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市民層 概論

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1市井の居士◆dgvbGqecqY:2017/10/22(日)20:53:05 ID:???
とりあえず過去レスリンクを貼っとくよ。日付が一番古いのはL.1、んでL.7までいったらコメントレス109,-129. これより後のレスは、ここにはリンクしてない。

オレの過去レス (旧2ちゃんリンク集)

コメントレス
109.
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/life/1455198620/335
110.
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/life/1455198620/336
111.
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/life/1455198620/337
112.
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/life/1455198620/338

113.
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/life/1455198620/339
114.
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/life/1455198620/340
115.
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/life/1455198620/341
116.
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/life/1455198620/342

117.
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/life/1455198620/350
118.
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/life/1455198620/351
119.
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/life/1455198620/352
120.
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/life/1455198620/353
121.
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/life/1455198620/354
122.
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/life/1455198620/355
(つづく)
 
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219市井の居士◆dgvbGqecqY :2018/12/14(金)14:56:47 ID:???
21 of 30 (つづき)

(※注2 例えば生まれた時から階層社会の特徴たる多様な主従、あるいは優劣関係に馴染む我々は、その辺の奴にいきなり命令されたら、大抵は「一体全体、お前は何者なのか?お前には何の権利がある?」
と、反射的に権威の力動が持つ主従関係決定力に拠るところの、立場の優劣関係を確認するための問いを返すはずだ。すなわち(階層社会では)権威の力動自体が(宗教の教義等を介して)主従・優劣関係を生む。
その上で主・優位者が発する命令に服従することが従・劣位者の体面/他律的自尊心を保つことになるだけの主従関係決定力の規範的実効性が、階層社会においては命令が服従を安定的に引き出しうるための要件になっている。)

では次に権威の力動に係る命令/服従の連鎖構造が階層社会の中の或る小社会において、実際にどのような様態をもってして伝播(連鎖)しているものなのか、を考察していく。

命令/服従の連鎖構造においては、「元人物」(これを物凄い権威を持つAとする)に従う「凄い権威を持つB」、Bに従う「ちょっとだけ権威を持つC」(CはAとは所属する部門(地位/前提的教養/演繹的思考力)が違うので全く交流できない。
あくまで直接交流ができるBに従う。)、Cに従う「そこら辺のありふれたD」、Dに従う「最下位E」という様に、基本的には対象物に付帯する権威の力動が、上位者の命令に対する下位者の服従を連鎖的に生起させていくための原動力となっている。
その上でより上位に居る者ほどそれなりの人格系メタ認知的論理思考ができるので、権威を無闇に信憑するのでなく、その本音においてはA型人間の判断能、もしくはそれに近いものをもってして懐疑的に認知している。
更には上位者ほど社会/人間を経験・実証主義的に認知しているので、建前的世界観しか持たない下位者たちへの管理的配慮(本音/建前の使い分け等)も適宜、為せる。

例えばミルの「自由論」(1859)から引用すると、「活発で探究心が強い知識人の大部分が、自分の信念の一般的原則や根拠を胸の内に秘めておく方が良いと考え、自分の意見を発表する際には、内心では否定している原則にできる限り合わせようとする」のであり、
「陳腐な決まり文句を並べるだけの人/聞き手が喜ぶように話そうとする人」が現れ、「原理原則の領域にあえて立ち入らなくてもいい問題だけを論じようとする」とある。
(つづく)
220市井の居士◆dgvbGqecqY :2018/12/14(金)14:57:38 ID:???
22 of 30 (つづき)

このように近代以降の社会であるならば、活発で探究心が強い知識人の大半が、権威という擬制的有能性にあえて抗することをせず、逆に権威の力動を過分に助長しもする(※注1)。すなわち彼らは不本意ながらにしろ多数派である凡庸者の意志を
忖度するなどという腑抜けたことまで為しつつ、C型人間の他律的自尊心を守っている。
その上で誰が命令におもね、忖度し、媚びへつらうのかは、時代/地域/(王制/貴族制/民主制等の)社会体制の如何により歴然と変わる(※注2)。
(※注1 第十回2 of 9 なども適宜、参照のこと。その上で前チャプターで述べたように尊大な善人以上の能力を平時の世俗界においては必要としなくなった近代社会では、指導者・特権者階層内ですら“権威”を持ったのはC型人間。
だから最早、支配論理の構築を引受けてはいないA型人間には「勝手な真似は許さない。」とゆ趣旨の“命令”が全社会環境から常に発令されているから、論考能を有意に発揮できる場をほぼ失った彼らは、
終いには羽振りの良さそうな者に次々に媚を売ったり目移りする/その時々の流行りモノを追い続けたりするまでになっていった。)
(※注2 例えば前チャプターで示したように近代以前の社会であれば、A型人間が(指導者・特権者階層内のC型人間を介して)命令し、世俗のC型人間が服従する。)

