- -pv
スレッドの閲覧状況:
現在、- がスレを見ています。
これまでに合計 - 表示されました。
※PC・スマホの表示回数をカウントしてます。
※24時間表示がないスレのPVはリセットされます。

フランコ総統(フランシスコ・フランコ)

1名無しさん:2014/04/09(水)19:22:32 ID:ImlF4Srtf()
こういう強引な人はたいてい最後は失脚するもんですが
失脚しないままタタミの上で死んだのは正直凄いと思う。
2名無しさん :2014/04/09(水)19:24:46 ID:ImlF4Srtf()
フランシスコ・フランコ・イ・バアモンデ(Francisco Franco y Bahamonde、1892年12月4日 - 1975年11月20日)は、
スペインの軍人、政治家、独裁者(総統)。ガリシア出身。
3名無しさん :2014/04/09(水)20:25:02 ID:098hytIcF
スペインでは此奴の扱いどうなの?
今でも公の場で評価禁止らしいが
4名無しさん :2014/04/20(日)19:07:17 ID:egKemSbT3
ファランヘ党
5名無しさん@おーぷん :2014/05/23(金)19:40:07 ID:OpInvrHfv
フランコ政権下のスペインの経済って独裁国の例にもれず酷かったのか?
6名無しさん@おーぷん :2014/05/23(金)19:43:58 ID:eprn3QziB
晩年の頃は、経済成長の基礎は築かれていたよ
当時の米英と比べたら可哀想だけど、独裁国家にしては成功していた方だよ
7名無しさん@おーぷん :2014/05/24(土)02:43:32 ID:4bSMGuyS3
ピカソの「ゲルニカ」って、高校の美術の教科書にあったような朧気な記憶が……
8名無しさん@おーぷん :2014/05/24(土)10:38:19 ID:InErSiXbD
ピカソは反フランコ派。
反フランコで反ファシズムなのはともかく、
ピカソは親スターリンで親共産主義だからな。
人間的にも問題あったみたいだし、好きになれないわ。

同じスペインの芸術家なら、サルバトール・ダリの方がナンボかマシ。
ダリはファシズムに好意を持ってなかったけど、
「共産主義よりはマシ」ということでフランコ派に協力した。
フランコ派の中には、反共産主義の自由主義派も存在したからそこに賭けたわけだ。
フランコ本人も、ファランヘ党員じゃなく、むしろ自由主義の方に好意を抱いていたしね。
9名無しさん@おーぷん :2014/05/25(日)00:57:36 ID:MogNsQk6F
フランコの軍人としての業績ってどんなの?
モロッコで現地部族狩り?
10名無しさん@おーぷん :2014/05/25(日)19:59:49 ID:mo1mDgilS
>>8

> フランコ本人も、ファランヘ党員じゃなく、むしろ自由主義の方に好意を抱いていたしね。

そうなのか??
11名無しさん@おーぷん :2014/05/25(日)20:47:42 ID:dWombZ1d5
>>10
スペイン内戦でフランコ支援で頑張ったファランヘ党員たちは、
フランコの勝利後に報われることは無かった。
政党は非ファシズム的な、復古主義的政党に作り替えられたんだよ

一応ファシズムは新思想ってことになってる
単なる復古主義じゃなく、マルクス主義や自由主義を越えた20世紀の新思想っていうね
フランコが目指したのは王政復古
方向性があまりにも違う
12名無しさん@おーぷん :2014/05/25(日)20:53:46 ID:mLhvXzKEW
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%98%E5%85%9A
>1937年、フランシスコ・フランコは王党派とファランヘ党を合体させ、「新ファランヘ党」の党首に就任した。
>1939年の党大会でスペインで唯一の政党となることが決議され、1975年のフランコの死まで独裁制を支えたが、旧ファランヘ党のメンバーは1950年代から政権から完全に外され、非主流派となった。
13名無しさん@おーぷん :2014/05/25(日)21:23:11 ID:mo1mDgilS
おー、知らなかったっす。
14名無しさん@おーぷん :2014/05/25(日)21:59:47 ID:xG22W2Sr7
フランコほど勘違いされてる人間もいないよね
特に日本で

日本の歴史学会って左翼イデオロギーに偏りすぎてて、
スペイン内戦でも決まって共和派の肩ばかり持つ内容ばっかりなんだけど。
彼らの共和派に対する美化は嘘、嘘、嘘のオンパレードでほとんど全く史実じゃない。

自虐史観の脱却も良いけれど、日本はそろそろマルクス主義史観からも脱却しないとね。
15名無しさん@おーぷん :2014/05/25(日)23:03:16 ID:MogNsQk6F
共和派はオーウェルがソ連派に拘束されたり、マドリードに
フランコ軍が迫る状況下でも内ゲバ始めたりと色々酷かった

