- -pv
スレッドの閲覧状況:
現在、- がスレを見ています。
これまでに合計 - 表示されました。
※PC・スマホの表示回数をカウントしてます。
※24時間表示がないスレのPVはリセットされます。

比較神話学スレ

1本麻の天吊り蚊帳:2015/08/24(月)06:58:50 ID:VtH()



20俺様メモ :2016/09/09(金)18:11:13 ID:413

エジプト太陽神アテン:アマルナ革命

アメンホテプ4世の妃ネフェルティティはアテン神を信仰していた。妃の影響もありアメンホテプ4世もアテン神を信仰していた。
一方、当時エジプトで信仰を集めていたのはアテン神ではなく、旧来の太陽神アメンであった。アメンホテプ4世の治世に於いて
アメン信仰は全盛期を迎え、アメンを讃えていたエジプトの神官たち(アメン神団)はファラオをも凌ぐ権勢を誇った。
アメンホテプ4世は、アメン神団を抑圧し王権を強化する目的で、自分の名も『アクエンアテン』に改め、アメン神の文字を削った。
王家としてのアメン信仰を停止し、アテン信仰をもってこれに換えたのみならず、他の神々の祭祀を停止したため、
多神教ではなく一神教の様相を呈するに至った。これを「アマルナ宗教改革」または「アマルナ革命」という。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

カナン神話Canaan:

カナアン、カナンともいう。ローマ人はポエニと呼び、ヘレネス(ギリシャ)語でフェニキア人と呼ばれたが カナーンが自称。
この名称は染料に使った貝の名前に由来する。あるいは赤紫の意。この色の衣服を着ていたことによるようだ。
(この染料の色をヘレネス語でphoenixといい、そこからフェニキア人Phoinicesという呼称となり、 そのラテン語形がポエニPoeniである)

古代のシリア、パレスチナ地域の民族。またこの地域の古名でもある。BC2000年頃のエジプトの記録に カナーヌとある。
BC1200~BC1300頃から地中海に進出し各地に植民地をつくった。
有名なカルタゴは正しくはカナーン語でカルト・ハダシュ(新しい街の意)という。
地中海ではヘレネス、ローマ、カナーン、イマジゲン(ベルベル人)の勢力が争うが、
都市カルト・ハダシュは紀元前BC146年にローマによって滅ぼされた。

カナーン人が交易をする中で、自ら名づけた名称の「ヘブライHebrew」は「(ユーフラテス川の)向こう側からやってきた人々」 という意味で、
eber(向こう側)という言葉がもとになっている。

カナーン人に関しては資料が非常に少なかったが、シリアのラス・シャムラから古代カナーン語の楔形文字の粘土板がみつかり、
紀元前BC1400年頃繁栄したカナーン人の都市ウガリットについて多くの資料が得られた。

前述した通り、カナーン人の一部がヘブライ人になり、後にイスラエルを建国する。イスラエル人の祖先は紀元前BC2000年頃、
バビロニアからカナーンの地(パレスチナ)へ移住したらしい。そういうわけで、当然だがユダヤ教の中に、カナーンの神話との共通点がみられる。
例えばヤーヴェとエルの同一視やヤーヴェの居住地とカナーンの 神々の聖地サフォン山の同一視などがあげられる。
またエルという神の名は移住前のバビロニアの時からのものらしい。バビロンBabylon、バベルは神の門の意で、bab(門) el(神)である。
21俺様メモ :2016/09/09(金)18:16:52 ID:413

『全地は同じ発音、同じ言葉であった。時に人々は東に移り、シナルの地に平野を得て、そこに住んだ。
彼らは互いに言った、「さあ、れんがを造って、よく焼こう」。
こうして彼らは石の代りに、れんがを得、しっくいの代りに、アスファルトを得た。
彼らはまた言った、「さあ、町と塔を建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、
全地のおもてに散るのを免れよう」。時に主は下って,人の子たちの建てる町と塔とを見て、言われた。
「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。
さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉が通じないようにしよう」。
こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。
これによってその町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を乱されたからである。
主はそこから彼らを全地のおもてに散らされた。(創世記11・1~9)』

「主」=アラム語「創世記」では「アドネ・アイ」

「アドネ・アイ」=アテン一神教を禁止して聖都アケトアテンの破壊と
アテン一神教徒のエジプトからの国外追放を命じた神父アイ。

アテン一神教の信者たち:
その一つは祭司や神官たちからなる特権階級「ヤフウド」
もう一つの階級は「イスラエル」。聖都における一般大衆=その他大勢の人々。

「種々雑多な人々」と訳される言葉の原語の形は「エレブ・ラヴ」「アラブ・ラヴ」などとヘブライ語で書かれている。
後に「エレブ・ラヴ」はヘブライ人を、「アラブ・レブ」がアラブ人を指す言葉となった。
22俺様メモ :2016/09/09(金)18:17:22 ID:413

ヤコブ(イスラエル)の双子の兄エサウ(エドム)

出雲=エドム

大穴牟遲(オオナムチ)=大國主神→ヘブライ語オーナム=強壮な、チェイ=命ある

「オーナム」というのがエドム人の男子に見られる名前。

オナム/オーナム (Onam):
インド、ケーララ州の祭の名前である。
オナム祭とは古代インド神話上における王でアスラ王(阿修羅王)であるマハーバリを称え、
かつマハーバリが支配する地下世界から地上ケーララに戻ってくることを祈願する祭のことである。

アスラ:
古代インドではヴァルナ神を指す。
インド南部にはドラヴィダ人が多く、タミル語や少数民族の使う文法が日本語に近い。


ハム系ミツライムのカフトリ族=ペリシテ人=ローマ経由の慶州客家=シルクロード商人=新羅


ペリシテ人:
紀元前13世紀から紀元前12世紀にかけて地中海東部地域に来襲した
「海の民」と呼ばれる諸集団を構成した人々の一部であり、
エーゲ海域とギリシアのミケーネ文明を担った人々に起源を持つと考えられている。
彼らのルーツはハムの子ミツライムの子であるカフトルの子孫であるとされ、
「カフトル島から来たカフトル人」と呼ばれている(『創世記』10:13-14、『申命記』2:23)。
さらにこれを裏付ける記述は、『エレミヤ書』47章4節にも存在する。
したがって、ハムの子カナンを始祖とするカナン人とは異なる氏族であったとされる。

カフトルが実際にどの地域を指しているのかについても諸説あるが、
紀元前12世紀頃までに、すでに鉄の精製技術を有していたことなどから、
クレタ島、キプロス島、あるいはアナトリア地方の小島の1つであった、などの候補が挙げられている。
今日ではクレタ島であるとの見解が示されることが多い。

また、ペリシテ人の築いた都市国家の王はセレンと呼ばれ、
これはギリシア都市国家のテュランノス(僭主)と同一起源の語彙と考えられている。

(ヘビの女神像:BC1700年クレタ島ミノア文明クノッソス宮殿)

ファイストス円盤文字はミノア文明が栄えていた紀元前1650ー1550年に作られたものだと推測されている。
23俺様メモ :2016/09/09(金)18:17:37 ID:413

「日本人の半島起源説」は誤り

近年遺伝子研究の結果、日本人と朝鮮族、漢族の共通性は薄いことが明らかになっています。
日本人のDNAにはYAP(-)ハプロD系というユダヤ人、チベット人、中南米のインディオにしか見られない因子が含まれていることから、
中東、中央アジアを起源とする北方民族のスキタイ人(カラ族)が縄文日本人の一部・アイヌ人の祖先である可能性は高く、
その関係から渤海国、契丹国との関わりは否定できません。

中国の戦国時代の史書「山海経」によると、「平壌あたりにあった『蓋国』は倭人の国であり、
朝鮮半島には元々、倭人(日本人)が住んでいた」と書かれています。

元々日本人が朝鮮半島にいた。その後、中国の力を背景にした朝鮮民族(韓族)の祖先である扶余族に押され半島から撤退した。
中国の他の史書「史記」や「漢書」「後漢書」「三国志」には、朝鮮半島南部は倭人が治め、朝鮮半島史「三国遺事」では
スサノオを神とする「辰王(=秦氏?)」とその宗主下にある「月支国」「日華国」は倭国に帰ってしまったと記されています。

中国の西安郊外に碑林というところがあって、そこには漢字の発明者といわれている蒼頡(そうきつ)という人物が残した碑文があり、
未だ未解読のままですが日本の神代文字であるアイヌ文字と豊国文字で解読できる。蒼頡は日本人だった可能性があります。
24俺様メモ :2016/09/09(金)18:18:24 ID:413

豊国=豊日別(とよひわけ、とよびわけ):


     イザナギ・イザナミが産んだ大八島国の一つである筑紫島(九州)は、体は一つで顔が四つあるとし、
     そのうちの2番目の顔の名前が豊日別であると記されている。

     神名の豊は豊国(豊前・豊後)の意で、豊国自体を神とみたもの、すなわち国魂である。

     豊日別神を祀る豊日別宮(福岡県行橋市)の社伝では、
     欽明天皇2年、筑紫の日別大神の神官・大伴連牟彌奈里に「吾は猿田彦神なり」と神託があり、
     猿田彦は天照大神の分神であり、 豊日別大神を本宮とし、猿田彦を別宮とするとの記述がある。
     ここから、豊日別は猿田彦と同一神格と見られている。


        豊日別宮(とよひわけぐう):

