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支那近・現代史

1名無しさん@おーぷん:2015/04/22(水)22:34:56 ID:IES()
日本の武士階級は明治維新に於て、俸碌米の特権を放棄し、代わりに公務員(役所吏員、警察官、職業軍人、教職員etc.etc.)、もしくは、産業資本家になる道を模索し、結果的に(インテリゲンチアとして)生き残り、封建主義的農業社会を西欧的産業国家に改造せしめる事に成功した。
2名無しさん@おーぷん :2015/04/22(水)22:35:56 ID:IES()
一方、支那社会は帝国主義全盛の潮流に適合し得ず、紆余曲折を経て、共産党独裁と言う帰結を見るに至った。

支那社会の上部構造、すなわち、地方の地主、郷伸階級の殆どは国共内戦の過程に於いて滅亡してしまった。
日本の上部構造と比較して、対照的な運命を辿ったその理由を考えたい。
3名無しさん@おーぷん :2015/04/23(木)14:28:07 ID:Twe
>>1
「武家の商法」とか言って、大抵の武士の商売は失敗したんじゃないの?
渋沢栄一と、福沢諭吉の息子くらいでしょ、成功したの。
4名無しさん@おーぷん :2015/04/23(木)14:33:44 ID:Twe
>>2
共産党が政権を握った事が大きいが、
中国の地主たちは、ひたすら農民を搾取するしか能が無い連中ばかりだった、非常に人格的に劣等な連中だったらしいし。

満州国では、日本は「満州人の土地を奪った」などと言って非難されるが、
満州人たちは実は進んで日本人の小作人になる事を熱望していた。

もちろん満州国のプロパガンダも有るのかも知れないが、多くの満州人農民が進んで土地を手放して現金に換え、また日本人の小作人になっていった事は事実である。

なぜか?

日本人地主の「搾取」は、中国人や朝鮮人に比較しても、アホのように軽い物だったからだ。
また凶作になれば、事情を勘案して年貢を減免してくれたりした。
統制経済だったからこそ出来た芸当だが、日本人地主が一番面倒見が良く、近代的農法も惜しげも無く満州人農民に教えてやった。

一方、今までの差別の鬱憤を晴らそうとしたのか、とてつもない差別と虐待でこき使ったのが、朝鮮人地主であった。
当時は朝鮮人も日本人であったとはいえ、
朝鮮人のやった事が、「日本人のやった事」として戦後吹聴されている面も否定できない。
5名無しさん@おーぷん :2015/04/23(木)14:36:52 ID:Twe
満州国は、わずか12年で、原始時代のような物々交換社会から、近代経済社会に脱皮した、世界史上の奇跡であった。

日本史上初の「高速道路」、アウトバーンは、実は満州国に敷かれた。
南満州鉄道会社は、自社の利益が落ちるのも承知で、満州全土の道路網、交通網の整備に乗り出した。

日本人が夢と希望と血と涙と汗をそそぎ込んだ土地こそ、満州だったのである。
6名無しさん@おーぷん :2015/04/23(木)19:22:35 ID:5xX()
支那人の申し状がおかしいのは、蒙古や満州を自国であると言う、その根拠だ。

「支那本体と内蒙、外蒙、満州等々が、征服された時点で、"征服者(チンギス・ハーンやフビライ・ハーン、ヌルハチ)ら"の一体的領土であったから、その後も支那の支配するべき土地である」と言うロジックだ。
7名無しさん@おーぷん :2015/04/23(木)19:27:13 ID:5xX()
征服された事により、征服者=遊牧民族(←支那人の定義に拠る所の王化されざる野蛮な異民族)と或種の支配、被支配の関係が生まれた。
簡単に申せば、西戎、夷狄、匈奴らの支配を受けた。
彼ら遊牧民にうち負かされ、屈服させられた、それだけが満州、蒙古、シベリア沿海州(現露領)に対する支那の主張する領有権の根拠なのだ。
この彼らのロジックは面妖過ぎる。
8名無しさん@おーぷん :2015/04/23(木)19:40:48 ID:5xX()
すなわち、歴史的に自国の一部であると言うその主張は西戎、東夷、匈奴、南蛮(←南蛮、これだけは征服王朝が無かったwww)らによる侵略のダイナミズム、歴史の躍動力を根拠に満蒙沿海州の領有権を主張している。

歴史に於ける侵略のダイナミズムを自国領有権の根拠と為すそのロジックが何故か、大日本帝國との交戦の歴史に言及する時、侵略の名目を以て我が帝國のみを批判するのは矛盾撞着ではないのか?