16名無しさん@おーぷん :2014/05/25(日)23:08:59 ID:b0SUErfeX
教会を破壊して財産をかすめ取ったり、
尼僧をレイプしたり、

あれで多くのスペイン人が愛想を尽かしてフランコ派に味方したのに、
今の教科書や歴史マンガには一言一句書いてないんだもんな。

フランコはファランヘ党員でさえなかったのに、
「親ファシストのフランコ将軍」呼ばわりしてるし。
17名無しさん@おーぷん :2014/05/26(月)05:47:34 ID:1FJDMvH5l
>>16

> あれで多くのスペイン人が愛想を尽かしてフランコ派に味方したのに、
> 今の教科書や歴史マンガには一言一句書いてないんだもんな。


というか、ウィキペディアにも書かれていない。
18名無しさん@おーぷん :2014/05/26(月)09:14:26 ID:aEpTjt2Xb
※スペイン内戦が始まるまでの間に共和派のやったこと

・地主の土地を強制没収
(戦後日本の「農地解放」でさえ少ないながらも対価が支払われたというのに無償で没収した)

・大地主がいなくなれば中小地主が対象となり、最後には小自作農までもが略奪の対象となった

・キリスト教会の財産を没収、神父・尼僧は強制還俗、従わなければ虐殺かレイプ

・大企業の国営化、そして財産没収

・ソ連への異常なほどの友好
19名無しさん@おーぷん :2014/05/26(月)09:21:10 ID:SOXQCUwcE
そしてスペイン内戦が勃発するわけだが、
フランコはその計画でも実行でも直接的に関わったわけではない。
むしろ相談にもあずからなかったのだ。

従って、
「共和派に不満を持ったファシストのフランコがスペイン内戦を始めた」
とかいう説明は、全く間違っている。
NHKの映像の世紀もそんな説明だったが。

単にフランコは、反乱軍に呼応した後の戦いぶりがめざましく、
また、反乱軍側の指導者たちが戦死したり、共和派に虐殺されたりしたせいで、
のちになってから祭り上げられたに過ぎない。

これが歴史の事実。
20名無しさん@おーぷん :2014/05/26(月)10:03:26 ID:1FJDMvH5l
>>19

藤原四兄弟が伝染病で死んだから、橘諸兄が政権を掌握したようなもんだな。
21名無しさん@おーぷん :2014/05/26(月)21:18:35 ID:tKSXefusC
スペインの人民戦線って、マラノが多かったんだろうね。推測に過ぎんが。
22名無しさん@おーぷん :2014/05/26(月)21:22:48 ID:33bU0xRjn
マラノはある種の禁止薬物、同性結婚の合法化に熱心なようだ。これも推測に過ぎんが。連レス、メンゴ。
23名無しさん@おーぷん :2014/06/21(土)21:21:17 ID:wN5RpgA2y
結論:フランコは良い奴
24名無しさん@おーぷん :2014/06/22(日)12:02:00 ID:hMXvYV4gM
良い奴かどうかはさておき、
多くの日本人が今まで教えられてきたほど「悪い奴ではなかった」というのが妥当な評価かな?
独裁政治特有のネポチズム(縁故採用)なんかの災いからも免れていたみたいだし。

まぁ、フランコ一家は、フランコ本人を除いて全員共和派の方に味方した事になっているので、
まさか元・敵を高位高官に就けられるはずもなかったという点もあるのだが。

独裁者の兄弟が、たとえ形の上でも敵の側について敵対したという事自体、
スペイン内戦がフランコとは全く無関係の所で計画され、そして開始された事がわかる。
つまり、自分の兄弟に根回しして味方に引き込むような時間的余裕すら与えられなかったわけだ。
25名無しさん@おーぷん :2014/06/22(日)12:07:39 ID:XDUjw5Q76
それに、独裁国家の割には、あまり人を殺さなかったというのもポイント高い。
無論、スペイン内戦で熱心な共和派の連中は軒並み戦死するか、
隣国のフランスに亡命するかしたからだが、
政権獲得後、フランコが気にくわないと思った奴は、カナリア諸島とかモロッコに島流しにさせられるだけで、命を取られる事はほとんどマレであった。
今でもテロばっかり引き起こしている、バスク人の独立運動家相手ですら、そのような態度だったので、
ファランヘ党員の中から「軟弱」「弱腰」という不満の声が起こってきたくらいである。

この政敵をとことんまでは殺さない態度は、フランコが尊敬したムッソリーニの政策を真似たらしい。
26名無しさん@おーぷん :2014/06/23(月)17:47:11 ID:XWKl68UcT
>>25