        福岡県行橋市にある神社である。別名草場神社。
        かつては左留多比古社、官幣宮、官幣大神宮、豊日別国魂宮などとも呼ばれた。

        豊日別命(とよひわけのみこと)を主祭神とする。
25名無しさん@おーぷん :2016/09/13(火)22:37:37 ID:G5L

●出雲族はインド→シベリアから日本にやって来た。

出雲古老たちの口伝によると「出雲族は鼻の長い動物のすむ国から砂の平原を通り、
広い湖の近くから長い川を流れて下ってきた」と伝えられている。
ゴビ砂漠→バイカル湖→アムール川を渡ってやってきた。
出雲族よりも先に大分に渡来していたウサ族の宇佐八幡の社家伝承でも
「イズモ族=サルタ族がシベリア方面から日本列島にやって来た」とあり事実であろう。

●出雲族→葛城一族が日本海と太平洋の海運ネットワークをつくった

出雲族の伝承は記紀も完全に無視することは出来ず、大国主と少彦名の神話として組み込まれた。
初期出雲族は日本海側を中心にネットワークを固めていたが、事代主(コトシロヌシ)を奉る葛城氏系と
宗像三女神を祭る宗像氏系の海運ネットワークによってさらに全国に広がっていった。
特に葛城一族は奈良だけでなく伊豆にも進出していった。
そのため出雲族も東国への中継基地として奈良の地を重視し進出していった。
こうして奈良には葛城王朝(賀茂氏)あるいは磯城王朝(冨美家)と呼ばれる出雲系王朝がまず基盤を固めた。

●徐福一党の第1波は海部氏、第2波は物部氏

出雲族に遅れて中国の秦国の支配下にあった斉国(王族はイスラエル10支族)から
徐福一党が数千人の海童を連れて日本へ逃げ延びてきた。
彼らは最先端の農耕技術や機織技術そして青銅の技術を持ってやって来た。
その際、出雲古老の口伝によると出雲にも徐福一党は住みついたようだ。
実際に出雲にも徐福にちなむ海童神社が存在しているし、秦にちなんだ地名もある。
しかし、人が増えるに伴い日本海側の空き地だった伯耆(ほうき:鳥取)、丹波(北京都)の国に移り住むことになった。
丹後半島には徐福伝来を伝える新井崎神社がある。
以後、この徐福一党は火明(ホアカリ)を奉る海部(あまべ)氏系のネットワークを構築していく。
海部氏系のネットワークは丹波から尾張へと広がっていった。

徐福一統の渡来は2回あったと中国の史書にもあるが、2回目の渡来地は佐賀県だった。
佐賀には徐福伝承を伝える金立神社がある。ここでの和名はニギハヤヒとなった。
このニギハヤヒの末裔とされるのが物部氏系のネットワークである。
物部氏は九州では銅矛を、畿内に移ってからは鏡を祭祀に用いた。
26名無しさん@おーぷん :2016/09/13(火)22:39:54 ID:G5L

・ガンジス川のワニが河の神、コブラが森の神となり、合体してナーガ(竜神)となり、ドラヴィダ族に崇拝された。

・出雲族が竜神信仰と太陽神スーリヤを持ち込む。

*カッシート語で太陽=スーリヤ:BC1800~テルカ→BC1475~バビロン第3王朝(カッシート王国、カッシュ朝)

・出雲国は二王制で主王はオオナモチ、副王はスクナ彦。

・王家は二家で東の向家、西の神門臣(かんどのおみ)家。

・向家から登美家・諏訪家、神門臣家から宗形家、八島家。

・モリヤ山ソロモン神殿:長野県諏訪市と伊那市との境にある「守屋山」

・8代オオナモチ=八千矛=大国主(記紀にて初記述)、スクナ彦=八重波津見=事代主。

・粟嶋神社付近の陸奥安倍一族末裔の談:

「粟嶋神社に祀られているスクナ彦=事代主神=先祖。前九年の役(平安時代後期の陸奥国で起こった戦争。
源頼義の奥州赴任:1051年から安倍氏滅亡:1062年までに要した年数から。元々は「奥州十二年合戦」)で破れ出雲を逃亡地に。
ヤマトの有力者だった大彦(大兄に相当の言葉)は事代主の子孫。大彦は安倍家の直接の祖先。
大彦の個人名は中曽根彦。ナカ=竜神、ソネヒコ=スネーク。記紀にはナガスネヒコと書かれた。記紀は蝦夷扱いした。
2世紀末の指導者だったが記紀は紀元前2世紀として神武天皇の敵に仕立てた。」

・古伝「ナガスネヒコの兄の安日彦が奥羽に逃れて安倍氏の祖となった」

・宇佐氏は元来は先住の日本人だったが婚姻を重ねて中身がイスラエル支族に置き代わった。

・秦始皇帝は朧姓の秦王の子でなく実父は秦王を支援した胡商の呂不韋。
前722年のイスラエル亡国後、シナには多くのイスラエル支族が流人し、その1つが呂氏。
シナに流移したイスラエル支族と「シナのユダヤ人」と俗称される客家(ハッカ)


・海部(あまべ)家系の談:

「真名井神社は紀元前に祀られ、海部家祖先の天村雲命がヤマトで初代大王になった。
熊野からヤマト入りしたのは筑紫王国の物部王。
天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこ・あまのほあかり・くしたま・にぎはやひのみこと)は両家の租で徐福。
兄・天香山命(アメノカゴヤマノミコト)=海幸彦、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)=山幸彦に例えた。
海部家とナガスネヒコは物部に負けた。」
27名無しさん@おーぷん :2016/09/14(水)20:42:57 ID:ajN


・ヤーダヴァ族(旧ヤードゥ族)


サンスクリット語にもメルッハ mleecha という用語がある。その意味は「野蛮人、異民族」である。
サンスクリット語はインド・ヨーロッパ語族の方言で、その支族アーリア人がインドに侵入して定住を始めたのは
BC1500年頃からであり、メソポタミアとメルッハとの交易を語るサルゴン王の時代は2500年後である。

インド亜大陸の中原にアーリア人が次第に進出してきた時すでにメルッハと称される非アーリア人が
すべてを含めた一般名詞として使うようになったと考えられる。
先住民とはドラヴィダ人かあるいはあのバローチ人たちだろうか?
彼らがバローチスタンに渡来したのはBC1400~BC1300のことであり彼らは該当しない。

その先住民はバローチ人が Jatt 人と呼ぶ人々である。
パキスタンのマクランにジャディ岬があるように彼らはマガンにも居住していたのだろう。

ジャディとはサンスクリット語にいうヤドゥ Yadu のことであり民族名をヤーダヴァ Yadava という。
Yadu と Yadava は Yadas に由来する。その意味は「海の怪物」でありメソポタミアのオアネスと関係する。
オアネスは魚人であるがサンスクリット語の魚はマツヤ matsya で、この名称は紀元前の16王国のうちマツヤ国の名称でもある。

ヤムナー川沿いのこの国の南にスーラセーナ国があった。
マツラ国の首都はマトゥラ Mathuraで九州の佐賀県・長崎県にまたがる松浦地方の名称になっている用語と同名である。
マツヤ国、スーラセーナ国がヤーダヴァ族の国であったことはプラーナ聖典で叙事詩で語られている。
サンスクリット語の avanc は「南の、より低き、下方の」を意味するが、オアネスの居ただろうシュメルのペルシャ湾沿岸地帯を想起させ、
オアネス Oanes と訓音が近似しているのでナルマダ川の北方ウジャインを中心とするアヴアンティ Avanti 国との関連をうかがわせる。

アヴアンティ国の祖をハイハヤ王というが同王はヤドゥの系譜に連なる傍系であるという。
メルッハの比定地とされるマルワとその周辺地域にオアネスと係わる用件が数多くある。
ヤーダヴァ族がインド・ヨーロッパ語族でないことは、その族長のクリシュナについて諸聖典、叙事詩の語るところである。

クリシュナは「黒」であることにより非アーリア民の代表であることを象徴している。
そのため出自をドラヴィダの神として皮膚の色を黒く描かれることもあるが、
ヤーダヴァ族は白色の皮膚をし頭の黒い地中海人種であることは確かである。
シュメル人は頭の黒い人といわれた。ドイツのシュワーヴェンの人々は黒い人々であった。
彼等はスエヴィ人でスバルを語幹とする民族であると述べたが、アーリア人は地中海人種であるヤーダヴァ族を「黒」といったのである。

ヤドゥ Yadu について確認しておきたいことはヤドゥが月種族であることである。ヤーダヴァ族は月神崇拝者の集団である。
ヤドゥがメソポタミアのウルのナンナ(ル)神殿において月神崇拝を行なっていたとみられ、
後にも月(三日月)崇拝を続ける人々ユダヤ人 Judah と、その呼称が酷似している事実を認めないわけにはいかない。

アブラハムを代表とする月神崇拝の部族がカルディアのウルから北シリアのハランに向けて旅に発ったのはBC1800年である。
一方のヤーダヴァ族は多分ペルシャ湾に船を浮かべて海岸線を東西に行き来していたのであろう。
そのうちメソポタミアからの大量移住が 行なわれたと考えられる。
その時期は南メソポタミアへのセム系アムル人の侵攻が激しくなった。
シュメル人が消えてしまったとされるBC2500年頃でないかと推測される。
サルゴン王の碑文にみられるメルッハとの交易が盛んに行なわれた時期である。
旧約聖書創世記のペレグ伝承による分裂の時である。
28名無しさん@おーぷん :2016/09/14(水)20:44:08 ID:ajN

バローチ人は陸路メソポタミアを離れた。その結果1000年をかけて現在の地バローチスタンに辿り着いたのに対し、
海上に出たヤーダヴァ族は比較的早くインド亜大陸に着いたのである。
現在当該国をインド(英語名 India )というが、この国名は Sindu がギリシャ語に入り 訛ってできたものである。

一方サンスクリット語に indu という月を表す用語があり Indu-desa はインド(天竺国)を表す。
現在インドで強力な宗教ヒンズー Hindu 教は、このサンスクリット語から派生した Hendu (月)の踏襲であり、
ヒンズー教徒は月神信徒ともいえる。それというのも、もう一つの理由として三日月を象徴とするシヴァ神への信仰が篤いからである。

