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近代主権論の歴史

1名無しさん:2014/04/11(金)14:07:56 ID:B3mOiwpuO()
ジャンボダン(1530年 - 1596年)
ユグノー戦争の混乱期を生きた。
アリストテレス主義の科学的思考を異端発生の元凶とみる。
カトリックでありながらヘブライ語の聖書の昔に戻ることを夢見る。
神の法・自然法に従うものこそ主権者。
2名無しさん :2014/04/11(金)14:10:56 ID:B3mOiwpuO()
ボダンは家父長制より国王に国内の主権(統治権)があるとした。

ただ、注意するべきは神の法・自然法に従っているか否かの判断者は、
神学者━━ボダン━━であったということである。
3名無しさん :2014/04/11(金)15:09:09 ID:B3mOiwpuO()
古の聖賢にならうという点では儒教を想起させる。
そんなことを言えばプロテスタントはみな同じかも。

彼の思想はカトリックを否定する部分があり、彼の著作は
禁書処分にされる。
4名無しさん :2014/04/11(金)16:03:09 ID:B3mOiwpuO()
フッカー(1554年ころ‐1600年)
英国国教会の聖職者。
主権者=聖書のモーゼの地位=正義論も含む立法者・法解釈権者。
社会契約論。
人民の支持があればローマ教皇と対等。
5名無しさん :2014/04/11(金)16:08:25 ID:B3mOiwpuO()
誰が社会正義を決めているのかという国教会流の主権論に従えば、
ボダンにおける主権者は神学者ということになるだろう。

中でもモーゼの正統を称する教皇。
6名無しさん :2014/04/11(金)16:15:27 ID:B3mOiwpuO()
トーマス・ホッブズ(1588年-1679年)

国教会の聖職者の子。
主権者=聖書のモーゼの地位=正義論も含む立法者・法解釈権者。
フッカーと同じ。
この点、フッカーの影響を梅田は推測する。

人々は権利を主権者に「委譲」する。

主権=国政の在り方を最終的に決定するもの、という公式。
7名無しさん :2014/04/11(金)23:58:22 ID:B3mOiwpuO()
「万人の万人に対する闘争」

原罪説。
8名無しさん :2014/04/12(土)14:39:38 ID:0rLtKWQTY
人々は権利を主権者に「委譲」する際に、主権者は社会契約に入らない。
拘束されない。
9名無しさん :2014/04/12(土)15:19:14 ID:0rLtKWQTY
ジョン・ロック(1632年-1704年)
人々は権利を主権者に「委託」する。
公共の福祉に反したか否か人民の過半数で判断。
抵抗権。
10名無しさん :2014/04/13(日)01:41:53 ID:5DDMPXLZm
フッカー・ホッブズ・ロックの社会契約論はそれぞれ違う。
フッカーは人民全体の同意で主権者に権利委譲。
ホッブズは個々人の同意で主権者に権利委譲。
ロックは個々人の同意で社会形成し、政府に権利を委託。
11奈落 :2014/04/13(日)17:38:51 ID:7i5QKPQZ4
売春禁止法を改正して、風俗関係店の関連している物たち
を強制的にエイズ・梅毒・淋病・クジラミラなど検査
を実施し、かかわる連中の名簿・DNA・指紋などデータ
を公安・警察は把握する。
12名無しさん :2014/04/13(日)17:48:25 ID:5DDMPXLZm
リベラーズ運動。
内面的自由と外面的自由の融合。
原罪説の否定。
聖書のアトス書、人間は神に愛されているという話の強調。

ロックはそういう時期に青春時代を過ごした。
人間観がホッブズと異なる。

財産的自由も自然権とした。
13名無しさん :2014/04/13(日)17:51:30 ID:5DDMPXLZm
天賦人権説。
渋谷「ピューリタニズム思想と革命」
人民協約に参加する自然法を理解できる者には人権を認める。
世界人権宣言でも、動物と異なり人間は理性を働かせる点が人権の基盤。
14名無しさん :2014/04/13(日)21:39:02 ID:5DDMPXLZm
ディウッド・ヒューム(1711–1776)

社会契約論を盾にして、暴動の頻発する時代。
黙約論を唱える。
広い意味では、社会契約論の変種と考えてよい。

社会契約というが、国歌の成立時には契約のような明確な取り決めはない。
たとえ、あるとはしても契約は利益のみに基づく(注・後に、約束は利益以外の神聖なものに基づく場合もありうることを認める)。
全体としてうまく行っているときに、小さな違反を理由に暴動を起こすな。
15名無しさん :2014/04/13(日)21:43:27 ID:5DDMPXLZm
ロックの「人間知性論」の後をうけて「人性論」

国家が悪をなす必要もあることを認める。
船員の強制徴兵制度を違法であるが有効とした。

国際状況からその制度は必要悪として存続させねばならないが、
社会正義に反する違法なものであることは意識。

いつか機会があれば是正すべき。
16名無しさん :2014/04/13(日)21:47:13 ID:5DDMPXLZm
統治行為論・・・
ロックも国家の目的に「公共の福祉」の他に「国民の安全と権利の保持」をいれている。

後者のために「公共の福祉(社会正義)」に反する措置も国家はとらねばならない。

ただし、それが不正義であることは忘れてはいけない。
いつの日か国民は是正するべき。

ヒュームも、また、正義論を含む法の解釈権、国教会流の主権を国民に認めていた。
17名無しさん :2014/04/13(日)21:53:04 ID:5DDMPXLZm
ヒュームはマキャベリを評価していた。
国家が悪をなす必要性も認める。
ただ、必要がなくなれば是正するべきだと。

後にヘーゲルも取り組む問題。
18名無しさん :2014/04/13(日)21:59:41 ID:5DDMPXLZm
自国防衛のための中立国の占領など、国家が国民の安全のためにのなす不正義の問題。
ヒュームは国教会流の主権による社会正義の判断の外においた。
不正義が必要でも機会があれば是正しよう。
哲学者として珍しく温厚な紳士として知られるヒュームらしさ。

ただ、「不正義は許せない」という反乱を許容する余地は残る。
19名無しさん :2014/04/15(火)01:46:58 ID:eEhzcACBU
約束は利益に基づくとするヒュームの約束論は、アダムスミスの国富論。
ベンサムの功利主義につながる。

それは、JSミルの愚行権こみの自由論をうむ。
理性の法など理解できそうもない下層階級にも参政権をもたらす。
20名無しさん :2014/04/15(火)05:17:36 ID:eEhzcACBU
ミルは、真の社会正義を生み出すには、色々なひとが参加することが必要ということを理論だてた。
21名無しさん :2014/04/23(水)14:58:44 ID:fjYYID1xW
国民の同意のもとに成立した成文憲法は命令の集積体で、憲法そのものが主権者となり、国民は「潜在的な」主権者となるとする論者もいる(ギゾーの法主権論)。゜
その議論によれば、憲法制定時の国民の同意が日々の統治行為に正当性の根拠を与え続けることで国政の在り方を最終的に決定するとする見解に至る。
22名無しさん :2014/04/24(木)00:39:06 ID:KFOWSZ3QW
ヘラーの理論は、規範的なものとしての倫理的法原則を想定するとと
もに、「実在し、代表され得る一般意思」を承認するところにその特徴が
ある。そして一方で、一般意思の内容を確定する機関として議会はもは
やその力を失ってしまったと考えるc.シュミットに対するとともに、
他方で、一般意思の実在をそもそも否定するケルゼンに対して批判を加
えるのである。16)

http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=6&ved=0CEEQFjAF&url=http%3A%2F%2Fharp.lib.hiroshima-u.ac.jp%2Fonomichi-u%2Ffile%2F1556%2F20081113005951%2Ftandai(471)(Mizobuchi).pdf&ei=19ZXU6KOI8f08QXt1IGIBQ&usg=AFQjCNGV7v5w7YOAnI6mhSLEFxqKGmxZJQ
23名無しさん :2014/04/24(木)00:43:48 ID:KFOWSZ3QW
>ヘラーは、シュミットの考える「天才の即興による国家的統一」が迷
信であるのと同様に、国民から自動的に国家的統ーが生まれるという考
えも全くの迷信であるという。31)民主制においても代表者による独立した
決断は不可欠である。問題はそのような代表者の決断が「一般意思によ
ってそのようなものに他ならないと理解された憲法Jの枠内で行われた
かどうかということであり、その判定も法学的にのみなし得るのではな
く、社会学的な国民意識、国民感情の検討も必要とされる。

同意。
24名無しさん :2014/04/25(金)08:23:45 ID:PFqTbI1WP
ボダン 立法権を中核とする近代主権概念
自然法に従う立法は神の定めた法に等しい。

デカルトの懐疑論
神の定めた法は理性で解釈できるよね。

ボシュエの「世界史叙説」
「国王は神の使者」
他の自然法の解釈権を許さず?

ヴォルテール
25名無しさん :2014/04/25(金)09:47:14 ID:PFqTbI1WP
1661年、ルイ14世に王位が移り、宰相制度を廃止し1人で政治を動かすようになった。この時期になると絶対王政の土台は出来上がってきており、ルイ14世はまず国務に関する決定を全て自ら行うようにした。行政機構の整備が行われ、国務会議の出席者及び各部門の責任者に側近を登用するなどして貴族の権威を低下させ、中小階層の登用で権力を強化した。そのほか高等法院から建言権を取り上げ、高等法院の抵抗を排除した。

http://www.kanekashi.com/blog/2012/07/001896.html
26名無しさん :2014/04/29(火)08:09:52 ID:74fBaWyup
ロックの社会契約論。

ヒュームの功利主義。→抵抗権の正当性が認められる場面の限定。
アメリカのビューリタンたちの教育重視。→抵抗権についての決定を適正に行使できる人々を育てよう
バークの父祖の法の重視。→抵抗権についての決定を適正に行使できる人々に委ねよう
27名無しさん :2014/04/29(火)08:35:16 ID:74fBaWyup
ヒュームの功利主義は、あらかじめ社会の不満を立法に吸収するべくJSミルの普通選挙制に発展するものであった。
ピューリタンたちの思想はウェーバーの価値相対主義などへ。
28名無しさん@おーぷん :2014/05/01(木)19:48:48 ID:F3rJjqGFe
国内において、制定法(lex)が機能するためには、
以下の条件を充たさなければならない。

① 国内で社会正義(jus)がある程度まで共有されていること
②制定法(lex) がその正義を反映していること
29名無しさん@おーぷん :2014/05/07(水)07:29:47 ID:kXfloWPw4
法律(制定法、lex)が法(社会正義、jus)を反映していなければ、造反の理由になる。
国内の法(社会正義、jus)が分断されていたら、誰かにとって正義が誰かにとって不正義となり、これも造反の原因になる。
人々に共通の法(jus)があっても、それに愛着を持っていなれば、やはり造反は簡単に起きる。
30名無しさん@おーぷん :2014/05/07(水)07:32:36 ID:kXfloWPw4
愛着を持たないことは許されるのか(自由論の問題)。
31名無しさん@おーぷん :2014/05/09(金)23:14:29 ID:SEuzc4xgi
アトム型個人観を前提にすると、世論は「全体意思」であり「一般意思」ではない。
「一般意思」を実現するために個人はあらゆる権利をいったん政府に「委譲」する。
そして、政府は無制限の権力を握る。
ルソー=ジャコバン型民主主義。
32名無しさん@おーぷん :2014/05/09(金)23:26:03 ID:SEuzc4xgi
法学者の机の上の客観的正義でもって権力を拘束しようという試み。
それはヘラ―がケルゼンをからかったように法主権ではなく法学者主権と呼ぶべき(注)。
法学者が政府の側に取り込まれた時点でその試みは終了する。
中国の清朝。共産主義国家圏。
政府はその気になれば御用学者を量産できる。