「窮鼠猫を噛む」リスクを回避したかったんだろうな。一理ある。
27名無しさん@おーぷん :2014/06/24(火)02:55:36 ID:oHWZFxaHc
スペイン内戦って一応スペイン人のエースパイロットもいるんだよね
28名無しさん@おーぷん :2014/06/26(木)14:33:42 ID:7ACzV16Uc
>>25
そりゃ、比較対象をソ連とかドイツとかにすればあまり殺さなかったのは間違いないだろう。
そして、たしかに気に食わなかった人間を殺さなかったのも事実。
とはいえ、それって地位の高い人間や著名人(王党派の将軍とか非主流派の左派政党指導者)の話であって・・・。

一般人は容赦なく殺しているぞ。たしか十数万人ぐらいか?スペイン最大級の殺戮者ってことは間違いない。
功罪半ばで評価は難しいが、血に塗れた人物であるのは確かである。(同時代のスペインの政治家はだいたいそうなんだが・・)
29名無しさん@おーぷん :2014/06/26(木)17:55:50 ID:CmAURi63P
たしか赤を抹殺する為ならスペイン人の半数犠牲にしてもいいって言ってるんだよね
フランコ
30名無しさん@おーぷん :2014/06/26(木)18:34:02 ID:1C9NnYWF2
>>28
ピサロかコルテスの方が殺してないか?
31名無しさん@おーぷん :2014/06/26(木)19:09:50 ID:3AIxGiXdf
アカは抹殺した方がいいのは、確かだな。
半分も犠牲にはしたくないが。
32名無しさん@おーぷん :2014/06/26(木)19:30:35 ID:iRKCMYCFJ
アカは平然と千万とか億単位で人を殺すし
33名無しさん@おーぷん :2014/06/26(木)21:13:39 ID:dFfWETmY9
フランコのいうアカって共産主義者のいうファシストと同じくらい広範囲だ。
共産主義者や社会主義者どころか自由主義者や穏健な保守派(信教の自由を認める的な)も含むから。
フランコは基本的にはスペイン伝統主義者の価値観(カトリック国教前提)の持ち主だから
現代日本の価値観でいうアカと一緒にしたらまずいよ。
34名無しさん@おーぷん :2014/06/26(木)21:21:03 ID:dFfWETmY9
良くも悪くもスペイン的な意味で敬虔なカトリック信者だからなフランコは。
35名無しさん@おーぷん :2014/06/26(木)22:29:54 ID:z2ar4FCzq
>>33
自由主義者まで弾圧されたってソースは?
チャーチルなんかは、スペイン至上最良の自由主義者としてフランコを誉めてるんだけど

フランコが弾圧したのは、まずソ連的な共産主義者、ついで社会主義者、
第二次大戦が終わったらファシストも弾圧の対象になったわけなんだけど。

ポルトガルのサラザールと同じく、共産主義者だろうとファシストだろうと過激なのは弾圧するって姿勢がフランコじゃないの?
36名無しさん@おーぷん :2014/06/26(木)23:10:46 ID:dFfWETmY9
>>35
チャーチルがフランコを褒めているのは知っているよ。

一応自由主義者について確認しておくけど。
精神的な自由に加えて「財産権の不可侵」の主張を維持する立場ってことでいいかな。
(これを制限して問題解決しようとすると社会主義者の領域に入る)

あの自由主義左派のアサーニャだよ。まさに弾圧されただろう。
彼自身「財産権の不可侵」は維持した。
だから、社会党のカバリェロらとはどうしても土地改革でうまく折り合えなかった。
(結局、サンフルホの反乱に同調した大貴族の土地のみ没収、それも次の急進党内閣で法律は破棄されたはず)

そもそも自由主義者ってだけで過激ではないってのは思い込みだ。
アサーニャは財産権を巡る立場は穏健だったけど、カトリックや軍隊の改革で過激すぎた。

最後の結論は同調するけどね。誤解はそこにあると思う。
37名無しさん@おーぷん :2014/07/26(土)13:59:30 ID:S04ivVKpr
なるほど
38名無しさん@おーぷん :2014/07/26(土)15:17:01 ID:jm6Ihaipa
アサーニャを自由主義とは思わんなぁ
というのは、ソ連の軍事顧問団を呼んだのもアサーニャだったじゃないの
せいぜいが「穏健的な社会主義者」と言うくらいで、自由主義者とは思えないんだけど
39名無しさん@おーぷん :2014/07/26(土)15:47:47 ID:S04ivVKpr
>>38

なるほど
40名無しさん@おーぷん :2014/07/27(日)00:38:34 ID:mgf3kKnk6
オーウェルはソ連顧問団の傀儡セクトに逮捕―されかけたんだっけ?
41名無しさん@おーぷん :2014/07/27(日)13:05:34 ID:xCNIxTpJs
レオン「革命資源の浪費じゃよ(藁々)」
ヨシフ「誰か、ピッケル持ってこい!」
42名無しさん@おーぷん :2014/07/27(日)15:40:42 ID:GqL37cjAE
>>38
それは当時のソ連のスタンスを誤解している。
既にスペインにはスペイン社会党とCNT(アナキスト)という極左がいて、
通常の路線だと民衆の支持が得られないので、共産党は途中から革命は時期尚早でやめろという路線をとっている。

