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明治・大正ときて、昭和になった途端にみんな馬鹿になる

1名無しさん@おーぷん:2017/07/12(水)00:14:23 ID:sHm()
明治
大久保利通、伊藤博文、桂太郎など超有能政治家が揃い踏み。
世界の端っこの極小国家から極東の憲兵へ大進化。

大正
世界大戦に乗じて更に躍進。英米に次ぐ大国になる。
内政面でも民主的な政党政治が確立。学術・文化も花開く。

昭和
クソ不景気。農村の身売りは当たり前、東北では餓死者まで出る始末。政府は無策無能。
そのくせなぜか大陸経営に手を出して大赤字。それでも満洲国で満足しときゃよかったのに、わざわざ蒋介石と大陸全部使ってアルティメット追いかけっこ。何の目的もないまま。
内政では、無能な政治家と馬鹿な軍人が大喧嘩。しかも全員無責任。首相が変わりまくって国策もクソもない。テロの蔓延る殺伐とした世界。
外交では、喧嘩する理由なんかないはずの英米と険悪ムード。逆に敵だったはずの独ソとはお友達になっちゃいました。もちろんどちらにも裏切られる。
挙句の果てに英米と戦争おっ始めて国中焼け野原に。苦労して育てた満洲の資本はノーマークのソ連に全部持っていかれる。そしてそれでも首相はコロコロ変わる。少しは真面目に戦争しやがれ。


なぜなのか?
2名無しさん@おーぷん :2017/07/13(木)01:41:52 ID:vKU()
誰もおらんな
3名無しさん@おーぷん :2017/07/26(水)21:20:36 ID:n2t
戦前と戦後の教育の違いはよく言われるが、明治と大正の教育の違いってどんな感じなの?
4名無しさん@おーぷん :2017/07/28(金)18:06:28 ID:8Of
それは「負けたから」言ってるだけだ
典型的な「司馬史観」だな
5名無しさん@おーぷん :2017/07/29(土)12:04:10 ID:fDm
大久保とか伊藤とか、ただの欧米崇拝の売国奴じゃん
大久保はヨーロッパを見て回って、排泄物を注ぎ込むどぶ川だったセーヌ川とかテムズ川を見て痛く感動して、
日本に帰ってきてから汲み取り業者の活動を禁止、隅田川をどぶ川に追いやった責任者だぞ

日本ほど糞尿のリサイクルに長けていた民族は無かったというのに、大久保の馬鹿げた短慮が終わらせてしまった

伊藤とか、ロシアなんて全く信用の出来ない油断も隙も在ったもんじゃない国に心酔して、
日露戦争前の時点で日露同盟を結ぼうなどと画策していたトンデモキチガイ
日露戦争以後も、必要も無いのに日露協商締結に邁進した程のロシアの工作員

どこが評価に値するのやら
6名無しさん@おーぷん :2017/07/29(土)12:18:09 ID:fDm
そもそも>>1には、【日本以外の諸外国の動向】が全く見えていない。
「日本だけが愚かだった」かのように思いこんでいるのだ。
これでは話にならない。
7名無しさん@おーぷん :2017/07/29(土)16:46:26 ID:lY0
>>5
日露同盟ってよくわからんが、成立してたらロシア皇帝の味方して革命軍と戦うってことか?
8名無しさん@おーぷん :2017/07/29(土)22:57:59 ID:fDm
>>7
それだけでなく、ロシアに良いように利用された挙げ句に騙されて、
朝鮮、対馬、千島列島、北海道まで分捕られてただろうね。
無論そうなったら本州も九州も四国も危ないのは言うまでも無い。

何しろ、ロシア人には「条約を守る」という概念が無いのだから。
中国や韓国ばかり今は叩かれるが、連中の元祖とも言うべき無法国家こそがロシアだよ。

日ソ中立条約破棄は言わずもがな、
千島列島の一部返還を定めた日ソ共同声明を未だに守っていないのもロシア(ソ連時代含む)
つい最近ですら、サハリン2事件みたいな契約違反の無法行為を平然と行うような国がロシア。

独ソ不可侵条約の破棄はドイツによって行われた物だが、
ドイツ側は終始「これは自衛戦争だ」と主張していた。
ソ連の崩壊後、本当にソ連のスターリンがドイツ攻撃を計画している文書が見つかった。
ドイツがスターリンの計画を掴んでいたのかどうかは解らんが、
不可侵条約が有ろうとも、隙を見れば侵略戦争を仕掛ける国がロシア。

まして、日露和親条約と、千島・樺太交換条約の時の交渉の歴史を見れば、
日本人の事を「人間」と見なしていたかも怪しい。
当然、人間ではない相手と結んだ条約なんぞ、相手を騙す以上の価値など無いだろう。
9名無しさん@おーぷん :2017/07/31(月)16:49:12 ID:FLD
>>4
日清戦争の時は、北京攻略の一歩手前のところで満足して講和した。
戦争の目的は朝鮮から清を追い出すことだったから、それ以上攻め込む必要もなかったんだわ。
適当なところで手打ちして、講和して利権確保したわけよ。

日露戦争の時も、開戦前からアメリカ仲介の講和を構想して、外交官をたくさんアメリカに送り込んでいた。
戦争目的は朝鮮からロシアを追い出すことだから、陸海で連戦連勝してるうちに和平交渉してその条件を呑ませた。
賠償金は取れなかったけど、朝鮮どころか南満州からもロシアを追い払ったんだから、100点満点以上の成果と言っていい。日本の安全保障が完全に確立された瞬間。

第一次世界大戦でもしっかり勝馬に乗って、列強が欧州戦線にかかりきりの間に太平洋で勢力拡大、軍需産業でぼろ儲け。
戦後には英米に次ぐ大国にまで上り詰める。

しっかりした挙国一致体制で戦争に臨んだから、明治大正は奇跡のような大発展に成功した。


で、そういう目で日中戦争と太平洋戦争を見ると、全くアホの所業としか言いようがない。
日中戦争なんかひたすら蒋介石と追いかけっこしてるだけで、いったい何が目的なのやらさっぱりわからない。
「国民政府を対手とせず」とか言っちゃう有様。蒋介石の他に、交渉に足る対手が一体どこにいるのやら?
一応手抜きの臨時政府みたいなもん作ったけど、ほとんど何の役にも立ってない。
政権がコロコロ変わって国策が全然一貫せず、場当たり的に戦線拡大するからこんなことになる。

第二次世界大戦への対応も最悪。基本的な構図は第一次大戦と同じなんだから、日本はもう一回ぼろ儲けできるはずだった。実際アメリカはそうしてる。
鬼畜米英なんて言っても、人種差別を公言してるドイツや共産主義のソ連よりかよっぽどマシだったと思うんだが…

そして太平洋戦争も落としどころが全然わからない。日露戦争の先例に倣えば、序盤の連戦連勝の時に連合軍とさっさと講和しとけばよかった。
少なくとも条件次第ではイギリスとは講和できたはず。イギリスの本当の敵はあくまでドイツなんだから、イギリス本土が危ない時に、植民地が多少取られたからって講和を嫌がるとは思えない。
アメリカだって、日本を挑発したのはドイツと開戦するためなんだから、かなり譲歩すれば講和も夢じゃなかったろうに。
戦争するなら落としどころを準備しとかなきゃ、そりゃいつまでも終わらないに決まってる。
いくら総力戦の時代だと言っても、日本が無理にその流れに乗る必要がどこにあったのか?

仮に講和が無理でも、マリアナ沖海戦後はもう日本に勝ち目なんかなかったんだから、そこでさっさと降伏することもできた。
外地は大半失っただろうけど、朝鮮みたいな貧乏半島は誰も欲しがらなかっただろう。
国中焦土になってポンコツ憲法押し付けられるよりはよっぽどマシだったと思う。
精神主義は陸軍だけの話で、海軍はもう勝てないことは誰もがわかっていたはず。問題は、それを言い出せる人間がいなかったこと。
もしそこで勝てないことがわかってなかったなら、それこそ真正の大馬鹿だ。

そもそも太平洋戦争はなんのために戦ったのか?石油の確保?アジアの解放?
石油の確保が目的ならアメリカと戦う必要はなかった。ABCD包囲網のBCDだけ相手にすりゃいい。東南アジアのアメリカの支配地域からは石油は出ない。
シーレーンの確保?今の日本のシーレーンは全然確保されてませんが何か?
アジアの解放なんて、仮に達成したとして日本に一体何の得があるんだ?アジアは戦後解放されたけど、後にできたのは内政もロクにできない、全然話も通じないポンコツ国家ばっかりじゃないか。
欧米の圧政がなくなったって、今度は自分たちで圧政続けて極貧生活続けてんだから世話はないな。
放っといても、植民地支配はコスパが悪いってんでいずれアジアは解放されたんだから、日本は全くの無駄死にとしか言いようがない。


なんというか、勝てる要素が一つもない。結果的に負けたから云々とか、そんなレベルを遥かに下回っている。
10名無しさん@おーぷん :2017/07/31(月)17:15:23 ID:FLD
>>1でっせ

>>5
少なくとも、江戸時代までの日本に固執してたら、日露戦争どころか日清戦争にも勝てなかったな。
行きつく先はイギリスかロシアの奴隷。

日露戦争後に日露協商を結んだのも当然のこと。
講和で日露の棲み分けの線が引けたんだから、そこを保証しあわなきゃ話んならん。
もう一回日露戦争したら日本が勝てる保証はないんだから、穏便に済ませとかんとな。
ロシアにしたって、欧州で緊張が高まってる時に日本と再戦なんてしたくないだろう?

何より、当時の欧州情勢は英vs仏露vs独で、日英同盟で英陣営に入った日本が仏露陣営と和睦したからこそ、後の第一次大戦で勝馬に乗れたんだぞ。
11名無しさん@おーぷん :2017/07/31(月)17:41:11 ID:FLD
>>6
日本以外が愚かでないとは思わないよ。
独伊は論外、米英もソ連への対応はまるで駄目。中国も東欧もソ連に取られたんだから、何のために日独と戦ったのかわからない。

ただ、そのなかでも日本の馬鹿っぷりは群を抜いていたと言いたい。
米英も馬鹿だったが、馬鹿なりに戦争後の新秩序について、戦争前からあれこれ考えていた。
問題は、それが米英日じゃなくて米英だったこと。

米英にとって、世界で一番話が通じる大国は日本だったはず。
他のメンツを考えればわかる。ドイツ、ソ連、中華民国。ロクでもない連中ばっかりだ。
日本は一応立憲君主制の近代的な国家体制が確立していて、同じ自由主義・資本主義国家でもある。米英にとっちゃ敵なんかじゃなく、むしろ世界一親しみやすい相手だったんだよ。

地理的にも欧州の動乱から一番遠くて、絶対に滅ぶはずのなかった日本が現実にはクソミソにやられている。
「日本が頭抜けて馬鹿だった」以外に、この現実を一体どうやって説明してくれるんだ?
12名無しさん@おーぷん :2017/08/01(火)19:46:30 ID:MFR
>>8
帝国とは別の国だから知らんよって話じゃない?