(注)
ケルゼンの弟子のメルケルは法学者主権論を唱える。
33名無しさん@おーぷん :2014/05/09(金)23:32:21 ID:SEuzc4xgi
そうやってできた「一般意思」による法律(lex)に
どのように国民が自発的服従したくなる権威を与えるのか。

ルソー「思想に問題のある奴は追放」
ジャコバン派「思想に問題のある奴はギロチン」
共産主義者「思想に問題のある奴は強制収容所」

なるほど、自発的服従をしない連中を間引いていけば、自発的服従するひとたとちだけが残る、と。
34名無しさん@おーぷん :2014/05/13(火)06:10:44 ID:HmTeb28Sc

プラトン・・・自由は社会混乱のもと
アリストテレス・・正しい使い方をすれば価値がある
キケロ・・・自由になるには、国法に敬意のこもった服従。
アゥグスティヌス・・・ローマ教会の示す神の意思に沿えば価値がある
トマス・アクィナス・・・自由は半分の善(神の意向に向かう可能性がある)。
マキャベリ・・・経済的に豊かになるから自由は喜ばれる。
カルヴァン・・・世俗のことについては教会の言うことにこだわらなくても自分が神の意思に沿うと思うことをすれば価値がある。
ホッブズ・・・理性で以て手段選択をなしうる。法秩序の安定を視野に入れて状態としての自由に重点。
ロック・・・会衆派。教会の言うことにこだわらなくても自分が神の意思に沿うと思うことをすれば価値がある。状態としての自由と行為としての自由の融合。抵抗権。
ヒューム・・・神のため国のためという目的論を回避。自由の特別な倫理的価値を剥奪。秩序のためには行為の自由よりも状態の自由。功利主義と保守主義。
ルソー・・・個人の自由でなく、全体の自由。
JSミル・・・強制された善行に意味はない。愚行があるからこそ善行がある。愚行の自由にも社会的な価値を与える。
35名無しさん@おーぷん :2014/05/17(土)06:58:42 ID:37PiOnDN4
モンテスキュー。(1689-1755)
フランス絶対王政の批判。
基本法の支配。

マルブランシェの一般意思論導入。

中国の仁愛政治。
「官僚は人民の保護を目的とする」

法律の正当性は、人々の一回限りの承認ではなく、人々の生活の安定。
36名無しさん@おーぷん :2014/05/17(土)07:12:59 ID:37PiOnDN4
モンテスキューの立憲主義。
シュミットの委任独裁と主権独裁の区別によれば、高等法院の委任独裁。
ただ、モンテスキューの理解だと、高等法院でははなく君主が主権者であっただろう。

主権独裁下の立憲主義。
シュミットは市民法治国家たることの決断に求める。

佐藤幸治は自己拘束を結婚に喩えたが・・・
37名無しさん@おーぷん :2014/05/17(土)08:31:44 ID:37PiOnDN4
シュミットは、法治国を市民的法治国ととらえて、市民的自由を基礎におき、その構成要素として配分原理としての基本権と、組織原理としての権力分立を掲げる
http://www.fuko.co.jp/tayori/tayori_012.html
38名無しさん@おーぷん :2014/05/18(日)08:05:39 ID:nHMUizDQ6
モンテスキューやルソーが儒教の影響を受けていること。
「国民の生活を安定させること」が法律の正当性を保証する。

日本では、ルソーが儒教精神によって蝕まれたというのは大嘘。
むしろ、儒教思想の下地があったから、ルソーの教説が受け入れられやすかったのだろう。
39名無しさん@おーぷん :2014/05/21(水)11:04:08 ID:X9PxSnNZm
ロックの「政府=公僕論」
なぜにいきなりそのような発想が飛び出したのか違和感を覚えていた。
彼もまた中国宣教師経由の儒教の影響下にあったのだろう。
40名無しさん@おーぷん :2014/05/30(金)23:02:52 ID:aeDeWg01o
ギリシア奇譚集に「王=民衆の奴隷論」
統治契約においても「政府=公僕論」とするタイプはあった。
むしろ、その方が主流だったかも。
だからこそ、ホッブズかな。
41名無しさん@おーぷん :2014/06/12(木)20:54:27 ID:xI6EV11Ie
ボダンの主権論は
主権独裁にも委任独裁にもなりうる要素が含まれていた。

「国家論」

アンリ3世には、主権独裁を勧めているように読んでほしかっただろう。
実現したかったのは、委任独裁。

実際のところ、主権独裁をなしえた君主は世界史上に稀であろう。
42名無しさん@おーぷん :2014/06/21(土)21:07:28 ID:XWQTdfIjm
ボダンの王権神授説。
国家と家の類比はあるが、神が父親に与えたような権利を
君主が持っているとは言っていない。

今、国家論の英訳を読んでいる。
43名無しさん@おーぷん :2014/06/24(火)14:41:58 ID:sGSOOTUsa
ボシュエvsシモン

1 ラテン語聖書の権威
2 聖書の原典からの変化の可能性について
3 自由
4 訳し方
44名無しさん@おーぷん :2014/06/28(土)02:25:54 ID:DOKy811Iy
法と善。

ボダン他・・・逸脱がすぎると神罰。
ルソー・・・一般意思の法律は善なる目的のもの。
ヒューム・・・国家防衛のために民間の土地を接収するなど
       道徳的に許容されない法律もあるが有効として
       おいて不要になれば廃止。
ヘーゲル・・・個人の善と国家の人倫は異なる。 
45名無しさん@おーぷん :2014/06/30(月)00:07:04 ID:rXl7RGt57
モンテスキュー
過激な制限君主制。
46名無しさん@おーぷん :2014/06/30(月)07:36:12 ID:rXl7RGt57
デカルト主義者のボシュエ。
フランスにおける国制変更の論議に道をつける。
47名無しさん@おーぷん :2014/06/30(月)07:42:01 ID:rXl7RGt57
儒教経由の徳治主義。
デカルト→マルブランシェ経由の宗教的寛容。
貴族出身。

モンテスキューが国制変更を論じた動機。
48名無しさん@おーぷん :2014/07/03(木)06:07:54 ID:O5nUcfHYT
モンテスキューの権力分立制。
主権者たる君主に認められるのは執行権のみ。

マルブランシェの一般意思。
立法権が執行権・裁判権よりも上位のものと捉えていたことは間違いない。

イギリス留学。
彼よりも三権分立を先に唱えた人々。

なぜに違和感をおぼえなかった?
ローマ法。
高等法院の伝統。

果たして、モンテスキューの権力分立の狙いは何だったのでしょう?
49名無しさん@おーぷん :2014/07/03(木)06:11:18 ID:O5nUcfHYT
君主の権威を高めるためってえのは、
建前でも理由のひとつにあげられなければいけない。
50名無しさん@おーぷん :2014/07/07(月)13:30:47 ID:riBp9OcBl
主権は必要。
しかし、政府の権力が個人の自由の侵害につながることは警戒を要す。
51名無しさん@おーぷん :2014/07/07(月)13:40:08 ID:riBp9OcBl
権力分立など統治システムをいくらいじっても
権力の濫用のための抜け穴は必ず見つかるのだから
治者と被治者の同胞意識を育てよというミルの見解は
傾聴に値する。

米国の初期の植民者たちの教育重視。
ヘラーの公開議会による国民議論の活性化。
ムフやウォルァーは国民全体利益の討議によって国民意識を育てることを説く。
52名無しさん@おーぷん :2014/07/07(月)13:44:39 ID:riBp9OcBl
ただ、同胞意識の涵養もそれはそれで難しい。
統治システムの工夫に限界があるとしても
個人の自由の保障のためには一定の有効性はあるのだから、
それを併用する価値は十分にある。
53名無しさん@おーぷん :2014/07/07(月)13:51:41 ID:riBp9OcBl
議院内閣制。
行政の迅速化。
迅速対応が必要なこともある。
大きな政府。
54名無しさん@おーぷん :2014/07/10(木)04:07:02 ID:HAR8y0lCB
①最良の人々に政治的主導権を握らせるため、他の統治権力を分割し対立均衡せしめる。
②最良の人々が堕落しないために彼らの統治権力も限定する。
55名無しさん@おーぷん :2014/07/10(木)04:43:07 ID:HAR8y0lCB
誰が最良の人々なのか。
最良の人々の法は主権者を拘束できるのか。
どのぐらいの権限を与えると最良の人々の堕落が始まるのか。
権限分割のデメリット。
56名無しさん@おーぷん :2014/07/11(金)18:58:35 ID:csLUSTlk0
ホツブズについて語ろう。

「神の善悪と人間の善悪は違う」 
ジェームズ1世が近いことを言った。

「モーゼ」
それはフッカー。
57名無しさん@おーぷん :2014/07/12(土)01:48:25 ID:7J9sIpmNX
梅田百合香「ホッブズの宗教と思想」を読み直す。(善なる目的に向かう神との共同の)人民の意思決定のみが主権の源泉たりうる。
58名無しさん@おーぷん :2014/07/15(火)10:16:53 ID:x2t4WwejG
人民の同意が主権の根拠たりうるためには、

①教会以外に権威を認めること
②現実の人民に契約能力があると解されること

が必要だった。
さらに言えば、

③その契約が神聖なものであること

が求められる。
59名無しさん@おーぷん :2014/07/16(水)21:07:27 ID:CekGfKrt1
法義務は倫理的なものでなければいけません。
ロールズの正義の倫理性をうらづけるものは何なのでしょ。
60名無しさん@おーぷん :2014/07/16(水)21:19:18 ID:CekGfKrt1
主権の目的は、共通善なのか、正義なのか。

多民族国家→一つの善を押しつけると国家分裂。
→国内のあらゆる集団が共通に同意できる最小限度の善を正義と呼ぼう。。ほ

愛のある話し合いを通して全体利益を考える枠組み
→同胞意識→少しずつ共通善をつくりあげるべき。
61名無しさん@おーぷん :2014/07/16(水)21:26:58 ID:CekGfKrt1
国内分裂の危機がある場合には、
正義の内容を注意深く探りつつ、
それを超える立法を禁止するべきだろう。

しかし、共通で同意できる正義は
ややもすれば無内容になり、
法の権威を失わせしめる。

国内統一のために、ゆっくりと
共通善をつくりあげていく作業も怠らない方がいい。
62名無しさん@おーぷん :2014/07/17(木)00:07:10 ID:eqzKtRxQS
ホッブズの戦略というのは、ロールズに似ている。
誰もが否定しえない最小限のことを目的に据える。
63名無しさん@おーぷん :2014/07/17(木)00:10:18 ID:ydmmJfmCp
契約の目的は善でなければいけない。
善なる目的に向けられた場合、恩寵先行説によれば、神との共同の契約になるのである。
64名無しさん@おーぷん :2014/07/17(木)00:13:07 ID:ydmmJfmCp
約束を権威づけられるものって、
神とか国家とか同胞意識とか・・・
65名無しさん@おーぷん :2014/07/17(木)00:42:19 ID:ydmmJfmCp
自発的服従

利益のみでは不安定・・・
同じ種類の利益をそれ以上に提供する別口が現れたらおしまい。
66名無しさん@おーぷん :2014/07/17(木)00:47:33 ID:ydmmJfmCp

