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比較神話学スレ

66名無しさん@おーぷん :2016/09/28(水)20:11:47 ID:zBF

・エラム人エムトバル国クドゥル・マブク君主がカザル支配を駆逐しラルサ解放者として入城。
クドゥル・マブクがエラム人なのかアムル人なのかは不明。
息子ワラド・シン(BC1834年~BC1823年)をラルサ王に即位し独立させる。

・ワラド・シン王はカザルが征服。ウルで月神シン神殿を造営修復。
バビロニア北部はバビロン第一王朝、南部はイシン王朝とラルサ王朝が併存。

・バビロン王スムラエルの次代王サビウム(BC1844年~BC1831年)がマルドゥク神エサラギ神殿を建立。
4代目アピル・シン王(BC1830年~BC1813年)の治世は内治整備に力を注ぎ、外征は北バビロニア流域に限定。
その間にラルサはニップールとウルを奪取。ワラド・シンの後継者に弟のリム・シン1世(BC1822年~BC1763年)。

・ラルサのバビロニア南部覇権にイシン、バビロン、ウルク、ラクピムが連合。
ウルク王イルダネネの指揮でラルサに対抗するも撃退される。
リム・シン王はキスラとウルクを征服。イシンとニップールを奪取。
5代目バビロン王シン・ムバリト(BC1812年~BC1793年)によりラルサの攻勢が一時停滞。
イシン王ダミク・イリシュ(BC1816年~BC1794年)を撃破しイシン王国を征服。
その後シン・ムバリトの息子ハンムラビ王によりラルサ帝国は撃破される。

・最後はバビロニア北部バビロン第一王朝と南部ラルサ王朝が残る。
ティグリス河支流ディヤラ川流域にエシュヌンナ、ユーフラテス河中部に古王国マリが存続。
ティグリス河上流域にアッシリアが存立。

・ラルサの支配者だけはエラム人が占めていた。

・アッシリア人はアムル人と別の北西セム系民族。
フルリ人がセム系アッカド人やシュメール人ウル第三王朝の支配で混血しアッシリア人国が形成。
アッシリア人の言語、文化、宗教はアッカド的で住民はアッカド名を帯びている。
「シュメール・アッカドの真の保全者」を自称する故にアッシリア王イルシュマはバビロニア侵略時
「アムル人とエラム人の支配からアッカド人を解放する」と言って誇った。
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