太平洋戦争なんてそれこそアメリカを引きずり込むためにソビエトが仕組んだんじゃなくて?
まあ満期までに早期講和させられなかった日本が馬鹿なのは間違いなさそう
13名無しさん@おーぷん :2017/08/01(火)23:20:54 ID:iSJ
>>9
あのさぁ、君、「黒人公民権運動」って知ってる?
日本が高度経済成長と東京オリンピックに沸いていた1964年時点ですら、
アメリカという国は「white only」なんて言って、
公園のベンチ、水道の蛇口、スタジアムの入場口なんかを白人と黒人で差別していた国なんだわ。
20世紀ももう十年くらいで終わるといった所で、「人種差別」からロサンゼルス暴動を起こしてる国なんだわ。

そんなアメリカが、「ドイツよりはマシ」???

むしろ全く真逆で、当時の日本人にしてみれば、
「ドイツの方がマシ」だったんだわ。

例えば、ヒトラーの『我が闘争』では、
「日本人はアーリア人種の作った物をコピーするしか出来ない二流民族」
みたいな事が書いてあった。
今から見るととんでもない差別的発言に見えるけど、
当時の価値基準から言うと「人間扱いしているだけマシ」なんだよね。

当時のアメリカやイギリスは、
そもそも「同じ人間」とすら考えてなかったんだが?
イギリス人が植民地の人たちを「物言う樹木」と認識してたのは、当時の人間なら誰でも知っていたんだけど?
14名無しさん@おーぷん :2017/08/01(火)23:26:26 ID:iSJ
>>10
有り得ないね。
江戸幕府はボーッとして何もしなかった訳じゃない。
むしろ日本の近代化に積極的に貢献していたのだ。
幕府を倒した長州や薩摩の方こそ、外国人をぶった斬ったりして日本の植民地化の危機を招いていたトンデモ集団だったんですわ。

明治維新後も、薩摩と長州だけで政権を独占したから、自由民権運動だの藩閥政府批判なんかを招いてるんですわ。

おまけに、幕府の外交関係者を誰一人採用しなかったから、北方領土問題について知識ある人材が誰も存在せず、
カムチャツカ半島や樺太全土を放棄するとんでもない「千島・樺太交換条約」なんて結んできた始末なんですがね。
これでも「明治政府は有能」とでも?
15名無しさん@おーぷん :2017/08/01(火)23:30:51 ID:iSJ
>>11
なんでアメリカのルーズベルトは異常な反日大統領であった事を覆い隠すのか?
なんでルーズベルト政権の閣僚たちの多くに、ソ連のスパイが紛れ込んでいた事を無視するのか?

「日本だけが群を抜いてバカだった」
と自分で書いているではないか。
あなたの考える「歴史」には、【日本以外の動向】が一切考慮に含まれていない。
ただひたすら、「日本だけがおかしかった」「発狂していた」と思いこんでいるのだ。

やっぱりこれではお話にならない。
16名無しさん@おーぷん :2017/08/01(火)23:36:40 ID:iSJ
>>12
それにしても、「カサブランカ会談」を知らない奴多すぎだろ…

アメリカは最初っから日本に理解のある講和条件を示していた訳ではない。
【無 条 件 降 伏】を要求していたのだ!

こんな条件、受諾出来る訳もない。
天皇陛下が縛り首にされても、
日本人全てが奴隷になっても、
【一 切 文 句 を 言 え な い】
というのが【無条件降伏】である。

狂った大統領であったルーズベルトは、
日独の提案する条件付き講和を全て蹴り飛ばし、
「無条件降伏のみ」を条件にしていたのだ。
それが公式文書化されたのが、カサブランカ会談(1943年)である。
相手役を務めたチャーチルでさえ難色を示し、
のちに、アメリカ大統領になったアイゼンハワーですら、
「カサブランカ会談のせいで、戦争は2年長引いた」
と非難した物だ。

日本にしろ、ドイツにしろ「条件闘争」のつもりで戦争を戦っていた。
カサブランカ会談とその声明文(無条件降伏要求)を知った時、
日本人もドイツ人も等しく激怒したのだ。

そこが解っていない連中があまりに多すぎる。
17名無しさん@おーぷん :2017/08/01(火)23:45:12 ID:iSJ
>>9
>日中戦争なんかひたすら蒋介石と追いかけっこしてるだけで、いったい何が目的なのやらさっぱりわからない。

一言で言えば「防共」だけど?
日本はソ連という国家の脅威と、コミンテルンという思想の脅威の両方と戦っていたんだよ。
蒋介石は毛沢東と戦っていたから「反共の闘士」みたいに思いこんでる人が当時も多かったし、今でも多いのだがとんでもない。
蒋介石の息子、のちに台湾総統になった蒋経国は、【ソ連】に留学していたのだ。
スターリンも、毛沢東よりも蒋介石に期待をかけていた事は有名である。
その他、国民党の要人の多くは、ソ連に留学していた連中が多かったのだ。

つまり蒋介石と毛沢東の行っていた「国共内戦」とは、
「反共政府VS共産政府」の戦いではなく、「容共政府VS共産政府」の戦いであったのだ。
左翼が内ゲバを行うのは、別に珍しい光景でも無かろう。
日本でも共産党と中核派、革マル派がそれぞれ仲が良くないように。

>蒋介石の他に、交渉に足る対手が一体どこにいるのやら?

日本が担ぎ上げた汪兆銘は、「孫文の正統なる後継者」であり、「国民党No.2」のトップだったんですが…
これで「手抜きの臨時政府」と言うなら、誰がやっても駄目じゃないですかw
18名無しさん@おーぷん :2017/08/01(火)23:51:05 ID:iSJ
>>9
>第二次世界大戦への対応も最悪。基本的な構図は第一次大戦と同じなんだから、日本はもう一回ぼろ儲けできるはずだった。

無理ですね。断言します。
そもそも両者は全く「似ていない」のですが。
単に「ヨーロッパで大戦が行われた」というだけでしょ、似てるのって。
例えば、ソ連はドイツと不可侵条約を結びポーランドを等しく分割しているのですが、
これのどこが前大戦と同じだというのですか?
ドイツは「二正面作戦の愚」を繰り返さなかったのですよ?

おまけに、前大戦の時と異なり、呆気なくフランスが倒れました。
塹壕戦で延々にらみ合いみたいな前大戦とどこが似てるのですか?

フランスが呆気なく倒れた事は、すぐにドイツ側の勝利で戦争が終わるようにさえ見えたのです。
これは別に日本人だけではなく、アメリカ人もイタリア人もソ連人も等しくそのように考えていました。

>鬼畜米英なんて言っても、人種差別を公言してるドイツや共産主義のソ連よりかよっぽどマシだったと思うんだが…

これについては先ほど指摘したので割愛します。
とりあえず、「米英も酷い人種差別国家だった」という事は知っておいて下さい。

そもそも、ヴェルサイユ条約の時、日本が提案した「人種平等案」に強硬に反対して強引に葬り去ったのが、この差別国家二カ国でしたよね?
(フランスでさえ人種平等案に賛成した)
19名無しさん@おーぷん :2017/08/01(火)23:55:43 ID:iSJ
>序盤の連戦連勝の時に連合軍とさっさと講和しとけばよかった。

独伊が倒されて孤立無援になった日本を、米英がたこ殴りしない保証がどこにあるので?
イギリスは、第二次大戦のドサクサ紛れに、独立国家のイランを侵略していますし、イラクでも独立戦争を毒ガスを使ってでも鎮圧しています。
当時はそういう時代なのですが?

まして、「無条件降伏以外の条件は一切認めない」ような国と、どうやって講和を結べと言うのでしょう?
20名無しさん@おーぷん :2017/08/02(水)00:03:52 ID:8Oz
>シーレーンの確保?今の日本のシーレーンは全然確保されてませんが何か?

だから?
「そのままで良い」なんて言えないし、そもそも戦後に確立されたブレトン=ウッズ体制の事を全然知りませんよね、あなた?
戦前からブレトン=ウッズ体制が存在したとでも思ってるのですか?
日本が希望すれば、どこでも資源を無限に売ってくれるし、こちらからの輸出品を買ってくれる体制が存在したとでも?

>アジアの解放なんて、仮に達成したとして日本に一体何の得があるんだ?

少なくとも、アメリカ、イギリス、オランダ、フランスといった白人国家が結託するだけで、
日本に資源が全く入ってこなくなるだとか、日本から移民も輸出も出来なくなるだとか、
そういう状態ではなくなりましたよね?
戦前は、実際に白人国家が日本の生殺与奪を握っていたとんでもない時代だったのですが?

>放っといても、植民地支配はコスパが悪いってんでいずれアジアは解放されたんだから、日本は全くの無駄死にとしか言いようがない。

冗談言わないで下さいよw
日本人が緒戦で白人共をあっという間に蹴散らしたから、アジア人たちは勇気を獲得したのです。
今まで彼らは根性も精神も全てが「奴隷」であり「負け犬根性」でした。

カトリーヌ・ドヌーヴがやっていた戦前のインドシナ伊を舞台にした映画で、白人女一人の農場主が、多数の有色人種をこき使っていたシーンがありましたが、
当時はあんな事が普通だったのですよ。

毎日労働しているガタイの良い男に比べれば非力としか言えない白人女が、
「尻を出せ」と言えば進んで差しだし、鞭でペチペチ無抵抗で叩かれる。
これが当時のアジア人でした。
白人に抵抗するなど思いも寄らなかったのです。

日本が白人を蹴散らし、呆気なく白人支配を終わらせてしまった為に、
「日本に出来るなら我々にも出来るのではないか」
と自信を抱いたのです。
今のアジアの繁栄は日本の存在無くしては有り得ませんね。
21名無しさん@おーぷん :2017/08/02(水)00:13:58 ID:8Oz
>>10
>日露戦争後に日露協商を結んだのも当然のこと。講和で日露の棲み分けの線が引けたんだから、そこを保証しあわなきゃ話んならん。

そんな必要は有りませんね。
ポーツマス条約で確定したのだから、屋上に屋を重ねる日露協商など不要だったのです。
あれはアメリカから見れば、
「日露で協力してアメリカを満州から締め出す密約」
にしか見えなかったでしょうよ。
実際、第二次日露協商の秘密議定書で、その物ズバリ、アメリカを満州市場から締め出す旨が記載されています。

「アメリカと仲違いしなければ良かった」と主張するのであれば、日露協商こそは「憎むべき条約」じゃないのですかね?
(まあ、日本が何をどう行動しようが、「謀略家」スターリンと、「反日」ルーズベルト政権の前では全てが無駄のような気がしますが)

>何より、当時の欧州情勢は英vs仏露vs独で、日英同盟で英陣営に入った日本が仏露陣営と和睦したからこそ、後の第一次大戦で勝馬に乗れたんだぞ

は?
日本のどこが「勝ち馬」だと言うんですか?
日本が占領した山東半島は、ろくに何の軍事的貢献も行っていない中華民国(袁世凱政権)に返還させられましたが?
ドイツ領南洋諸島は「赤道以北のみ」とかいう意味不明な条件を付けられて、しかも日本領土ではなく「国際連盟信託委任領」とかいう体裁で与えられたのですが。

おまけにヴェルサイユ条約での、「人種平等案の否決」ですよね?
どこが「勝ち馬」だと言うんですか?
戦死者に見合った領土を日本は受け取っていないのですが。
(日本は地中海に軍艦を派遣してドイツ、オーストリアの海軍と戦って戦死者も出している)
22名無しさん@おーぷん :2017/08/02(水)00:18:11 ID:8Oz
>>11
そもそも、あなた「黄禍論」って知らないでしょ?
白人は、自分たちが世界中で植民地を作って暴利を貪っている事は棚上げして、
チンギス・ハン以来、黄色人種に被害妄想に近い恐怖感を抱いていたんですよ。
最初は人口が多く国土も広い中国の事を警戒していたのですが、日露戦争で日本が勝つと矛先が日本に転じ、日本人は徹底的に差別に追いやられたんですよ。

どこが米英にとって「親しみやすい相手」だったんですかねえ?