必要なのは共通善ではなく同胞意識なのかも。
67名無しさん@おーぷん :2014/07/18(金)14:00:08 ID:dFvkHYMVQ
ホッブズの議論においても、
「生命と身体の安全のために何はおいても結束だ」
という意味での公的良心は持ちうる。
68名無しさん@おーぷん :2014/07/19(土)22:47:31 ID:5I0peQGDX
主権の淵源と行使を分離するべきか否かという問題は、人間観が問われる。
69名無しさん@おーぷん :2014/07/19(土)23:10:48 ID:5I0peQGDX
人民の範囲は、キリスト教徒であれば、限定できなくなる。
少なくとも参加の可能性は開かれなければいけない。
70名無しさん@おーぷん :2014/07/20(日)16:15:32 ID:DdW4McFdi
あらゆる人々の資質は変わらない→人民による直接権力行使
普通の人々にも自らの利益を守る代表を選ぶだけの見識はある→普通選挙で選ばれた代表による権力行使
少数の有識者に人々の利益を護る代表を選ぶだけの見識はある→制限選挙で選ばれた代表による権力行使
人民には必要な知識・訓練を理解できない→専門家による権力行使
71名無しさん@おーぷん :2014/07/20(日)16:28:01 ID:DdW4McFdi
主権の淵源を国民に求めながら、
行使を他の優れた資質の人々に求める事例・・・

法主権論のギゾー、ケルゼン
フランス革命時の王党派のムーニエ
72名無しさん@おーぷん :2014/07/20(日)16:38:24 ID:DdW4McFdi
法の整合性を重視したケルゼンは法主権を唱えた。
73名無しさん@おーぷん :2014/07/20(日)16:39:32 ID:DdW4McFdi
主権の淵源を国民に求めながら、
行使を他の優れた資質の人々に求める事例・・・

理性主権・・・ギゾー
君主主権・・・ムーニエ
法学者主権・・・メルケル
74名無しさん@おーぷん :2014/07/20(日)18:16:11 ID:DdW4McFdi
主権の対内的絶対性をホッブズが説く。→モンテスキューの立憲主義

社会契約論の誕生。
主権の淵源と行使の分離をホッブズは説く。
ロックは社会契約に参加する人民の範囲自体を当初から限定?
75名無しさん@おーぷん :2014/07/20(日)18:55:57 ID:DdW4McFdi
主権の淵源と行使の分離

功利主義に基づく君主主権説。
功利主義に基づく理性主権説(主権=規範)
76名無しさん@おーぷん :2014/07/28(月)14:10:15 ID:3n7YxYqNj
一般に人民はアレ。

ホッブズの自然状態観。

ルソーはそれを社会状態と呼ぶ。

国家成立以前は無権利。
国家成立時にできた権利き全ていったん国家に無条件に譲渡しなければいけないとする結論は同じ。
77名無しさん@おーぷん :2014/08/05(火)22:36:07 ID:BqAbFWlpN
ロック流の社会契約論によれば、契約に同意する者だけが人民。
ホッブズ流によれば、同意は擬制しうるものになる。
78名無しさん@おーぷん :2014/08/05(火)23:09:48 ID:BqAbFWlpN
ピューリタン神学から自然権思想が生まれたという痕跡はある。
統治の目的。
自然権の保障。
ブルトゥスの統治契約にもあった。
79名無しさん@おーぷん :2014/08/09(土)08:33:26 ID:zLXmhJoEv

代表なき人民は群衆。実体はない。

→政府が全権を握る(ジロンド派)。
主権=権力。ジャコバン派が批判。

代表なき人民にも一般意思はある。
→誰にも最高決定権を持たさない制度の設計

主権は憲法制定権。
七月王政の主権凍結論。
主権の源泉と行使の分離。
80名無しさん@おーぷん :2014/08/09(土)09:03:57 ID:zLXmhJoEv
代表なき人民は群衆。
人民は本体をなさない。
ただし、一般意思。
人民の主権の内容に憲法制定権を認めるのは全て共通。

代表が真の人民として主権を掌握する(ジロンド派)。

誰にも最高決定権を持たさない法制度の設計(主権凍結論、シェイエス)
主権=規範とするノモス主権・理性主権に近い)。

ただ、潜在的に国民の意思による憲法制定権を認める点は異なる。

政治統一体としての人民の意思決定の可能性(ロック流の人民主権)
主権=監督権力。
公共の福祉に反しているかどうかあいまいなとき、
ロックは人民の過半数で決めるとした。
ヘラーは一般的と呼べるまで多数になることを要求した。
81名無しさん@おーぷん :2014/08/09(土)09:06:07 ID:zLXmhJoEv
人民の一般意思の代表に対する命令委任を要求したのがジャコバン派。
ただし、その解釈権が革命政府に握られたときはジロンド派と同じ結果になる。
83名無しさん@おーぷん :2014/08/18(月)04:50:38 ID:ShHzzaMux
芦部の主権論は、
ルソー流の主権無用論を基本に措きつつ、
96条の存在をシュミットの議論で
説明しようとする巧妙なものである。
84名無しさん@おーぷん :2014/08/18(月)04:54:32 ID:ShHzzaMux
国民の全体意思では、主権は行使しえない。

行使しえるとすれば、淵源と行使の不一致があると批判される。

一般意思のみが主権を行使しうる。
憲法改正権は、一般意思による基本的決断の制限があるからこそ、
ナマの国民が行使しうる。
85名無しさん@おーぷん :2014/09/04(木)00:33:42 ID:glFTNqiEj
主権=憲法制定権とする見解
主権=監督権力とする見解

立法が一般意思になるために、
多くの国民が従うことを要するとすれば、
両者の見解は限りなく接近する。
86名無しさん@おーぷん :2014/10/02(木)08:15:26 ID:SPp4uwPEk


主権は凍結できるか。
イエリネクは、主権者である国家を法の集積体として、主権の自己拘束を説いた。
カレ・ド・マルベールは、イエリネクの議論における国家を国民と読み替えて、国民を法の集積体としつつ、主権の自己拘束を説いた。

社会契約論を採用し、意思主権であるかぎり凍結しえない。
私人ですら自分で定めたルールに拘束されることがありえない旨はボダンもホッブズも指摘している。
佐藤幸次は結婚を私人の自己拘束の例に挙げるが、結婚はパートナーに対する拘束として説明されるべきであろう。
87名無しさん@おーぷん :2014/10/04(土)03:48:47 ID:73i3IgdMV
あれだな。。。
わかってきた。

まず、主権者を意思主体とみる意思主権と法の集積体とみる法主権がある。
88名無しさん@おーぷん :2014/10/07(火)04:47:53 ID:64NUK0zQ8

共同の意思決定をいかになしうるか・・・・
89名無しさん@おーぷん :2014/11/04(火)12:58:52 ID:205BvrsOy
1 共同の利害に関する問題は、一般意思のみが判断できる。
2 議会制民主主義の国では議会の意思が一般意思として推定を受ける
3 議会の意思が一般意思と明らかにかけ離れている場合、または、自らの判決の説得力で新たな一般意思を形成できるという場合、裁判所は議会の意思と異なる判断を下せる。
4 一般意思による承認を受けない場合、議会の判断も裁判所の判断もそれを受けるまでは違憲無効である。
5 4にもかかわらず、一般意思の承認が問題にならない事項については、各機関の判断は有効である。
90名無しさん@おーぷん :2014/11/28(金)03:16:31 ID:92O
法原則の中から法命題を取り出すものが主権者
91名無しさん@おーぷん :2014/11/28(金)05:32:06 ID:92O
法原則自体が主権者と考える。
主権=規範。

法原則から法命題を取り出すには意思的要素が必要である。
規範説はとりえない。
92名無しさん@おーぷん :2014/11/28(金)08:12:57 ID:92O

法とは何ぞや?
ハートの2次ルール。
法原則と法命題を区別する。
93名無しさん@おーぷん :2014/11/28(金)08:32:51 ID:92O
2次ルールは正義であることがほとんどであるが、
正義と無関係の根本規範とすることもある。
94名無しさん@おーぷん :2014/11/28(金)09:30:39 ID:92O
法原則と法命題を区別しない→実力説
法原則そのものを主権とする→規範説
正義としての法原則の形成を主権とする→正当性の根拠説
95名無しさん@おーぷん :2014/11/28(金)19:35:19 ID:mgt
2次ルールはひとがつくるのか神がつくるか
96名無しさん@おーぷん :2014/11/29(土)08:19:30 ID:nVt
ホッブズは絶対権力による状況的ストレスによって秩序を打ちたてようとした。
規範創出説的なアプローチ。機械的国家。
ヘーゲルは人々の中の欲望を踏まえつつ超人的官僚が規範を読み取る。
収斂説的なアプローチ。有機的国家。
97名無しさん@おーぷん :2014/11/30(日)14:55:40 ID:who
欲望と人倫を止揚するルールとしての根本規範(ケルゼン)
98名無しさん@おーぷん :2014/11/30(日)14:58:12 ID:who
ヘーゲルとヘーゲル左派のケルゼンはあまり変わらんとは言わない。
変化の幅の評価は相対的なものだから。
ただ、ヘーゲルの思考の延長線上にあるとは言えるだろう。
99名無しさん@おーぷん :2014/12/03(水)07:37:31 ID:Npv
神の法と人間の法の争い

ボダン→基本法は神の法だよね
ボシュエ→慣習は変えられるよ
ホッブズ→生命が自然権というのだけは神の法
ロック→財産権中心の自然権
ルソー→自律
ヒューム→すべての道徳は人間の法
100名無しさん@おーぷん :2014/12/03(水)07:41:08 ID:Npv
ヘラーの法原則は、ボダンの法(ius)と同じだから
正義論も含むものと考えるべきだろう。
101名無しさん@おーぷん :2014/12/03(水)10:19:14 ID:Npv
2次ルールと法原則とRMAを使い分けなければいけないってことかな。
102名無しさん@おーぷん :2014/12/04(木)21:57:02 ID:6Oh
ボシュエの王権神授説、
ホッブズ・ロック・ルソーらの社会契約論に至って、
「神の定めた動かしえない法」としての法原則は極小化される。

歴史的・文化的な伝統・慣習による法原則の存在の否定。
103名無しさん@おーぷん :2014/12/04(木)22:26:46 ID:6Oh
人間の手によって動かせない神の法・自然法の部分は論者が理論的に導き出す。
104名無しさん@おーぷん :2014/12/08(月)06:50:38 ID:Zim
自律の価値を前提にし、主権を憲法制定権とする見解は、
歴史・文化によっては人々の法(ius)を打ち破る危険がある。
105名無しさん@おーぷん :2014/12/08(月)06:51:19 ID:Zim
道徳的行動準則を打ち破る危険。
106名無しさん@おーぷん :2014/12/09(火)03:29:44 ID:u07
監督権力説を唱えたロックの見解によれば、
ひとびとの理性によって発見される
政治の法は完全に固定的と言わないまでも
固定される方向にむかう(真理が発見される)。

人々が政治的なことを考える必要はない。
107名無しさん@おーぷん :2014/12/09(火)04:44:46 ID:u07
政治の法としての憲法が常時に主権者の意思で変更しうる・・・
ルソー→シェイエス。
108名無しさん@おーぷん :2014/12/09(火)05:12:24 ID:u07
主権の統一・不可分性・永続性からすれば、
国民主権を成立させるには、
共同利益を考える政治統一体としての国民が不可欠。

これは2×2=4の自然法である。
109名無しさん@おーぷん :2014/12/09(火)05:14:27 ID:u07
共同利益を考える政治統一体というアイデアが
その地域の人々の道徳的行動準則に反するという場合、
それを押しつけることが亡国の道であるというのも
神ですら動かせない自然法。
110名無しさん@おーぷん :2014/12/10(水)02:18:58 ID:UMA
法の支配の「法」と憲法を同一視する立場から、
国民の主権を統治者が公共の法(憲法)に
反していないかどうか監視する監視権力である
とする見解もある。