このように階層社会における命令/服従の連鎖構造は、命令(実質的に“命令”的に機能するところの、あらゆる社会的力動。)に伴う権威の力動が、個々の排他的小社会・集団の体面/
他律的自尊心の相互維持のための集団的防衛機能を亢進させるために過分となり、「おもねる/へつらう/ゴマをする」等の様態を伴いつつ、服従(実質的に“服従”的に機能するところの、あらゆる社会的反応。)を引き出す。
これは人々をして、まるで「世間知らずの生活をする頭脳の弱い人間のうぬぼれと、(中略)成功したための尊大な気持ち(中略)、高貴な位への崇拝の念と後援者(中略)への尊敬とが、自己の価値と(中略)権威や(中略)権利とを
高く評価する気持ちと混じり合って、高慢と追従と尊大と卑屈との混合体」(オースティン「高慢と偏見」第十五章)のようにする。

これすなわち命令/服従の連鎖構造においては、凡庸者が優秀者を駆逐しやすい傾向と拮抗させるものとしての社会集団的生産能の確立/発達のために
(つづく)
 
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221市井の居士◆dgvbGqecqY :2018/12/14(金)14:58:12 ID:???
23 of 30 (つづき)

上位者が発する擬制的有能性たる権威の力動に下位者も相乗りし、その“おこぼれのお裾分け”に与ろうとするかのように「権威の力動を過分に亢進する」・・すなわち凡庸者が優秀者を駆逐しやすい傾向の再活性化としての媚びへつらい/
忖度等を招来する『(社会集団的生産能への)反抗の力動』を排他的小社会・集団の集団的防衛機能をもってして同時に顕現させてしまう、すなわち皮肉にも(権威の力動が反抗の力動の発生原因となることで)社会集団的生産能を劣化させてしまう宿命を持つということだ。

では反抗の力動に係る命令/服従の連鎖構造において排他的小社会・集団の集団的防衛機能は、如何様に作用しているのか?その作用様態の典型例を以下に見ていこう。

我が国でマルクス研究者が掃いて捨てるほど生み出されてきた真の理由は、マルクスの学説が汲めども尽きぬ深みを持つからではない。
確かに「資本論」が完成の域に到達させしめた「剰余価値」学説は、それ自体として見れば完璧な合理主義的因果論であり、はっきり言って近代社会科学の基礎を磐石にした大偉業だと見做せるほどのものではある。
すなわち「資本家(主として投資・投機家としての株式会社の株主)の富は労働者の搾取の上に築かれたものである。」というその主命題は、(資本論が依拠する数値データが正確であるならば)間違いなく、極めて合理的に証明し得たところの社会科学的大発見である。
しかして残念ながらマルクスは、この大発見をもってして、一貫して資本主義的剰余価値のみを“社会悪の根源”として取り扱おうとする自らの執念に執りつかれる。つまりこの視野狭窄的“善悪観”に、マルクスの絶望的瑕疵が存する。

そもそも資本家が自己管理できるものが、自ら用益する労働力と完成品の販売価格(これは実質的には他の資本家との価格競争のために自由には設定できないもの。)だけだから、資本家が実質的な唯一の自己裁量の発現可能対象たる
労働力管理をして、できうる限り自利の追求のために有利になるように操作しようすることは自然であり、もってこれ(剰余価値の積極的産出・獲得)は、道義(人は誰しも自力/
自己責任において自己保存するしかない。)的には真っ当な経営術の範疇に含まれる、と多くの人々は感じる。
すなわち何人もこれ(自利の積極的追求行為)を一意的に不当行為だとして糾弾することはできない。
(つづく)
222市井の居士◆dgvbGqecqY :2018/12/14(金)15:00:36 ID:???
24 of 30 (つづき)

何となれば糾弾者自身もまた自利を積極的に追求するのでなければ自己保存できないという、全く同じ存在拘束性の下に生きているからである。
(このことは我が国のマルクス学者も本音では分かっているはずだ。)