むしろ、「田中上奏文」みたいな偽書に騙されて、
「日本は世界征服を企んでいる悪の国だ!」
みたいな言説が堂々とまかり通っていたようなのが米英だったんですが。
23名無しさん@おーぷん :2017/08/02(水)00:24:12 ID:8Oz
黄禍論とか人種平等案否決とかカサブランカ会談を知らない人って、
もしかしたら、アメリカの「関税法」とかイギリスの「オタワ会議」(ブロック経済)とかも知らないのかねぇ。
これでも「日本は世界大戦の外部で大儲け出来た」とか、馬鹿かと。
24名無しさん@おーぷん :2017/08/02(水)00:42:25 ID:ZCg
>>16
アメリカがまともならハルノートなんか出さないだろ
問題は何故狂人に戦争をふっかけたかということで、まあ近衛程度の官軍しか想定してなさそうな帝国憲法が一番の戦犯かもね
25名無しさん@おーぷん :2017/08/02(水)01:17:33 ID:8Oz
>>24
ハルノートの直接的な起草者は「ソ連のスパイ」である事が確定してますよ。
独ソ戦でモスクワ陥落寸前まで追いつめられていたスターリンが、
「何が何でも日米を戦争させろ」と指令を出して戦わせたものです。

言っておきますがこれは「陰謀論」ではありません。
ソ連崩壊後にロシア自身が文書を公開していますし、
アメリカ側もマッカーシーの赤狩りの結果などを情報公開し、
ルーズベルト政権の中に多数のソ連のスパイが存在していた事を暴露しています。
(マッカーシーの赤狩りは、デタラメな魔女狩り裁判かのように言われたが、ソ連の崩壊後「やっぱりスパイだった」と裏付けられた)

また、ロシア=ソ連の謀略技術は世界一と言っても良いくらいです。
ロシア帝国時代にロシア内務警察が作った偽造文書である「シオン長者の議定書」は、
ユダヤ人迫害のタネ本としてナチスドイツのホロコーストに大きく影響を与えたと言われます。

一説には、日本を世界征服を企む悪の国とした「田中上奏文」もまた、ソ連がでっち上げたとも言われています。
26名無しさん@おーぷん :2017/08/02(水)01:41:15 ID:8Oz
日本の満州事変は1931年。
国際連盟脱退は1933年。
支那事変勃発は1937年。

一方……

米英による人種平等案否決は1919年。
山東半島の返還強要は1922年。
日本の要求をことごとく無視したワシントン海軍軍縮条約は1922年。
アメリカによる排日移民法制定は1924年。
アメリカの関税法(ホーレー=スムート法)成立は1930年。
これまた日本の要求をことごとく無視したロンドン海軍軍縮条約は1930年。
イギリスによるオタワ会議とブロック経済は1932年。

日本の満州事変も国際連盟脱退も【全く無関係に】、日本は世界から孤立していたのですが?
(ロシアでは革命が起きて市場閉鎖。フランスもイギリスに倣ってブロック経済化したので、日本は地球の半分くらいの市場を喪っていた)
27名無しさん@おーぷん :2017/08/02(水)02:48:29 ID:8Oz
「日本はさっさと和平すれば良かった」

とか言う奴に限って、当時の日本が和平提案を何度も行っていた事を知らない。

日本は、蒋介石政権だけでも、
【大小問わず三百回】もの和平提案を最低でも行っていた(蒋介石回顧録)
当然、蒋介石が与り知らない、現地軍同士の手打ち、休戦協定なども含めれば、この数はもっと増えると思われる。

日米戦争開戦後も、スイスやスウェーデン、スペイン、ポルトガル政府を介して和平提案を行っている事を知らない。

アメリカ側のルーズベルトが「無条件降伏」に固執しすぎて、ことごとく和平提案を蹴飛ばした事も知らない。

十年も駐日大使を勤めたジョゼフ・グルーは、
「天皇制の護持さえ認めれば、日本はハルノートの地点まで引き下がるであろう」
とルーズベルトに進言したが、ルーズベルトはそれをも無視した。
ルーズベルトに日本との和平などという意志は全く無かったのだ。
(ドイツに対しては話が別。人種差別主義者であったルーズベルトは、ドイツに対しては融和的であった)

日本に対して、ようやく「無条件降伏ではない」と明記された講和条件が連合国側から提案されたのは、
実に1945年7月26日の「ポツダム宣言」を待たねばならない。
反日狂人のルーズベルトは死んでおり、トルーマンが後を継いでいた。

なんでこういう背景を無視して、
「さっさと講和しておくべきだった」
などと言えるのだろう?

ついでに、ポツダム宣言発表の【前日】に、「原爆投下命令」が下っている。
トルーマンは「原爆投下まで日本を降伏させるな」と厳命しており、
高い金を払って開発した核爆弾を日本に投下して人体実験するより先に、日本の降伏など認めるつもりも無かった事もはっきりしている。

ポツダム宣言の草案には、グルーの進言を基に「国体護持」の文章が書いてあったのだが、
日本に簡単には受諾させない為にその部分はカットされた。

案の定大本営では、
「国体護持が明記されるまで抵抗を続けるべきだ」
と主張する軍部の声が高まる結果となった。

どうしてこういう部分は無視するのであろう?
日本を除く世界の国々は「聖人君子の集まりだった」。
「日本だけが群を抜いて馬鹿だった」と言うのであればあまりにもふざけている。
28名無しさん@おーぷん :2017/08/02(水)02:56:26 ID:8Oz
なお、ナチスドイツの行ったユダヤ人迫害政策については、「証拠文書」が存在しない。
従って「絶滅計画などという物は無かったのではないか」と疑問を持たせる事が可能である。

一方、アメリカのルーズベルトは、日本人の皆殺しor人種改良を計画し、言葉も公式文書も残している。

「木と紙で出来た日本の家」を最大限効率よく燃やす為に、
水をかけても消えない特殊な焼夷弾を開発させたのはルーズベルトである。
原爆は、開発の当初から日本以外に投下する事など考えられていなかった。

戦時国際法では、都市の無差別空襲は禁止されているのだが、
「日本には家内制手工業者が多い。従って家を焼き払うのは軍需工場への攻撃と同じである」
などと詭弁をもてあそんで、都市無差別空襲をアメリカは敢行した。

逃げまどう子供たちに、戦闘機が機銃を乱射して面白半分に撃ち殺す映像も残されている。

第二次大戦中、「一民族の抹殺」などを考えて実行したのは、「ナチスドイツとアメリカ」であった。
29名無しさん@おーぷん :2017/08/02(水)06:36:08 ID:ZCg
>>27
っていうか南京事件の時に連合軍が成立していたらどうなってたんだ?
30名無しさん@おーぷん :2017/08/02(水)12:49:24 ID:8Oz
>>29
当時南京事件なんて全く話題になってません。
問題視されたのは「戦後」です。
日本のやった事は全部悪とした東京裁判がでっち上げた嘘話です。
31名無しさん@おーぷん :2017/08/02(水)12:52:42 ID:ZCg
>>30
1927年の話だよ
32名無しさん@おーぷん :2017/08/02(水)13:06:50 ID:8Oz
第一次大戦の時点でも、イギリスは別に露仏同盟側に肩入れしていた訳ではないというのに…
日露協商のお陰で勝ち馬に乗れたとか何を言ってるのやら…

イギリスがドイツに宣戦したのは、
ドイツがシュリーフェンプランに則ってベルギーの中立を侵犯したからなんだが?

ベルギーとイギリスは友好関係にあり、
また、ベルギーと目と鼻の先のフランスのカレーは、
イギリスの対岸に位置している。
そんな所を中立条約を平然と侵犯するような国に占拠されたらイギリスの独立も危ういというので、
イギリスはドイツに宣戦したのだ。

元々、第一次大戦の開戦時点から、反ドイツで凝り固まっていた訳ではないし、
実際、千年以上も対立を繰り返してきたフランスの肩を持って参戦する事に「反対」の意見もかなり多かったのだ。

イギリスとドイツは、その頃、植民地獲得競争や海軍建艦競争などで争っていたが、
元々はフランスと激しく争っていたのであり、
ドイツと対立が始まってからも、イギリスとフランスは決して仲良しだった訳ではない。

何度も繰り返すが、「ベルギー侵略」こそが、イギリスを反ドイツに立ち上がらせたキッカケだったのだ。
あくまでも「反ドイツ」であって、「親フランス」とか「親ロシア」に変貌した訳ではない。
33名無しさん@おーぷん :2017/08/02(水)13:08:45 ID:8Oz
>>31
九カ国条約が在るから無理でしょう。
しかもこの欺瞞的な九カ国条約には、
中国に最大の害悪を撒き散らしていた「ソ連」は加入していません。
ソ連の脅威に対抗するのには、個々の国が個人的に対抗するしか無かった無意味で無効な条約です。
34名無しさん@おーぷん :2017/08/02(水)18:30:24 ID:ZCg
>>33
第1条4項に違反するわけだが、そもそもchina自身が何も約定していないというおかしな条約を見直す契機だったんじゃないか?
例えば第7条の交渉から発展させた安保理による規律ある平和維持軍を創設することに支障がある内容だとは思えない
そもそも大陸でのテロ対策費を一国で負担するなんて全く割に合わない事を始める必要がどこにあっただろう?
結局、当時の一国平和主義はそれこそ今の中共の態度のような不審さと疑心暗鬼を内外に与えただけなのではなかっただろうかと?
35名無しさん@おーぷん :2017/08/02(水)19:35:22 ID:zRC
>>1でっせ

みんな反応ありがとうやで

なるほど…ルーズベルトってそんな基地外だったのか…これは認識が足らなかった
講和ができんわけだな

ただ、ソ連の謀略はわかるんだが、それならなぜ日本の謀略は成功しなかったのか?
日露戦争の時は、高平小五郎や金子堅太郎みたいな外交官兼工作員がアメリカで活動して、半分日本の味方のような立場に引きずり込んだ。
ロシアでも明石元二郎が工作活動でロシアの戦争継続を妨げたじゃないか。
いくらルーズベルトが狂人でも国内輿論には逆らえないわけだから、戦争開始前に日本善玉論・開戦不要論を広めてしまえばそれで済んだのでは?
ハルノートみたいな明らかな挑発行為をしっかり宣伝するだけでも随分違ったと思うんだが。

そもそも、当時黄禍論が流行っていたのはわかるけど、現実の国益・目の前の儲けよりも大事なことだったのか?
アメリカからしたら、日本は石油や工業製品を買ってくれる良いお得意さんだっただろ。
現実には大した力のない黄色人種よりも、世界中の金持ちを殺し尽そうとしてるソ連の方が何倍危険なことか。
黄禍論が反共論に勝ってしまった理由が全然わからない。

アメリカと交戦する必要があったのかもよくわからん。
フランスがドイツに潰されて、イギリスの本土が危なくなってもアメリカは対独参戦しなかった。
それなら東南アジアの英領蘭領を日本が奪ってもやっぱりアメリカは参戦できなかったんじゃないのか?
米英といっても全然一枚岩じゃない。むしろ海洋覇権を奪い合う敵同士だ。
特にイギリスは弱ってるんだから、日本と組んでアメリカと張り合うのが一番得だったはず。
ルーズベルトはともかく、チャーチルはそこらへん話してもわからん馬鹿だったのか?
36名無しさん@おーぷん :2017/08/02(水)20:26:18 ID:zRC
まあ、太平洋戦争前後の処理も色々あるだろうけど、それ以前に日中戦争の必要があったのかと俺は問いたい。

もし防共の戦いなら、中国に権益のある英仏と共同でやるべきだっただろう。
シベリア出兵の時は英仏米と共同出兵したわけだし、最後は適当なところで見切りをつけて兵を引いた。
日本単独でやるにしても、深入りして得することなんか一つもない。北京を占領したから何だってんだ?