サンスクリット語には、 また月を表す Canda という用語がある。この月による Candra がヤーダヴァ族の祖はアトリ仙 Atri といい、
「リグ・ヴェーダ」で最も多く登場する聖仙である。月種族は彼から始まり、彼の子がチャンドラでヤドゥはその第9代となる。
チャンドラはインドの神話における月神名でもある。また多くの人名に使われている。
「マウリア王朝」を開いたチャンドラ・グプタ、20世紀の第二次世界大戦中活躍した チャンドラ・ボースは親しい名前である。

月種の祖であるアトリ仙のその名は「満月」を表すと思われる。ヤーダヴァ族の祖地とみられるシュメル語に月を表す iti があり、
「肥満した」あるいは「豊かな」の lu が結合したiti-lu は「満月」を意味し、この用語が祖語になっていると考えられる。

アトリ仙を登場させたリグ・ヴェーダはアーリア人が作りだしたものであるが、
かれらもメソポタミアの周辺から、その文化の影響をいろいろな形で受けている。
ヤーダヴァ族は、シュメルにいた、オアネスに伝説化された文明の開拓者たちである。
29名無しさん@おーぷん :2016/09/15(木)00:02:55 ID:bOe

・ウガヤ王朝史:元ネタ=ウラルトゥ王朝史

奇子朝鮮:新アビロニア帝国カルデア人→BC575年:マガダ国ビンビサーラ王朝→中山国→奇子朝鮮


・中国史の翻訳ルーツ

殷=イシン史
周=アッシリア史
晋=新バビロニア史
秦=ペルシア史
魯=北イスラエル史
宋=南ユダ史
斉=エジプト史
楚=メディア史

・三晋史ルーツ

韓=マガン→テーベ史
趙=ウラルトゥ→ペルシア→アテネ史
魏=キンメリ→スパルタ史


・グレコ・バクトリア王国植民地=秦時代

アッシリア→分裂四国→メディア王国→BC518:アケメネス朝ペルシア帝国→BC328:マケドニア王国アレクサンドロス大王



セレウコス朝シリア:BC312~

<BC323年、アレクサンドロスが後継者を決めないまま急逝すると、配下の将軍たち(ディアドコイ)によるディアドコイ戦争が勃発し、
アルゲアス朝は断絶した。ヨーロッパ側領土にはアンティパトロス朝マケドニア、リュシマコス朝トラキアが立ち、
アンティゴノス朝が小アジアに拠り、三者の争いの中でアンティゴノス朝が生き残った。
アンティゴノス朝マケドニア、プトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリアの3王国が成立し帝国は三分割された。>

<マウリヤ朝の王チャンドラグプタの勢力範囲とセレウコス朝の勢力が接触した。セレウコス朝はマウリヤ朝の優位を認め、
ガンダーラ、ドランギアナなど国境地帯のかなりの領域についてマウリヤ朝の支配権を容認し見返りとして500頭もの戦象を得た。>



グレコ・バクトリア王国(BC255頃~BC130頃):ディオドトス1世

ヒンドゥークシュ山脈からアム川の間(現在のアフガニスタン北部、タジキスタン、カザフスタンの一部)に
バクトラを中心として建てられたギリシア人王国で、代表的なヘレニズム国家の一つ。
グレコ・バクトリアとは、ギリシア人のバクトリアという意味。
30名無しさん@おーぷん :2016/09/15(木)19:49:29 ID:zsn

秦・始皇帝=ディオドトス即位以前の中国史:

匈奴=キンメリ、チュルク
趙=ウラルトゥ
魏=キンメリ
燕=フェニキア
韓=マガン
中山国=新バビロニア
31名無しさん@おーぷん :2016/09/15(木)20:12:45 ID:u6m

■古代東北アジア史の復元 辰国残映 ―日本国の源流が見えてきた― 著者: 安部裕治

太古の中国に発祥した辰国は前一千年紀に亘って燕山山脈の南→燕山山脈の北→遼西→遼東→朝鮮半島
という経路を辿って移動し、鏡と銅剣に代表される特徴的な青銅器文化を開花させました。

倭とは弥生中期初頭に時の辰王家であった「安冕辰沄(あめしう)氏」の分派が北部九州に建てた国です。
「韓」は本来、辰国の領地を意味する普通名詞であり、南部朝鮮半島(朝鮮半島南半部)を指す固有名詞ではありません。

かつて南部朝鮮半島に韓族という種族は存在しませんでした。南部朝鮮半島は多くの日本人の祖先となった人々の故地であり、
百済・新羅の東北アジア系騎馬民勢力の南下侵入を許す迄、濊族や孔列文土器人〔の流れを汲む集団〕や「辰族」や倭人などの
活動領域でした。古代朝鮮半島の文化をなんでも今日の朝鮮民族の祖先の文化とするのは誤りです。

細形銅剣を代表とする朝鮮半島の東北アジア系青銅器文化は「安冕辰沄氏」の辰国の文化であり、
日本人の祖先となった人々の文化です。古代の朝鮮半島から渡来して日本人の祖先となった人々を今日の朝鮮民族と
同系とするのも誤りです。朝鮮民族の形成要素が朝鮮半島に出揃うのは百済や新羅の後を追って高句麗が南下する
紀元4世紀を待たねばならず、その形成が本格化するのは統一新羅の成立(676)を受けての紀元8世紀以降となります。

「白村江の戦い」(663)を境に朝鮮半島の均質化(標準化)が進み、朝鮮半島は次第に朝鮮民族の国となっていきます。
中国正史に記述された紀元3世紀以前の古韓の歴史は辰国の歴史であり、日本人の祖先となった人々の歴史であるといえる。
そう理解すると、『魏志』や『後漢書』の韓伝に記述された古韓の文化や習俗はもっと身近に感じられるはずです。

辰国精神文化の神髄ともいえる「鏡:日神体(かかみ)」を「日神(かか)」の御神体とする祭儀は脈々と受け継がれ、
我が国においては今日なお、その流れを汲む祭祀が奉斎され人々の暮らしと心情に深く根ざしています。
日本は辰国の遺風を伝える唯一の国であり、日本人の精神文化において、辰国はその残映を鮮やかに放ち続けているといえましょう。
32名無しさん@おーぷん :2016/09/16(金)00:34:22 ID:ksk

■クル国

バラタ族、プール族はパンジャーブから南下。
ヤーダヴァ族:インダス河口マガンのカッシート人+カルデア人の混血移民。マガンから北上。
バラタ族+プール族=クル族→クル国。パンチャーラ国と連携。
プール族、ヤーダヴァ族、ナーガ族がクル地方で対立。バラモンが三族の融合を図って神話創作。


■パララーマ創作神話の解読復元

「インドラ神を祀るバラタ族・プール族がクリシュナ神を祀るヤーダヴァ族に指示して
ナーガ族カーリヤ王のジャムナー川反乱を平定させた。パララーマはナーガの王になった」

ラガシュ・ニンギルス神を分裂→クリシュナ、パララーマ。


■帝釈天(たいしゃくてん):Śakra Devānam indra(シャクラ・デヴァーナム・インドラ)

釈迦提桓因陀羅と音写する。ヒンドゥー教の神インドラが仏教に取入れられたもので仏教の守護神。

因陀羅=カッシート人、ミタンニ人のインドラ=フェニキア人のダゴン、ユダヤ人のヤハウェ。

・新バビロニア帝国ネブカドネザル=晋・昭公

BC575年:新バビロニア将軍=晋・荀呉(中行穆子)が鮮虞(シャーキャ族・ナーガ族・ムンダ族・佤(ワ)族・クメール人)を討伐。

・中山国(旧鮮虞)=胡

①中山国王・綽氏(王尚)が趙により蜀へ移動。蜀泮=安陽王が文朗国を奪う。
宛で徐氏となり徐珂殷(シャカ族の殷)国を作った。徐氏→穢国→扶余

②中山国遺民は奇子朝鮮を建国。匈奴(チュルク人)と混血→東胡=北倭→鮮卑→契丹・庫莫奚・室韋→蒙古族

③馬韓=奇子朝鮮亡命政権。武庚王(卓)。シャーキャ族サンガ=鮮虞

・文朗国=シシュナーガ王朝植民地

炎帝神農=ラガシュ王ルガル・シャ・ゲン・シュル:都市神はニンギルス
南越王性:貉。貉龍君=シャーキャ族に従ったナガ族。涇陽王
33名無しさん@おーぷん :2016/09/16(金)19:18:46 ID:ksk

■マガダ国BC800年~:都ガヤー

アンガ国(ヤーダヴァ族)、カーシー国(カーシー族)を征服→九州植民地:カーシー族トウビョウ神→東表国。ガヤー→駕洛国。

東表国=豊日国。豊国文字=カロシティ文字+ブラフミイ文字。

「東表の牟須氏から安冕辰沄(あめしう)氏が出た」=マガダ国王家からシャーキャ族:安冕氏=ニギハヤヒが出た。

・阿比留氏:ヘブライ人古名アピル
34名無しさん@おーぷん :2016/09/16(金)19:19:16 ID:ksk

■契丹

①契丹八部:シャーキャ族・ナガ族

・カッシート人+カルデア人のマガン移民→ヤーダヴァ族→新バビロニアと同盟→鮮虞シャーキャ族を征服→中山国→奇子朝鮮

・中山国+奇子朝鮮=辰沄殷

②庫莫奚:穢国クメール族

③室韋:カーシー族・ボド族・北倭


■夷

①阿祺毗(シュメール人)→インド・インドシナ→中国

・阿靳:エンリル神:ウルク第3王朝ルガルザギシ、エラム支族グティ王シャッラク

馬韓=アーリア人ヒッタイト・フェニキア人ウガリット史
番韓=カルデア人、マガン・ヤーダヴァ族、シャーキャ族史

・泱委:カッシート人→月氏

・淮委:バビロン・シュメール人

・潢弭(ワニ):ドラヴィダ族(シュメール人+ブラウイ族)、ソロモン船団ドラヴィダ水軍

モンゴロ・ドラヴィダ族:トゥレン蛇信仰カーシー族(佤族・レプチャ族)→トウビョウ信仰

・藩耶:ウラルトゥ・フルリ人→大扶余・北扶余、伯族→ウガヤ王朝(匈奴キンメリ人含む)