2次ルールがないものを法と呼ばない立場からは採用できない。
また、統治者が公共の法に反していなければ
主権者たる国民が統治者から権力を取り戻せない
というのは、主権の永続性に反するしひいては
不可分性・統一性にも反する。
111名無しさん@おーぷん :2014/12/10(水)03:20:34 ID:UMA
2次ルールがない、法原則と法命題を区別しない
→実力説・監督権力説(ロック)・規範説(ギゾー)

法原則は個人の道徳的行為準則と無関係
→規範説(ケルゼン)・権限説(ヘーゲル)

法原則は個人の道徳的行為準則と関係
→立法権説(ボダン)・憲法制定権説(ルソー・シェイエス)
112名無しさん@おーぷん :2014/12/10(水)03:26:11 ID:UMA
2次ルールがない、法原則と法命題を区別しない
→実力説・監督権力説(ロック)・規範説(ギゾー)

法原則は個人の道徳的行為準則と無関係
→規範説(ケルゼン)・権限説(ヘーゲル)

法原則は個人の道徳的行為準則と関係
→立法権説(ボダン)・憲法制定権説(ルソー・シェイエス)・正当性の根拠説(ムーニエ)
113名無しさん@おーぷん :2014/12/10(水)03:34:30 ID:UMA
政治の法(憲法)のうち歴史・民族文化から生まれた部分に少なくとも一定の可塑性を認める
→憲法制定権力説
114名無しさん@おーぷん :2014/12/10(水)04:02:20 ID:UMA
政治の法(憲法)のうち歴史的に長く伝えられているものに少なくとも一定の可塑性を認める
→憲法制定権力説
115名無しさん@おーぷん :2014/12/11(木)06:53:47 ID:zrD
二次ルールの存在を認めず、
権力と実力を区別しなければ主権は
実力となる。
この見解は取りえない。
116名無しさん@おーぷん :2014/12/11(木)07:00:52 ID:zrD
法を法たらしめる二次ルールには、
ボダンが単に法(ius)と呼んだもの
グロティウスが法(ius)の3番目の意味として
道徳的行為準則と呼んだもの
グレイグがは法の支配の「法」の実質的内容としての
正義論と呼んだものが含まれる。

それをヘラーのごとく法原則と呼べば、
意思主権は「法原則から法命題を引き出す権利」
と定義づけられる。
117名無しさん@おーぷん :2014/12/11(木)07:05:29 ID:zrD
主権を正当づける正義論と
一般国民の中の素朴な法感情による正義論

2つの法原則・・・

どう呼び分けよう?
118名無しさん@おーぷん :2014/12/11(木)07:13:12 ID:zrD
いや、前者こそ法原則?
後者は国内の一般法感情

国内の一般法感情を無視する統治は
長続きしないことは
ハートも自然法として指摘。
(2*2=4は神でも変えられない、グロティウス)
119名無しさん@おーぷん :2014/12/12(金)05:53:56 ID:xgl
A:二次ルール
B:一般国民の道徳的行為準則
C:主権を正当化する法原則
D:国制(憲法)
120名無しさん@おーぷん :2014/12/12(金)05:56:55 ID:xgl
A:二次ルール
B:主権を正当化する法原則
C:一般国民の道徳的行為準則
D:国制(憲法)
121名無しさん@おーぷん :2014/12/12(金)06:01:02 ID:xgl
Aを否定すれば、実力説
法原則(B)から法命題を取り出すというのが立法主権。
ボダンはCとDによる制約を想定。
ホッブズ、ルソーは否定。
Dも法命題の一部で主権者が自由に決定しうることも
最も明確に説いたのがシェイエス。
主権=憲法制定権力。
122名無しさん@おーぷん :2014/12/12(金)08:12:01 ID:xgl
主権=憲法制定権力とする見解は、
憲法も自由に制定しうるとする点で
ボダンの主権=立法権とする見解と区別される。

ただ、Cを無視した統治は長く続くものではない
(ハートも指摘)するというのは、
グロティウスの言うところの
神でも変えられない自然法である。
123名無しさん@おーぷん :2014/12/12(金)08:15:32 ID:xgl
Cを順守することが国民主権であると
主権を手続的原理・制約的原理に
解消しようとする見解もあるが、
それでは王権神授説のボダンも
国民主権論者となる(なお、ボダンは
三部会で第三身分の代表として国王と
対立して失職している)。
124名無しさん@おーぷん :2014/12/12(金)08:17:36 ID:xgl
歴史的な国民主権・君主主権の概念を
まったく意義のないものにしてしまうので
支持しえない。
125名無しさん@おーぷん :2014/12/12(金)08:25:23 ID:xgl
人々が理性を発揮して神の法である公共の法を
発見できるとした上で、
BCDが一致することを前提に、
統治権力が公共の法に反しないかどうか
主権者である人民が監督するとして、
主権を監督権力とする見解もある。
126名無しさん@おーぷん :2014/12/12(金)08:30:36 ID:xgl
監督権力説によれば、
公共の法に反していない統治者を
主権者である人民がすげかえることができない。

ボダンの説く近代主権の性質からすれば、
主権者は自らの主権を分割して役所や代理人に
行使させることは当然に許されるが、
それを望むときにすぐに取り戻せなければいけない。
(主権の統一性・不可分性に由来する主権の永続性)。

監督権力説は、主権の永続性・統一性・不可分性に反する。
127名無しさん@おーぷん :2014/12/12(金)08:43:26 ID:xgl
理性によって公共の法(BCD)を発見できるのは
選ばれた理性のあるひとびとだけとした上で、
公共の法(BCD)そのものを主権者とし、
主権を規範とする見解もある(ギゾーの理性主権論)。

神の用意した公共の法としての憲法制定は
人間の意思の一切入りこまない客観的な作業
であるとする前提自体が疑問。
128名無しさん@おーぷん :2014/12/16(火)23:23:58 ID:5g6
前提1:二次ルールがなければ、権力と暴力の区別がつかなくなる。
前提2:国民の一般的な道徳的準則に反する統治は長続きしない。
129名無しさん@おーぷん :2014/12/24(水)02:40:28 ID:cPE
法(law)には、二次ルールが必要。
法(ius)には、正義論が必要。
130名無しさん@おーぷん :2014/12/24(水)02:56:37 ID:cPE
二次ルールは立法者(立法主権論をとるのならば主権者)らも動かせない。
二次ルールとしては、神の法、自然法、国民の間で自生的に生まれた公共の法が考えられる。
131名無しさん@おーぷん :2014/12/24(水)02:59:52 ID:cPE
二次ルールは立法者(立法主権論をとるのならば主権者)が動かすことはできない。
できるとすれば、二次ルールの定義に反するからである。
二次ルールとしては、神の法、自然法、国民の間で自生的に生まれた公共の法などが考えられる。
132名無しさん@おーぷん :2014/12/24(水)03:06:16 ID:cPE
国民の間で自生的に生まれた公共の法に
統治権力が制約されることをもって
国民主権とする見解もある。

国民主権を制度的原理・手続原理とする
見解である。

この見解によれば、王権神授説をとった
ボダンでも国民主権論者であったとする
奇妙な結論に至る。
133名無しさん@おーぷん :2014/12/24(水)03:09:01 ID:cPE
公共の法に反しているかどうかを
国民がチェックし、統治権力を監督する権力を
主権とする見解もある。

しかし、公共の法に反しない限り
統治権を主権者である国民の手元に
取り戻せないと言うのであれば、
主権の永続性に反する。ひいては
不可分性・統一性に反する。
134名無しさん@おーぷん :2015/03/29(日)16:24:32 ID:JpK
聖書の教えにのみ従って人々が幸せに暮らした共同体が歴史上に存在したとすれば、主権の性質として求められるのは正統性のみ。
135名無しさん@おーぷん :2015/03/29(日)16:30:54 ID:JpK
非人格的な法則の支配に従うのが自由の最大限の保障という法主権説。
136名無しさん@おーぷん :2015/03/29(日)16:46:33 ID:JpK
いつか全てのひとびとが古代キリスト教の敬虔深いひとたちのようになる。
歴史上成功例はあった。
人間は進歩する。

法主権論者にこれをやられてしまうと、手がつけられなくなる・・・
137名無しさん@おーぷん :2015/03/29(日)16:49:14 ID:JpK
すべてのひとの同意でなく一般的な同意というのなら、反論は簡単なの。
それって少数者に対する意見の押しつけじゃね?
非人格的な法則でも何でもないよ、と。
138名無しさん@おーぷん :2015/03/29(日)16:56:34 ID:JpK
民主主義では少数者が共同の決定に従うべきだと
言っても、少数者に対する愛情がなければ
共同の決定ではありません。

多数者の意見を反論不能な非人格的法則と
呼ぶところがが怖い。
139名無しさん@おーぷん :2015/03/29(日)17:34:09 ID:JpK
安易な嘘は主権の正統性を破壊するでしょー
140名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)02:12:01 ID:Dss
暴力をもって議会を制圧した集団がいるとしません。彼らによる憲法改正は認められるでしょうか? 
ケルゼンならば、憲法裁判所の判断を仰ぐでしょう。
しかし、法服貴族がおKだしたら合憲なの?とシュミットはやった。
141名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)02:13:14 ID:Dss
憲法の根本規範は、全国民が顔を出した上で、政治統一体にならないと変えられないよ、というのがシュミットの主張。
142名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)02:14:36 ID:Dss
シュミットが憲法改正阻止の役割の期待を大統領にかけた。

そのため、主権者は「国民なのか、大統領なのか」とヘラーはツッコミをいれる。
143名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)04:46:07 ID:Dss
人間の感情に端を発しない道徳はない
 ↓
存在だけで人々を従わせる自由な道徳的法則なし
 ↓
規範論破綻
144名無しさん@おーぷん :2015/04/18(土)20:36:58 ID:dnf
>>!43
探せば何かあるはず
145名無しさん@おーぷん :2015/04/18(土)20:37:49 ID:dnf
根本規範を誰がどう決めるかという問題を法主権論は対象にしていない。
最初から何かあるだろうとやる。
146名無しさん@おーぷん :2015/04/18(土)20:44:20 ID:dnf
議論の接点があるとすれば・・・

存在だけで人々を従わせる道徳的法則が
現実にあるとしても、
その法則によって意思決定がなされる
という構図を認めてよいのかなという問題
147名無しさん@おーぷん :2015/04/21(火)13:01:04 ID:r8y
社会契約論・・・

主権の淵源に関する議論は、
主権の目的となる正義論の議論につながる。
148名無しさん@おーぷん :2015/04/21(火)13:10:56 ID:r8y
とりあえず、誰か神に選ばれたひとが正義を独占するという話はなしになった。
149名無しさん@おーぷん :2015/04/21(火)13:27:39 ID:r8y
正義の判定が、義務が果たされたかどうかを見るのか
結果がどうだったのかでみるのか、
行為の動機を見るのか。

義務論・帰結主義・徳倫理学
150名無しさん@おーぷん :2015/04/21(火)13:28:24 ID:r8y
正義の価値を決めるのは、
感情? 理性?
151名無しさん@おーぷん :2015/04/21(火)13:37:10 ID:r8y
正義はどこからくるの?


歴史?
社会状況?
個人?