我が帝國との満州を巡る軋轢に於いて、支那の主張する領有の根拠が侵略のダイナミズムの果実であるとは!
9名無しさん@おーぷん :2015/04/24(金)18:32:15 ID:FUw()

小難しい事を書いたが、一言で申すと、
侵略され、征服された事実を以て、"拡張中華圏"(満州、蒙古)の既成事実を肯定するのであれば、大日本に対する「侵略者」なる支那の定義付けは、深読みすれば、本当は日本に征服して欲しかった、と言う潜在願望なのかい?と裏を探りたくなる、って事。
10名無しさん@おーぷん :2015/04/24(金)18:36:18 ID:FUw()
考えてみれば、支那は共同体として、当事者能力を喪失して久しい、この百年間であった。

1915年~2015年を振り返れば、支那社会が機能不全に陥っている事は明白だ。
11名無しさん@おーぷん :2015/04/24(金)19:02:19 ID:FUw()
゛農村゛と言うゲットーを設け、そこから都市へ出稼ぎに流入して参った有象無象の労働者群の゛賃金格差パワー゛と言う世界労働力市場に於ける相対的人件費ポテンシャルを以て、資本主義的離陸の原資と為すその手法は、人道的見地から申すれば致命的欠陥がある。
到底、残余の第三世界諸国のモデル、標準にはなり得ないのである。
12名無しさん@おーぷん :2015/04/24(金)19:16:04 ID:FUw()
後漢(西漢)王朝の清流模索の提唱以来、何度も繰り返し、試みられ、遂に、克服出来ずに今日に至っている人治主義的濁流リバウンドの慣性力。

国内ゲットー、゛農村゛の解放と言う課題を解決するには、人治主義的濁流慣性力を抑制し、逆方向に押し返す清流的法治主義のパワーが不可欠だが、支那社会には伝統的、構造的にそれを生み出すコアが存在しないのである。
13名無しさん@おーぷん :2015/04/27(月)18:36:30 ID:38k()
支那の近・現代史の考察に最も有利な立場にあるのは台湾、中華民国の(本省系の)学者たちであって、彼らは生きた文献資料(繁字体華文)を容易に解読出来る。

返還される前の香港も同様だったが、今は台湾だけだ。
14名無しさん@おーぷん :2015/04/27(月)18:43:39 ID:38k()
日本の大学は民国(中華民国)の゛通史゛を編纂する野望を持つぐらいでなければならない。

民国は緯度は南であるが北京語だ。北京語の現代文の繁字体解読が出来ないようではリアルタイムでの19世紀末~20世紀中盤にかけての支那出発物の資料化は不可能であろう。
15名無しさん@おーぷん :2015/04/27(月)19:04:57 ID:38k()
将来、支那での歴史表記としての民国は「民」もしくは「華」と言う一文字を以て充当されるのではないだろうか?