満洲のことで国際連盟を出ていく必要もなかっただろうと思う。
リットンの報告書だって実質的には日本の肩持った内容だったわけで、日本からしたら良いカモじゃないか。
主権線が鴨緑江で利益線が満洲なら、日本の安全は確保されたも同然だ。
それをわざわざ騒いで敵を増やしちまうんだから世話はない。
「国を焦土としてもやり抜く」なんて、本当にどこの誰が聞いても基地外としか思わないだろ。
普通こんなこと言ったらその瞬間首だ。内閣総辞職したっておかしくない。

問題はそんな発言がもてはやされ、実際その通りにやり抜いてしまったこと。
御丁寧に、やってもない戦争犯罪の濡衣とゴミ憲法というおまけまでついている。


国益を全く考えられない、常識の欠片もない馬鹿で無責任な政治家や軍人が蔓延る原因になったのは一体なんだったのか。
すくなくとも明治大正期には正気を保っていたはずの日本がどうしてこんなことになったのか。
そこを俺は知りたいんだよ。
37名無しさん@おーぷん :2017/08/02(水)22:48:41 ID:ZCg
憲法は別にゴミだとは思わない、天皇を国の象徴に据えることで領土分割阻止と地位の安泰を図っただけの話だしな
天皇まで話を持っていかないと使えない禁軍なんて外交官としては正直必要なかったのではないか?
38名無しさん@おーぷん :2017/08/03(木)00:06:58 ID:Nw8
むしろその意図が察せなくてGHQ相手に二院制の講義とかどこの世間知らずの教授なんだって感じで信じられないな
相手の要求ラインを見極めて腹案に反映させなくてどうするのかと
まあそういう浮世離れした内容だからこそそういう人が利用されたのかもしれないけどね
39名無しさん@おーぷん :2017/08/03(木)02:19:15 ID:uqo
>>37

帝国憲法は、伊藤博文が当時の一流の学者を集めて、欧州各国の憲法と日本の過去の法令・古典を研究して数年がかりで作ったもの。
国体の似てたドイツの丸写しなんかじゃない。
対して今の憲法は、GHQが日本支配に都合のいいように作ったもので、世界のそれっぽい条約やら法律やら憲法やらから都合のいい部分を集めただけ。
雑な作文をパクリでつぎはぎして、たった2週間で作ったんだよ。これをゴミと言わずしてなんと言うか。

日本には日本の歴史・文化・価値観があって、それを反映させなきゃ何の意味もない。誰も納得できない空文になってしまう。
その一例が政教分離。

第二十条第三項 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

これがあるから、神道と関係のある建国神話なんかは学校で一切習わない。歴史の学校教育は、どこの国でも建国のいきさつから詳しく教えているというのに。
中国なら三皇五帝とか。事実かどうかは別にして、史実だからちゃんと教えるんだよ。
ところが日本の教科書には国常立尊・伊弉諾尊・天照大神・神武天皇・崇神天皇・応神天皇あたりの超重要な部分が丸ごとカットされて、よくわからん考古学の話が続いた後、なぜか中国の史書が紹介され、その後いきなり飛鳥時代から話が始まる。
建国神話なんてちょっと知ってるだけでマニア扱い。詳しい人間はそれだけで国粋主義者のレッテルを張られてしまう。
「神話は事実ではない」とか言い訳してるけど、その割には信憑性のかなり怪しい漢書や後漢書は事実としてしっかり教えて、挙句なんの証拠もない南京事件や従軍慰安婦の話まで載せちゃう始末。

日本人にとって神道は、欧米人の考える「宗教」とは似て非なるものだし、欧洲で政教分離が叫ばれるようになったような歴史的経緯は日本にはそもそも存在しない。
それを全く考慮せず、「政教分離」という文言だけ入れようとするからこんなことになる。
GHQはその辺が理解できず、戦前の日本が宗教国家で、神道の名のもとに国民を騙して死地に追いやったんだと勘違いしたからこういう条文を作った。

何をどう言い訳したって流石にこりゃゴミだろ。
40名無しさん@おーぷん :2017/08/03(木)03:40:10 ID:uqo
>>14
第二次長州征伐や鳥羽伏見の合戦で幕軍が負けたのは偶然じゃないぜ。
幕軍とはいっても、全員が幕府直属の御家人や旗本だったわけじゃない。幕府・諸藩連合軍というのが実態。
だから士気も低いし指揮系統もバラバラ。結果圧倒的少数の敵に蹴散らされた。

明治政府が目指したのは、中央集権的な国民皆兵の国民国家。当時の軍装ではそれが一番強いとされていたから。
欧洲列強の脅威に対抗するにはそれしかなかった。

対して幕府の統治は幕藩体制。天領以外は各藩が自治を行っていた。
幕府創建当初は幕府が諸藩を強力に支配していたけども、幕末期の幕府にはとてもそんな力はなかった。天保年間に三藩の領地替えに失敗した事件が特に象徴的だ。
列強と戦うには国家が一丸となって対処せねばならないのに、旧来の幕藩体制ではとても不可能。兵装を近代化して解決する問題じゃない。
幕藩体制に近い体制だったムガル帝国は、実はけっこう近代的な装備を持ってたのに、遥かに少数の英軍に良いようにやられちまっただろ?

特権階級の士族が兵士になる社会構造も良くない。兵士は士族でも、兵装を作るのは銃後の他階級なんだから、その協力がなきゃ話にならないだろう。
でも他階級にとっちゃ、士族が負けて支配者が列強に変わっても、自分が支配される構造には変わりないから、全然やる気が出ないんだよ。
中世まではそれでも良かった。兵装なんてせいぜい甲兜に盾と槍くらいだったから、兵士個人の士気と戦闘技術がモノを言った。
でも近代戦闘は扱いやすい火器が中心だから、兵士個人の熟達度はさほど関係ない。むしろ生産や兵站が重要になってくる。
このことは西南戦争でしっかり証明された。戦闘のプロの士族の軍団より、国民皆兵で集められた農民兵団の方が強かったわけだ。


こういう改革は、既得権益の強い幕府では絶対にできなかった。というかそれ以前に、そもそもそんなこと誰も思いつかなかった。
小栗忠順や岩瀬忠震は確かに有能ではあったけど、軍の洋風化が精一杯で、体制の改革までは考えが及んでなかった。


千島樺太交換条約だって、微小国の日本が大国ロシアと交渉できただけまだ上出来だと思う。
幕府なら泣き寝入りか、他所の国に泣き付いて何とか助けてもらうくらいだっただろう。
対馬がロシアに占領されて、イギリスに泣き付いた事件があったろう?

大体、交換条約結んだ榎本武揚は旧幕臣だぞ。
当時の政権には旧幕臣でも有能な人材は結構登用されていた。

藩閥政府とか批判されたのも、首脳部にすりゃ頭の固い旧幕臣より気心の知れた同郷人の方が使いやすいのは当たり前。
逆に、藩閥政府を批判してた自由民権運動でできた第一次大隈内閣は、猟官運動に殺到する自称民権家への対応に追われて崩壊した。
当時の民権家なんか、植木枝盛やら中江兆民やら星亨やら、非現実的な空想垂れ流す頭のおかしい煽動者ばっかり。
彼等にとって民主主義なんて、地位を手に入れるための御題目に過ぎなかった。今の民進党や共産党みたいなもんだ。
明治政府としては、そんな連中は政府に入れたくなかっただろうな。
41名無しさん@おーぷん :2017/08/03(木)12:02:02 ID:Nw8
>>39
どこぞの神様なんかは一週間で世界を作ったらしいから、2週間あれば余裕さ
船中八策が悪いわけでもないだろう
憲法なんてものは国が治まればそれでいいのだ
逆にどんな立派な学者が一生かけて作ろうが、国難を招くような代物じゃ話にならないね
強いて言えばそっくり取り替えるのを明治憲法が認めているかどうかだけど
それを審判する筈の裁判所は違憲判断が元々不可能だったのだから、
誰も違憲とは言えないレベルで手続き上の問題は無いことになるな
逆に言えばすぐ元に戻したいような代物であったならそんな丁寧な扱いをするのは馬鹿だろう

政教分離? 例えば国会図書館が宗教書の収集を活動から除外しているかといえばそんなことはないんじゃないか?
なんだかんだ言って私学にも補助金出しているんだから、自治体は国の機関じゃないとか色々やりようはある筈だが
結局は教える気がないから教えていないだけだろう
まあ進化論知らないよりはいいんじゃない?
宗教教育とか言って神風の正体を教えなかったりで何もしないで神頼みの馬鹿が量産されても困る
42名無しさん@おーぷん :2017/08/03(木)14:55:11 ID:Alc()
>>41
確かに帝国憲法にも欠陥はあった。その最尤は内閣の規定がないことで、このせいで国務大臣の権限の範囲が曖昧になり、帷幄上奏や統帥権論争など軍人が政争に関わるようになって、果ては一部過激派軍人のテロ行為を助長することになった。
でも、それは反省して修正すべき点ではあるが、だからと言って愚にもつかないポンコツ憲法を使い続けていい理由にはならない。

今の憲法では基本的人権の規定すら曖昧になっている。

第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

公共の福祉って一体何だ?どこに定義がされてるんだ?誰がそんなこと判断するんだ?
帝国憲法では、こういう臣民の権利は全て法律で明確に定めることになっている。
立法府たる議会は衆議院が貴族院より優勢で、衆議院議員は国民の選挙で選ばれるんだから、国民が間接的ながらその規定に参加できるようになってるわけだ。
ところが日本国憲法では国民の立ち入る隙がない。行政が勝手に権利を侵害しても、国民にはそれを改める術がないわけだ。
現に、生活保護なんかは申請してもなかなか通らない。というかまず窓口で申請書を渡してくれない。その結果餓死する人もいるくらいだ。
しかし一方で、明らかに給付対象外の在日韓国・朝鮮人が大量の給付を受け、のうのうと暮らしている。
これは明らかに基本的人権の侵害だが、国民はそれを改めることができない。

それでも「国が治ればいい」と言えますか?
43名無しさん@おーぷん :2017/08/03(木)15:58:32 ID:ld3
>>34
そもそも、九カ国条約を締結した時点での「中国(中華民国)」と言えば、
孫文や蒋介石系の「広東政府」ではなく、袁世凱系の「北京政府」だったんですね。
そしてこの両者は激しく殺し合う程憎んでいました。

