc
●アテネとスパルタ

アテネは民主主義を作った。その過程が重要。

まず我々が古代ギリシャのポリスの一つであるアテネの歴史をなぜ勉強する必要があるのか、ということですが、
アテネの歴史は、民主主義が成立していく過程を含んだ歴史なので、ソレが重要なわけです。

アテネの民主主義政策は、後にローマ帝国が模倣します。
そしてローマ帝国の考え方が、紆余曲折ありながら、現代の民主主義につながっているわけです。
さらに言えば、当時のポリスは大なり小なりアテネの流れのような動きをしていたと見られます。

なので、アテネにおける民主主義の成立への過程を知るのは意味のあることだと思います。


そしてもう一つスパルタ。こっちは軍国主義。

ここはアテネ的な進化をしてきたポリスのアンチテーゼとして意味があります。
スパルタの国は例外的に穀物を取ることができた。なのでその意味ではオリエント的な強烈な支配の可能な国だったわけです。

実際、スパルタでは、ドーリア系のギリシャ人が先住民を締め上げて奴隷にして、自分はスパルタ市民になるという流れです。
で、奴隷が5万人、奴隷よりは身分の上の周辺民が3万人。でスパルタ市民は1万人足らず。

なので、いつ奴隷に反乱されて逆に締められるかわかったもんじゃない。
なのでスパルタでは、支配民が徹底的に武力を鍛えて奴隷に睨みをきかせる、という統治の仕方をしたわけです。


それとスパルタでは鎖国政策を取っていました。

なぜ鎖国をしたのか。それは他国からの余計な情報がはいることによって、奴隷どもに反乱を起こされてはたまらない、ということが理由です。
また、スパルタ市民から生まれた赤ちゃんは、丈夫な五体満足の赤ちゃん以外は、森のなかに捨てられてしまったそうです。

現在でも残る「スパルタ教育」というのは、スパルタの軍国世紀率に則った厳しい教育から生まれた言葉です。
87名無しさん@おーぷん :2016/11/20(日)12:51:26 ID:BTc
●民主政への歩み :総論と前提と環境についての理解

ということで、アテネの民主政への歩みを見ていきます。

まず総論で言うと、

民主政のあゆみというのは、一言で言うと平民の意見を政治に反映させる政治に持っていく歩みであり
平民と貴族の、政治について口出しする権利についての綱引きの過程であり、
徐々に平民に発言権が広がってくるという流れの説明になります。



最初に、前提を知る必要があります。

まず当時の共有されている考え方として、自分の安全は自分で守る必要があった。
自分の都市国家は自警しなければいけない。
(ということを考えると、現在、警察のことをポリスと言宇野はなかなか意味深いです。)


自分のポリスを自警するためには、武装して鍛える必要があるんだけど、貧乏人にはソレが不可能。
なので、最初はそれを金銭裕福なる貴族のみが背負った。

つまり軍役に出動するのは貴族のみ。鎧・兜・槍・馬。これらを自弁。結構カネがかかる。
ということで、政治も外交も戦争も、貴族が行い、平民や奴隷は単に働くだけ。



ソレが時代の流れとともに環境も変化しています。

まず、アテネでは貿易が盛ん。貿易に寄る富が平民に蓄積される。
すると、武具を自弁で買うことができる平民が増えてくる。

また、鉄を使う技術がこの頃になると一般化してきた。
なので、武具を多く作ることができるようになってきた。
すると大量生産されるので武具の値段も下がってくる。

ますます平民が武具を持ちやすい環境になってくる。
ということで、平民も戦争に参加する場面が増えてくる。
88名無しさん@おーぷん :2016/11/20(日)15:00:16 ID:BTc
●民主政への歩み2 :平民が政治に口出す機運

ところで歴史には、ある普遍的な傾向があります。
それは、「軍役に従事する者は政治に対する発言権がある」ということ。

たとえば、第一次世界大戦では、それまでの「軍隊だけが戦争をする」時代ではなくなり、
女ですら戦争に参加する(あるいは戦争により生命の危険にさらされる)時代になった。

そのタイミングに合わせて、女性に対しても参政権が与えられるようになっていった。


「軍役に従事する者は政治に対する発言権を要求する権利がある」
この普遍的な傾向が、古代ギリシャのアテネにおいてもあてはまり、
平民が貴族に対して待遇改善を求めるようになります。
89名無しさん@おーぷん :2016/11/20(日)15:16:12 ID:BTc
●民主政への歩み3 :具体的な流れ