②暘靈毗(苗・瑶族)→バビロン→北極→バンチェン→中国

・バンコ神→エジプト神セト/アヌビス


③寧祺毗(ラガシュ・カルデア人・シャーキャ族)→インド・インドシナ→中国

・月神ニンギルス:→ニギハヤヒ

・コーサラ国シャーキャ族:BC1200~マガン移住カッシート人→BC900~カルデア人混血ヤードゥ→クル国ヤーダヴァ族


④太祺毗(匈奴=ミタンニ人・ウイグル人・チュルク人・キンメリ人)→シルクロード→中国

・太一神:匈奴→シャーキャ族→契丹租神
35名無しさん@おーぷん :2016/09/16(金)19:22:49 ID:ksk

■駕洛国(ヤオ族・カーシー族)

・バンコ犬神:九黎→苗・瑶族→毛人九州

・トウビョウ蛇神:ヒクソス王朝→ヒッタイト鉱人→カーシー族

モーセ=オシリス神官オサルシフ→ヒクソス残党と出エジプト→蛇杖

■コーサラ国

・都:オウド→フェニキア旧港アルワド

『ラーマーヤナ』イクシュバーク王→ラーマ王子の猿の橋→『古事記』大穴牟遲神:因幡の白兎・ワニの橋

アシュラ・トゥ・ヤンミ(アーシラト):海の上を歩く女神→モーセの海割れ

・アーシラトとは海を行く貴婦人(rbt aṯrt ym [rabbatu、āṯiratu yamma])の略称

『別の呼称として神々の生みの親(qnyt ilm [qāniyatu、ilīma] 直訳すると『神々の創造神』)がある。
またイラト(ilt [’ilatu])とも呼ばれるが、これは本来「イル」の女性形で普通名詞としては「女神」の意味。
女神の中の女神としてのアーシラトを指す言葉として固有名詞的に用いられる。
このイラトという名はアラビアの女神アッラートの名と語源を同じくする。』

『旧約聖書にも異教の偶像神として登場し、ヘブライ語形アシェラ(אֲשֵׁרָה [Ă šērāh])の名で現れる。
カナンでは豊穣の女神として崇められた。ヘブライ人たちは当初この女神を敵視したが(出エジプト記第34章第13節)
カナンの地に入植すると自らも崇め始め(士師記第3章第7節ほか)聖なる高台と呼ばれるカナン式の礼拝所で祀った。』

・蘇民将来:

アラビア・ベドウィン「牛なべのオルギア」=ユダヤ「過ぎ越しの祭り」→BC1000年~タルシシュ船→コーサラ国→マレー半島→九州

・北イスラエル10支族:

サマリア→バクトリア→コーサラ国、華北

秦始皇帝:父・呂不韋=ユダヤ人ラビ
36名無しさん@おーぷん :2016/09/17(土)13:47:22 ID:MmQ

第1章:

曰若稽諸
傳有之曰
神者耀體
無以能名焉
維鑑能象
故稱鑑曰日神體
讀如戞珂旻

ここにこれをかんがふるに、伝にこれ有りて曰く、神は耀体。以てよく名づくる無し、これ鑑能くかたどる。
故に鑑を称して日神体と曰ふ。読んで戞珂旻(かかみ)の如し。


第2章:

恭惟
日祖名阿乃沄翅報云戞靈明
澡乎辰云珥素佐煩奈
淸悠氣所凝
日孫内生

うやうやしくかんがふるに、日祖、名はあのうしふうかるめ。
しうにすさぼな。清悠の気の凝る所に澡す。日孫、内に生る。


第3章:

日孫名阿珉美辰沄繾翅報順瑳檀彌固
日祖乳之
命高天使鷄
載而降臻
是爲神祖
蓋日孫讀如戞勃
高天使鷄讀如胡馬可兮
辰沄繾翅報
其義猶言東大國皇也

日孫名はあめみ・しうくしふ・すさなみこ。日祖、之に乳し、高天使鶏に命じ載せて而して降りいたらしむ。
是を神祖と為す。けだし日孫読んでかもの如く、高天使鶏読んでこまかけの如し、
辰沄繾翅報は其の義猶東大国皇と言ふがごとき也。
37名無しさん@おーぷん :2016/09/17(土)13:47:57 ID:MmQ

第4章:

族延萬方
廟曰弗莬毘
廷曰蓋瑪耶
國曰辰沄繾
稱族竝爲辰沄固朗
稱民爲韃珂洛
尊皇亦謂辰沄繾翅報
神子神孫國于四方者
初咸因之

族萬方にはびこる。廟を弗ふとひと曰い、廷をこまやと曰い、国をしうくと曰い、
族を称して並びにしうからと為し、民を称してたからと為す。
皇を尊んで亦しうくしふと謂う。神子神孫四方に国する者、初めみな之に因れり。


第5章:

或云神祖名圖己曳乃訶斗
號辰沄須瑳珂
初降毉父之陰
聿肇有辰沄氏
居於鞅綏之陽
載還有辰沄氏
是爲二宗
別嗣神統顯于東冥者爲阿辰沄須氏
其後寧羲氏著名五原諸族之間

或は云ふ、神祖、名はとこ曳乃訶斗、号はしうすさか。初め毉父の陰に降り、ここに肇めて辰沄氏有り。
あしの陽に居り、すなわちまた辰沄氏有り、是を二宗と為す。
別に神統を嗣けて東冥に顕はるる者を、あしむす氏と為す。其の後寧羲氏、名を五原諸族の間に著はす。


第6章:

因亦念之
雖世降族斁
瓜瓞猶可繹綿緒而格其原壤
例如瑪玕靺鞨渤海同聲相承
珠申粛愼朱眞同音相襲
傳統自明也矣
乃爰討探舊史作次第如左

因って亦之を念う。世降り族やぶると雖もくゎてつなほめんちょをたづねて其の原壌にいたるべし。
例へば瑪玕・靺鞨・渤海、同声あいうけ、珠申・粛慎・朱眞、同音相つげるが如し。
伝統自づから明らかなり、ここに旧史を討探し次第をなすこと左の如し。
38名無しさん@おーぷん :2016/09/17(土)13:48:31 ID:MmQ

第7章:

塢須弗耶馬駘記曰
其國所以未嘗隤頽者
職由潭探上古・明覯先代・審設神理・善繩風猷
一曰秋洲
讀做阿其氏末
蓋亦因于阿其比也

うすほつの耶馬駘記に曰く、其の国未だかつてくゎいたいせざるゆえんの者は
職としてふかく上古を探り明らかに先代をみ・審らかに神理をつらね・善くふういうを縄ただすによる。
一に秋洲と曰ふ、読んであきしまとなす。蓋し亦あきひに因るなり。


第8章:

氐質都札曰
阿藝也央委也陽委也潢弭也伯弭也潘耶也淮委也
列名聯族
尋其所由
皆因於秦率旦阿祺毗矣

つちたせに曰く、あきやわいややいやわいやはいやはいやあいや名を列し族をつらぬ。
其の由る所を尋ぬるに皆すさなあきひに因よれり。


第9章:

止浥婁異種
原稱羊鄂羅墜
本浥且之地也
神祖伐懲元兇
化育久之

止ただあふろうは異種。原称はやおろち、もとおその地なり。神祖伐って元兇を懲らし、化育之を久しうす。


第10章:

命令作澡
然後容爲河洛
賜名閼覆祿
卽浥婁也
或曰閼覆祿禊誓之謂也
故至今爲成者
指其不渝於閼覆祿大水焉

命じて澡をなさしめ、然る後容れてからと為す。名をあふろと賜ふ。即ちあふろうなり。
或は曰く、閼覆禄は禊誓を之れ謂ふなり。故に今に至るまで成を為す者、其のかはらざるを閼覆禄大水にさす。
39名無しさん@おーぷん :2016/09/17(土)13:48:52 ID:MmQ

第11章:

汗美須銍曰
神祖都于鞅綏韃
曰畢識耶
神京也
敎漾緻遣翅雲兢阿解治焉

かみすちに曰く、神祖、あしたに都す。ひしやと曰ふ。神京なり。やちくしうくあけをして治めしむ。


第12章:

又敎耑礫濆兮阿解
居戞牟駕
曰高虛耶
是爲仲京

またしらひきあけをしてかむかに居らしむ。かこやと曰ふ。是を仲京とす。


第13章:

敎曷旦鸛濟扈枚
居覺穀啄剌
曰節覇耶
是爲海京

あたかしこめをしてかくたらに居らしむ。しほやと曰ふ。是を海京と為す。
40名無しさん@おーぷん :2016/09/17(土)17:49:09 ID:MmQ

14章:

教尉颯潑美扈枚 居撫期範紀 日濆洌耶 齊京也

ウサハミコメに教して、ムコハキに居らしむ。ヒレヤという。スキなり。


15章:

敎耆麟馭叡阿解 治巫軻牟 曰芝辣漫耶 神祖初降于此
故稱曰秦率母理之京 阿解又宮於然矩丹而居 曰叙圖耶 是爲離京
阿解生而異相 頭有刄角 好捉鬼魖
乃頒蘇命遮厲立桿禁呪二十四船之法于今有驗也

キリコエアケに教して、フカムに治せしむ。シラマヤという。神祖初めここに降る。
故にスサモリの京という。アケまたネクタに宮して居る。ソトヤという。是を離京となす。
アケ生まれながにして異相、頭に刃角あり。好んで鬼魖を捉う。
乃ち蘇命、遮厲、立桿、禁呪24般の法を頒つ。


16章:

西征頒疏曰 神祖將征于西 乃敎云辰阿餼城于介盟奈敦
敎察賀阿餼城于晏泗奈敦 敎悠麒阿餼城于葛齊汭沫
於是濟怒洌央太 至于斐伊岣倭之岡 而都
焉怒洌央太西海之名也 斐伊岣倭西陸塞日之處也.