「なんで袁世凱が締結した諸条約に、我ら広東政府が服従せねばならない」

そう考える連中があまりにも多すぎたのです。
(案の定広東政府は、「清国や袁世凱が結んだ不平等条約は断固拒否する」などと言って、「革命外交」とか言って片っ端から破っていきました)

日本の場合、
「江戸幕府が結んだ諸条約は、明治新政府も尊重する」
と言って、きちんと条約改正運動を行いましたが、
このような国こそ世界では珍しかったのです。

ロシア革命後のソ連でさえ、
「ロシア帝国時代の条約や借金は全て帳消しにする」
と宣言して無効化してしまいました。

これが世界のやり方です。

日本のように何十年も外交交渉を重ねて不平等条約を改正するなどという理性ある振る舞いなど、世界中のほとんどの国がやっていないのです。
44名無しさん@おーぷん :2017/08/03(木)16:11:16 ID:ld3
>>35
君の意見は、戦前の外務省の考え方と同じ。
「英米可分論」的な物の考え方だ。

即ち、イギリスとアメリカは別の国であり、イギリスだけ敵に回して、アメリカは外交で何とか出来ると狂信していたのが戦前の日本だった。
そしてそれは無理だった事が証明されている。

正確には、アメリカは対ドイツ向けの外交姿勢と、対日本向けの外交姿勢を「分けていた」のだ。
1941年と言えば、既に日米交渉が始まっており、日米戦争が始まった年でもあるが、
実は、この1941年2月に、アメリカはドイツに対して、国務次官を団長にした公式外交使節団を送っていた。
この時点では、ドイツもアメリカも互いを敵視などしていなかったのだ。
そして、日本は当然このドイツへの外交姿勢は、「日本にも適用されるもの」と考えていた。
近衛文麿が命の危険も顧みず自らアラスカかカリフォルニア、ハワイに行って、ルーズベルト大統領との直接会談で日米交渉妥結を目指すという風雪が流れたくらいだ。

しかし、何度も繰り返すが、
「日本に対するアメリカの姿勢は、ドイツとは全然違っていた」。
この事に、今のあなたもそうだが、当時の外務省の人間も全く気がつかなかった。

1938年、支那事変が始まってから一年後の話だが、天津のイギリス租界にて中国人の親日家要人が暗殺された。
日本は当然犯人の引き渡しを要求、しかしイギリスはヘラヘラと交渉に応じようとせず、怒った日本軍は天津のイギリス租界を封鎖した。
そもそもこれは、暗殺事件以前も、外国租界は中国人反日活動家の潜伏拠点、天国と化しており、日本の堪忍袋の尾が切れた結果である。

イギリスは日本の強硬姿勢に慌てて謝罪した。問題は解決した…はずだった。

しかしここで、今までの経緯に全く関係の無い【アメリカ】が飛び出てくる。
イギリスが日本に妥協した事を聞いたアメリカは、「日米通商航海条約」を破棄してきたのだ。
当然これは、日本とアメリカとの間の貿易関係が途絶する事を意味する。
だからこそ「日米交渉」が始まったような物なのだ。

まとめると、アメリカは日本に対しては「英米不可分論」の立場を取っていたのだ。
イギリスへの攻撃はアメリカへの攻撃と見なす立場を取っていたのだ。
45名無しさん@おーぷん :2017/08/03(木)16:14:22 ID:ld3
>そもそも、当時黄禍論が流行っていたのはわかるけど、現実の国益・目の前の儲けよりも大事なことだったのか?

大事だったみたいですよ。
少なくともマスコミは、
「日本が世界征服を狙っている!」
「明日にも日本がアメリカに上陸してくる!」
とのデマを流しまくって日本の脅威を煽りまくりました。

「メディア王」と呼ばれたウィリアム・ハーストは、
「売上の為だったら国家を戦争にも導く」
と言って豪語していたくらいの人物です。
そしてこのハーストこそは、田中上奏文を「真実」を思いこみ、日本を、「世界征服を企んでいる悪の国」と思いこんでいた張本人でした。
ついでに言えば、当時としては全然珍しい事ではありませんでしたが、有色人種差別主義者でもありました。
46名無しさん@おーぷん :2017/08/03(木)16:25:11 ID:ld3
>ルーズベルトはともかく、チャーチルはそこらへん話してもわからん馬鹿だったのか?

チャーチルは、「反日」かどうかはさておき、「馬鹿」だったと思いますよ。
ナチスドイツの軍事力に対抗出来ない貧弱な軍事力にしてしまったのは、1920年代のイギリスの軍縮が原因です。
チャーチルはその時「大蔵大臣」であり、積極的に軍縮の大鉈を振るっていた張本人でした。
加えて、ヴィクトリア朝時代のイギリス絶頂期の頃の経済を基準にして金本位制に復帰したせいで、イギリス中の金が海外流出し、未曾有の不景気に陥れています。
(イギリスは世界大恐慌でもあまり影響を受けなかった。何故なら、それ以前から不景気だったからだ)

それはともかく、日本に対しても完全に反応を見誤った「無能」である事は確かですね。
イギリスが「援蒋ルート」とか言って、フランス領インドシナや、当時イギリスの植民地だったビルマから蒋介石に援助を送っていたのは有名です。
これは国際法に定められていた「中立国の義務」に完全に違反しています。
(まあ、日本も中国も「これは戦争に非ず」として支那事変を戦っていたので、中立国もクソも無いのかも知れませんが)

日本による北部インドシナ進駐後も、ビルマルートを新たに設けて中国支援に動いていたイギリスは、日本に攻撃されても文句を言う資格など無いのでは?

チャーチル自身は、
「日本のような劣った人種は、プリンス・オブ・ウェールズとレパルスの最新鋭戦艦二隻を送っておけば十分に抑止出来る」
などと言い放ったくらいですし、人種差別主義者の要素は在ったと思われます。
(チャーチルご自慢の戦艦二隻は、マレー沖海戦で数時間の内に沈められた事も有名です)

まず、蒋介石に対して、過剰に「黄禍論=日本脅威論」に脅える米英が支援していた事を知らねばなりません。
(ソ連もまた、自身の理想とする革命の為に蒋介石を支援していた)
47名無しさん@おーぷん :2017/08/03(木)16:34:56 ID:ld3
>>36
その「焦土外交論」を唱えた内田康哉外務大臣は、大正時代には「英米融和主義者」で有名だったんですけどね…
英米融和主義者が、多く日本第一主義者に転向したのが昭和です。

何故か?

「英米が自分の事しか考えず、日本がどんなに国際条約を律儀に守って文明国の模範たろうと努力しても、一切何の努力も認めてくれないから」

これに尽きます。

日本が血を流して手に入れた、ドイツ領南洋諸島や、山東半島は、理不尽な言いがかりをふっかけられて返還させられたのは指摘しました。
何の軍事的貢献もしていないにも関わらず、単にドイツに宣戦したというポーズだけで山東半島を棚ぼたで手に入れた中華民国だの、
「赤道以南の領有は認めない」というドイツ南洋諸島の分割だの、
「日本領土ではなく、国際連盟信託委任統治領である」という国際法上の扱いだの、
到底、日本が払った犠牲に見合う物ではありません。

「人種平等案」も否決されたし、ワシントン・ロンドンの海軍軍縮条約でも日本の言い分は無視されたし、
そもそも世界一の脅威国家であったソ連は、国際連盟にも海軍軍縮条約にも加盟していませんでした。

一方的に日本だけが戦力増強を制限されたまま、無条件に軍拡に邁進するソ連の相手をしろって何ですか?

「ソ連の脅威」は、樺太や朝鮮で実際にソ連と国境を接していた日本の方が英米よりも強烈です。
アメリカなどは、「対岸の火事」として眺めていたような状態でした。
48名無しさん@おーぷん :2017/08/03(木)16:43:14 ID:ld3
>シベリア出兵の時は英仏米と共同出兵したわけだし、最後は適当なところで見切りをつけて兵を引いた。

全然「適当」じゃないんですけどね。
日本は固有の領土であった樺太を取り戻せませんでしたし、
アメリカは「ソ連の脅威よりも黄禍論の方が大事」と言わんばかりに日本のシベリア出兵を非難し続けていました。

「日本の行動は、門戸開放、機会均等のアメリカの主張に反する」

と激しく非難し撤退に追い込みましたが、結果として、最悪国家のソ連が極東を支配する事になって門戸は完全に閉ざされました。

>日本単独でやるにしても、深入りして得することなんか一つもない。

日本の十年前には、イギリスが単独で中国と交戦していたんですがね?
「万県事件」とか「南京事件」でイギリスは徹底的に中国人を攻撃して叩き潰しました。
一方の日本は、幣原「融和外交」のせいで大使館員は無抵抗主義を厳命され、婦女子暴行事件まで起きました。
この結果、日本の低姿勢を舐めきった中国人が勘違いしてふんぞり返ったのが、満州事変以降の日中関係なんですがね。

世の中には「対等の関係」を認めない連中があまりに多いのです。
特に、長年「中華思想」の上下階級の中で生きてきた中国人にとっては、
「中国人こそが世界一であり、中国から離れれば離れるほど蛮族」
とする考え方は根強い物がありました。
日本が相手を「同じ人間」として遇すれば遇するほど、中国人は傲慢になっていき、日本の行動を「弱腰」と捉えてますます攻撃的になるという始末でした。

これは「民族差別」ではなく、「事実」を指摘しているだけです。

日本ははっきり言って「舐められていた」のです。
満州事変以降の日本の態度は、
「中国人は低姿勢にしていればつけあがる」
という反省の結果です。
49名無しさん@おーぷん :2017/08/03(木)16:54:05 ID:ld3
>満洲のことで国際連盟を出ていく必要もなかっただろうと思う。

日本にとって満州とは、イギリスにとってのスエズ運河か、アメリカにとってのパナマ運河くらいの価値があった。
イギリスは、ナセルのエジプトがスエズ運河を没収した後、侵略戦争を仕掛けて最後の最後までスエズ運河を租借し続けようと企んでいた
アメリカはコロンビアに最後通牒を突きつけてパナマ地峡を割譲させ、傀儡国家のパナマ共和国を作らせ、パナマ運河地帯はアメリカの租借とした。
あと数年で21世紀が始まるという1999年までアメリカが保有していたのだ。

この両国家が、日本の満州事変は「自衛権の発動ではない」などと、どの口が言えるのだろうか?
「民衆の自発的独立運動の結果ではない」などとも決めつけてあるが、満州在住の人々は、張学良政権が妥当されて大喜びしたのだ。
張学良の時代は、「十年先の税金」すら平然と課せられ、社会福祉も公共事業も何も使われなかった。
日本は全ての雑税を廃止、一年一回納税すれば良いという制度に切り替えたのだ。
これだけで、どれ程多くの満州在住者たちが喜んだか知れない。
近代的な納税制度も、銀行制度も、工業も農業も全て日本によって与えられたのだ。

これらの成果を放り捨てて、
「一度も満州を支配した事が無い」
中華民国に統治権を引き渡せなどと、何故日本の事情を知らない外国人に命令されなければならないのか?