伝来説・価値創出説・感染説
152名無しさん@おーぷん :2015/04/23(木)22:47:23 ID:aTD

神の政治

・王権神授説
・統治契約論

人の政治

・社会契約論

   自然権保障のための公共の法
   隣人愛 

・社会黙約論

・国家有機体説
・国家法人説
153名無しさん@おーぷん :2015/04/24(金)11:07:34 ID:l4B
主権の目的として・・・

義務論・・・無根拠
帰結主義・・・どうとでも言えすぎる
徳倫理学・・・隣人愛が比較的安定
154名無しさん@おーぷん :2015/04/25(土)02:08:21 ID:EUq
倫理的法原則の衝突があれば決定権は君主。
とはいえ、君主も憲法が確定している場合はそれに従うべき。
倫理的法原則の衝突がない憲法を成立させるべく、国民も普段から立法に参加。
155名無しさん@おーぷん :2015/04/25(土)02:15:28 ID:EUq
国家主権説が意思主権説のバリエーションであるとしても、
アレだね。
個別的意思ではなく理性的意思を求める・・・
156名無しさん@おーぷん :2015/05/14(木)20:20:41 ID:kvr
不文憲法を認めつつ、変遷を認めないというのはどうだろう?
157名無しさん@おーぷん :2015/05/14(木)20:28:39 ID:kvr
ひとびとの無意識の普遍的正義を取り込むべきだとヘーゲルは主張。

国民主権下においても問題になる。
その取り込み方について、ボダン、ヒューム、ルソー、コンドルセ父娘は「配慮」を説いた。
ヘラー、ムフ、ウォルツァーは国民の政治的議論を盛んにして、無意識のものを意識にあげていく道を示す。
158名無しさん@おーぷん :2015/05/14(木)20:41:40 ID:kvr
ひとびとの無意識の普遍的正義を取り込むという主張が
少数者の専制につながるおそれ
 ↓
マルクスは唯物論
ケルゼンは自由の最大化・単純多数決絶対
159名無しさん@おーぷん :2015/05/14(木)22:05:15 ID:kvr

ケルゼンは難しいなあ・・・
明確な法的な手続過程の中で取り込んでいくべきという発想。
160名無しさん@おーぷん :2015/05/28(木)17:37:43 ID:jlI
「自分たちのことを自分たちで決めるのは正しい」
→憲法制定権

「神が関われば、自分たちだけで決められない」
→監督権力説

「自分の意識できる範囲の意思だけで決めるというのは理性的ではない」
→機関権限説

「憲法制定時の意思を変えられないように自己拘束した」
→正統性説
161名無しさん@おーぷん :2015/05/28(木)17:42:52 ID:jlI
「超実定法的な政治統一体なんて存在しないよ」
→国民主権を手続論に解消しようとする見解
162名無しさん@おーぷん :2015/05/30(土)11:30:46 ID:aJq
約束=義務とすると、反乱の義務となる。
これがベンサムのロック批判だったわけ。

ヒューム受け継いでいます。
彼は黙約論を唱えました。
163名無しさん@おーぷん :2015/05/30(土)11:32:38 ID:aJq
義務論の側からは、「得しなければ約束まもらないの?」と
功利主義を批判。

ヒュームは、個人の道徳について、功利主義
社会の道徳については、感情主義の二段構え。
164名無しさん@おーぷん :2015/05/30(土)11:37:18 ID:aJq
なぜ、社会正義は個人の善に優先されるの?

ルソー曰く「隣人愛だけが唯一の生来の徳性」
165名無しさん@おーぷん :2015/05/30(土)13:07:38 ID:aJq
群れの仲間に対する愛情という道徳は、
神の概念を導入しなくても、
普遍的といってもよいでしょう。
166名無しさん@おーぷん :2015/05/30(土)14:26:04 ID:aJq
事実としての社会正義があれば、
国民主権下では
それが主権者の意思によって
優先される可能性が高い・・・
167名無しさん@おーぷん :2015/05/31(日)13:42:15 ID:Izk
>日本共産党最大の悲願は天皇撤廃 どこが護憲政党なのか

私学助成や裁判官の再任原則が起草者の意向と明らかに違うのにもかかわらず
解釈改憲と呼ばないのと同じ理屈ですよ。

私は素直に解釈改憲だと呼ぶべきだと思うのですが。

ケルゼンの根本規範論。
絶対的価値を否定する絶対的価値相対主義から絶対的価値が生まれる。
このあたりのくだりは、長尾龍一が「自由の価値の密輸入」批判するところでもあります。

要するに、現行憲法が絶対的価値相対主義をとっていることを前提に
憲法学者が発見した根本規範に天皇制は背いているというわけです。

ただ、「絶対的価値を否定する絶対的価値相対主義から絶対的価値が生まれる」
という与太話を本気にするためには、自分の指の数も数えられない間抜けで
ある必要はあるでしょうね。
168名無しさん@おーぷん :2015/05/31(日)22:34:40 ID:Izk
ばらばらの立法で矛盾は生じないのか?
実定法の体系から考えて根本規範が生まれる。
その根本規範に則って、憲法裁判所が整理。
169名無しさん@おーぷん :2015/05/31(日)22:45:07 ID:Izk
ただね、憲法裁判所も公式の規範定立過程なのですよ。
法服貴族支配とシュミットは批判。
170名無しさん@おーぷん :2015/06/01(月)01:22:03 ID:Uvr
法学上に意思も含めてすべて権利義務の束で表現されるべき以上、
主権は規範であるというのは正しい。
171名無しさん@おーぷん :2015/06/01(月)10:05:34 ID:Uvr
シュミットに由来する憲法改正限界論
ケルゼンに由来する意思主権不要論
カントに由来する「真の自主性」論
シューペンターに由来する多元的エリート民主主義
マルベールに由来するナシオン主権論
172名無しさん@おーぷん :2015/06/01(月)12:09:27 ID:Uvr
国民は意思主体であると同時に意思主体ではないという不可思議なロジック。

173名無しさん@おーぷん :2015/06/01(月)15:12:17 ID:Uvr
国民主権の主体である国民は意思主体であるプープルと、法の集積体であるナシオンの側面があるという理解。
174名無しさん@おーぷん :2015/06/02(火)00:04:55 ID:wrc
自然人は主権者たりえない。
自然人が主権を行使するときには機関権限として行使する。
ナシオン主権説。
ゆえに制度化される。
175名無しさん@おーぷん :2015/06/02(火)00:17:35 ID:wrc
我が国の憲法は社会契約論に由来するといいつつ、
自然人は主権を行使できないとする
社会契約論批判のナシオン主権論を採用する矛盾。
176名無しさん@おーぷん :2015/06/02(火)03:14:33 ID:wrc
結局、芦部の国民主権って、イエリネク流機関権限説なんだ・・・
とはいえ、ケルゼンの影響もありーの
177名無しさん@おーぷん :2015/06/02(火)03:20:26 ID:wrc
自然人に主権を認めないという主張は、
「自分たちのことは自分たちで決めることに不正はない」という
自己決定権の教義に対立する。
178名無しさん@おーぷん :2015/06/02(火)03:24:10 ID:wrc
「自分たちのことは自分たちで決めることに不正はない」

無意識の感情も総合しなければ、理性的ではないという批判には一理ある。
ただ、それが「秘密に満ちた全体意思」をうむのではないのかね。
179名無しさん@おーぷん :2015/06/02(火)03:31:27 ID:wrc
プープルの存在を認めながら、
自己決定権を否定するのはうまくない。

カント的義務論。
プープルの存在を否定して制度原理・手続原理に組み替える動き。
180名無しさん@おーぷん :2015/06/02(火)03:39:42 ID:wrc
「自分たちのことを自分たちで決める」から、
「自由」も「平等」も必要とされたわけです。
181名無しさん@おーぷん :2015/06/02(火)03:44:27 ID:wrc
価値相対主義からは自由も平等も生まれない・・・
182名無しさん@おーぷん :2015/06/02(火)18:12:11 ID:wrc
ナシオンは意思がなく、目的によって構成。
個々の国民と支配・被支配の関係なし。
183名無しさん@おーぷん :2015/06/07(日)15:55:14 ID:4qx
チェッ ∧_∧::::
 (・ω・`):::
 .(__)>:::
 丶ノ|:::::
184名無しさん@おーぷん :2016/03/01(火)23:53:42 ID:lOJ
法学的考察では意思を考察できない。
主権=規範

(批判)意思を考察できないとすれば、
法学はその対象となる実定法を失う。
185名無しさん@おーぷん :2016/03/01(火)23:57:48 ID:lOJ
法学的考察では意思を考察できるけれども、
法文の範囲のみ。
正統性がもっとも高い政府機関が法内容を実定する。

人民主権の主権=正統性の付与
186名無しさん@おーぷん :2016/03/02(水)03:38:34 ID:rTx
人民投票的正統性がもっとも高い機関が実定するのならば
現実に運用されている内容の法とそれほど変わらないだろう
という理屈である。
187名無しさん@おーぷん :2016/03/03(木)18:01:00 ID:oCb
例外があることは、シュミットも認めている。

その例外が理論を破綻させるほどに多いものかどうか。
それは社会学に委ねばならない。
188名無しさん@おーぷん :2016/03/05(土)03:50:21 ID:uj2
法の実定性=法の妥当性=法の有効性

と、イエリネク。

ケルゼンは事実と当為の混同と不満。

法の妥当性=手続の出発点である根本規範に沿っているか
189名無しさん@おーぷん :2016/03/05(土)21:02:57 ID:uj2
民主主義社会において、
通常状態で、ツルの一声で
法を成立させ実定させるような
人民投票的正統性をもつ権威は出現しない。
190名無しさん@おーぷん :2016/03/09(水)14:28:41 ID:78E
国家が目的をもつ実在の人々の団体として把握されるのならば
あらゆる国内権力を総合する主権は存在しえない。

と、イェリネク。
191名無しさん@おーぷん :2016/03/09(水)18:41:32 ID:78E
国家を権利主体として考えると、
法に強制装置が必要であるとすれば、
憲法が法ではなくなる。

そこで、イェリネクは法のメルクマールを
保障に求めざるをえなくなった。
192名無しさん@おーぷん :2016/03/09(水)19:22:19 ID:78E
国家法人説によっても、
国家目的によって政府の権限範囲が画される。

だが、そこには個人は存在しない。
統治契約論・・・
193名無しさん@おーぷん :2016/03/10(木)16:04:50 ID:7j7
ボダンの列挙したようなものを全て含むのが
主権であるとすれば、
それは国家のメルクマールではない。
194名無しさん@おーぷん :2016/03/10(木)16:07:20 ID:7j7
主権は国家権力の総体として受け止められる。
人に向けられれば統治権、領土に向けられれば両年は意見。

国家が目的となるのであれば、
特定の個人・団体に国家権力は独占されることはない。
195名無しさん@おーぷん :2016/03/10(木)16:30:28 ID:7j7
歴史的にみて、国家が目的を掲げなかった例はなく、
そのような主権を存在した上で、
主権概念が消滅したと主張する論者をヘラーは
ドン・キホーテにたとえる。
196名無しさん@おーぷん :2016/03/10(木)18:22:49 ID:7j7
国家に目的は必要か否か
国家は客体か主体か
197名無しさん@おーぷん :2016/03/12(土)14:11:22 ID:eA7
主権的機関に与えられる権力には
何らかの目的があるのであって、

その結果、
特定の個人や団体が
主権的機関の権力(国内の最高権力)として
国家主権を単独で把握したケースは
歴史上存在しない。
198名無しさん@おーぷん :2016/03/12(土)14:33:44 ID:eA7
国家において重要な問題を
すすんで国民全体の議論に任せるというのは
ポピュリズムではない。
199名無しさん@おーぷん :2016/03/12(土)14:35:27 ID:eA7
むしろ政治的に未成熟な国民が
天才信仰・権威主義におちいり、
独裁者に投票するという方が危険。
200名無しさん@おーぷん :2016/03/12(土)14:43:17 ID:eA7
普通選挙のある国家では
エリート民主主義・密室政治による法は
実定性を継続的に失っていく
というのは例外的な事例ではない。
201名無しさん@おーぷん :2016/03/12(土)18:04:19 ID:eA7
人民の超実定法的な憲法制定権力を
法学的に考察できないとすれば、
法学はその対象となる実定法を失うだろう、とヘラー。
202名無しさん@おーぷん :2016/03/12(土)18:30:47 ID:eA7
人民の超実定法的な憲法制定権力