皮肉にも共産主義が怖いならスペイン共産党を支持するしかないってのが人民戦線側の笑えない状況。
スペイン内戦中、開戦当初零細政党だったいきなり共産党が支持された理由の一つ。
この辺は「スペイン内戦―革命と反革命」ボロテン著が詳しい。

アサーニャの伝記としてはTragedy of Manuel Azana and the Fate of the Spanish Republicぐらいか.ネット上でタダで読めるのは。
アサーニャは右派だけじゃなくて、左派からも脅かされていたって視点で書かれている。
アサーニャは親ソじゃなくて、親仏だよ。だから途中から置物状態になってしまったんだよ。
43名無しさん@おーぷん :2014/07/27(日)20:16:13 ID:jiq0kQQt3
>>42
詳しい説明ありがとう
自分のスペイン内戦とかフランコに対する知識は次の本を参照した結果
http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/412003013
http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/B00KLXOFKW
日本ではつい少し前まで当たり前のように左翼の階級闘争史観がまかり通っていた事もあって、スペイン内戦と言えば人民戦線の側に過剰に肩入れした本ばかりだったんだよね
これらの本はそういう左翼のイデオロギー的な判断に異を唱えて客観的に描写した、日本人にしては珍しい本
だから(人民戦線を過剰に美化している左翼の本よりは)信憑性あるかと思ってたんだけど、
やっぱりこういうのは外国の文献の方がもっと詳しい事書いてあるか……
本当にどうもありがとう

ところで一点だけ質問なんだけど

>スペイン内戦中、開戦当初零細政党だったいきなり共産党が支持された理由の一つ。

これって、ソ連が軍事顧問と一緒に共産主義思想普及のための工作員も送り込んでて、積極的に共産党への支持を煽ったからじゃないのかな?
少なくとも、自分はそう理解していたんだけど。
44名無しさん@おーぷん :2014/07/28(月)00:49:47 ID:bAnIUPgP4
>>43
>支持された理由の一つ。

理由の一つとしたのはご指摘の点がおそらく最大の理由だから。

スペイン共産党は巧妙にも篭絡した社会党の幹部アルバレス・デル・バヨ(カバリェロ政権の外相を務めた)
を政治士官(ソ連のと同じ)を選任する部署のトップに就任させ、共産党員もしくは共産党シンパを大量に
政治士官として送り込んだ。

ただ、スペイン共産党も単なる宣伝だけではなく、
極左がやってた土地の収奪を中止し、元の地主に変換させる。
極左が解体した軍隊の再建(階級の復活、規律の遵守を求める)などの実行あっての宣伝てことを指摘しておきたい。

ただ、アサーニャの伝記の作者が1960年代に既に指摘しているんだけど、
この時代の歴史が書きづらいのはフランコ政権の秘密主義(政権に批判的な歴史家に資料を閲覧させてくれない)と並べて
亡命スペイン人(当時、海外の大学で重きをなしていた)のあまりに感情的な対応を挙げている。

やはりこの分野は昔から思うように書きづらいってのは変わっていないぽい。
45名無しさん@おーぷん :2014/07/28(月)17:05:13 ID:3SKBacLZe
>>44
本当にどうもありがとうございました
46名無しさん@おーぷん :2015/01/28(水)18:57:26 ID:fpO
賀正
47名無しさん@おーぷん :2015/01/28(水)19:01:50 ID:2Qu
賀正
48名無しさん@おーぷん :2018/03/14(水)21:41:01 ID:jTi
賀正
49名無しさん@おーぷん :2018/09/05(水)13:20:12 ID:7ZQ
 「反ファシズム」を大義名分として結束したのは良いものの
 ・議会政治を維持する(左翼共和党、共和統一党、社労党穏健派)
 ・革命を断行する(社労党左派、無政府主義者、反ソ系共産主義者)
 ・地方自治を目指す(バスク、カタルーニャ、ガリシアの政治団体)
 と方向性がバラバラだった。

 コミンテルンはこの内紛を利用して軍・警察を掌握したわけだ。
その後、政敵を順次粛清していった。
 仮に政府側が勝っていたならばパシオナリアあたりが「小スターリン」になっていただろうか。
 ボロテン曰く、この手法は第二次大戦後に中東欧に活用されたとのこと。

新着レスの表示 | ここまで読んだ

名前: mail:





フランコ総統(フランシスコ・フランコ)
CRITEO