1)ドラコンによる慣習法の成文化

2)ソロンの財政改革   ①財産区分による選挙権の設定    ②借金奴隷を救う徳政令

3)ペイシストラトスによる僭主政治

4)クレイステネスの改革   ①共同体の再編成   ②陶片追放


以下は解説

1)は、慣習法の明確化と共有化をはかった。

目的は、貴族の恣意的な振る舞いを制限するため。
これにより、貴族の不当利得が制限され、公平な扱いに一歩近づいた。
軍役に参加する平民の不満を吸収するのが目的。


2)は、軍役者を減らさないための改革。

①は民を貴族、裕福市民、中堅市民、無産市民に分けた。(→その下に奴隷が居る)
貴族は重装騎兵として、裕福市民は重装歩兵として、中堅市民は軽装歩兵として期待された。
無産市民には選挙権が与えられていない。

②は、借金返済ができなくて奴隷に身を落とした人の借財をチャラにし、さらには、今後は借金に寄る奴隷化を禁止した。
目的は当然ながら、軍役ができる兵隊が減ることを防止するため。


3)は、市民によるクーデター。クーデターが成功し、クーデター主は独裁者(=僭主)になった。

この独裁者(ペイシストラトス)が、実に良い独裁者。貴族から土地を没収して、無産市民に配布した。
ちょうど、GHQが太平洋大戦の終戦直後に日本に対して農地改革をしたような感じ。土地をもらった無産市民たちは大喜び。

ちなみに、ペイシストラトスの子供のヒッピアス。これが愚鈍な独裁者であるとして、残った貴族に追放される。
追放されたヒッピアスは、アケメネス朝ペルシャに亡命し、これをそそのかしてペルシャの力を借りて自分を追放した貴族たちをやっつけようと考えた。

これが、ペルシャ戦争が始まる要因のきっかけの一つとなった。
(なお直接のきっかけは、イオニア地方のミレトスでのギリシャ植民地における、ペルシャに対する反乱)
※きっかけは原因ではない。ペルシャ戦争の原因は、ギリシャとペルシャによる地中海市場覇権の奪い合い。


4)①は従来の身分や血縁による集団を解体し、新しく地縁による集団を形成した。
具体的には、まず貴族、富裕層、貧困層のそれぞれを地域ごとに10に切り分けた。(これで全部で30の仮の部族ができる)
次に、貴族、富裕層、貧困層の3つをあわせて新しく1つの部族にした。(これで全部で10の新部族が誕生する)
そして、各部族ごとに、50人の代表を選び、全部で選ばれた500人が500人評議会を組織した。

4)②は独裁者が出ないようにするため、独裁者になりそうなやつを投票であぶり出して、追放するというもの。
6000人の投票が集まれば、10年間追放することができた。現在の投票と違い、追放者を決める投票なので、ある意味逆投票。
90名無しさん@おーぷん :2016/11/20(日)18:22:42 ID:BTc
●ペルシャ戦争とアテネ民主政

ペルシャ戦争の、、、

・原因
ペルシャ戦争の原因は、すでに記載したように
ギリシャポリス連合群(アテネ・スパルタなど)と、アケメネス朝ペルシャ群(アケメネス朝ペルシャ、フェニキア)による
地中海・黒海交易市場の覇権争い。

・背景
アケメネス朝ペルシャは、ダレイオス一世の時代。
この頃のアケメネス朝がピークで、王の目、王の耳、王の道が整備された。
なので、アケメネス朝としては勢いに乗って地中海の覇権拡大する気満々。

・きっかけ
ミレトスを中心としたイオニア地方のギリシャ人植民市がアケメネス朝ペルシャに逆らい、反乱を起こす。
これを成敗したいアケメネス朝ペルシャがの遠征に来たのがきっかけ。

ちなみに、アテネはイオニア人が中心だから「同胞を守れ」的な意識も強かったのかもしれない。


・ペルシャ戦争の意義

長期的には、アケメネス朝ペルシャとギリシャポリス群の両方が弱体化し、後のアレキサンダー大王の活躍の土壌が醸成された。
短期的には、ペルシャ戦争で活躍したアテネの無産市民が、参政権を得た。これにより、アテネの民主政治が完成した。