その上でマルクスは、この哲学的真理についての掘り下げた論考は何も為さないままに、「ともかく(理想的な共産主義体制への過渡的体制でしかないところの)資本主義体制が、一刻も早くこの地上から消滅しさえすれば、そのことがあたかも“(資本家・土地所有者を含めた)
万人にとっての天国”を直に実現させ得る」かのように思い込みたい、つまり存在拘束性の陥穽にはまり、社会(共産)主義体制への移行戦略としての“簒奪(搾取)者からの簒奪”、すなわち“暴力革命”さえも是認しているという始末である。
しかして如何に誤魔化そうとも依然として最大の肝は、「人は誰しも(資本家も土地所有者も労働者も)が、自己保存のために自利を追求する傾向を持つところの、ありふれた動物の一種にすぎない。」(※注1)という、この正に絶対に否定し難い真理にこそ在るのであり、
マルクスは残念ながらこの圧倒的な哲学的真理性を真正面から見据えられるだけの人格系メタ認知的論理思考能を持たないのだ(※注2)。
(※注1 例えば当論第八回においては人間界では、人々の自利追求行為が社会全体に顕現する機序を、「パーティ会場の法則」(自然法則)として明らかにした上で、戦後民主社会においては、
このような万人の動物本能的自利追求行為が最終的に“生き馬の目を抜く”が如き“優勝劣敗”社会であるところの新自由主義型民主社会を招来した機序をも、既に論じたところだ。)
(※注2 マルクス自身も労働者の積極的自利追求行為としての(しかも暴力による)共産主義革命を容認している立場上、本来であれば当然にこの哲学的問題に正面から取り組むことが“スジ”であることを分かっていたはずだが、
“舞台裏事情(※注3)”から故意にそれを回避た、というのが真実のところであろう。)
(※注3 「共産党宣言」(1848)に先立つ「ヘーゲル法哲学批判序説」(1843)において、「一特定身分の開放と一国民全体の開放とを(論理的に)同一化させた上で国民全体を熱狂させて、
大革命運動に雪崩込むためには、或る身分が社会の理不尽さを一身に背負い、また別の或る身分が、
(つづく)
223市井の居士◆dgvbGqecqY :2018/12/14(金)15:01:44 ID:???
25 of 30 (つづき)

社会のあらゆる欠陥/犯罪性を一身に体現しているかのように、人々に思い込ませる必要がある。」旨を述べていることから、
早くから「労働者/資本家」対立構図を故意に煽ることが、革命の“総合プロデューサー”たる自らの使命だと腹を決めていたと思われる。
すなわちマルクスはAE型人間としての才能を、確かに真理の発見のために使いはしたが、一方ではその成果物(剰余価値説)を、自身の存在拘束性のために、もう一つの真理(「資本家のみならず、労働者もまた自利の追求に没頭する。
もって資本家/労働者の関係とは、“対立”関係ではなく、“同じ穴のムジナ”の関係である。」)とは相容れない方向に捻じ曲げてしまった。)

そしてここからが肝心な点だが、マルクス自身が数理経済学的能力において素人同然であるために「資本論」の大半は、ある意味で誰でも感覚的に分かるような当たり前な認識を実に回りくどい長舌をもって、
これ見よがしに勿体ぶって“間を持たせる”かのような独特の体裁(※注)を持つに至っている。
こういうこともあって実のところこれは経済学というよりも、“経済哲学の大傑作”とでも呼ぶべきもので、しかしそうであったとしても尚、上記の“裏事情”のために、肝心な哲学的真理についてはこれを故意に無視したような存在拘束性の陥穽を伴う。
(※注 例えば、「剰余価値の利潤への転形」係る説明(第三部第一篇)とか。)

その上でこの「資本論」独特の属性は、とりわけ前回論じたようなC型秀才トートロジストを頂点とするところの、
A型人間的な“真知”とは無縁である“演繹知者(※注)”としてのC型人間たちにとっては、極めて“美味しい宗教の教義的ネタ”になるのだ。
つまり異様に格式張った膨大な分量の体系的記述、従来的哲学の域を超えた唯物史観、経験・実証主義的態度からキラキラと光る真理性・・等々は無能である彼らを“箔付け”するための虚仮威し用ネタとして申し分ない属性を備えている。
(※注 苦労した先祖を通じてしか継承し得ないA型人間的な真知(合理)性とは無縁の尤もらしさしか持たない偽知者。)

