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市民層 概論

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139市井の居士◆dgvbGqecqY :2018/05/18(金)17:07:33 ID:???
19 of 20 (つづき)

というわけでそれなりの厳しさ(フレキシブルな自己管理性を伴うストイシズム)を修得し得た者は、悶絶するようなストレスを感じるどころか、
被洗脳状態がもたらす極めて安定・予定調和的な“心の張り”を伴った上での、主体的認知体系による自己管理性に支えられた自尊的マインドセットに拠るところの“(帰納知の充実に基づく)人生全般に係る幸福創造へのパスポート”を獲得したも同然なのである。

しかしてここに至り、人間社会に関する厳然たる或る一つの真理もまた浮かび上がろう。つまり厳しさとは、ここまで論説してきたように各人の個人的努力のみによって修得できるようなものではなく、
社会全体において集合知的に保持される行動文化に支えられてこそのものであった。
そしてこうなると現実には、ほとんどの先進文明社会では満足な帰納的思考者が見い出せないことになろう。例えばミルは次のように述べている。

「かなりの精神的資質のある人々でさえ、しばしば自分たちが偏見を抱いている意見の趣旨を理解しようという努力をほとんどしないし、また人々は一般にこの“故意の無知”を、
欠陥としてほとんど意識しないので、倫理諸学説の最も俗流的な誤解が、高度の原理と哲学の両方を持っていると最も自負している人々の熟慮した著作の中に絶えず出てくる」(J.S.ミル「功利主義」 1863 )

とりわけ20世紀後期以降は先進社会は「暇つぶし文明期(第七回 参照)」に突入したことで、社会から生活仕様高次ストイシズム系行動文化が急速に失われた。
例えばソクラテス/コペルニクス/ケプラー/ホッブズ/フロイトなどが持った観念や苦悩をアタマで理解したり批判できる者はゴマンと居るにしても、
自ら彼らが為したのと同様の厳しさを伴う人格系メタ認知的論理思考の十分の一も為せる者は、今となってはもう滅多に出ないのである。
つまり昨今はネットを検索していても、何処かの“鼻タレ小僧”学者みたいのが、「マルクスって間違いだらけで何の価値もないよね」的なことを言っていたりするわけだが、
実はこのような輩は厳しさをもって統御するしかない論考の困難さというものをそもそも知らず、マルクスを対等な立場で批判できる土俵にすら上がれていないことを、死ぬまで気づけない。
(つづく)
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