と言うのは、支那社会での正式な自国号は一文字が基本であるからだ。
但し、その場合の接頭辞である「大」は文字数にカウントされない。

「華」と言うのは、支那社会にとって、特別過ぎる重要な文字であり、ファイナルアンサー過ぎて、盛者必滅、栄枯盛衰無常の政権の歴代国号として後世の諡号的政体命名に用いるのは相応しくない。
故に、蒋介石の中華民國には伝統的命名によって、「民」、毛沢東の中華人民共和国には「人」の文字を以て歴史編纂での諡号的命名を充当したい。

台湾に都落ちした国民党政権は「南民」、それ以前の大陸時代は「北民」であろう。
16名無しさん@おーぷん :2015/04/29(水)19:20:26 ID:jaN()

゛ファイナルアンサー゛であり、軽々に使うべきでない文字である、と申しはしたが、国名を一文字化するとすれば、近・現代史の゛支那王朝゛は、やはり、「華」が相応しい、と思い直した。
17名無しさん@おーぷん :2015/04/29(水)19:35:08 ID:jaN()
孫文、蒋介石、毛沢東の三傑人を輩出した近代支那「華王朝」の百年、すなわち、西暦第20世紀は、(支那にとって特に)革命と戦争の世紀であったと申せるだろう。
18名無しさん@おーぷん :2015/04/29(水)19:53:15 ID:jaN()
幣原喜重郎の外交政策の混迷が日本と支那の不幸な衝突の原因であろう。

真偽のほどは定かでないが、彼はフリーメーソンリーであったと言われている。
幣原外交が出鱈目であった為にあの時期に満州事変が発生したと仮説したい。
19名無しさん@おーぷん :2015/05/06(水)17:35:11 ID:DYF
>>18
>幣原外交が出鱈目であった為にあの時期に満州事変が発生したと仮説したい。

それはあまりにも【日本中心】にとらわれ過ぎている。
満州事変が勃発した歴史的文脈は、
「幣原外交」などという、日本一国だけの問題を見ていては理解できない。

即ち、まず最初に、満州では事変以前に在満邦人が迫害を受けていたこと、
キチンと正規の手続きを踏んで入国したにも関わらず虐殺された中村震太郎大尉みたいな事件も在ったし、
学校に通う生徒に、子供に向かって投石して大怪我を負わせる事件が起こったりしている。

当然、この背後には、ソ連やアメリカの差し金が有り、
中国人の民族意識を高めさせて、日本を満州から叩き出して自分らのモノにしてやろうという野心があった。
(さらにソ連には、「中国の革命が日本や欧米に伝播して世界共産革命に繋がる」という考えがあった)

当時の外務省には「懸案三百」とも言われる程、対支那関係の外交問題が存在したと言う。
三百件も、解決されない諸問題が日本と支那との間には存在したという事だ。
まず、この事実を抑えておかねばならない。

幣原外交が、この「懸案三百」に無力だった事は言わずもがなだが、それは幣原喜重郎だけの責任ではない。
当然、満州の張学良と、大陸本土を押さえる蒋介石の責任も大きい。
張学良は張学良で、
「外交権は南京に在るので、文句は南京に言ってくれ」
とのらりくらりと逃げてかわし、
蒋介石は蒋介石で、
「現地で起こった事は、現地同士の話し合いで解決せよ。我々は責任を取らぬ」
と逃げてかわした。

そこで関東軍は、
「張学良にも蒋介石にも、満州を統治し、治安を維持する能力無し」
と判断、断固排除に乗り出す事に決定した。

これは当時の国際法でも合法であり、日本は犯罪行為を行ったわけではない。
張学良も蒋介石も、誰一人まともに外交の相手をしないと言うのだから、
【満州は無政府状態である】
と判断すべきなのだ。

そして、ここが重要なのだが、当時の国際情勢である。

まず、1929年のアメリカ発の世界大恐慌によってドイツ経済が破綻した。
ドイツからの賠償金で経済を保たせていたイギリス・フランスも、連鎖的に破綻した。
20名無しさん@おーぷん :2015/05/06(水)17:35:22 ID:DYF

即ち、国際連盟常任理事国の内、ドイツ、イギリス、フランスの三ヶ国は、遠く離れた極東どころの騒ぎではなかった訳だ。
(あともう一カ国の常任理事国のイタリアだが、こちらは極東アジアに利権が無いので、やはりどうでも良かった)

そして、アメリカも一千万人を越える失業者の山に溢れ、戦争どころの騒ぎではなかった。
また、国民感情としても、第一次大戦で何の取り分も無かったと思っているアメリカ国民は、戦争に反対する国民が多かった。