西征ショウソに曰く、神祖將に西に征せんとす。
乃ちウシアケをしてカメトナに城せしめ、サカアケをしてケシセマに城せしむ。
是に於てニレワタをわたり、ヒイクイの岡に至り、而して都す。
蓋しニレワタは西海の名なり。ヒイクイは西陸塞日の處なり。
41名無しさん@おーぷん :2016/09/17(土)17:54:21 ID:MmQ
>>40
16章:

西征頒疏曰 神祖將征于西 乃敎云辰阿餼城于介盟奈敦
敎察賀阿餼城于晏泗奈敦 敎悠麒阿餼城于葛齊汭沫
於是濟怒洌央太 至于斐伊岣倭之岡 而都
焉怒洌央太西海之名也 斐伊岣倭西陸塞日之處也.

西征ショウソに曰く、神祖將に西に征せんとす。
乃ちウシアケをしてカメトナに城せしめ、サカアケをしてケシセマに城せしめ
ユキアケをしてケシセマに城せしむ。是に於てニレワタをわたり、ヒイクイの岡に至り、而して都す。
蓋しニレワタは西海の名なり。ヒイクイは西陸塞日の處なり。
42名無しさん@おーぷん :2016/09/17(土)18:04:00 ID:MmQ

17章:

秘府錄曰, 神祖拓地于幹[13]浸遏, 區爲五原. 伯屹紳濃和氣治於馬姑岣焉, 是爲西原也.
泱太辰戞和氣治於羊姑岣焉, 是爲東原也. 納兢禺俊戶栂治於尹樂淇焉, 是爲中原也.
湮噉太墜和氣治於柵房熹焉, 是爲北原也. 沄冉瀰墜和氣治於柟崤藐焉, 是爲南原也.
于是, 御旦賅安閔調波那阿沄 敎矩乃古諸勿有畿覲怙曾矣.


18章:

初, 五原有先住之種. 沒皮龍革牧於北原, 魚目姑腹穴於西原, 熊耳黃眉棲於中原,
苗羅孟馮田於南原, 菟首狼裾舟於海原. 咸, 善服順, 但 南原 箔箘籍 兇狠不格.
神祖伐放之海. 疏曰, 箔箘籍三邦之名, 鳥人楛盟舒之族也.
後, 歷海 踏灘波, 據蔚都, 猾巨鍾, 遂入辰藩者其遺孽云.



19章:

神祖親臨八百八十載. 登珍芳漾匾墜球淄蓋麰之峰, 祝曰,
辰沄龢提秩宸檀珂枳膠牟頡銍岬袁高密德溶晏髭戞賁莎戞.
終詣日祖之處, 永止非文紀旦賅墜阿旻潑例矣. 後經十有六連,
有璫兢尼赫琿, 承嗣大統 祖風重興 河洛復盛焉.
疏曰, 宸檀珂枳猶言稻華神洲也, 戞日也, 餘義今不可攷.
43名無しさん@おーぷん :2016/09/17(土)18:04:24 ID:MmQ

20章:

神統志曰, 神統逖, 諸莫不恢處, 取義乎, 阿祺毗以爲族稱者,
曰阿靳, 曰泱委, 曰淮委, 曰潢耳, 曰潘耶也. 取諸暘靈, 毗者,
姚也 陶也 句黎也. 陶有 皡陶 唐三 皐洛. 黎有八養洛矣.
取諸寧 祺毗者, 和義也 姒嬀也 猶鬼也.
取諸太祺毗者嶽也 則號五族渾瀰爲句婁.
初有四嶽後爲九伯, 蓋其音相同也.
姜濮高畎諸委屬焉.
以上通稱諸夷因神之伊尼也. 廟㫋爲汶率.


21章:

費彌國氏洲鑑賛曰, 海漠象變, 而地縮于西, 乃后稜爲海, 而天遠於東矣.
又經洚火災, 西族漸入. 神牛首者 鬼蛇身者 詐 吾神子號, 造 犧農黃昊陶虞,
濫命蕃祀, 自謂予聖寧識. 堯與舜者東族翅報也. 渾族有君肇自夏禹雖然禹沄也夏繾也.


22章:

及皐發, 帥羗蠻而出, 以賂猾夏, 戈以繼之. 遂致以臣弑君, 且施以咋人之刑.


23章:

伯 唱而不成, 和 征而不克. 陽 勇于津防, 而 易 賣節畔之.
周師次牧焉, 淮徐方力于郊戰, 而姜從內火之, 商祀終亡矣.
潢浮海, 潘北退, 宛南辟. 嘻, 朱申之宗 毒賄倒兵, 東委盡頹.


24章:

惟, 武伯與智淮殿而止, 焉 欲力保 晋氳之原, 智淮奪子叔釐賒於虜,
城于葛零基以舍焉 國號辰沄殷. 時人又稱智淮氏燕, 以別邵燕. 姬發降志, 賂以箕封, 殷叔郤之.
韓燕來攻, 乃徙翳父婁都焉. 傳云, 翳父婁者 奚契旦爰 麻岣秘 處也, 又云, 奚契旦爰 神子 耆麟馭叡 別號也.
44名無しさん@おーぷん :2016/09/17(土)18:04:49 ID:MmQ

25章:

當, 武伯山軍糾合于冀, 跳破於南.
偶, 寧羲騅以其舟師及弩旅會于渝濱. 高令擧國前走歌,
曰 鄲納番達謨孟珂讚唫隕銍孟伊朔率秦牟黔突壓娜喃旺鳴孟.


26章:

武伯 追獲 夏莫且. 寧羲騅斬之以徇. 諸族喜躍響應. 傳謂, 兪于入之誅.


27章:

於是, 降燕, 滅韓, 薄齊破周.

28章:

辰殷大記曰.., 殷叔老, 無子. 當, 尉越之將旋于東, 養密矩, 爲嗣. 尋殂, 壽八十九.
督坑賁國密矩立. 時尹兮步乙酉秋七月也.


29章:

賛繼前言曰.., 爾來跳嘯三百餘載時, 運漸不利. 伯分爲二, 一連於弁,
一入于秦.秦自是益豪, 燕亦加彊. 殷遂以孛涘勃大水爲界. 讓曼灌幹之壤, 而東.


30章:

於是, 殷大築 味諏君德. 前 孛斐禮水 險, 背 介盟敦 海岱, 右 踰 薛葛柵 于 撻牟母,
而爲固. 托脇於大辰之親, 而爲依. 以孛涘勃爲外塹, 內新興神廟, 祭察賀亶唫, 號爲和餼城.
鞅委王贈以蠙劍副之. 東表崛靈䛁載龍髯所胎之物云.
又, 配祠 宇越勢旻訶, 通 宇越米旻訶, 通 于占欎單密之山. 國復振焉


31章:

先是, 宛之徐, 濟海舶臻, 倚殷居於宛灘闢地數百千里, 築弦牟達, 稱昆莫城, 國號徐訶殷.


32章:

至是, 燕築塞, 繞曼灌幹, 城曰襄平. 將又越孛涘渤, 强行阻斷, 二國伐燕, 克之.
踰渝, 及孤竹, 盡復殷故地. 及秦滅燕乃與之, 約卻地千里以孛水爲界如故.
45名無しさん@おーぷん :2016/09/17(土)18:05:10 ID:MmQ

33章:

秦忽諸不祀, 夫胥子有秩率其衆, 來歸. 殷舍之白提奚, 爲都岐越.


34章:

燕瞞說殷曰, 請背水而國以禦漢寇. 殷納封之姑邾宇.
瞞又說漢曰, 胡藏秦華胄, 請滅之爲郡,以絶後患. 漢喜給之兵仗.
瞞襲取殷, 漢進郡阻徐珂殷. 王奔辰, 秦氏隨徙.
殷亡, 瞞乃案智淮氏燕故事, 以之紀國, 曰朝鮮, 始達周武之志也.


35章:

於是, 瞞要漢反, 故漢去但巫, 志心甚啣之.
徐珂王 淮骨令南閭峙 欲爲殷報讐, 謀之於漢.
漢誓不郡, 許以王印爲證, 及洛兎出, 南閭峙憤恚自刎.
子淮骨令蔚祥峙襲破遼東, 斬其守彭吾, 率國合于潘耶. 潘耶乃大焉.


36章:

於是, 辰, 以蓋馬大山爲固, 以奄淥大水爲城, 拒漢, 碎破其眞敦之志.


37章:

蓋, 辰者 古國上代悠遠也. 傳曰, 神祖之後 有辰沄謨率氏, 本與東表阿斯牟須氏爲一.
辰沄謨率氏有子, 伯之裔爲日馬辰沄氏, 叔之裔爲干靈辰沄氏.
干靈岐爲干來, 二干隔海而望, 干來又分爲高令云然. 有今不可得攷焉.
其最顯者爲安冕辰沄氏, 本出東表牟須氏, 與殷爲姻, 讓國於賁彌辰沄氏.
賁彌氏立未日, 漢寇方薄, 其先入朔巫達, 擊退之.
淮委氏沃委氏竝列藩嶺東爲辰守郭, 潘耶又觀兵亞府閭, 以掣漢.