かくして階層社会においては大学組織を含むところの全組織がC型人間中心の排他的小社会・集団であるから、大方はC型人間であるところの我が国のマルクス学者らは、“オツムがちと弱い”読者に対して「資本論」を宗教の教義として、
(つづく)
224市井の居士◆dgvbGqecqY :2018/12/14(金)15:02:24 ID:???
26 of 30 (つづき)

(A型人間的観点から鑑みるならば)「お前は一体、何の志を持って“マルクス研究者”やってるの?」的サッパリ分からない所論”を、ウダウダと展開できることになる(※注)。
(※注 例えば宇野弘蔵/高島善哉などが典型的。)

その上で例えば或る大学生が、このような人類の学術の進歩/発展には金輪際、何も寄与せずマルクスの権威にあやかるだけの教授の無価値な所論におもねる/へつらう/ゴマをすることもせず、毅然と反駁する、
すなわちこの大学という排他的小社会・集団の命令/服従の連鎖構造に係る反抗の力動に沿わないならば、如何なることが生起しうるだろうか?

この場合、学生はマルクス学教授が暗黙裡に求める媚/へつらいに応ぜず、彼の体面を傷つけたことになるから、教授が属する組織の集団的防衛機能に基づいた制裁が直ちに発動されうる。
そしてこの手の制裁は、前述したように命令/服従の連鎖構造の権威の力動に相乗りした“排他的小社会・集団的指令”、すなわち“命令/服従の連鎖構造の正規の命令”として発令される点が肝である。
具体的には制裁される大学生は、学問の問題には容易に他の機関が介入できないという「大学自治の原則」等が悪用され(※注1)、遅かれ早かれ当該大学組織において闇から闇に葬られるようにして完全排除されていく(※注2)。
(※注1 大学自治原則が“癌”になった典型例は、日露戦争開戦に向けた好戦的国民輿論を一貫して煽り、戦中、講和後も国民の不満の火に油を注ぎ、
日比谷焼き討ち事件(※注3)勃発の原因の一端にもなったキチガイ 戸水寛人(※注4)の、東大法科大学(法学部)教授職解任劇だ。
すなわち監督官庁である文部省直々の解任通告に対して、東大は(戸水のような“狂人”を教授に据えた自らの責任論は棚に上げて)大学自治原則を盾に美濃部達吉を先頭に全学(全教授・助教授190余名)を挙げて文部省に抗議、
更には東大のこの動きに京大法科大学も呼応することで大学制度崩壊をも辞さない構えをもってして、ついに大臣辞職にまで追い込んだ。)
(※注2 例えばここに或る平凡な一医師の自伝(阿部博幸「黄金なす曙」)があるが、「(札幌医科大第二外科)医局の頂点に教授が居て、助教授、講師を監視役とし、医局員全て蛸同然に扱われる。教授の意向に反すると過疎地の診療所に飛ばされて何年も戻ることができない。
(つづく)
225市井の居士◆dgvbGqecqY :2018/12/14(金)15:03:01 ID:???
27 of 30 (つづき)

(中略)多くの医師たちは医学博士の学位論文を教授に審査してもらうため、じっと耐え忍んでいる。」などとある。)
(※注3 内務大臣官邸/新聞社/市内電車/一般住宅/警察署/東京市内の全交番の8割に当たる364箇所の交番などが次々に暴徒の群れに襲撃され、死者17人/負傷者500人/逮捕者2,000人、
約3ヶ月間に及ぶ戒厳令が布(し)かれた、戦前期日本における騒乱の中でも屈指のものの一つ。)
(※注4 単純/稚拙極まりない帝国主義信奉者であり、その言説は戦前においては「(ロシアのみならず)なるべくならば世界をことごとく併呑したい」とか、ポーツマス講和後においては「激憤して現今の政府を倒せば足る。
(中略)政府を倒して批准交換を拒みさえすれば今日の危急を救うことが出来る。唯一にしてベストの策は是れあるのみだ。」などの、凡そ大学教授たるべき知的基準を満たしているとは思えないような言動のオンパレードである。)