実定法の外部にあるから、超実定法的なだけであって、
法文の内容を実定するものであるから、法学的考察の対象となる
という理屈。
203名無しさん@おーぷん :2016/03/12(土)19:31:04 ID:eA7
超実定法的というよりも不文といったほうがいいな。
204名無しさん@おーぷん :2016/03/12(土)19:55:11 ID:eA7
半代表制
国家法人説の枠内で
人民が政府を拘束
205名無しさん@おーぷん :2016/03/12(土)23:14:59 ID:eA7
法のメルクマールをすでに生じた社会的規範の保障に求めると、主権は実力と解するしかなくなる。
それは当為と事実を混同し、法から当為としての性格を失わせる。
206名無しさん@おーぷん :2016/03/12(土)23:18:26 ID:eA7
法学的考察が現実の法文のみを対象とすると、主権は規範と解することになる。
現実でどのような内容とされているかということがわからない。
法学はその対象とする実定法を失うことになる。
207名無しさん@おーぷん :2016/03/13(日)11:16:51 ID:oNb
違憲合法論は、ありえる考え方である。
「人民の法」と「国家の法」は別だからである。
208名無しさん@おーぷん :2016/03/13(日)11:23:58 ID:oNb
国家法人説は、国家の目的を人民の目的よりも
上位におくことになり、
結果的に人民そのものを破壊するだろう。
209名無しさん@おーぷん :2016/03/13(日)11:37:12 ID:oNb
国家の目的を人民にとっての法の経験的妥当性として、
人民の解釈に委ねるとしたら?
210名無しさん@おーぷん :2016/03/13(日)11:47:11 ID:oNb
政府が国家維持のために、「国家の法」からすれば正しく
「人民の法」からすれば悪をなしたという場合、
211名無しさん@おーぷん :2016/03/13(日)12:37:47 ID:oNb
ヘラー

人民は政治的無能力者ではなく、
法を実定する能力で
超法規的に法秩序を変形させていることを
見逃してはならない。
212名無しさん@おーぷん :2016/03/13(日)13:11:06 ID:oNb

「国家の権力」か「国家の中の最高の権力」か二つの全く異なる概念がある。
後者の主権、国政の最高決定権として主権的機関に与えられる権力には、常に歴史上目的による制限があった。
前者の主権と後者の主権が混同されるに至ったのは、国家法人説が生まれ、法人学説の発展の結果、法人の意思は機関意思のみであるとされてからであろう。
政府の法的万能の帰結に反対したイェリネクは、理念型として国家目的を人々にとっての法の妥当性とし、法の妥当性が政府外部の人民の意思で判定できるものとした。
213名無しさん@おーぷん :2016/03/13(日)13:13:02 ID:oNb
とはいえ、政府機関の意思のみが国家意思になることは否定しない。
214名無しさん@おーぷん :2016/03/13(日)13:19:39 ID:oNb
国民が国家機関で議会はその二次的機関・・・
機関が機関を持つのかよ、と。
215名無しさん@おーぷん :2016/03/14(月)17:03:42 ID:FoQ
社会契約論の国家は、国家法人説の国家たりえない。
216名無しさん@おーぷん :2016/03/14(月)17:51:20 ID:FoQ
自然権保障を目的とした人民は
公的目的の土地収用ができない。
217名無しさん@おーぷん :2016/03/14(月)18:49:28 ID:FoQ
職業政治家不信は突如として起きるものではない。
国民は政治的に無能であり、
選挙で人民的正統性を付与された権威たる職業政治家が
法を自由に定められると考えるのは危険である。

議会において必要なのは、自己の利益のみを追求する
「命令する政党」ではなく、主権者である人々を
納得させる「討論する政党」だ。

国民が法を実定する能力があることを無視して
人民主権の主権を正統性の付与とする法学は、
理論的には、法学の対象である実定法を
見失い、実践的には、現状破壊のみを唱える
政党を利することになるだろう。

ワイマール期ドイツの法学者ヘルマン・ヘラーの見解な。
218名無しさん@おーぷん :2016/03/15(火)10:21:46 ID:1a6
法学的考察

政府=国家
政府+有権者団=国家
219名無しさん@おーぷん :2016/03/15(火)10:27:38 ID:1a6
法学的考察をすれば
国内において包括的権力を有する国家、国家主権性の言うところの
国家の意思が政府意思となるわけではない。

マルベールの半代表制。
220名無しさん@おーぷん :2016/03/15(火)10:32:23 ID:1a6
国家の意思が政府意思で、
国家の目的も政府が自由に決められるとなれば、
政府の法的万能を帰結する。
221名無しさん@おーぷん :2016/03/15(火)13:12:11 ID:1a6
国家の主権(国内の包括的権力)は、
特定の主権的機関で独占されるべきものではない
というマルベールの主張は正しい。

しかし、国内の全ての権力が特定の主権的機関で
独占されるべきだとした国家が
歴史上にまったく見当たらないのである。
222名無しさん@おーぷん :2016/03/16(水)14:12:33 ID:Ceu
イェリネクの見解によれば、
国家法人説を前提に憲法が統治権力を拘束するとすれば、
自己拘束であり、法の本質は強制でなく保障である
ということになる。

それは法の実定性を法の有効性とするものであり、
事実と当為を混同するものだというケルゼンの批判は
正しい。
223名無しさん@おーぷん :2016/03/17(木)07:36:48 ID:996
二次ルールに則っているかどうかを法のメルクマールとすることは、
(例外は多いけれども)理論的には成立する
224名無しさん@おーぷん :2016/03/17(木)07:43:50 ID:996
国家にとって重要な問題は
政府だけで手早く決めることは
一件効率的に見える。

しかし、長い目でみれば
密室政治は有権者の不満をうみ
デマゴーグの支持をふやし
既存の体制自体を破壊する
非効率におちいる危険が高い。

国家にとって重要な問題は
国民的議論を経て
決定するべき。

そういう意味で
安倍の集団安保法は
内容賛成・手続反対だったわ。
225名無しさん@おーぷん :2016/03/17(木)09:41:13 ID:996
法のメルクマールを保障とし、
自己拘束も法になりうるとし、
議会と国民が一体でなければならないとしたとき、
法確証説を採用することになる。
226名無しさん@おーぷん :2016/03/17(木)09:49:07 ID:996
自己拘束も法になりうると
いうのは、法の概念として
どうだろうか?

たとえなりうるとしても
無効ではないか?
227名無しさん@おーぷん :2016/03/17(木)19:05:15 ID:996
国家の手によって現実に保障されるものが法である(イェリネク)
国家の手によって遵守されるべきだと強制されたものが法である(ケルゼン)
遵守されるべきだと継続的な強制装置による強制を
人々が現実に認識するものが法である(ヘラー)
228名無しさん@おーぷん :2016/03/17(木)19:09:25 ID:996
国家説:イとケ
命令説:ヘ

保障説:イ
強制説::ケとヘ
229名無しさん@おーぷん :2016/03/18(金)01:57:58 ID:hR6
国民が国家の意思決定機関で、
最近は法による国家の拘束が流行していて、
自己拘束も法になりうるし、
そういう議会を国民は選ぶんじゃね?

イェリネクはそう言った。
230名無しさん@おーぷん :2016/03/18(金)01:59:16 ID:hR6
法が保障であるといったことで、
「自己拘束も法になりうる」という話につながるの。
231名無しさん@おーぷん :2016/03/18(金)11:28:41 ID:hR6
イェリネクは
法のメルクマールを保障とし、
その実定性を実効性とした。

後にケルゼンが批判したように
それが事実と当為を混同させるもので
あったことは間違いない。

ただ、人々が規範として認識していないものを
実定法として学問的考察することはナンセンスである
という見解は正しかった。
232名無しさん@おーぷん :2016/03/19(土)16:02:38 ID:QvU
人民投票的正統性のある権威に
正統性を付与した人々は
その権威に原則として無条件に従う。

例外は認めるけれども理論的に
無視してよい程度である。

と、シュミット。
233名無しさん@おーぷん :2016/03/19(土)16:03:55 ID:QvU
イェリネクの筆法に従えば、

国民を奴隷扱いする法は
法と認められないのではないか。
234名無しさん@おーぷん :2016/03/19(土)17:34:22 ID:QvU
社会契約論からすれば違うのよ・・・
人々に精神の平穏を与えないような憲法(国制)は神格化されない。

社会契約論と立憲主義
一般国家学と国家目的論
235名無しさん@おーぷん :2016/03/20(日)14:16:46 ID:hY9
国家法人説・・・

統治権体系の外に人民が外にいるのかいないのか。

デュギーやミシェウのように、
国家の上位規範として
「社会連帯」「社会の構成員の同胞意識」を持ち出すならば、
その上位規範から授権されて
国家自身が国家を拘束する憲法を制定できる。
236名無しさん@おーぷん :2016/03/20(日)14:32:24 ID:hY9
けっきょく、国家の上位規範の強制装置は人民。

社会契約論との違いがわかりづらひ。
237名無しさん@おーぷん :2016/03/20(日)14:50:47 ID:hY9
人民の機関主権である憲法制定権を
「国家に法人格を付与するの上位規範」と
言い換えれば、

機関主権か国家主権かという混乱が
消えることは評価。
238名無しさん@おーぷん :2016/03/20(日)20:03:56 ID:hY9
国家の直接機関以外は
意思を持ちえないとすれば
部分社会における「法」は
一切に裁判上に取り上げられない?
239名無しさん@おーぷん :2016/03/21(月)11:02:49 ID:2fx
国家有機体論の国家=「祖国としての国家」
一般国家学の国家=「国家主義の国家」

河合の説明に対して
「精密すぎて普通の素人はわからねえだろう」と
地裁の裁判官はぼやきつつ、
一般国家学の国家を部分社会と考えても、
祖国が分断されるわけではないという河合の主張を
要領よくまとめて、
河合に無罪判決をだした。
240へんくつ者 :2016/03/23(水)19:12:20 ID:TQX
あのね、社会契約論ってジャン・ジャック・ルソーさんが書いた書物だよね。
そのルソーさんが目指した理想がなんだか知っている? 
社会契約論の中に、「人にもし随意に祖国を選べというなら、君主と人民の間に
利害関係の対立のない国を選ぶ。自分は君民共治を理想とするが、そのようなものが
地上に存在するはずもないだろう。したがって自分は止むを得ず民主主義を選ぶのである」
とある。彼の理想は君民共治であって、民主主義は已む得ずって感じ。
ところがね、当時、ルソーさんは知らなかったんだけど、実は彼の理想である君民共治を実践している国があるんだ。
実は日本。正確にいうと大日本帝國。彼が、日本に来てたら涙流して喜んだと思うよ。まあ、フランス革命も違った形になってただろうし、
もしかしたら、きれいな(俺の好みではないが)マリー・アントワネットさんもギロチンに掛けられないで済んだかもしれないね。

スレ主他のように西洋の論説を議論するより大日本帝国憲法を一度読んでみることを薦めるね。
七面倒くさい、難解な議論をするよりずっと有意義だと思うよ。
241名無しさん@おーぷん :2016/03/23(水)19:44:20 ID:Yj9
>>240
大日本帝国憲法のもとになったヘーゲル思想。
それが大久保や伊藤に日本で受け入れられる下地になったのは、
禅・陽明学・本居国学。