さて、世界で唯一、世界大恐慌を免れたソ連はどうか?
実は、ソ連はソ連で、第一次五カ年計画の真っ最中であり、とてもじゃないが、極東の満州まで面倒を見ていられる状況ではなかった。
(従って、満州事変が勃発すると、すぐに抵抗をやめさせてソ連軍は北方に退却している)

関東軍は、特に石原莞爾は、ここまで読みに読んだ、ベストなタイミングで満州事変を発動した訳だ。
21名無しさん@おーぷん :2015/05/06(水)17:40:24 ID:DYF
逆に言えば、ここしかタイミングがもう残って無かったとも言える。

もしも後世の知識が当時の人間に在れば、
日露戦争中、大清帝国はロシア帝国と密かに通じ合っていたので(露清密約)、
「準同盟国」と見なして、満州を清から取り上げる事も出来た。

また、いわゆる「シベリア出兵」の時。
このドサクサ紛れに、満州に国を打ち立ててしまうという手もあった。
この時はまだ、「ワシントン条約」「九ヶ国条約」「パリ不戦条約」などの締結前なので、
日本の行動は「侵略」と呼ばれる事は無かっただろう。

石原莞爾は、最後の最後でチャンスを掴んだと言える。
22名無しさん@おーぷん :2015/05/06(水)17:54:04 ID:DYF
仮に幣原喜重郎がこの世に生誕しなくとも、
満州事変はほとんど何も変わらぬタイミングで勃発しただろう。
支那の姿勢が変わらない限り。

「もし東條英機がこの世に居なければ、日米戦争は起きなかった」

と同じレベルの論と言うしか無い。
歴史と言うのは、たった一人で何か起こったりするものではないと思う。

この点よく言われるのは、
『日本史の学者は自虐史観のサヨクが多く、世界史の学者は自尊史観のウヨクが多い』
ということ。

日本史をミクロにミクロに研究していけば、どうしようもない駄目人間しか存在しないようにしか見えなかろう。
彼らがどうしてそんな馬鹿な行動をしでかしたのか、日本史だけをいくら眺めていても解るはずはない。
結局、日本史学者の出す結論は、
『コイツが馬鹿だからだ』
『コイツが阿呆だからだ』
という結論しか出てこない。
23名無しさん@おーぷん :2015/05/06(水)23:40:35 ID:FpX
連休の最後に超ド級のレス。

ありがとうございました。
24名無しさん@おーぷん :2015/06/25(木)01:47:03 ID:O05
満州某重大事件、張作霖爆殺事件の事だが、
ソ連軍の謀略であったという説が出てきているね。
そのソ連説の変形で、張学良黒幕説ってのも有る。

当時の支那大陸は、日本の戦国時代の如く、
『親が子を殺し、子が親を殺す』なんてのが当たり前だった乱世。
張学良が父親を殺すためにソ連と結託したとしても有り得ない話じゃない。

この説が正しいと仮定すると、
張学良は自分で父親を殺害しておきながら、
それを「日本軍の仕業」のように見せかけ、
さらに、日本軍を恨む振りをしながら蒋介石に近づいた策士という事になる。

当時の支那大陸には、こんな奸智に長けた奴がウジャウジャ存在していた。
25名無しさん@おーぷん :2015/06/25(木)01:50:56 ID:O05
ちなみに、張学良黒幕説の根拠は、
父親が死んだってのに、張学良があまり悲しんでいなかったという証言が有るからだ。
ちなみに、張作霖が爆殺される列車に乗って満州に帰ろうとした時、張学良は北京で遊び呆けていた。
張作霖の乗った列車が爆破されたと聞いても遊びをやめる様子は全く無く、疲れ果てるまでずっと遊んでいたらしい。
26名無しさん@おーぷん :2015/08/07(金)20:05:58 ID:QMy
あげ
27名無しさん@おーぷん :2015/08/07(金)20:06:19 ID:QMy
age

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