・ペルシャ戦争で、ペルシャ側が負けた理由

ペルシャ側は傭兵や、駆り出された兵隊たち。あまりやる気がない。
ギリシャポリス側は、家族や同胞を守るために、文字通り命がけ。
この気合の違いが勝敗の違いに繋がった。


・特記
サラミスの海戦だけ押さえておけば、とりあえずよし。
この戦いでアテネの無産市民が活躍した戦いだったから。

・・・でも、なかなか面白い戦いが続いたんで、ここでは詳細を書くことにします。
91名無しさん@おーぷん :2016/11/20(日)18:45:24 ID:BTc
●ペルシャ戦争とアテネ民主政2

ペルシャ戦争は複数回行われた。

・第一回目:紀元前492年。
 
       海軍を持たないアケメネス朝ペルシャ。ここに天の助け登場。
       ギリシャと地中海上で商売敵のフェニキア。フェニキアの助太刀。フェニキアの海軍は頼もしい。
 
       ということで、紀元前492年。ペルシャ軍、アテネに向けて遠征開始。
       手始めに行き掛けの駄賃でマケドニアを征服。
       ところが、本丸のギリシャのアテネと戦う前に、嵐に遭遇。この嵐で、ペルシャ連合海軍が壊滅。

       結果、ギリシャのアテネ、戦わずして大勝利w


・第二回目:紀元前490年。マラトンの戦い。

        今度はしっかりペルシャ軍がアテネに上陸。迎え撃つアテネは海軍が得意だが陸軍は不得意。
        一緒に戦おうねと約束していた頼りの、陸軍の覇者スパルタは、国内行事が忙しくて不参加。

        さあ、真っ青になったアテネ。どうする?どうなる!?

        攻めるはペルシャ軍のダレイオス一世。

        しかし、不利かと思われたアテネ軍。重装歩兵の密集戦法が功を奏し、ペルシャ軍を撃退!!
        奇跡の勝利に、勝利の知らせを一刻も速くアテネの町本体に届けようと、伝令兵。
        一昼夜、甲冑をつけたままで走り続ける。

        アテネの町に到着した伝令兵。「わが軍大勝利!」と伝えるや、そのまま息絶えてしまった。
        そこで、この兵士が走り抜いた42.195キロを記念して、オリンピック競技で現在のマラソンとなって残っているのであった。(・・・が、これは俗説であり、事実とは異なる)

        ・・・実は、アテネの兵が走った距離は約36キロで、マラソンの42.195キロとは全然関係ないとされているのが真実。
        更に言うと、この「息絶えた兵士」 は実在していない可能性があるというのが本当のところ。

        歴史というのは、話が劇的になる方が面白いんで、どんどん尾ひれがついてしまうのですなあ。      

  
92名無しさん@おーぷん :2016/11/20(日)19:12:06 ID:BTc
第三回目:紀元前480年。テルモピレーの戦い(からサラミスの海戦)

ダレイオス一世の跡を継いだクセルクセス一世が海陸からギリシャに侵攻。敵もだんだん賢くなってくる。

ここで迎え撃つギリシャグループ。集めた兵隊が4千人。ところが、アケメネス朝ペルシャの兵隊は、なんと10万人!
どうあがいても勝ち目がない、と、4千人の兵隊のはずが、みんな蜘蛛の子を散らすように逃げ去ってしまった。

唯一残されたのが、スパルタ陸軍。その数300名。
わずか300名で10万人の兵隊に勝てるわけがない。。。。。

しかし、スパルタの300名の兵隊は、勇敢にも戦う決意を示した。
闘う場所はテルモピレー。断崖絶壁の場所で、道が細い。スパルタ軍はその先の広場で待ち受ける。
攻めて来る敵は少人数がエンドレスにやって来る形。なので、次から次にやっつけることができる。

というわけでスパルタ軍は健闘したのだが、密通者により、スパルタ軍の背後から大軍団がやってきた。
結局、スパルタ軍300名は全員死亡。このあたりの事情が、数年前「300!」という映画になった。
http://wwws.warnerbros.co.jp/300/
ちなみに映画では、「100万人対300人の真っ向勝負」という、人数が10倍増のバブルになってしまっているのはご愛嬌。