38章:

先是, 弁那有二汗落, 曰縉耘伊逗氏, 曰縉耘刀漫氏.
伊逗氏者殷密矩王孫, 所入而繼淮伯諸族, 合于弁者, 具瞻爲宗中.
微兒孫, 或爲刀漫氏所鞠育, 繆突幼有異相, 刀漫忌憚之質於鞅氏, 而急襲.
繆突亡奔迂而依殷. 殷善外計, 伯陰內應. 繆突入爲沄翅報, 圍漢, 幾獲, 轉掃弁殷之間.
殷乃爲康及繆突死於賂伯復坎軻久濳漠邊. 至是辰招以率發符婁之谿臼斯旦烏厭旦之壤高令乃臻
46名無しさん@おーぷん :2016/09/17(土)18:05:32 ID:MmQ

39章:

又, 遣使伊鎩河畔, 載龍髯酬以遠鎩河 及頌卑離.
乃亦 令勃婁達修杜都那, 置納祗米, 行高密帥, 志禳寇云. 鑑罄乎此矣.


40章:

洲鮮記曰, 乃云, 訪于辰之墟, 娜彼逸豫, 臺米與民, 率爲末合,
空山鵑叫, 風江星冷, 駕言覽乎, 其東藩封. 焉彼丘, 不知是誰, 行無弔人.
秦城寂存, 嘻辰沄氏殷, 今將安在, 茫茫萬古, 訶綫之感, 有坐俟眞人之興而己矣.


41章:

天顯元年元朔, 太祖天皇王拜日乎東閣. 丹鷄從日邊降, 翔旋閣上.
勅使旁求其所止末得.
會同元年六月乙酉, 丹鷄復現, 因得奎瓏石于醫巫閭山, 紅紫綫細自然成文卽古頌也


42章

皇上喜然曰朕之先者出自神子奇契丹燕矣所謂
炎帝者是也五原於今不克復之何以能見哉朕當輙善也於是新興神廟于明殿之領親齋進頌.
47名無しさん@おーぷん :2016/09/17(土)18:05:48 ID:MmQ

43章:

頌云:

辰沄繾翅報斡南易羅祺駿蔘冉謨律辨扈陪蘊杜
乍喃吟綿杜乍喃蜜伊寧枚薰汶枚氣冉滿婆載娜摩矩泥克羊袁暘弭沚緬


44章:

辰沄繾翅報斡南遏浪祺億扈瑪尹冉濟紆凱湄
烏架樂遊絕斿麗奄斿例斡浸播圭婁可洛資斿麗絆斿例耶那奈資婁可洛固牟畢滿呂魏克遏浪謨納岐緬


45章:

辰沄繾翅報案斜踧岐賁申釐倪斿厲珂洛秦弁支廉勃剌差笏那蒙緬


46章:

應天太后 徵 諸學士, 曰..,
太祖有言我, 先世 葛禹圖可汗 冒稱乎神賚之甲可汗, 其義猶言日神之體也.
誰能究源流辨宗支者. 因問頌義, 學士恐惶對, 曰.., 隔世旣杳, 語音亦革.
雖旁求匪懈, 古義未可遽攷也. 太后曰.., 韻心所通, 神必能格輒攬, 而上諸琴.
命樂人作譜, 嚠渺森嚴, 眞是神韻也. 臣羽之謹錄. 竝為之叙傳云會同五年六月日.
48名無しさん@おーぷん :2016/09/17(土)22:04:14 ID:MmQ

■インド16大国:BC500~

・末羅(マッラ)国:クシナガラ

①九州の「松浦」「串」

②『古事記』天津麻羅(アマツマラ):鍛冶の神

『先代旧事本紀』天孫降臨:
「倭(やまと)の鍛師(かなち)等の祖、天津真浦(あまつまうら)」
「物部造等の祖、天津麻良(あまつまら)、阿刀造等の祖、天麻良(あめのまら)」
=天津麻羅:一神の名ではなく鍛冶集団(またはその祖神)の総称。


・鴦伽(アンガ)国:

越:古名=宛委→宛→鴦


・コーサラ国:アヨーディヤー(Ayodhya)古名:アワド

①アヨーダハ→阿多隼人

②フェニキア旧港アルワド→アワド

③アブラハムとケトラの子=イシュバク→イクシュヴァーク租王?

『25-6:またそのそばめたちの子らにもアブラハムは物を与え、
なお生きている間に彼らをその子イサクから離して、東の方、東の国に移らせた。』
49名無しさん@おーぷん :2016/09/17(土)22:05:42 ID:MmQ

・摩訶陀(マガダ)国:BC800~

クル族の大王ヴァスが5人の息子に領土を分割し長男ブリハドラタがマガダ国の統治者となった。
ブリハドラタ朝(英語: Brihadratha dynasty)と呼ばれる。
ジャラーサンダ王やサハデーヴァ王達は『マハーバーラタ』の主要な登場人物である。

①シシュナーガ朝:BC600?~BC400

越と協力し燕の基地:月支を占領。越の徐族から土地を譲り受け山東半島へ進入。5国に分けて統治。

ベトナムに鴻厖王朝:山地民族=務僊(ムス)

越王が北九州に司政官派遣:BC350~高御産巣日神(タカミムスビ)・神産巣日神(カミムスビ)

『神祖の後に辰沄謨率氏あり。もと東表の阿斯牟須氏と一たり。辰沄謨率氏子あり。
伯の裔を日馬辰沄氏となし、叔の裔を千霊辰沄氏となす。
千霊分かれて千来となり、二千海を隔て而して望む。千来また分かれて高令となると云う。』

交趾(アシ)・九真(カオマ)・合浦(カラ)→交趾務僊・日馬務僊・千霊務僊


②ナンダ朝:BC400~BC326

BC300~イザナギ・イザナミ→出雲・淡路島

③マウリヤ朝:BC317~BC180

アショーカ王:鴻厖王朝を倒し安陽王を擁立。
50名無しさん@おーぷん :2016/09/20(火)21:17:54 ID:gzU

■大洪水

①以前

・5都市国家:エリドゥ、バドティビラ、ララク、シッパル、シュルッパク
・シュルッパク王ウバル・トゥトゥ

②以後

・王権:キシュ

・BC4000~3500:アル・ウバイド期→大洪水→『旧約聖書』創世記「エデンの園」「ノアの方舟」

・BC3500~3100:ウルク期→エアンナ神殿:都市神イナンナ、クラバ神殿:父神アン、最古ジッグラト

・BC3100~2800:ジェムデト・ナスル期


③初期王朝期

・BC2800~2700:第一期→原始民主政

・BC2700~2500:第二期→君主政過渡期

・BC2500~2350:第三期→世襲王権

エリドゥ、ウル、ウルク、バドティビラ、ラガシュ、ニナー、
ギルス、ウンマ、ニップール、キシュ、シッパル、アウシャク


④シュメール都市抗争

・キシュ初期王としてエタナの名が見られる。

・エンメバラギシが実在の王として認められる。統治はBC2700年頃。刻文にエラムに対する武功が記されている。

・エンメバラギシの息子アッガ(BC2675年頃)の代にウルクが勃興。ウルクは長老会と民会で最初の政治的議会を開く。

・アッガ王はウルク第一王朝5代ギルガメシュに最後通牒。

・エリドゥは水神エンキ(エア)を奉る宗教都市に変貌。

・ニップールは最高神エンリルを奉る聖域に。
51名無しさん@おーぷん :2016/09/20(火)21:18:19 ID:gzU

⑤ラガシュとウンマの抗争

・ラガシュ:ウル・ナンシェによって建てられた王朝の都。

・ラガシュ守護神ニンギルス、ウンマ守護神:シャラ。

・ラガシュ王ルーガル・シャゲングル(BC2550年頃)の治世にウンマとの紛争勃発。
宗主権キシュ王メシリムが調停役となりサタラン神の神託で石柱を立てる。

・ウル・ナンシェ(BC2520年頃)が王朝の創始者となる。

・ウンマ王ウシヤがメシリム石柱を破壊。グ・エディン・ナ(シュメール語:GU.EDEN.NA。「平野の境界」の意)を占領。

・ウル・ナンシェ朝第3代エアンナトゥム王(BC2470年頃)の事蹟:「禿鷲の碑」=最古の外交条約記念碑。
ウシヤ王が斃(たお)され後継者のエナカリ(エンアカルレ)と新国境協定を結ぶ。
エアンナトゥムは国境にメシリムの石柱を再建。エンリル、ニンフルサグ、ニンギルス、ウトウ神殿を建立。

・エアンナトゥムはウル、ウルクを征服。キシュを併合。北隣りのアクシャクと戦闘開始。西方の大国マリとも会戦。

・ウル・ルンマ王が協定を破棄しメシリム石柱を再破壊。ガナ・ウギツガで決戦。
第4代エンアンナトゥムの息子エンテナメが撃退。

・BC2420年頃:エンテナメはウルク王ルーガル・キンエシェドド友好条約を結ぶ。
ウルクの援護の下、ウル、エリドゥ、ニップールを支配。

・エンアンナトゥム2世の時代にウルが離反。ルーガル・キンエシェドド王と共に撃破。ウルクはラガシュとウンマを征服。

・ルーガル・キサルシの時代にキシュ、アクシャク、ラガシュ、ウンマ等を服属させシュメール全土を支配。

・ルーガル・キサルシ没後、キシュとラガシュが離反。ラガシュはニンギルス神の祭祀エンエタルジが権力掌握。
キシュはクババ王が王権を握る。継承者のプズルシン、ウルザババの時代に権勢を振るう。