そもそもこの当時の中華民国とは、国共内戦だの、国民党同士の内戦だの、
【数百万人】単位で民間に死傷者を出しているようなとんでもない無法国家であった。
満州どころか、中国大陸でさえまともに統治出来ない連中に、何故日本にとっての生命線、ソ連侵略の最前線を譲らねばならないのか?
50名無しさん@おーぷん :2017/08/03(木)16:56:29 ID:ld3
>>37
そんな事は、憲法制定当時のGHQは念頭に置いてなかったけどね。
この当時のGHQの究極目標は「天皇制の廃止」だよ。
いきなり廃止となると日本国民の反発が恐ろしいから、時間を置いて廃止出来るような規定にしたんだよ。
「領土分割阻止」って、北方領土がソ連に、沖縄がアメリカに、竹島が韓国に奪われている時点で機能してないだろ。
51名無しさん@おーぷん :2017/08/03(木)17:10:45 ID:ld3
>>40
>小栗忠順や岩瀬忠震は確かに有能ではあったけど、軍の洋風化が精一杯で、体制の改革までは考えが及んでなかった。

これ誰のどこ情報だよ?
徳川慶喜や小栗忠順が「ナポレオン」を尊敬していた事は有名なんだが。

国家体制とて、「神聖ローマ帝国」辺りを念頭に、日本の歴史に合った国家体制を考えていたが?

即ち、神聖ローマ帝国皇帝に当たるのが徳川幕府将軍であり、天皇は神聖ローマ帝国皇帝に戴冠するだけのローマ法王と同じ扱い。
神聖ローマ帝国では、実質的にオーストリア皇帝がトップという事になっていたが、各邦の自治は尊重するし、オーストリアに出てきて立身出世も出来るようにする。
(有名な人物では、ナポレオン没落後にウィーン体制を主催したメッテルニヒは、オーストリア出身ではなく、ラインラント出身者であった)

これならば、間違っても「天皇の戦争責任」など問われる事も無かったであろう。
神聖ローマ帝国皇帝の振る舞いに、ローマ法王が責任を負わないのと同じ事だ。
倒幕派の中でさえも、横井小楠の如く「共和制」を主張した理論家は居た。
決して、大日本帝国憲法で定められた「君主制」だけが「日本の在るべき理想像」だった訳ではない。

そもそも長い間宮中で文弱に育てられてきた天皇を、「大元帥陛下」として祭り上げる事が、
果たして本当に「天皇にとって幸せ」と言えるのかね?

しかも、昭和天皇がつくづく痛感したが、「天皇陛下の御為に」とか言いながら、実質、天皇自身の希望さえ踏みにじる連中ばかりというのが【幸せ】と言えるのかね?

そもそも小栗忠順とか河井継之助とか、雲井竜雄のような優秀な人材を殺してしまう必要があったのか?

佐久間象山や先述の横井小楠のような優秀な人材を殺してしまったのも、「尊皇攘夷派」ではなかったか?

明治維新が正しかったとは到底思えない。
戊辰戦争などの混乱抜きで改革する方法は絶対にあったはずだ。
52名無しさん@おーぷん :2017/08/03(木)17:15:55 ID:ld3
大隈重信が倒れたのは自業自得。
元々板垣退助と自由党の活動を妨害していたのは、大隈重信自身ではないか。

植木枝盛や中江兆民がまともじゃないなら、今の日本の政治家は【幼児以下の白痴】だな。
植木は自由民権運動に於ける「土佐の利益」「土佐の主導権」などさっさと捨て去って、
いち早く「日本人全体の利益」に視点を移す事が出来た大人物だし、
いつまでも「土佐の主導権」に凝り固まる自由民権運動土佐派を裏切ってまでも頭山満などの所属する福岡自由党に肩入れし、
のちの【玄洋社】の源流の一つとなっている偉人だ。

玄洋社が無ければ、孫文や金玉均なども歴史に名前が残っていなかったろうに。
53名無しさん@おーぷん :2017/08/03(木)17:18:35 ID:ld3
>>41
なんで「誰も違憲とは言えない状況」で勝手に制定された代物が、
「手続き上の問題が無い」事になるんだ?
独裁者が言論の自由を封殺した上で好き勝手したとしても、誰も違憲と言えないのだから「手続き上の問題なし」ってなるのか?

そんな憲法なら、政権交代のたびに混乱して「国が治まれば良い」なんて言えなくなるぞ?
54名無しさん@おーぷん :2017/08/03(木)17:36:15 ID:ld3
ついでに>>35にもう一つ指摘しておくけど、
アメリカが戦争したくなったら、謀略でも何でも行って戦争に持ち込むからね?
「真珠湾攻撃陰謀論」は有名だけど、アメリカが過去行った戦争で「陰謀」が噂されなかった事は無いと言っても良いからね。

21世紀ですら、「911テロ自作自演」「大量破壊兵器捏造」という口実で、アフガニスタンやイラクで戦争している国だし、
ベトナム戦争も、「トンキン湾事件」というアメリカの口実捏造が明るみに出ている。

日米戦争の前を見ても、当時の日本の国家指導者ならば誰でも知っていた【米西戦争】(1898年)も、「陰謀論」が囁かれていた。
米西戦争の開戦の原因は、キューバ停泊中のアメリカの軍艦、「メイン号の謎の爆発」が発端で、スペインは譲歩しようとしたのに無理やりアメリカが開戦に踏み切っている。

第一次大戦の時は、「ルシタニア号事件」を口実にドイツに宣戦した。
ルシタニア号は「清廉潔白な民間船」などではなく、「173トンもの弾薬」を積載していた船であった。
しかも、ドイツ政府は「決して船に乗らないよう」と注意まで喚起していた。
これで「陰謀」を感じない方がどうかしている。

1836年の米墨戦争でも、「アラモの砦事件」のような陰謀を行って開戦している。

アメリカの戦争とは、「肉を斬らせて骨を断つ」式の戦争ばかりなのだ。
(厳密には「肉」ですらないかも知れない、「髪の毛一本程度の損害」で「大戦争」に訴えるやり方)

「太平洋戦争陰謀論は成立しない」と言い張っても、「アメリカという国の前科」がこうなのだから当然疑われるし、
当時の人間も、メイン号事件やルシタニア号事件の「怪しさ」については「常識」として知っていた。
「アメリカという国は、口では綺麗事を言いながら、実際にはありとあらゆる汚い手段を用いる卑怯者」
これが、当時の日本人の常識であったろうし、そんなアメリカが日本だけおとなしく見逃してくれるとも思えない。
55名無しさん@おーぷん :2017/08/03(木)18:17:33 ID:ld3
>>54で書いたような状況なので、
仮に日本が「ハルノート」を全面的に受諾したとしても、日米戦争が避けられたとは到底思えない。
むしろハルノートで弱体化した日本を叩き潰す為に、第二、第三の謀略に走るのではないか?
(そもそもハルノートには、日本が一番求めてやまなかった「石油禁輸の解除」が一言半句書いていなかった)

米西戦争でスペインは最初から譲歩しようとしていたし、
イラク戦争でも、イラクのフセインは国連の査察官を受け入れて譲歩姿勢を見せていた。
無理難題をふっかけて、無理やり戦争に持って行ったのはアメリカだ。
56名無しさん@おーぷん :2017/08/03(木)18:30:25 ID:ld3
>>40
そもそも榎本は「外交官」じゃないぞ?
北方領土についても「専門家」って訳じゃないし、
そもそも日本本国の指示に従うだけの「出先」の人間だぞ?

樺太は日露和親条約締結まで、ほぼ日本人(&樺太アイヌ)だけが住んでいたのであり、ロシア人はほとんど皆無であった。
(人口統計が残ってる)

日露和親条約で、川路聖謨が「日本の度量を見せよう」と、「両国の雑居地」という事にしてしまったが、
ロシアはその条約を無視して暴走、樺太在住日本人と摩擦を起こしまくって国家ぐるみで嫌がらせを行い、日本人を追い出したのだ。
千島・樺太交換条約とは、ロシアのそのような横暴を承認、肯定する馬鹿げた暴挙だった。

当時はまだ、満州鉄道はおろか、シベリア鉄道ですらも存在しないのだから、
武力でロシアとロシア人を追い払う事は日露戦争の時以上に簡単であった。
(おまけに戦地は満州ではなく、土地勘の在る樺太である)

薩摩・長州の人間は、幕府時代から北方警護番役に就いた事が無い。
従って、対露情勢についてなど、まるっきりの無知だったのだ。
しかも無知なくせに、「薩長藩閥」の権力独占に拘って北方警護番役に就いていた東北地方の人材などを【意図的に】排除したのだ。
専門家無視ってのは今の日本の政治にも通じるまことに嘆かわしい事だと思うけどね。
57名無しさん@おーぷん :2017/08/03(木)18:37:46 ID:ld3
ついでに、薩長藩閥政府が在ったせいで、自由民権運動は起こったし、昭和日本では「皇道派」と「統制派」の争いとかが起こったんだけどな。
皇道派も、統制派も、元を糺せば、「長州閥」に支配された日本陸軍の「正常化」「自浄化」の為に旗揚げされたのだ。
元から長州閥が陸軍の人事を支配して「我が世の春」など謳歌していなければ、このような派閥争いの必要は無かった。
当然、三月事件も十月事件も226事件も起こらなかったろう。
58名無しさん@おーぷん :2017/08/03(木)19:04:09 ID:ld3
>>40
>列強と戦うには国家が一丸となって対処せねばならないのに、旧来の幕藩体制ではとても不可能。兵装を近代化して解決する問題じゃない。

ここにも勘違いと誤解がある。

まるで、イギリスやプロイセン(ドイツ帝国)には、そのような封建的な存在は無かったかのようだ。

冗談言ってもらっちゃ困るのだが、イギリスの貴族や、ドイツのユンカーは「土地持ち貴族」である。
彼らは「ノブレス・オブリージュ」を主張し、普段は貴族としての特権を享受する代わりに、いざ戦争となれば率先して戦争に志願して指揮官に早変わりした。

そもそもドイツ帝国は「旧プロイセン王国が全土を統治した」訳ではない。
バイエルン王国やビュルテンベルク王国、ザクセン王国は「廃止」されたのではない。
自治権を維持したまま、「ドイツ帝国を構成する一王国」となったのだ。
同じく、ハンブルクやブレーメンなども、終始「ドイツ帝国を構成する自由都市」でしかなかった。
このドイツの各邦の自治は、王国や公告こそ第一次大戦の終わりと共に消滅したものの、実際にはナチスドイツによる「強制的画一化」が行われるまで維持されていたし、
戦後の今でも、「地方分権」の名の下に生き残っているほど強固な物だ。

イギリスでさえ土地持ち貴族が存在しており、日本と同時期に国家統一したドイツは、
決して「プロイセン王国の独裁」に固執していなかった。
ドイツに出来た事を、日本で出来なかったらおかしいんだけどね。

アメリカでは、「各州の上に大統領が座っている」と言われるほど、大統領権力が弱かった。
だから南北戦争だって勃発している。

当時の世界で、国家まるごと中央政府が統一していたと言える先進国は、フランス革命で滅茶苦茶に国内を破壊し尽くしたフランスくらいであろう。
薩長も同じように必要も無い戊辰戦争を行い、無駄に日本人の血を流させ、あたら有為な人材であった北陸、東北地方の逸材を殺してしまった。

もしも戊辰戦争に欧米が本格的に肩入れしていたら日本は植民地になっていたであろう。
こんな薄氷を踏むかのような行動を行っていた明治新政府が有能とは到底思えない。

ましてや、明治新政府はGHQと同じく「歴史を捏造」した。
日本がはるか超古代から天皇を戴く一君万民国家であるかのように捏造した。
神話の時代を除き、一度も天皇自ら軍隊を指揮、監督した事など無いのに、「大元帥陛下」などという「虚構」をでっち上げた。
その結果、当然の事ながら「天皇の戦争責任」などという言葉も誕生した。