第三回目:紀元前480年。(テルモピレーの戦いから)サラミスの海戦

スパルタを倒した勢いに乗り、ペルシャ軍はアテネに攻め込む。

アテネでは、間一髪、市民を船に乗せて脱出。
テミストクレスを使って、ペルシャに偽情報を流し、サラミス海峡にペルシャ大艦隊をおびき寄せる。

ペルシャ軍の船は、敵地に上陸するために兵隊を大勢乗せている。そのため船の座高が高い。船も大型である。
一方サラミス海峡は、狭い。潮の流れも独特である。なかなかペルシャの船は思うように動きが取れない状態が続く。

そこにアテネの三段櫂船が突っ込んでいく。

当時のアテネ水軍の戦いは船の先頭に鋭いモリのようなものをくっつけておき、敵の船の横腹に衝突して穴を開けて沈めるというやり方。

この戦い、通常なら奴隷が漕ぎ手となるところ。しかし、当時奴隷には、敗北願望があった。
ギリシャのアテネが負ければ、自分たちは奴隷から開放してもらえるかもしれない。そういう希望があった。
なので、わざと負けるように船を漕ぐ可能性があった。

そこで、奴隷には船を漕がせず、当時無産市民だった貧乏市民に漕手を任せることにした。
アテネの船は小回りがきいたので敵軍を面白いように撃破。いくさに参加できる喜びに、無産市民のパワーが大爆発。
結局、この戦いはアテネ川の大勝利。

ご褒美に、無産市民にも選挙権が与えられることになった。→アテネ指揮民主政治の完成!!。
93名無しさん@おーぷん :2016/11/20(日)19:29:54 ID:BTc
第四回目:紀元前479年プラタイアの戦い

アテネ海軍とスパルタ陸軍の最強コンビがペルシャ軍を撃退。
以後、ペルシャ軍はやってこなくなる。

欲に(-492年)駆られるペルシャ軍(ペルシャ戦争)、連敗で遠征しなく(-479年)なる。という覚え方はどうでしょ?



・ペルシャ戦争以後

アテネはギリシャのポリスとデロス同盟を結び、盟主となる。
ポリスに対するアテネの支配が強くなり、ギリシャはアテネ帝国の様相を呈してくる。


●ポリスの変質

アテネのデロス同盟に対して、スパルタは脅威を感じる。
スパルタはペロポネソス同盟を結んでアテネに対抗する。

デロス軍団とペロコネソス軍団の戦い。
これが紀元前431年のペロポネソス戦争。

実はこれにアケメネス朝ペルシャが一枚噛んでいた。
密かに劣勢のスパルタを支援して、ギリシャのポリス間で内戦が長く続くように仕向けていたという頭脳犯。

そうこうしているうちに、ギリシャのポリスたちは相次ぐ戦争で疲弊してくる。
貧乏人が増えてくる。貧富の差が激しくなってくる。その結果、兵隊が足りなくなる。

富裕層は金を使って傭兵を雇うようになる。その結果、、、
「ポリスを守ろう!一致団結!!」の意識がいつしか消えてなくなっている。

一方のアケメネス朝ペルシャも再遠征するほど体力は回復していない。
ギリシャのポリスもアケメネス朝ペルシャも弱体化してきた。

ここに、後のアレキサンダー大王が登場する土壌が成立することになる。

※フィリッポス二世の話は教科書ではここの項目になるが、話の流れ上、次の項目の「ヘレニズム時代」でいっしょに話をすることにする。
94名無しさん@おーぷん :2016/11/23(水)14:58:33 ID:dRZ
そもそも、現在ではそこらのオッサンですらちょっとした訓練程度で42.195キロなんて走り切れてしまうのに、
(早いかどうかは別として)
厳しい軍事訓練を受けたはずの兵士が、何で甲冑を着込んでるとはいっても「死ぬ」なんて事が有り得るんだろう?
95名無しさん@おーぷん :2016/11/24(木)19:36:49 ID:co6
伝令のエピソードはヘロドトスには載ってない話で初出は大分後世らしい
プラタイアイの戦いにも同工異曲の逸話があってこっちは180キロ走りぬいている
96名無しさん@おーぷん :2016/11/27(日)19:54:48 ID:fZc
歴史には、事実(史実)を伝えるものと、嘘を通じて真実を伝えるものがあると考えても良いかもしれんですね。