⑥ウルカギナ改革

・ラガシュ祭祀エンエタルジと後継者ルーガルアンダ(BC2350年頃)が苛政を加える。
民衆が叛乱しウル・ナンシェ王朝を廃絶。別家系からウルカギナ王を擁立。

・国内貴族と内紛の隙にウンマでルーガルザギシが権力を掌握し、BC2340年頃ラガシュは襲撃される。

・ラガシュ刻文「ウンマ人はラガシュを蹂躙しニンギルス神に対して罪を犯した。彼らに移る権力は彼らより奪われるに至るべし。
罪はギルスの王ウルカギナには存せず。ウンマのエンシたるルーガルザギシに。女神ニサバよ、そのうなじに罪を負わせたまえ!」
52名無しさん@おーぷん :2016/09/20(火)21:19:14 ID:gzU

⑦サルゴン登場

・最初はキシュ王ウルザババの侍従。

・ウンマ王ルーガルザギシとアッカド領ウグバンダで決戦。
ルーガルザギシを捕虜にして、首に鎖をつけニップールのエンリル神殿で曝す。BC2315年頃アッカド王として即位。

・サルゴン出生伝説は旧約聖書モーセの出生記録(出エジプト記2:1-10)と酷似。多くの棄児伝説の祖型。

・最高神エンリルを奉るニップールを宗教の中心とし「四方世界の王」と称した。
四方世界:東のエラム、西のシリア・パレスチナ、南のシュメール、北のアッシリア

・4代目ナムラシン王の時代にアガーデを都とするアッカド帝国は繁栄の最高潮に達する。
アガーデ港にメルッハ、マガン、ディルムンの船が来航し国際交易都市として栄える。

・シャル・カリ・シャッリ(BC2217~2193頃)の後、グティウム(グティ)人が侵入。

・グティウム王ティリガンをウルク王ウトゥ・ヘガルがドブリンの戦いで撃破。


⑧ウル第三王朝

・ウルナンム法典:ラガシュ王ウルカギナ社会改革→ハンムラビ法典、旧約聖書「出エジプト記22:21-24」、コーラン「下巻93:9-10」

・ウルナンム、シュルギ王の時代にウル月神ナンナルに捧げられたジッグラトを建設。

・ジッグラトの神々降臨の階段→「創世記28:10-22」ヤコブがベテルで見た夢、天使の天地梯子

・イビシン王(BC2029~2005年頃)の時代に西方の砂漠地帯からセム族アムル人(旧約聖書アモリ人)が侵入。

・マリ出身の穀物商イシュビ・イラを官吏に登用。イシン城内に備蓄したがアムル人によりイシンが孤立。

・BC2006年頃、東方のペルシア高地からエラム人と同盟者スバルトゥ人が侵入。ウル第三王朝が滅亡。

アッシリア:シュメール語でシュビル、アッカド語でスバルトゥ

『アッシリアの起源は、その名よりはるかに古く始まる。近年発見された『アッシリア王名表』によって補ってみると、
最後の王アッシュール・ウバルリト二世(在位B.C.612-606)まで117代の王を数えるが、
そのうち初めの三十代くらいまでの諸王の名は明らかにシュメル名でもセム系のアッシリア名でもない。
いわゆる古代人によってスバルトゥと呼ばれた、この地方の原住民の名であり、のちにフルリ人と呼ばれたものの名である。
かれらの由来は明らかでないが、少なくとも今日のカウカサス語系に属するものと考えられ、
後にはフルリ人の国からミタンニ王国が成立することになり、その後裔がアルメニアの先住ウラルトゥ(ハルディア)人である。』
53名無しさん@おーぷん :2016/09/20(火)21:23:13 ID:gzU

■ギルガメシュ叙事詩:アッシリア首都ニネヴェのアッシュールバニパル王図書館より出土

・シュメール語版ジウスドラの洪水物語→アッシリア語(バビロニア)版ウトナピシュティム→旧約聖書「創世記」ノアの方舟

・ディルムンの位置はバーレーンではなくインダス河流域

『ニップール文書に水神エンキがディルムンの国を取り上げ述べている。
「広き海に面した海辺の国であり豊かな穀物とナツメ椰子の実る土地」
対してバーレーン島はペルシア湾の狭い海の中であり南方に位置している。
広き海=アラビア海でありモヘンジョ・ダロ遺跡、ハラッパー遺跡は「日出づるところ」の東方に該当する。
ディルムンとウル商人の海上交易文書から「金、銅、ラピスラズリ、真珠、象牙、等を持ち帰った」とある。』

・洪水物語の神々「ジウスドラをディルムンの地、日出づるところに住まわせた」=インダス河流域に入植。

・ギルガメシュが渡った死の海=アラビア海、マーシュ山=ザクロス山脈。
54名無しさん@おーぷん :2016/09/20(火)21:23:57 ID:gzU

■宛の徐氏→徐福→ニギハヤヒの経緯

①シシュナーガ朝植民地の文朗国を
②中山国のシャーキャ族蜀王が奪う。
③安陽王→宛の徐氏となる。

アショーカ王が鴻厖王朝を倒し安陽王を擁立→ アソカ=饒速日を当て字→ニギハヤヒ

徐福の渡航2回目は九州→ニギハヤヒ→物部氏

九州東表国=蘇我氏(宇佐族?)が抗争

宇佐族は徐福軍団=イスラエル族と混血
55名無しさん@おーぷん :2016/09/21(水)23:20:57 ID:EgW

■殷周革命

①バビロン・イシン王国が滅亡→アッシリアが覇権を掌握
②北方ウラルトゥ王国と南方海の国がアッシリアに抵抗

・ウラルトゥ=ウガヤ王朝

・奇子朝鮮=海の国カルデア人

①BC626年:カルデア将軍ナボポラッサルがアッシリアを滅ぼし新バビロニア建国
②BC605年~:ネブカドネザルがフェニキアを襲撃
③BC575年:マガダ国ビンビサーラ王朝を建国→中山国→奇子朝鮮
56名無しさん@おーぷん :2016/09/25(日)14:28:58 ID:Kog



57名無しさん@おーぷん :2016/09/25(日)14:33:08 ID:Kog



58名無しさん@おーぷん :2016/09/25(日)14:35:57 ID:Kog

シュメール神話:系譜図



59名無しさん@おーぷん :2016/09/25(日)14:49:36 ID:Kog
エジプト神話:系譜図




龍蛇神 VS 嵐雷神:ルーツ図



60名無しさん@おーぷん :2016/09/25(日)16:25:24 ID:Kog

大洪水神話




ダビデ系譜図



61名無しさん@おーぷん :2016/09/25(日)16:29:03 ID:Kog

ヤマタノオロチ系譜図




オリエント神話系譜図




バアル神系譜図



62名無しさん@おーぷん :2016/09/28(水)18:01:14 ID:zBF

【メソポタミア神】

・最高神:

天空・父神アヌ(アン)、母神キ。嵐神エンリルを生む。

・エンリル:

善悪の分配者。人間絶滅の大洪水を起こす。セム人のベール(主の意)となる。のちにマルドゥク神が権能代行。
大地・女神ニンリル(ニンフルサグ)と月神ナンナル(シン)を生む。

・ナンナル:

妻ニンガルと太陽神ウトゥ(シャマシュ)を生む。
イシュタル(イナンナ)、エレシュキガル(イルカルラ)、アダド(イシュクル)、エンキ(エア)を生む。

・ギルガメシュ叙事詩ではイシュタル、エレシュキガルの父はアヌ。

・エンキ(エア):

ウトナピシュティムに洪水を告知。
長子マルドゥク神はのちにバビロン最高神となるがアッシリア人によりアッシュール神が代行。

・イシュタル(イナンナ):

金星の神格化。ギリシャ神話アフロディーテ、ローマ神話ウェヌスに比定。旧約聖書ではフェニキア女神アスタルテ。
月神ナンナルの娘で太陽神シャマシュの妹とされる時は戦いの神。のちにアッシュール神の妻として崇拝される。
『イシュタルの冥界下り』愛人タンムズ(ドゥムジ)はギリシャ神話アドーニスに比定。
タンムズ神話はエジプト神オシリス、イシス信仰に。のちキリスト教「受難節」「復活祭」の源流に。(エゼキエル書8-14)

・原初水神アプスーと妻・塩水神ティアマト、エンリルの息子ラガシュ守護神ニンギルスと妻・アヌの娘バウー女神
アヌの息子・火神ギビル、ナンナルの息子・火神ヌースクー、エンキの娘・エリドゥ女神ニナー、ニナーの妹・女神ニサバ(ニダバ)
ラガシュ神ガトゥームドゥグ、エンリルの子・ニヌルタ、雲霧神ムンム、工匠神グスキン・バンダ、預言・文字神ナブー
エレシュキガルの夫・地獄神ネルガルなど多神教であった。
63名無しさん@おーぷん :2016/09/28(水)18:01:44 ID:zBF

【アラビアの民族移動】

・ティグリス・ユーフラテス最南部シュメールと北西アッカドが後にバビロニアとなる。

・バビロニア北西のメソポタミア上流高地がアッシリアとなる。

・シュメール人は北西部アッカド人、アッシリア人、アムル人などのセム系諸民族(イスラエル族含む)に滅ぼされる。

・セム系遊牧民族(イスラエル族含む)の原住地は北部・中部アラビアとされる。

・アラビアの余剰人口が外部=北方へ移動。エジプト、シリア、メソポタミア沃地を目指す。

①BC3500年~BC3000年

エジプト方面へ移動。アムラ文化期のハム族と融合。ゲルゼ期文化となり初期エジプト王国文明の基礎をなす。

②BC2500年~BC2300年

「古アムル(アモル)集群」と呼ばれる。セム人がシュメール人世界を支配。
BC2315年頃、ウンマ王ルガルザギシを倒しシュメール・アッカド王サルゴンが権力を確立。

③BC2100年~BC1700年

「アムル、カナン集群」が三日月沃地に侵入。
BC2000年頃、アムル(西の国の意)人がウル第三王朝を倒しシュメール・アッカドを征服。バビロンが覇者となる。
カナン人はレバノン地方に辿り着きのちに海洋民族フェニキア人(アルファベットを考案)の租となる。
パレスチナにも侵入し先住民の地位を確立。