山岡鉄舟の政治について書いた文書など、
ヘーゲル思想に非常に符合する。

まあ、誰か、体系的に日本思想を整理するべきではある。
242名無しさん@おーぷん :2016/03/23(水)20:53:15 ID:Yj9
法は秩序として、一元主義を採用すると、
実定法同士が矛盾しているケースの説明が困難になる。
243名無しさん@おーぷん :2016/04/02(土)03:44:43 ID:AuV
ヘラ―

自分たちのことを自分たちで決めるのは自由であり公正である。
国民は弁証法論的調停によって共同意思を持ちうる。
人民は政治的無能力者ではない。
人民主権における主権は、共同の利害に関する事項を共同意思決定するという意味での憲法制定権。
人民主権の国家の最高責任者は、国民である。

シュミット

政治は責任倫理と結果倫理を総合できる一握りの天才のみが可能である。
人民は政治的無能力者であり、人民主権における主権は権威に対する正統性の根拠になることである。、
人民主権の国家の最高責任者は、人民投票的正統性のもっとも高い機関である。
(芦部はシュミットの憲法論の下訳をしたそうな。
日本で人民投票的正統性がもっとも高い機関は議会ではないかと思われるが、
議会が更に総理大臣に権威を認めたと産経は強弁するだろう)

ケルゼン

法学は規範的認識方法で行われるべきである。
規範的認識方法によって人間の意思という事実は把握できない。
(実定法を認識できない純粋法学とツッコミが入る)
主権は規範である。
法学的考察が可能な国家に、最高責任者は存在しない。
244名無しさん@おーぷん :2016/04/02(土)03:59:14 ID:AuV
国内に直接機関が複数あり、
それぞれ理論上に犯しえない独占的な領域はある。

アメリカとフランスの憲法に影響を与えた
ルソーの社会契約論を前提にすれば、
共同の利害にまさに関係する統治行為は、
一次的には立法、最終的には国民。

自分たちのことを自分たちで決めるのが校正という理屈だから
個別具体的な事件については、行政や司法に干渉できない。
245名無しさん@おーぷん :2016/04/11(月)01:45:49 ID:roC
法学的考察の対象が事実か規範か。
246名無しさん@おーぷん :2016/04/11(月)01:54:01 ID:roC
ケルゼン理論によれば、
末端の公務員の違法な国家行為も
公務員自身の違法行為の成立を認める。

裁判所は、法律の適用・不適用の決定権限があり、
展開次第では
つまり、国賠法の不適用を決定すれば、
公務員本人に損害賠償を問えることになる。
247名無しさん@おーぷん :2016/04/11(月)02:05:28 ID:roC
現実の社会事実を考察対象としない
248名無しさん@おーぷん :2016/04/11(月)02:10:55 ID:roC
ウェーバー 現実の観察を通して「仮説」を経験上に確証する
リッケルト 現実の観察を通して「先験的絶対的価値理念」を確証する

ケルゼンは後者の立場
249名無しさん@おーぷん :2016/04/11(月)02:15:12 ID:roC
取り消されない不法行為は合法
裁判所には法律の適用・不適用を自由に決定

あれやこれやでケルゼン理論も
シュミット的な方式で
実定法を把握できなくもない。
250名無しさん@おーぷん :2016/04/11(月)03:06:36 ID:roC
人々の政府への政治圧力は、
「自分たちのことを自分たちで決める」という
伝統的な規範のあらわれではない。

国民は政治的に分断されているという認識。
251名無しさん@おーぷん :2016/04/12(火)12:43:12 ID:5aM
「なすべきことをなすべき」という先験的絶対的価値理念だけを
確証することが規範科学である法学の目的であるとケルゼンはのたまう。
252名無しさん@おーぷん :2016/04/12(火)12:44:30 ID:5aM
先験的絶対的価値理念なるものが存在するかどうかは
さておきとして、
そのような一般的な価値理念で
現実に重要な問題が切り取ることができるのか?

ウェーバーの現実科学の視点から疑問が生じる。
253名無しさん@おーぷん :2016/04/12(火)13:21:57 ID:5aM
ただ、ケルゼンがそのように考えた時期の
ドイツの法学の法典主義においては、
法体系の統一性は君主の意思のみによって
完成されるべきと考えられていた。
254名無しさん@おーぷん :2016/04/12(火)13:33:23 ID:5aM
議会でも合成的に統一意思が生じるのであって、
君主の地位を強調する
当時のドイツ法学全体が
政治的イデオロギーに汚染されているという問題を
「なすべきことをなすべき」という価値理念は
切りだした。
255名無しさん@おーぷん :2016/04/12(火)13:45:44 ID:5aM
「誰が最終決定権を握ってもかまわない」というイデオロギーは、
「自分たちのことを自分たちで決めるのが正しい」というイデオロギーと
衝突する。

それゆえ、ケルゼンは一般意思と衝突せざるをえぬ。
256名無しさん@おーぷん :2016/04/16(土)14:58:45 ID:Bn4

ケルゼンの純粋法学において、
解釈権者はいつでも立法者の代わりをなしうる。

とすれば、ケルゼンが
解釈の枠があるというのは、
それは純粋に手続的なもの、
解釈権の所在であろう。
257名無しさん@おーぷん :2016/04/17(日)17:43:29 ID:Gfw
経験の源になる物自体の存在も感じ取らなければならない。
無意識のものはないことにするのは危険、とヘーゲル。

超越論的直観がある大人物は「右」でいいよ。
ただ、そうでなければ「左」だな。
しかし、「左」になるにしても、ヘーゲルの警告の価値を
ロールズのように理解できなければ、「パヨク」になる。
258名無しさん@おーぷん :2016/04/18(月)20:52:50 ID:ni2
一般意思が存在するとして、
公共の法と憲法が対立すれば、
当為の価値理念が絶対的なものか否か
曖昧になる
259名無しさん@おーぷん :2016/04/22(金)01:03:16 ID:5o1
物自体は捕捉できない(カント)
物自体を論理的に捕捉できる(フィヒテ)
超越論的直観を要する(ヘーゲル)
260名無しさん@おーぷん :2016/04/22(金)01:10:36 ID:5o1
とにもかくにも
物自体を捕捉できるとすれば、
実質的な内容をもつ
真理を認識できることになるだろう。
261名無しさん@おーぷん :2016/04/22(金)01:16:21 ID:5o1
社会で話題になっているものを無視したら駄目→ウェーバー
社会で通用する価値に沿って理解せよ→ケルゼン
262名無しさん@おーぷん :2016/04/22(金)01:23:22 ID:5o1
どっちゃも大切。
263名無しさん@おーぷん :2016/04/22(金)02:27:29 ID:5o1
自由の価値にゃあ・・・
ケルゼン理論の剽窃?
264名無しさん@おーぷん :2016/04/22(金)10:35:06 ID:5o1
せけんでみとめられているかちでたいしょうをこうせいすることがたいせつ
265名無しさん@おーぷん :2016/04/22(金)14:02:42 ID:5o1
当為が価値であるためには、
なすべきことの内容を他に求めざるをえない
266名無しさん@おーぷん :2016/04/22(金)14:38:31 ID:5o1
いかなる不法行為も正統な権限を有する者に正当な手続でとがめられないかぎり合法である。
267名無しさん@おーぷん :2016/04/22(金)17:14:18 ID:5o1
そう考えないと、
義務の衝突がうまれる。
268名無しさん@おーぷん :2016/04/22(金)17:48:33 ID:5o1
いかなる不法行為も正統な解釈権限を有する者にとがめられないかぎり合法である。
269名無しさん@おーぷん :2016/04/22(金)17:51:40 ID:5o1
意思主体による法体系の統一を志している点では
決断主義。
270名無しさん@おーぷん :2016/04/22(金)18:10:08 ID:5o1
具体的に執行が生じるまで法は存在しないと考える。
271名無しさん@おーぷん :2016/04/22(金)19:07:12 ID:5o1
具体的に執行が生じるまで法は存在しないと考えることで
法の対立の可能性自体を消去するのである。

しかし、具体的に執行が生じるまで法は存在しないと
考えること自体、現実科学の観点からすれば、逸脱している。
272名無しさん@おーぷん :2016/04/22(金)19:15:21 ID:5o1
一般意思が純粋法学に与える危険

(一)人々は自分の利益を求めて奪い合う存在であるから、
正義のイデオロギーは非合理的であり、
当為のイデオロギーは合理的であるという話が
崩れる。

(二)自分たちのことを自分たちで決めるのは
自由であることを認めざるを得ないから、
(ルソー流に人民全体の利益にかかわる事柄のみに
一般意思の主権は及ぶと仮定しても)
一般意思による法と議会による法という
法的義務の対立が生じる。
273名無しさん@おーぷん :2016/04/22(金)19:19:14 ID:5o1
(三)具体的に執行が生じるまで法は存在しない
という話が否定される。
274名無しさん@おーぷん :2016/04/22(金)19:49:12 ID:5o1
(三)観察に用いる当為の価値が形式的なものではなく
実質的で相対的なものと認めれば、
それはその観察によってカント的な「真理」が
把握できないということである。
275名無しさん@おーぷん :2016/04/22(金)22:53:05 ID:rt7
自らの認識で用いる当為の価値を
形式的なものとして説くため、
ケルゼンは
「自分の利益だけを求め奪い合う合理的な人間たち」
の姿を描いた。
276名無しさん@おーぷん :2016/04/23(土)03:06:47 ID:oaw
真理は認知できねえという懐疑論はアノミーのもと。

「正義は社会の人々が決める。別に個人的に個人的不都合はない」と、ヒューム。
277名無しさん@おーぷん :2016/04/23(土)03:09:02 ID:oaw
「いや、そうやなくて、
どないやったら、社会がつくれるねん」という問題。
278名無しさん@おーぷん :2016/04/26(火)21:07:57 ID:x7E
人民の法と政府の法が対立した場合、
「実力で最終的に当為が決まる」としたイェリネクを
ケルゼンは批判した。
279名無しさん@おーぷん :2016/04/26(火)21:08:31 ID:x7E
ケルゼン自身が法には最低限の有効性を
求めているから
わけがわからない。
280名無しさん@おーぷん :2016/04/27(水)11:36:58 ID:dDP
「選挙に勝ったものが総取り」というノモスに従う議会の正統性を
国民が認めなければ、アナーキー。
281名無しさん@おーぷん :2016/04/28(木)14:40:53 ID:WPD
法則志向・・・体系化がなされなければならない
真理志向・・・体系が絶対化されてはならない
共有志向・・・理解が共有されなければならない
282名無しさん@おーぷん :2016/05/01(日)11:52:34 ID:Kpd
こくないのほうきのかいしゃくけん
のしょざいがふめいであると、
ほうがじつりょくのせかいになる
283名無しさん@おーぷん :2016/05/01(日)11:55:36 ID:Kpd
とうちきかん
せいたいととしてのこっか
こうけんかいしゃくいがいに
ただしいかいしゃくはない
284名無しさん@おーぷん :2016/05/03(火)05:26:33 ID:NRW
根本規範の範囲で
正統性を人格に付与したねえ・・・
285名無しさん@おーぷん :2016/05/03(火)05:32:00 ID:NRW
共同自己決定権を理想として否定するか・・・

重要な問題についてはそれをやらねえと
国民が普通選挙権をもっている以上
議会政治自体が拒絶されかねんと考える(ヘラー)
286名無しさん@おーぷん :2016/05/03(火)05:34:01 ID:NRW
理論なのか実践なのか。

議会政治自体が人民の自主立法に端を発する以上、
その正統性を法から排除できない。
287名無しさん@おーぷん :2016/05/03(火)05:43:06 ID:NRW
選挙において国民が政治家に正統性を付与するという考え方なのカナー

権力分立は主権の統一性に反すると臆面もなく言ってしまう
シュミット=芦部説?