走り抜いた逸話は嘘だけど、当時のアテネの民たちは、それほどまでに嬉しかったのだ、という真実は伝わるように思えます。


これってある意味、日露戦争みたいなもので、
本気で仲間のために命がけで戦った弱小国のほうが、士気の低い大国に勝利した、という構図は同じですしね。
97名無しさん@おーぷん :2016/11/27(日)20:02:43 ID:fZc
さて話はちと変わるんですが、
おっさん、現段階の実力では、高校教科書はちと荷が重いことに気が付きました。

教科書は
 ・まず流れを知る
 ・次に詳細をしる

を終えた人が、まとめとして知識を整理するとき過不足なく伝えてもらえる、という、ある意味かなり高度な文章なんだということに、気づきつつあります。


ということで、おっさんは初心者向けの教材を探し求めてます。

で、一つこれは良いぞというのがあって、それはトライというグループの世界史の授業です。
これは、現状、youtubeで世界史授業の全部を観ることができるのでお薦めです。

しかも、歴史の流れがかなりわかりやすく解説されている。

N予備校と、学びエイドと、世界史20話プロジェクトと、チノポスと、トライと、スタディサプリとを比較して得た結論です。

ところで、そのトライなんですが、中国現代史の一部分だけ、オープンにしていない。
自社HP内だけで公開している部分があるんです。

ソレは何かというと、中国現代史の毛沢東の部分。


おそらくですが、この部分の事実をおおっぴらに言うと、中国の息の掛かった団体から嫌がらせをされるためだろうと思うんですね。
ある意味、現在の日本でもまだ正しい客観的な歴史をおおっぴらに学習することができにくい環境であることの傍証的証拠といえます。

なので、今回は、そのカットされた部分について書き込みすることにします。


ちなみにその部分は、いろいろな参考書類を見ても、妙に回りくどくわかりにくくなるように書いていることに気が付きました。
本当の歴史をわれらの手に取り戻す努力を続ける必要がありそうです。
98名無しさん@おーぷん :2016/11/27(日)20:12:16 ID:fZc
太平洋戦争後、毛沢東率いる中国は、ソ連を兄貴として、共産化に邁進します。

ところが、だんだん中国は暴走し始める。


まず、外交がデタラメ。。

ソ連の悪口を言って仲が悪くなり、チベットを襲って自国領土にし、インドにも侵略を開始する。
外交的に孤立する方向に邁進します。


内政はどうかというと、これまたデタラメ。

内政については、毛沢東はとんでもない間違いを2つも犯してしまいます。
ひとつは「大躍進」で、もうひとつは「文化大革命」です。


まず「大躍進」(第二次五カ年計画)について。

人民公社を設けて、行政、教育活動の一体化をはかりましたが、これが大無謀。
なにしろ、何の専門知識もない農民を集めて、製鉄もやれだの無茶振り。

言われた方は経験不足で農業以外はできず、農業もその他のことで忙しくなりすぎて、どっちもまともにできなくなって
結局単に疲弊しただけに終わります。

しかも、ソ連と喧嘩してしまったんで、ソ連からの技術供与もストップ。
そこに自然大災害が追い打ちをかけたために、全国的な飢餓が発生することになります。

この毛沢東の内政失敗により、餓死などにより国民が数千万人死亡するはめになりました。


で、いったん毛沢東は、国家主席の椅子を劉少奇に譲り、みずからは死んだふりをします。(つづく)
99名無しさん@おーぷん :2016/11/27(日)20:23:58 ID:fZc
毛沢東に国をボロボロにされてそのケツ拭きを任された劉少奇は、鄧小平を補佐として、立て直しに奔走することになります。

劉少奇は、現実路線を取ることで中国経済を立て直すことにしました。
具体的には、資本主義経済の仕組みを導入したのです。

はやいはなしが、生産したらとりあげるけど、取り上げるのは一定部分に留め、
余剰分は自分のものにしていいよ、というニュールールです。

頑張ればがんばった分だけ自分のものになる。
ということでみんながやっと本気で働きだし、農業生産力が回復します。



ところが、自分の失敗の後始末をしてくれた劉少奇に対して、毛沢東は猛烈に嫉妬する。

毛沢東は、鄧小平や劉少奇を「資本主義の手下」として批判し、逮捕し、劉少奇を拷問し、殺しちゃいます。
(鄧小平はここでは死んだふりをして時代をやり過ごすことにします。)

