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近代主権論の歴史

1名無しさん:2014/04/11(金)14:07:56 ID:B3mOiwpuO()
ジャンボダン(1530年 - 1596年)
ユグノー戦争の混乱期を生きた。
アリストテレス主義の科学的思考を異端発生の元凶とみる。
カトリックでありながらヘブライ語の聖書の昔に戻ることを夢見る。
神の法・自然法に従うものこそ主権者。
307名無しさん@おーぷん :2017/03/11(土)12:19:50 ID:6hE
統治機構の決定が最終的なものになるためには、民意による統治機構に対する安定的な支持が必要・・・と言えいいのかな。
308名無しさん@おーぷん :2017/03/12(日)01:02:43 ID:01t
極右勢力の居直り強盗的な空威張りが始まる。 憎悪の差別感情を煽り、国民に全体主義的な犠牲を強要しようとする「ならず者の #ネトウヨ 」についての実態解明と責任追及は、破壊された日本の民主主義の回復にとって必要不可欠。 #森友学園 #自民拒否 #kokkai #パヨク #左翼
309名無しさん@おーぷん :2017/03/12(日)01:03:02 ID:01t
161‏ @hiroichi0710 · 11時間11時間前


 その他




































16号「正しい事のために戦う事は罪ではない。話し合いなど通用しない相手もいるのだ」

いや、もーほんとその通りっす
どっかのお花畑連中にもきかせてやりたい

#ドラゴンボール #16号 #名言 #左翼 #パヨク
310名無しさん@おーぷん :2017/03/12(日)01:04:02 ID:01t
唯物論のひとたちには、相手も唯物論者に見えるわけか・・・
311名無しさん@おーぷん :2017/03/13(月)03:43:36 ID:zwl
法治大統領。
大統領の権力行使を受けて生まれるルールが
一般社会に規範性をもって受け止められるという意味かなあ・・・?

その意味で、シュミットが法のメルクマールとした
形式的平等の概念は死んでいないです。
312名無しさん@おーぷん :2017/03/13(月)03:45:08 ID:zwl
一定程度の形式的平等がなければ、
現代の人々はそのようなルールに
義務付け的性格を感じない・・・わけです。
313名無しさん@おーぷん :2017/03/13(月)03:53:24 ID:zwl
法の義務付け的性格が社会からしか調達できない
というラスクの主張を受け入れなければ
法は一般的抽象的規範であるという見解を採用できない、と
いうわけです。

そういう立場をとるならば、
純粋法学のケルゼンの主張どおり、
司法も立法も同一の作用とみるのが
論理的に一貫します。
314名無しさん@おーぷん :2017/03/16(木)04:15:42 ID:Vwb
一般的には投票率が低いのが望ましく、現状に不満がある
少数派の声を拾い上げるために普通選挙制度があると
エリート民主主義者は説く。

その議論の問題は、少数の支配者層が国家を根拠なく私物化
していると批判されたとき、反論のしようがないこと。

大衆の政治的関心をポピュリズムと切り捨てるのならば
大衆の無知を主張して普通選挙制度自体の廃止を目指すべきだろう。
315名無しさん@おーぷん :2017/11/18(土)23:45:15 ID:mlj
民の圧倒的多数が、鼓腹撃壌していて、極少数の不満分子しか投票しない選挙により成立した国会や国会で選ばれた内閣や内閣が選んだ最高裁の裁判官に、

投票した極少数の不満分子の福利の為だけの国政ではなく、鼓腹撃壌してて投票に行かなかった圧倒的多数の福利のためにも国政を実施するよう義務付けるのが憲法。

日本国憲法だと国民全体の福利の為の奉仕を公務員に義務付けているのが第一五条二項。

この奉仕の対象者=国政の福利の享受者=立憲の利益の享受者が、法により定められた主権者。

国政により国民が福利を享受出来ているかどうかは国民にしか判らない。

そのため、国政の福利の享受者である主権者を国民とする立憲民主主義は、国民を代弁する権威ある議会を必要とする。
立法権を振ります為の議会ではない。

日本国憲法第15条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
4 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

有老人、含哺鼓腹、撃壌而歌曰、「日出而作 日入而息 鑿井而飲 耕田而食
帝力何有於我哉」
老人有り、哺を含み腹を鼓うち、壌を撃ちて歌ひて曰はく、
「日出でて作し 日入りて息ふ 井を鑿ちて飲み 田を耕して食らふ
帝力何ぞ我に有らんや」と。『十八史略』
316名無しさん@おーぷん :2017/11/19(日)20:10:00 ID:mEz
Wikiよりコピペ

…1820年
合衆国最高裁における初期の判決Chisholm v. Georgia, 事件においてジョン・ジェイ最高裁長官は、以下のように述べた。[4]
国または国家の主権とは、統治する権利である。国民または国家の主権とは、一人の人または、住んでいる人たちである。欧州においては、主権は国王に与えられている。ここ(合衆国)では、人民(the people)に存する。
欧州では、主権は実際に政府を運営させている。ここでは、決して単一の人またはものに存在しない。我々の州知事たちは、人民の代理人であるし、人民と州知事たちとの関係は、国王と摂政の関係に代わるものでしかない。  

別の最高裁判例である、Yick Wo v. Hopkins,事件において、最高裁長官Matthewsは以下のように記述している。[5]
我々が政府の機関の理論と性質や、よって立つことになっている原理を考えて、これらの発展の歴史を眺めるときに、私有的かつ恣意的な力の振る舞う余地を残すことを意味することはないと結論せざるを得ない。
主権それ自体は、もちろんのことであるが、法に従わない。主権は法の著者であり、源である。しかしながら、われわれのシステムにおいては、権力としての主権(sovereign powers)は政府の官吏たちに与えられているが、主権それ自体(sovereign itself)は、人民に存する。
そして、政府の存在意義は、主権それ自体にあるのであり、政府の行動は、主権それ自体によって立つものである。そして法は、権力を定義して制限する。実際には、権力が最終決定の権限である何者かの手を通して行使されることは正しいのである。
そして、単に多くの行政の場合においては、責任は、純然たる政治的なものであり、(中略)、参政権の手段や、世論の圧力によってその責任は問われるだけである。
しかしながら、個人が保有しているとみなされる、基本的な生命、自由、幸福追求の権利には、憲法的な法の格言によって保護されている。
そして、この憲法格言は、人間に正当かつ平等な法の統治の下における市民的恵みを保障するための争いにおける勝利的な進歩の記念碑なのである。

これらの判決では、主権を意味する単語"sovereignty, sovereign"が、現在の解釈と異なることなく用いられている。…

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