こんな事が許される訳も無い。
59名無しさん@おーぷん :2017/08/03(木)19:12:52 ID:Alc()
>>51
当時神聖ローマ帝国はすでに滅亡していた。
神聖ローマ帝国の政体では帝国主義時代を生き抜けないことは明らかで、もし本当にそんなものを目指していたなら、壊滅的なセンスのなさと言うほかない。

徳川慶喜がナポレオンに憧れてたのはわかるけど、内政と軍事の両面で不世出の大天才だったナポレオンと、朝廷への工作も満足にできない慶喜ではさすがに比較にもならない。
しかも大天才ナポレオンですら、最後は小ピット率いるイギリスに敗れたわけで、ナポレオンの目指した政体が既に時代遅れだったことは自明の理だろう。
国民全体が一丸となって戦うイギリス式の政体でなければ間違いなく日本は滅ぶ。その認識は残念ながら幕府要人にはかなり甘かったと言わざるをえない。

共和制というのも非現実的。当時、諸藩が思い思いに勝手な行動をとってバラバラだった日本を一つにまとめ、新しい政体を実施するには、どうしても天皇の看板を借りなければ無理だった。
倒幕したとして、大久保利通や西郷隆盛が新政府首班だったら、当時いったい誰が従っただろうか?
それに天皇を放置すれば、必ず野心家が天皇を利用しようとして、それが新たな争乱の火種となる。
鎌倉幕府も江戸幕府も、結局のところ天皇を担ぐ勢力に滅ぼされたのだから。

ただし、徳川慶喜が本当に賢明であったのは、鳥羽伏見で敗れた段階で抗戦をほぼ諦め、幕府を挙げて新政府に従ったこと。
あそこで小栗忠順の言う通り抗戦したら、確かに幕府は容易く負けなかっただろうが、南北朝時代の再来のような状態になり、最悪100年以上争乱が続いたかもしれない。
そうなれば日本は近代化できず、ロシアに易々と占領されて奴隷になっていただろう。
60名無しさん@おーぷん :2017/08/03(木)20:08:27 ID:ld3
>>59
徳川慶喜は何十時間もの朝廷での議論に打ち勝ち、神戸開港を認めさせた能力がありますが?
これを聞いた木戸孝允が「家康の再来」と脅威を感じたという話は有名です。
61名無しさん@おーぷん :2017/08/03(木)20:17:31 ID:ld3
>>59
帝国主義時代を生き抜けないから神聖ローマ帝国が解体した訳じゃないんだけどね。
神聖ローマ帝国を「解体した」と俗に言われるナポレオンでさえ、己の戴冠式の時にはローマ法王に戴冠してもらっている。
(法王から王冠を取り上げて己の手で被せたというのは俗説。いずれにしてもローマ法王を戴冠式に招いて己の権威付けに利用したのは変わらないが)

この方式は、神聖ローマ帝国に範を取らなくても、日本が源頼朝以来700年に渡って続けてきた幕府体制と同じである。
武家の権力者が、朝廷によって征夷大将軍に任じられれば幕府が開けるという制度は、神聖ローマ帝国やナポレオン帝国の制度と変わらない。

で、そもそも21世紀現在の価値基準から言えば、むしろフランス革命で国内を滅茶苦茶に破壊して特権階級を廃止したフランスの方が「先進国」であり、
21世紀現在、未だに貴族階級が残っており、貴族院も残っているイギリスの方が「時代遅れ」とさえ言えるのですけどね。
(貴族の存在価値や善し悪しはここでは置いておきます)

共和制が非現実と言うなら、倒幕派のイデオローグだった横井小楠は「馬鹿だった」事になりますが?

辛口評論家だった勝海舟が、
「今まで生きてきた中で恐ろしい人物は二人だけ居た。横井小楠と西郷隆盛だ。横井の思想を西郷に実行させたらこれほど恐ろしい事は無いと思った」
と回想するくらいの逸材だったし、
坂本竜馬とか、西郷隆盛とか、横井を高く評価する人間は数限りなく存在したんですけどね。
62名無しさん@おーぷん :2017/08/03(木)20:28:12 ID:ld3
>>59
あと、君は、1867年当時の日本は、【アメリカ並みの軍事力】が在った事を知らない様子だね?
日米修好通商条約で屈辱的な条約を結ばされた江戸幕府は一念発起し、世界中から近代兵器を買いあさり、
軍艦の数や総トン数ではアメリカに負けないくらいの海軍を作り終えていたんだよ?
無論、当時のアメリカはイギリスやフランスに比べれば未だ発展途上国だし、インディアンにすら苦戦する状態で、「西部劇のガンマン」みたいのが横行していた無法地帯であったけど。

日本全土を決して統一していない幕府ですら、十年しないでアメリカ並みの海軍力を整えてしまったのだから、漸進的に近代化する方法は確実に在った。

日本は士農工商の身分制度によって厳しく統制されていたと思われがちだけど、
優秀な人材はいくらでも士分に取り立てられていた。
二宮尊徳や山田方谷は農民から幕府に取り立てられているし、田沼意次は足軽からの小身旗本出身である。
(山田方谷は、幕末の老中の板倉勝静にくっついて採用されたが、すぐに辞職して備中松山の内政に尽力した)
63名無しさん@おーぷん :2017/08/03(木)20:40:37 ID:ld3
それに、坂本竜馬が考えていたという、雄藩諸公による合議制では何故駄目だったのか?
何故「戊辰戦争がどうしても必要だった」のか、これについては答えてないよね。

日本とほぼ同時期に国家統一したドイツ帝国は、バイエルンやビュルテンベルクなどの王国や公告、自由都市などが残ったまま統一されたって指摘も無視だし。

オーストリアなんて、「オーストリア=ハンガリー二重帝国」なんて言って、
議会や行政なんかオーストリアとハンガリーで「別々」にしていたくらいなんだが。
(オーストリアは多民族国家でもあったので、ハンガリー以外にも様々な民族を抱え、自治権も認めていた。また、ドイツ帝国と同じく王国や公国領土も抱えていた)
64名無しさん@おーぷん :2017/08/03(木)20:51:51 ID:ld3
また、伊藤博文や山県有朋などの生き残りは、吉田松陰とか高杉晋作など早世した人々から見れば「残りカス」みたいなゴミであったろう。
池田屋事件で死亡した吉田稔麿(松下村塾の三秀、または四天王と呼ばれた)は、
明治の元老、山県有朋に対してこんな逸話を残している。

稔麿が、放れ牛の絵を描き、さらにそれに烏帽子と木刀に棒切れを添えて描いた。
有朋が、それは何かと尋ねると、稔麿は答える。
「高杉は俗事にこだわらない俊才で、誰もつなぎとめることはできない、これは、野に放たれた牛のようなものである、
久坂玄瑞は雰囲気が立派なもので、烏帽子をかぶらせ、大きな屋敷に座らせれば絵になるだろう。
入江九一は、彼らに比べれば少々劣るが、まあ、木刀くらいのものではある。斬ることはできないが、脅しには使える」。
有朋は、残りの棒切れは何かを尋ねた。
稔麿は、「それはお前だ、凡庸で、何のとりえもない」。

ずっと晩年、伊藤博文が元老となった時に吉田稔麿と比べられた時など、
「自分など足下にも及ばない。天下の奇才だった」と答えている。

また、高杉晋作も山県有朋など吉田稔麿の足下にも及ばないと酷評している。
「吉田が屋敷の主人だとすれば、山県など門番にすらならない」

このように、まるっきり評価されていなかった山県が、明治・大正と日本の政治・軍事・外交を引っ掻き回して、
「長州閥のトップ」として延々ふんぞり返っていたのが日本の大なる不幸であったろう。
65名無しさん@おーぷん :2017/08/03(木)21:07:35 ID:ld3
東北地方の人間にとっては憎んでも憎みきれない無能で害悪だった「世良修蔵」も、
単に「長州出身だから」という理由だけで取り立てられたんだけど、
明治維新を肯定する連中って、世良修蔵とか岩村高俊(土佐藩出身で北陸戦争や佐賀の乱の責任者)みたいなキチガイまで評価して弁護するの?

東北戦争は無用の出来事だったし、北陸戦争も不要。
世良修蔵や岩村高俊みたいな無能の害悪さえ居なければ戦争なんか起きなかっただろうに。
66名無しさん@おーぷん :2017/08/03(木)21:44:17 ID:Nw8
>>42
判断するのは司法じゃないか?国民がおかしな裁判官をクビにできる制度は一応あるよな

>>53
「言えないレベル」、つまり明治憲法と同様の議決も経ているから制定手続きとして問題がないという話であって
言えない状況なんて一言も書いてないぞ
そんな問題が転がっているなら呑気に二院制がどうこう言っている場合ではなかった筈だ
67名無しさん@おーぷん :2017/08/03(木)22:32:39 ID:ld3
>>66
果たしてその「議決」に、当時の日本人が堂々と反対意見を述べられたのですかね?
GHQに逆らったら、問答無用で公職追放の時代ですが。
68名無しさん@おーぷん :2017/08/03(木)23:56:33 ID:Nw8
>>67
玉砕覚悟の連中なら何の障害にもならないんじゃないか?
むしろ「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」というご意向に逆らえるかという問題のような気もする
69名無しさん@おーぷん :2017/08/04(金)00:19:25 ID:zX4()
みんな色々議論してくれて嬉しいやで

>>64
早逝した人間の伝説と、生き残った人間の現実を比較するのは流石にどうかと。
維新にも色々段階があるわけで、段階で求められる能力も変わってくる。
その上、人間経験を積めば成長することもあるわけだから、幕末には凡庸だった人間が維新後に非凡になってもおかしくない。
少なくとも、死ぬ前の高杉晋作と死ぬ前の伊藤博文なら、比較のしようもないが、伊藤が劣っているとは決して言えないだろう。

藩閥政府の弊害としての無能の登用は、これは言い訳のしようもなく悪だと思う。
ただし、ならば旧来の諸藩の家老衆が有能揃いだったかというと決してそんなことはない。長州や薩摩のように有能な執政のいた藩はごく少なかった。

戊辰戦争が本当に必要だったかという問いも、幕府による近代化が現実にはなされていない以上、正確に答える方法はない。
ただし、新政府軍は圧倒的多数の幕軍を破った。それこそアメリカ並みの兵力を持っていた幕軍に完勝した。それは事実であって、列強に対抗する上で新政府軍と幕軍、どちらが有望かは考えるまでもないと思う。
また、新政府軍の会津での残虐行為はまずかったが、一方で旧幕臣の抵抗運動が、大多数の農民や商人には支持されなかったこともまた事実。

それから、雄藩連合の合議制というのは共和制以上に現実離れしていると思う。
一体どこまでが雄藩なのか?肥前は?会津は?加賀は?仙台は?長岡のような軍事力だけ強いような藩は入れるのか?だいたい雄藩連合というのはそれこそ「藩閥政府」なんじゃないのか?
雄藩連合の中で意見が割れたら誰がまとまるのか?まとめられるほどの実力者は存在しなかったのではないか?雄藩合議で意見が通らなかったら、離脱する雄藩が出るのではないか?そしたらその雄藩に対して連合は制裁を加えるのか?
疑問は尽きない。実際にやってもおそらく空中分解しただろう。