そしてさらに残念なことには彼は生涯、この社会の学閥(ばつ)(※注)の成員に付与されるべき権勢にもほとんど与れなくなる可能性さえある。つまり当該大学以外の他の居場所さえも容易に確保できなくなるかも知れない。
というのも一次的連帯性を伴う階層社会とは“(ホッブズ的)リヴァイアサン(擬制された一個性を持つ人工的人間)”と化しているからであり、すなわち命令/服従の連鎖構造への反抗者は同じ人工的人間の身体(社会)のどの部分に行こうが、
一律的な権威の力動により、“体制への反逆者”という同じ識別レッテルを付けて回され、もって執拗に排斥され続けうる。
(※注 東大を頂点とするところの大学ヒエラルキーに基づいた棲み分け機能を伴う学閥的社会構造を形成する。)

このようにして命令/服従の連鎖構造における排他的小社会・集団の集団的防衛機能は、「権威の力動による合理的作用(元はA型人間の“真知”に由来するところの確たる基盤的固定観念→上意下達→普遍的均質性→社会集団的生産能)」とは全く異なる質を持つところの、
「反抗の力動による非合理的作用(C型人間の“演繹知”に由来する集団的防衛能→下意上達→普遍的均質性→社会集団的生産能の劣化)(※注)」をも同時に発生させる。
(※注 社会集団的生産能の劣化とは、例えば有能な人材/集団等の抹殺/毀損等。)
(つづく)
226市井の居士◆dgvbGqecqY :2018/12/14(金)15:03:42 ID:???
28 of 30 (つづき)

その上でこれ(社会集団的生産能の発達と劣化)が、「社会全体的事業のための労働/繁殖のためのコミュニケーションに基づくミクロ(日常・個別)的専制支配(第十四回 16 of 34参照)(※注)」を顕現させる起動因になると容易に演繹できる。
(※注 「社会全体的事業」とは社会集団的生産能/大規模分業/(マス・メディア等による)大規模意思伝播等をもってして不特定多数者が汎社会的に為すところの経済・文化(※注2)的活動。
その上で不特定多数者においては直接的に社会全体的事業を意図/企画するのでなく、彼らの生活/人生の根幹目的としての日々の「労働/繁殖」のためにする行為を通じて間接的に社会全体的事業に参加する。)
(※注2 ここでは広義に解釈して、戦争/国内紛争/民族移動/選挙・デモ・ストライキ等に係る諸意思表示等も経済・文化活動に含める。)

すなわち人々は、全体社会の指導者・特権者階層が発する権威の力動を伴う命令による社会集団的生産能的事業、すなわち「社会全体的事業」への参加に際しては、個別に所属する排他的小社会・集団の集団的防衛機能に係る制裁指令により
被る大損害を事前に免れるための措置として、例えば"C型人間お偉方"たちの、互いを恭しく“先生”付けで呼び合うような慇懃さを伴うところの「気づき/アイディア/新理論などを好き勝手に提示せず、
C型的連携・支配の安定化に第一義的に配慮した行動を為せ。」などという「労働/繁殖のためのコミュニケーションに基づく無言のミクロ(日常・個別)的専制支配」に、まずは従う、つまり反抗の力動を発することから始めざるを得ない(※注)。
(※注 例えばルネサスエレクトロニクスという半導体チップ製造会社の山口工場が700人余りをリストラした際には、それを報道するTVドキュメンタリー番組(「突きつけられたゲンジツ」NHK総合 2014)に出演していた退職者の一人は、
いくつかの製造工程に関わる、難易度が高い国家資格を持っているほど有能なのだが、彼は「同業他社に転職した場合、自分はなまじ能力が高いがゆえに、転職先において製造工程に対して問題提起をしたりするだろう。
そうするとそこの古株の人たちに疎まれかねないから、あえて全く畑違いの危険物などを扱う運輸会社に(給与は下がっても)転職することに決めた」などと発言していた。)
(つづく)
227市井の居士◆dgvbGqecqY :2018/12/14(金)15:06:33 ID:???
29 of 30 (つづき)
 
というわけで社会全体的事業のための労働/繁殖のためのコミュニケーションに基づくミクロ(日常・個別)的専制支配とは、階層社会における優秀者的属性の発露であるところの権威の力動と、
皮肉にもこれに相乗りして再活性化する凡庸者が優秀者を駆逐しやすい傾向の根強い基体としての集団的防衛機能の歪な顕現と見做せるところの反抗の力動(媚びへつらいの源泉)との“化学反応”の所産である。
その上で例えば司馬遼太郎「胡蝶の夢」(1979)は述べる。「旗本の内の言葉では将軍のことを「旦那」と言う。この日本最大の権力と権威によってお禄と名誉を得ている。
ぶら下がってさえいれば先祖から相続してきたお禄と名誉を子孫に引き継がせていけるわけで、ぶら下がってしまうと、もう旦那そのものが滅びるとか何とかという危機感は持てなくなってしまう。
全ては御老中、若年寄といった重役衆が何とか絵を描いて行きなさる、と思っている。」と。