④BC1500年~BC1200年

「アラム集群」がシリア・メソポタミアの大半域を再セム族化。
『申命記26-5』:「私の先祖は流離のアラムびとでありました」=ヘブライ人=アラム集群の一支脈と推定される。
パレスチナに定住。ユダヤ教唯一神の観念を提示。キリスト教、イスラム教の母胎となる。
アラム集群はBC900年頃までシリア・メソポタミアを制圧するが、鉄製武器のアッシリア、バビロニアに滅ぼされる。

⑤BC850年~BC500年頃

「アラビア集群」ナバタエ人がBC500年頃、シナイ半島北東部に定住。AD700年「イスラム大移動」に繋がる。

⑥AD700年

メッカ生まれのマホメット(ムハンマド:AD570年~632年)が多神教アラブ世界に唯一神アッラーのイスラーム教を確立。
マホメット後継者=ハリーファ(カリフ)たち1代目アブー・バクル、2代目ウマル・イブヌール・ハッターブ、
3代目ウスマーン・ブヌ・アッファーン、4代目アリーなどによりオリエント全体にイスラーム教を及ぼす。
64名無しさん@おーぷん :2016/09/28(水)18:02:07 ID:zBF

【ハビル】

・イスラエル民族の原初的発生地はアラビア砂漠と推察。

・『創世記11』:

BC1800年頃、テラが「カルデア」のウルからハランに移動。
アラビア砂漠から侵入したアラム人(カルデアびと)がBC1000年頃バビロニア定住後の時代に加筆されたと推察。
テラの先祖がBC2000年頃、ウルを倒壊し侵入したセム系砂漠民アムル人の民族移動中に一員として参入した可能性。
テラの生活様式は半遊牧民でウル住人との説は疑問符がつく。ウルの都市生活に適応できずハランに移動したと推察。

・当時、半遊牧民の漂浪ハビル人がシリア定住民と争っていたとウルやラルサ王リムシン時代に刻銘。
フルリ人のヌジ書板には自発的に奴隷になったと記載されている。
ハビル人は権力に拘束されない傭兵集団で、テラ=ヘブル人を含む遊牧種族集団全体を表す名詞だった可能性。

・テラ、アブラム家集団は各地文化の中心地を移住し続けた。移動起点ウルとハランは月神礼拝の中心地。
シュメール時代のウルは月神ナンナル、バビロニア時代のハランは月神シンを崇拝する隊商都市。


【アブラハムの神】

・『創世記12』:テラの死後アブラムはハランからカナンを目指す。
「約束の地カナンを目指せ」と伝承されてきたアブラハムの神=カナンの地を実際に知っていたヘブル人祖先神。
65名無しさん@おーぷん :2016/09/28(水)19:05:17 ID:zBF
【イシン・ラルサ時代】

・ウル第三王朝滅亡後、BC2025年頃アムル人ラルサ王朝樹立。BC1763年頃ハンムラビがメソポタミア統一。

・最南部ウル近郊にラルサ王朝、西北ニップール近郊にイシン王朝。

・イシン王朝5代目リピト・イシュタル法典は100年後のハンムラビ法典、BC2100年頃のウルナンム法典、
BC1830年頃のビララーマ法典と共にメソポタミア法制史の発展を知る文献となっている。

・イビシン治世に砂漠地帯からバビロニアに侵入してきたアムル人族長ナプラヌム(BC2025年~BC2005年)がラルサ王朝樹立。

・グングヌム治世にラルサが勃興開始。リピト・イシュタル王からウルを奪取。ラルサとイシンの闘争開始。

・イシン王朝で内紛が発生し王朝が交替。イシュビ・イラ血統外の王ウルニヌルタ(BC1923年~BC1896年)が即位。
リピト・イシュタル王家はラルサに逃亡と推察。ラルサ王グングヌムは「シュメール・アッカド王」の称号を得る。

・グングヌムの後継者アブイサレ(BC1905年~BC1895年)がウルニヌルタを弑逆。

・アブ・サレの後継者スム・エル(BC1894年~BC1866年)がイシン服属のキシュを攻略。宗教都市バビロンがキシュを奪取。
バビロンの都市名=バブ・イル(神の門)に由来。ヘブライ語のバベルに派生。
アッカド王サルゴンは征服時に宗教都市として神聖さを留意。シャル・カリ・シャッリ王時代にバビロン神殿の基礎を築く。
ウル第三王朝支配下ではエサラギ神殿の存在が知られていたが、アムル人の侵入により宗教都市から政治都市へ変貌。

・アムル人首長スムアブムがBC1894年頃に即位しバビロン第一王朝を建立。
ラルサ王スム・エルからキシュを奪取。カザルでは撃退されて前進を阻止される。

・次代のスムラエル王はキシュを再征服しカザルを占領。シッパルを服属させ要塞都市とする(BC1855年)。

・ラルサ王スム・エルの後継者ヌル・アダド(BC1865年~BC1850年)の治世に洪水が起こる。
次代のシン・イディナム王まで修復が続く。支配下のウル、エリドゥも修復。イシン王エンリル・バニからニップールを奪取。
その後バビロン、エシュヌンナと交戦し勝利する。シン・イディナム王はシャマシュ神殿で落石により死亡。

・次代のシン・エリバム王(BC1842年~BC1841年)、シン・イキシャム(BC1840年~1836年)、ツィリ・アダド(BC1835年)が順次即位。
東のエラムやイシンと領域を争い、イシンとはニップールの奪取を繰り返す。北部カザルがシン・イキシャムの死後ラルサを急襲。

・イシン王朝はウル・ヌヌルタ王の死後、息子のブル・シン(BC1895年~BC1874年)が即位。
ラルサからウルを奪取するも一年未満で奪還される。
息子リピト・エンリル(BC1873年~BC1869年)の治世にニップールもラルサ王スム・エルに奪還される。
次代のイルラ・イミッティ王(BC1868年~BC1861年)の治世にニップールを奪還。

・イルラ・イミッティ王の治世時:

『エヌマ・エリシュ神話』で主役のニップール神エンリルがバビロン覇権によりマルドゥク神に変更される。
イシン王朝の勝利神の新春記念祭礼=新年祭がバビロン王朝に引き継がれる。
イルラ・イミッティ王8年目新年祭の時に庭園師エンリル・バニが「偽王の日」に王位に就いたが
当日イルラ・イミッティが死にそのまま王座に就き支配権を確立。その後ラルサ王シン・イディナムにニップールを奪還される。

・シン・イディナムの死後、独立を回復し次代のザンビア王(BC1836年~BC1834年)がニップールを奪還。ラルサと再争。
次代のイテル・ピシャ(BC1833年~BC1831年)、ウル・ドゥクガ(BC1830年~BC1828年)、
シン・マギル(BC1827年~BC1817年)が順次イシン王朝を統治するもラルサと共に衰退する。
66名無しさん@おーぷん :2016/09/28(水)20:11:47 ID:zBF

・エラム人エムトバル国クドゥル・マブク君主がカザル支配を駆逐しラルサ解放者として入城。
クドゥル・マブクがエラム人なのかアムル人なのかは不明。
息子ワラド・シン(BC1834年~BC1823年)をラルサ王に即位し独立させる。

・ワラド・シン王はカザルが征服。ウルで月神シン神殿を造営修復。
バビロニア北部はバビロン第一王朝、南部はイシン王朝とラルサ王朝が併存。

・バビロン王スムラエルの次代王サビウム(BC1844年~BC1831年)がマルドゥク神エサラギ神殿を建立。
4代目アピル・シン王(BC1830年~BC1813年)の治世は内治整備に力を注ぎ、外征は北バビロニア流域に限定。
その間にラルサはニップールとウルを奪取。ワラド・シンの後継者に弟のリム・シン1世(BC1822年~BC1763年)。

・ラルサのバビロニア南部覇権にイシン、バビロン、ウルク、ラクピムが連合。
ウルク王イルダネネの指揮でラルサに対抗するも撃退される。
リム・シン王はキスラとウルクを征服。イシンとニップールを奪取。
5代目バビロン王シン・ムバリト(BC1812年~BC1793年)によりラルサの攻勢が一時停滞。
イシン王ダミク・イリシュ(BC1816年~BC1794年)を撃破しイシン王国を征服。
その後シン・ムバリトの息子ハンムラビ王によりラルサ帝国は撃破される。

・最後はバビロニア北部バビロン第一王朝と南部ラルサ王朝が残る。
ティグリス河支流ディヤラ川流域にエシュヌンナ、ユーフラテス河中部に古王国マリが存続。
ティグリス河上流域にアッシリアが存立。

・ラルサの支配者だけはエラム人が占めていた。

・アッシリア人はアムル人と別の北西セム系民族。
フルリ人がセム系アッカド人やシュメール人ウル第三王朝の支配で混血しアッシリア人国が形成。
アッシリア人の言語、文化、宗教はアッカド的で住民はアッカド名を帯びている。
「シュメール・アッカドの真の保全者」を自称する故にアッシリア王イルシュマはバビロニア侵略時
「アムル人とエラム人の支配からアッカド人を解放する」と言って誇った。
67名無しさん@おーぷん :2016/09/29(木)21:34:45 ID:rev



68名無しさん@おーぷん :2016/09/30(金)20:30:59 ID:u5v



69名無しさん@おーぷん :2017/05/26(金)23:19:13 ID:wgs
なんだこのスレw ちゃんと異なった文化圏の神話を比較しろよw

新着レスの表示 | ここまで読んだ

名前: mail:





比較神話学スレ