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市民層 概論

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85市井の居士◆dgvbGqecqY :2018/01/19(金)17:22:40 ID:???
16 of 17 (つづき)

(※注 “影と光”とは、例えば或る人物がどんなに“善良/好人物”に見えたとしても、それでも尚、彼が人間である以上、彼の人格の中には、例えば残酷さ/自己中心性などといった醜悪な部分を必ず見出すことができる、
というような類のことを示唆しているわけで、こうしてこの世のあらゆる事物は、影と光のコントラストの中にこそ、その本質を宿している旨を述べたものである。)

更にトルストイについて重要なことを言い添えるならば、彼の出世作の「戦争と平和」(1869)などを読んでいても、外形的には物凄い事件がどんどん起こってくるのだが、(その優れた文章表現力とは裏腹に)全く臨場感というか感情移入が読み手の心中に起こらないのである。
これと対照的なのがツルゲーネフの諸作品であり、それらはどの作品においてもドラマチックな場面の最中には、あたかもオレ自身が登場人物になってしまったかのようなリアルな共感/実感が沸き起こってくるのである。

では両者の作品におけるこのような本質的違いをもたらしているものは何なのか?それはトルストイとは、自分を自分が憧れている何者かに似せようとしている偽物(主体性/個性がない凡庸者)だが、
ツルゲーネフは己の真実に真っ直ぐに向き合って生きている優秀者であり、そこで掴んだ真理(彼の個性を形成するもの)を作品として端的に表現しえているということである。

さてこれらの事例を通して見えてくることとは、感情系習慣的自動思考様式のためのチャンクは、思考アルゴリズム部分が小脳ROMであるために、理性的にはその内容の滑稽さ等をメタ認識できたとしても、ここから直に思考様態を修正できるわけではないということである。
すなわち感情系習慣的自動思考様式の低劣性を免れるためには、思考の進捗につれて、その全体的方向性・方針を合理主義的たらしめるための何らかの『思考統御・監督系諸機能』が、適宜、働く必要があるのである。
結論から言えば、これは第十回において「人格的諸能力」としたものに由来する機能である。この思考統御・監督系諸機能についての詳細な論説は、次回以降(第十二~十三回)に持ち越される。
(つづく)
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