それだけではなく、毛沢東はとんでもない運動を始める。
これが「プロレタリア文化大革命」です。

資本主義は悪だから、地主や銀行家も悪。学校の先生は知を弄んで資本主義の味方をするから悪。
悪いやつは皆殺しだ。。。。。。

ということで、中国獣の知識階級や金持ち階級のものをどんどんとっ捕まえてはリンチして殺すことにします。
これまた数千万人が死亡。

ちなみに手足として働いたのが紅衛兵(学生中心)
毛沢東の奥さんが毛沢東の意思を引き継いで引き続き権力を掌握し、その運動を続けます。(4人組)

地獄のような中国。しかしここで神風が吹きます。
当時、中国とソ連はいがみ合っています。そして米国とソ連も冷戦でにらみあっている。
ここで米国が、ソ連の的である中国を取り込もうと考える。ニクソン訪中。
アメリカの腰巾着の日本もソレを知ってあわてて訪中。
日中国交正常化を田中角栄内閣のときに行うことになります。

その後、周恩来、毛沢東が立て続けに死亡し、毛沢東の跡の主席についた華国鋒が、
四人組を逮捕し、文化大革命を終了させることになります。
100名無しさん@おーぷん :2016/11/27(日)20:34:48 ID:fZc
話は以上なのですが、ここでなぜ、この程度の歴史をおおっぴらにいうことがやりにくいのか、ということについて疑問が残りました。

そこで気がついたことがあります。

現在でも、毛沢東は天安門にその写真が掲げられている。
毛沢東というのは、現在でも中華人民共和国の英雄として扱われてるわけです。

ソレが実は自国民を結果的に6千万人も物理的に殺してしまうような政治をやっていたなんてのは、
間違っても中国は認めたくないわけですわ。


しかし、歴史に目をつぶる国、歴史を捏造する国、そんな国であってはならないのが日本。

なので、あえてわざと、世界史のタブーの部分をおおっぴらに鳥瞰してみることにしました。


あ、そうだ、その後の中国も書いておきますね。

鄧小平が復活し、「4つの現代化」(農業、工業、国防、科学技術)
を発展させていき、中国の近代化が猛烈に進むことになりましたとさ。めでたしめでたし。




この隠されたトライイットの名講義を知りたい人は、トライイットのホームページに言って、世界史を選択し
自立を強める東アジアの項目からその中の1と2を鑑賞すると良いと思います。

今回はこれで終了です。
101名無しさん@おーぷん :2016/12/04(日)10:58:33 ID:L7c
●つまみ食いからモヤモヤと見えてきたもの

おっさんです。
学習状況の発表とは別に、つまみ食い的に世界史のあちこちの部分を食い散らかしてきました。
で、なんかモヤモヤと見えてきたものがあるんで、とりあえずソレについてのスケッチをしてみます。

もやもやと見えてきたものは「現在から近未来」です。


その前に現在に到るおおまかなざっくり世界史を見ると。。。

まず大航海時代より前は、中国、ヨーロッパ、中東、インドと、文化圏が独自にそれぞれ育っていき、
シルクロードなど中継貿易をはさむ交流はあるものの、価値観や世界観がそれぞれバラバラの住み分け文化圏・国家群圏だったわけです。
世界古代史は、ざっくり言えば、これでまとまっちゃうようなきがする。というのも、現代に直接深く深刻に絡んでくるような話は余りないから。

で、大航海時代になって世界が一体化すると、キリスト教という侵略のオブラート膜をつかって世界侵略をヨーロッパが始める。
その間、世界の覇権はポルトガル・スペイン→オランダ→イギリスへと推移する。

大航海時代より前までは、領土拡張というのはお互いにi皆殺し政策であり、すべてを奪い尽くすものだった。
めっちゃ野蛮。財産、土地をすべて奪い、老人と子供は殺し、若い男は奴隷で酷使し、若い女は性奴隷。
そういう時代。

それが大航海時代になると、貿易自体に旨味を持つようになり、土地を奪い尽くす必要がなくなってくる。
それよりも、武力を背景にして自分に有利な貿易を矯正すると言うと味の形成の方法に変わってくる。



