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【謝罪会見と】デカルト論破できず【すべてを認める俺の真理】

1名無しさん@おーぷん:2018/02/11(日)00:37:26 ID:ZdA()
デカルトは「我思う、ゆえに我あり」を決して疑うことができない絶対確実なこととして真理とした。

俺は、決して疑うことができない絶対確実なことなんてないと思っていた。そのため、デカルトのそれを論破しようとした。

俺「結論を前提とする論点先取の虚偽、すなわち論理違反である。」
デカルト「そもそも論理ではなく、直観によるものである。」
俺「なるほど。では、我とは何か。」
デカルト「我とは、考えるということそのものである。」
俺「なるほど。「「我思う、ゆえに我あり」と我思う、ゆえに…というように無限に続くが、無限ってそもそも疑わしい。」
デカルト「最初の「我思う」は全てを対象とした「我思う」であり、
2回目の「我思う」は「我思う、ゆえに我あり」という一部を対象とした「我思う」である。したがって、全ては一部を含むため、2回目以降の「我思う」は、最初の「我思う」に含むことができ、結局「我あり」は決して疑うことができない絶対確実なことである。」
俺「なるほど。もう、手も足も出ないよ。」

このように、俺の反論の結果はフルボッコ。
論破しようとしたが、もう、手も足も出なかった。完全に敗北である。

ここに謝罪する。申し訳ございませんでした。


しかし、ここで、改めて俺は悟る。

「ああ、こんなこともあるのだな。

この世界は、まったく、【俺の真理】」

敗北してもなお、俺の真理はそこに依然としてあったのである。

すべてを認める俺の真理。それはとても愛おしい。

これこそ真理である。


申し訳ないが、ここでは俺の真理の公表は控えさせていただく。

以上である。
2名無しさん@おーぷん :2018/02/12(月)00:14:38 ID:Rmz()
>>1である。


私には自信がある。

私は、自分を信じている。なぜなら真理を発見しているからである。

真理とは、すべての本質であり、すべてに適用でき、すべてを認めるものである。申し訳ないが、ここでは真理の公表を控えさせていただく。

世の中には、正しい、正しくないといった概念が存在する。
しかし、真理を発見し、真理に基づいて生きている私が、すべて正しいかといったらそうではない。

なぜなら正しさ(マナー、合法・違法等)は、時間と場所によって変化するからである。
例えば、昭和には駅ホームの任意の場所でタバコを吸うことは正しかったが、今では正しくない。アメリカでは正当な銃の所持は正しいが、日本では正しくない。

ではなぜ、正しくもない私は、自分に自信があるのか。

なぜなら真理を発見しているからである。
それは、正しい、正しくないといった概念をも含むすべての本質であり、すべてに適用でき、すべてを認めるものである。そして、不変である。

いかなる場合であっても、真理は依然として、そこにあり続けるのである。

私は、その真理に基づき生きている。

だからこそ、正しくなくても、私には自信があるのである。

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