選挙に勝った政治家は、国家機関の立場以上の独自の正統性を
持ち、国家機関としての権限行使でなく、独自の権力行使が
なしうると考えるべきなのだろうか?
288名無しさん@おーぷん :2016/05/03(火)18:29:55 ID:NRW
都合のいいときだけ守るというものは法ではない。
それはそのとおり。
289名無しさん@おーぷん :2016/05/03(火)18:34:38 ID:NRW
法を法たらしめるためにいかなる場合でも
いかなる内容の法でも守りやがれ、とカント。
290名無しさん@おーぷん :2016/05/03(火)18:41:35 ID:NRW
最上位の決定権者は守らなくていいの。
291名無しさん@おーぷん :2016/05/04(水)07:12:18 ID:cPC
自分の利益だけを追求する人々にとって
約束は暫定協定・・・
292名無しさん@おーぷん :2016/05/05(木)09:51:40 ID:992
法は秩序が必要であり、統一性が必要である。
統一性を保つために正統性をもった機関が必要である。
その正統性は法によって与えられる。

ケルゼンの純粋法学は、循環論法のみによって成立する構造を持っている。
293名無しさん@おーぷん :2016/05/05(木)14:28:31 ID:992
世襲君主制により、国家における最高の地位が
政治競争の場から遠ざけられ、
そうすることにより国内政治闘争が甚だしく
尖鋭化するの防ぎ、
その結果争いが緩和され合理化される。
国内での最高の地位が常に塞がっているため、
政治家の権力追求に限界があるからである。
「確固たる規則に従ってその地位ににつく
国王が単に存在するということ自体に
くつついている、この最後の、
そして本質上消極的な機能は、
おそらく純政治的に見れば
実際上最も重要な機能である」
(マックス・ウェーバー)

シュミット憲法論134頁より。
294名無しさん@おーぷん :2016/05/07(土)14:18:56 ID:FO2
法同士の対立。

整序

権威の必要性
295名無しさん@おーぷん :2016/05/07(土)14:45:24 ID:FO2
個別具体的な事件については、
適任者に一任するべきである(ルソー)

議会でしか扱えないという領域と
裁判所でしか扱えないという領域
の間に広大なグレーゾーンが広がる。
296名無しさん@おーぷん :2016/05/08(日)12:41:22 ID:Hjm
すでに存在している法を守るだけならば
独裁政党のいいようにやられちゃうよ

よし、私がブレーンをつとめる大統領の権限で
何とかしよう。
297名無しさん@おーぷん :2016/05/08(日)13:33:09 ID:Hjm
ケルゼンの純粋法学の法も
合法則性信仰という権威に
体系づけられている
298名無しさん@おーぷん :2016/05/08(日)16:08:44 ID:Hjm
法の具体的内容を定めるにあたって
正統性をもった意思の決断が必要というのは正しい。

仮に、誰の意思でもよいとなれば、
法はたちまち実力の世界になる。
299名無しさん@おーぷん :2016/05/08(日)16:21:47 ID:Hjm
ただ、シュミットにおいては、
法が当為の世界であるのに、
なぜ、現実の正統性が必要なのか
明らかにされない。
300名無しさん@おーぷん :2016/05/11(水)18:26:23 ID:04T
議会は代理でなく代表である以上、
有権者の意思にこだわることなく、
自由に議論し、立法できる。

とはいえ、議会に国民が正統性を
与えた理由を認識しなければならない。は
301名無しさん@おーぷん :2016/05/11(水)18:27:41 ID:04T
自分たちの支持者への利益誘導に走り、
党利党略でもって
国民全体の共同の利益に関する事柄を
決定しようとすることは、
人民主権国家では、違憲違法である。
302名無しさん@おーぷん :2016/09/01(木)10:33:55 ID:h00
憲法制定権者がつくった制度の本質は
憲法改正権者である議会も変更できない

憲法の予期していない危機が発生したとき
人民投票的正統性がある大統領が
成文憲法の枠を超えた憲法の守り手になる
303名無しさん@おーぷん :2016/09/01(木)23:55:36 ID:h00
誰が決定権をもっているか明らかにする権威(理念ないし建前)
こそ主権であるというノモス主権
304名無しさん@おーぷん :2017/03/11(土)12:12:23 ID:6hE
無計画に悪いものを破壊してもよいものが残るとは限らない
かえって、よいものも破壊して何も残らず国自体が消滅することもある
北朝鮮に併合されても民主主義の勝利と言えるのか?

悪いものを破壊する必要があるとしても
残すべきよいものが何かという青写真について
先に計画的に議論をしていないと民主主義の勝利とは
言えないと思う
305名無しさん@おーぷん :2017/03/11(土)12:17:34 ID:6hE
これは民主主義に対する誤った理解

487 :名無しさん@1周年:2017/03/11(土) 12:14:35.91 ID:poeqfq3q0罷免とか国の恥そのものだろ
憧れるとか完全に脳無しの発言だな

そもそも、民主主義で選ばれた首相を
自分達の意にそぐわないから強引に引きずろおろうそうとする事、自体
民主主義に対する冒とく
306名無しさん@おーぷん :2017/03/11(土)12:19:14 ID:6hE
ラスクが主張するように、
規範の義務づけ的性格は社会から調達しなければならない。
307名無しさん@おーぷん :2017/03/11(土)12:19:50 ID:6hE
統治機構の決定が最終的なものになるためには、民意による統治機構に対する安定的な支持が必要・・・と言えいいのかな。
308名無しさん@おーぷん :2017/03/12(日)01:02:43 ID:01t
極右勢力の居直り強盗的な空威張りが始まる。 憎悪の差別感情を煽り、国民に全体主義的な犠牲を強要しようとする「ならず者の #ネトウヨ 」についての実態解明と責任追及は、破壊された日本の民主主義の回復にとって必要不可欠。 #森友学園 #自民拒否 #kokkai #パヨク #左翼
309名無しさん@おーぷん :2017/03/12(日)01:03:02 ID:01t
161‏ @hiroichi0710 · 11時間11時間前


 その他




































16号「正しい事のために戦う事は罪ではない。話し合いなど通用しない相手もいるのだ」

いや、もーほんとその通りっす
どっかのお花畑連中にもきかせてやりたい

#ドラゴンボール #16号 #名言 #左翼 #パヨク
310名無しさん@おーぷん :2017/03/12(日)01:04:02 ID:01t
唯物論のひとたちには、相手も唯物論者に見えるわけか・・・
311名無しさん@おーぷん :2017/03/13(月)03:43:36 ID:zwl
法治大統領。
大統領の権力行使を受けて生まれるルールが
一般社会に規範性をもって受け止められるという意味かなあ・・・?

その意味で、シュミットが法のメルクマールとした
形式的平等の概念は死んでいないです。
312名無しさん@おーぷん :2017/03/13(月)03:45:08 ID:zwl
一定程度の形式的平等がなければ、
現代の人々はそのようなルールに
義務付け的性格を感じない・・・わけです。
313名無しさん@おーぷん :2017/03/13(月)03:53:24 ID:zwl
法の義務付け的性格が社会からしか調達できない
というラスクの主張を受け入れなければ
法は一般的抽象的規範であるという見解を採用できない、と
いうわけです。

そういう立場をとるならば、
純粋法学のケルゼンの主張どおり、
司法も立法も同一の作用とみるのが
論理的に一貫します。
314名無しさん@おーぷん :2017/03/16(木)04:15:42 ID:Vwb
一般的には投票率が低いのが望ましく、現状に不満がある
少数派の声を拾い上げるために普通選挙制度があると
エリート民主主義者は説く。

その議論の問題は、少数の支配者層が国家を根拠なく私物化
していると批判されたとき、反論のしようがないこと。

大衆の政治的関心をポピュリズムと切り捨てるのならば
大衆の無知を主張して普通選挙制度自体の廃止を目指すべきだろう。
315名無しさん@おーぷん :2017/11/18(土)23:45:15 ID:mlj
民の圧倒的多数が、鼓腹撃壌していて、極少数の不満分子しか投票しない選挙により成立した国会や国会で選ばれた内閣や内閣が選んだ最高裁の裁判官に、

投票した極少数の不満分子の福利の為だけの国政ではなく、鼓腹撃壌してて投票に行かなかった圧倒的多数の福利のためにも国政を実施するよう義務付けるのが憲法。

日本国憲法だと国民全体の福利の為の奉仕を公務員に義務付けているのが第一五条二項。

この奉仕の対象者=国政の福利の享受者=立憲の利益の享受者が、法により定められた主権者。

国政により国民が福利を享受出来ているかどうかは国民にしか判らない。

そのため、国政の福利の享受者である主権者を国民とする立憲民主主義は、国民を代弁する権威ある議会を必要とする。
立法権を振ります為の議会ではない。

日本国憲法第15条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
4 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

有老人、含哺鼓腹、撃壌而歌曰、「日出而作 日入而息 鑿井而飲 耕田而食
帝力何有於我哉」
老人有り、哺を含み腹を鼓うち、壌を撃ちて歌ひて曰はく、
「日出でて作し 日入りて息ふ 井を鑿ちて飲み 田を耕して食らふ
帝力何ぞ我に有らんや」と。『十八史略』
316名無しさん@おーぷん :2017/11/19(日)20:10:00 ID:mEz
Wikiよりコピペ

…1820年
合衆国最高裁における初期の判決Chisholm v. Georgia, 事件においてジョン・ジェイ最高裁長官は、以下のように述べた。[4]
国または国家の主権とは、統治する権利である。国民または国家の主権とは、一人の人または、住んでいる人たちである。欧州においては、主権は国王に与えられている。ここ(合衆国)では、人民(the people)に存する。
欧州では、主権は実際に政府を運営させている。ここでは、決して単一の人またはものに存在しない。我々の州知事たちは、人民の代理人であるし、人民と州知事たちとの関係は、国王と摂政の関係に代わるものでしかない。  

別の最高裁判例である、Yick Wo v. Hopkins,事件において、最高裁長官Matthewsは以下のように記述している。[5]
我々が政府の機関の理論と性質や、よって立つことになっている原理を考えて、これらの発展の歴史を眺めるときに、私有的かつ恣意的な力の振る舞う余地を残すことを意味することはないと結論せざるを得ない。
主権それ自体は、もちろんのことであるが、法に従わない。主権は法の著者であり、源である。しかしながら、われわれのシステムにおいては、権力としての主権(sovereign powers)は政府の官吏たちに与えられているが、主権それ自体(sovereign itself)は、人民に存する。
そして、政府の存在意義は、主権それ自体にあるのであり、政府の行動は、主権それ自体によって立つものである。そして法は、権力を定義して制限する。実際には、権力が最終決定の権限である何者かの手を通して行使されることは正しいのである。
そして、単に多くの行政の場合においては、責任は、純然たる政治的なものであり、(中略)、参政権の手段や、世論の圧力によってその責任は問われるだけである。
しかしながら、個人が保有しているとみなされる、基本的な生命、自由、幸福追求の権利には、憲法的な法の格言によって保護されている。
そして、この憲法格言は、人間に正当かつ平等な法の統治の下における市民的恵みを保障するための争いにおける勝利的な進歩の記念碑なのである。

これらの判決では、主権を意味する単語"sovereignty, sovereign"が、現在の解釈と異なることなく用いられている。…

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