そして決定的に質が変化したのが、イギリスの18世紀の産業革命。この頃は軽工業(繊維)の革命。石炭と蒸気で作るもの。
生糸を輸入して、喜界生産して、衣類等の商品にして、すなわち高付加価値化にして販売する。この付加価値の部分が利益。
手作業と機械作業の差がそのまま利益の差になる。人件費はいつの世でも割高。

産業革命の波に、フランス、アメリカ、ドイツが追随。
特にアメリカとドイツは重工業の産業革命を開発。石油と電機で作る革命。これで富がいっきに広がる。
102名無しさん@おーぷん :2016/12/04(日)11:06:25 ID:L7c
なので、英国の産業革命以後、産業革命に成功した国が、自国の作りすぎた物品を高く世界中に売りつけようとして
その市場確保を争っていたというのが実際。

極東の辺境国日本は、その流れに便乗して、日清戦争でアジアデビュー、日露戦争で世界デビュー。
西欧列強の中国解体に「いっちょかみ」して香車の当然の権利だからと二十一カ条の要求を敗戦国でもない中国に突きつけて飲ませる。

ところが、当時の西洋の暗黙の了解として白人以外は人類じゃないってのがあって、イエローモンキーのくせに生意気だと、思いっきりぶっ叩かれる。


で、日本の意識は領土拡張的な感覚だったんだけど、
世界では第一次世界大戦以降、発想がどうやら変化した。
第一次世界大戦で世界は初めて死ぬ思いをしたから。

ソレまでは戦争といえば軍隊だけの戦争だったのが、第一次世界大戦になって初めて、
戦争とは国民総力戦で、延々と続いて、国力をめちゃくちゃ削ぐ代物だということになった。戦争の質が変化した。

更には第二次世界大戦以後、世界中の少数民族が目覚めだして、脱植民地の独立化を考えだした。
そうなると、そういう民族を従えての植民地活動はペイしないものになる。

奴隷を使うなら利益は出る産業でも、従業員を使うとなるとなかなか利益が出ない企業経営みたいなもの。


なので、それで植民地を持ってた国は次々と手放しはじめる。


そしてそれに変わって発生してきたのが「グローバリズム」。別名1%と99%の戦い。
103名無しさん@おーぷん :2016/12/04(日)11:14:59 ID:L7c
要は、多国籍企業。

多国籍企業にとっては、国ごとの縛りはないほうがビジネスしやすい。
なもので、TPPのようなグローバル化を推進しようとし始めた。EUなんかもそういう表れのひとつ。

ところがこの流れが、昨年から変化し始める。
イギリスのEU離脱は、いわば脱グローバリズムのあらわれ。
トランプによるTPP離脱の動きもそう。


ここまでをまとめると、

大航海時代による世界の一体化

産業革命を成し遂げた国が植民地を開拓

世界大戦により、植民地のメリットが無くなる

多国籍偉業による「見えない植民地化」の推進

被植民地住人による反乱
グローバリズムの縮小。


で、今後どうなるかというと、
目先は、対中包囲網が形成される。

なぜか。
中国は、数少ない例外的な遅れてきた帝国主義発想の国だから。
世界から100年遅れている。侵略による国土拡張を是とする国。

先進世界は、この発想からすでに第一次世界大戦後、抜けている。
日本は、第二次世界大戦後、抜けた。

この価値観のぶつかり合いが、次の世界を形成することになる。

ということは
おっさんの現段階の予想としては、中国とその子分の朝鮮(つまり特ア三国)を悪者にしつつ、
日米英印の包囲網が形成される。露がどうでてくるのかは、まだ見えない。
104名無しさん@おーぷん :2016/12/04(日)11:15:54 ID:L7c
それはともかく、コツコツと世界史古代も勉強していくつもりです。

オリエントが複雑怪奇だったけど、ギリシャやローマは意外とわかりやすいんで助かりました。
次回報告します。
105名無しさん@おーぷん :2017/05/22(月)14:03:13 ID:7MD
世界史勉強しても客観的にじゃなくて自分独自(実はネットの影響)でしか解釈できない時点で意味がない。おナニーと一緒だ。
106名無しさん@おーぷん :2017/06/03(土)21:36:24 ID:10b
学歴獲得目的の学生さんは別として、社会人がひまつぶしにやる高校レベルの勉強なんか、オナニー程度の意味しかないだろ?
でも、オナニーは気持ちがいい。それで十分。

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