すなわち階層社会において一旦、ミクロ的(日常・個別的)専制支配体制が顕現してしまうとC型人間は、例えば「おらには小難しいことは分かんねぇダ。おらは唯々、偉い人の言うことを全部信じるだけダ。」的な「無関心性」、
あるいは誰かが全体社会のために “清水の舞台から飛び降りる”覚悟をもって合理的な行動等を為しても尚、世間は全く反応しない「無反応性」、更には自分への直接的な命令が理不尽であっても何の抵抗もせず、
唯々隷従する、すなわち自らが属する排他的小階層・小社会から排除/抹殺されるリスクを徹底的に嫌う「無抵抗性」をも常態的に顕す。

例えば近世封建社会においては、大名は自分に最も近い上位者の将軍に対してこそ忠誠心を持ち、また下級武士は自分を直接召し抱える上級武士にこそ忠誠心を持った。
すなわち下級武士は自分の食い扶持を直接的に充てがわない将軍に対しては無関心/無反応なのである。
また昭和の軍人たちは天皇ではなく自らの直接的な上官に対してのみ無抵抗という理不尽さが極まった。例えば張作霖爆殺の際には、天皇の意志に真っ向から逆らい軍紀粛清を(何の煩悶もなく)拒み得た。
(ところが田中義一は、自分の直接的上位者の天皇に突き放された時点で生きる気力を失った。)
更に二・二六事件の際には反乱軍下士官たちは原隊復帰・帰順説得のために連隊長や大隊長がやってきても一貫して直属上官の命令にのみ従い(※注)、
(つづく)
228市井の居士◆dgvbGqecqY :2018/12/14(金)15:07:19 ID:???
30 of 30 (つづき)

連隊長や大隊長らに歩哨線の通過を許さず銃剣を突きつけたり、尉官クラスが右往左往する陸相や将官クラスをどやしつけたりさえした。
(※注 ちなみに初年兵への入隊時の訓示は通常は、「隊長はお前たちの父である。班長はお前たちの母である。困ったことがあれば何でも遠慮せずに相談にこい。」的なもの。)

もちろん現代日本の日常においても無関心/無反応/無抵抗に係る理不尽さは至るところに在る。例えば流通機構においては今だに生産者/消費者の間に多くの取次商(問屋/商社)が在るし(※注1)、部屋貸し時の敷金・礼金・連帯保証人制(※注2)などは
“封建(江戸)的遺物”そのものだ。また台湾征討/西南戦争が縁となった大隈重信時代からの早稲田と三菱の腐れ縁などもこの類だ。
(※注1 これにより末端価格は製造元納入価格の三倍になる。この価格上昇率は欧米の二倍。)
(※注2  とりわけ連帯保証人制は古く、石井良介によるとその起源は奈良時代にまで遡れるらしい。)

とどのつまりこれらの三属性とは、人が一度、専制体制下に置かれたならば、いわゆる「触らぬ神に祟りなし/寄らば大樹の影」的な「警戒心/恐怖心/依存心」という動物的本能の発露を強いられることを端的に示す。

『階層社会の命令/服従の連鎖構造においては、指導者・特権者階層から下って来るところの(階層社会の本然的目的に適うものとしての)合理性の力、すなわちA型人間に由来する権威の力動が社会集団的生産能を発現させるのみには留まらず、
同じく階層社会の排他的小社会・集団から上って来るところの非合理性の力、すなわちC型人間の集団的防衛機能に由来する反抗の力動をも亢進し、もって無関心・無反応・無抵抗性を顕現させるところの
「社会全体的事業のための労働/繁殖のためのコミュニケーションに基づくミクロ(日常・個別)的専制支配」体制を樹立させしめる。』(『観念運動の自然法 第八定理の二(ミクロ(日常・個別)的専制支配定理)』)

というわけでこの社会全体的事業のための労働/繁殖のためのコミュニケーションに基づくミクロ的専制支配が生むところの、三つの非合理性(無関心・無反応・無抵抗性)に所以する多様な弊害が否応無しに階層社会に蔓延することとなる。
(「命令/服従の連鎖構造① 権威の力動と反抗の力動」 おわり)
(第十六回 おわり)
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