イギリスやドイツも完全な中央集権国家だったわけではない。それは事実。
ただ、詳しくは知らないんだが、ドイツ帝国建国後は皇帝に宰相、帝国議会まで作って、かなり中央集権的な政府だったと聞いている
オーストリアもマリア=テレジアの頃にかなり集権化したんではなかったか?
少なくとも、幕末のような各藩やりたい放題の状態とは違ったんじゃなかろうか。
教えてエロい人

樺太については、北海道もロクに開拓できてないのに持っていても仕方ない、という議論だったはず。
まあ千島だってやっぱり持ってても仕方なかったんだが。
ロシアと交戦する危険を冒してまで維持せにゃならん土地だったとは思えない。
当時、日本やアメリカ程度の軍事力じゃ、全面戦争になったらロシアには太刀打ちできなかっただろうし。
70名無しさん@おーぷん :2017/08/04(金)00:36:15 ID:anD
日露の戦後交渉に伊藤が行ってたら満州がアメリカとの共同経営になって排日プロパガンダも抑えられてたりしてな
71名無しさん@おーぷん :2017/08/04(金)00:53:39 ID:So7
>>69
厳密には「藩閥」が問題なんじゃない。
「薩長の独占的支配」が問題なのだ。
広く日本全国の雄藩からの意見を採り入れる合議政体であったなら、自由民権運動など燃え広がらなかったであろう。

幕府からも、東北諸藩からも人材を取り寄せれば良い。

江戸時代、諸侯の数は俗に「三百諸侯」と呼ばれた。
だったら、この三百諸侯全員に、もしくは代理の優秀な人材を推挙してもらい、議会のような形で運営してもらえば良い。

21世紀現在、衆議院の定数は「475人」
参議院の定数は「242人」である。
「三百諸侯」(約270家)と言えば、上院の構成人数として十分なのではないか?

下院は、将来的には国民投票による国会にしても良い。
72名無しさん@おーぷん :2017/08/04(金)00:58:36 ID:So7
>>69
日露戦争前後の伊藤は「ロシアの工作員」になっていたので「老害だった」としか思えませんけどね。
ハルビンで暗殺された時も、いそいそとロシアの政治家に会いに出かけて殺されたんでしょ?

安重根は、「韓国人が主張するのとは全く別の意味で」賛美されるべきです。
「ロシアの工作員と化した、過去の栄光にすがるだけの老害」を殺してくれたのですから。

しかも、伊藤の死から十年後にはロシア革命が起こって共産化しているのですから、
あれ以上ロシアと友好など深める必要など無く、むしろ積極的にロシア征伐に行けるよう、関東軍を強化しておくべきだったでしょうに。
73名無しさん@おーぷん :2017/08/04(金)01:06:53 ID:So7
ヒトラーはオーストリア出身のドイツ人(ゲルマン民族)であるが、
多民族国家のオーストリアの徴兵に応じるのを嫌って国外に脱出。
第一次大戦ではオーストリアでもなければプロイセン王国の兵士でもない、
「バイエルン王国」の兵士として志願し、西部戦線に向かった。
副総統のルドルフ・ヘスも、所属はバイエルン王国である。

無論、対外的には「ドイツ帝国の兵士」という事になるが、あくまでもバイエルン王国が「自発的」に英仏露と交戦したのである。
(無論、ドイツ帝国の宗主であるプロイセン王国皇帝の圧力は在っただろうが)

この辺りは、中国が20世紀初頭までやっていた「中華思想」を思い浮かべれば解りやすい。
中華思想によって、日本を除く中国近隣諸国は軒並み「属国」とさせられたが、内政干渉まで行ったのは稀である。
冊封は行ったが、統治は朝鮮政府やベトナム政府が行っていたのだ。
無論、邪馬台国の卑弥呼や、足利義満時代の日本も、中国の冊封は受けたが、内政干渉までは受けていない。

戦争を避けてこのような「緩やかな連合」という形で漸進的に団結していった方が良かったはずだ。
少なくとも優秀な人材を、国内の無益な戦争で亡くす事だけは無かったであろう。

「戦争するな」なんて教条的九条信者みたいな事は言わない。
それが大いに「国益の為」であるならばすれば良かろう。

だが、どう考えても「戊辰戦争」は「無駄」である。
74名無しさん@おーぷん :2017/08/04(金)01:13:18 ID:So7
>ロシアと交戦する危険を冒してまで維持せにゃならん土地だったとは思えない。

北樺太では、日本が求めてやまなかった「石油」が出たんですけどね。
しかも今でも。

>当時、日本やアメリカ程度の軍事力じゃ、全面戦争になったらロシアには太刀打ちできなかっただろうし。

なんであなたの想定では、
「ロシアはいくらでも極東の紛争に軍事力を動員出来る」
事が不動の前提となっているのです?

シベリア鉄道の単線ですら敷かれていないのですよ?
当たり前ですが、日露戦争の時に猛威を振るったウラジオ艦隊や旅順艦隊だって存在しませんし、
バルチック艦隊なんて、文字通り極東に存在しなかった時代なんですがね。

それに、クリミア戦争は1853年から1856年の出来事です。
ロシアは西側に英仏独伊土の敵国を抱えていた頃なのですが。
西側の守りを手薄にしてまで、極東の島国との戦争を優先しますか?
船が無いから日本に上陸も出来ないのに?

露仏同盟の締結は1894年です。幕府の時代はとうに終わっています。
即ち、それ以前であれば、フランスの援助すら望めず、世界中で角逐していたイギリスの支援などはもっと望めず、
ロシアは日本に大苦戦を強いられていたはずなのですよ。
75名無しさん@おーぷん :2017/08/04(金)01:18:04 ID:So7
シベリア鉄道の建設開始は1891年です。
当然これ以前のロシアの動員力や兵站力など恐れるに足りません。
本拠により近い日本の兵站力の敵ではなかったのです。

日露戦争が始まったのは、ロシアがシベリア鉄道を単線とはいえ完成させ、旅順を要塞化して守備を固め始めたからです。
時間を稼げば稼ぐ程日本に不利になり、ロシアに有利になる一方だったので日本は開戦に踏み切ったのです。

このように、国家間の問題、開戦時期というのは「時間をかければかける程有利」という物ではありません。
日露戦争だけでなく、これは日米戦争、日英戦争、日中戦争、全てに言えます。
76名無しさん@おーぷん :2017/08/04(金)03:39:01 ID:zX4()
>>74
石油が見つかったのってもう少し後じゃないのか?

状況的にロシアが極東にかかってこられない可能性が高いことはわかる。そういう状況があったからこそ対等の交渉ができたわけだから。
ただ、それも確実ではない。未だ練度の低い日本軍が現地ロシア軍に勝てる保証もない。
だいたい当時の日本政府は大隈重信のせいで借金まみれの状態で、その上士族の叛乱や台湾出兵が重なり、とても樺太に兵を出す余裕はなかったと思う。

台湾出兵の時だって、清に再三外交官を送り込んで直談判して、不介入の言質を取ってからやっと出兵した。
最悪を想定しなければ安全保障としては意味がないんじゃなかろうか。
相手がロシアならなおさら慎重にもなるだろう。
77名無しさん@おーぷん :2017/08/04(金)05:44:58 ID:So7
>>76
士族の反乱も台湾出兵も、全ては大久保利通や明治政府の「無能」から来ているんですけどね。
少しずつ士族階級をユンカーのような軍事貴族に昇華させて行くのではなく、
拙速に一片の「秩禄処分」や「四民平等令」「廃刀令」のような「紙切れ」如きで、
「今まで培ってきた強固な身分制度を廃止出来る」
「国民を皆平等に出来る」
「刀は武士の魂という思考が捨て去れる」
などと考えた浅はかさが原因です。
無論そんな事は出来る訳も無く、エタ・非人などは「新平民」として差別の対象になりましたし、
「刀は武士の魂」との思想は、そっくりそのまんま帝国軍隊の中に残りました。
日本では、海軍や航空隊の人間でさえ、抜く事が無い刀を持ち歩いており、剣道の訓練をしていた事は有名です。

台湾出兵については何をか言わんや。
征韓論の時には反対して西郷や板垣を下野に追い込んでおきながら、
台湾には出兵すると言うのだから心底矛盾しています。
少なくとも、今の歴史教科書に書いてあるような、
「大久保や木戸などは内治優先を主張し、西郷ら征韓論者と論争になった」
とかいうのはまるっきり嘘である事が解ります。
征韓論とは、要するに、単なる「派閥争い」「権力争い」「主導権争い」の醜い戦いだったのです。

大久保利通などは、外遊しないで国内に残る連中に対して、
「自分たちが帰るまで一切の改革、近代化は行うな」
などと命じてさえいます。
自分たちの名誉欲と権力欲の為なら、日本が近代化に遅れても構わないと考えていたのが大久保たちです。

さすがに西郷や板垣、江藤新平がこんなふざけた条件を守る事は無く、
外遊組が居ない間にも出来る限りの近代化政策を推し進めていましたが。
中でも江藤新平の働きは目覚ましく、安倍晋三と同じく「汚職大好き長州人」の汚職を手厳しく摘発し、
井上馨や山県有朋の不正を激しく追及していました。
もしここで江藤がクビにされなかったら、今の安倍政権や田中角栄の汚職など絶対に許されない風土が出来たと思います。
昭和電工疑獄で捕まった佐藤栄作(長州人)など、総理になれなかったでしょう。

しかし大久保や木戸は、汚職をする井上馨や山県有朋の肩を持ち、江藤を激しく憎悪しました。
征韓論の一番の標的は、西郷でもなければ板垣でもなく、江藤新平と言っても良いくらいです。

そして、佐賀県令には、長岡藩を戦争に追いやった無能の岩村高俊を任命し、わざと士族が暴発するよう挑発しました。

これが「士族の反乱」の一つの原因です。
78名無しさん@おーぷん :2017/08/04(金)05:52:10 ID:So7
>>76
樺太の石油がいつ見つかったかは知らない。
が、少なくともシベリア出兵の時には有名な存在になっていた。
日本は、樺太の石油の権利に固執し、世界中から非難されようとも1925年まで北樺太から撤退しようとしなかったくらいだ。
最終的に、ソ連が北樺太の油田を日本に供給する約束をした事で日本は引き下がった。
案の定、ソ連が約束を果たす事など無かったと言っても良いが。

>だいたい当時の日本政府は大隈重信のせいで借金まみれの状態

これが何を意味しているか不明だが、松方デフレの前夜の話であるとすれば勘違いである。
松方デフレは「大失敗だった」のであり、大隈重信の時代、既にインフレは収まりつつ在ったのだ。
むしろ、現在日本を見るまでもなく、とんでもないどん底不景気のデフレよりは、
インフレの方がまだマシである。
まして日本は発展途上国であったのだから、不況でありながら物価だけが上がるなどというスタグフレーションの心配など要らなかった。
必要だったのは、過剰供給気味の通貨を引き締める事ではなく、「健全な使い方」に誘導すべきであったのだ。
例えば、日本中に鉄道を敷くだとか、道路を舗装する、川に橋をかけるといった事で構わない。
79名無しさん@おーぷん :2017/08/04(金)09:20:36 ID:anD
現代日本というか結局昭和が終わるまで学習してないんじゃないの?
円高だから内需でしのいでるというのにそれをバブルだとか言いだして日銀が急激に閉めたら
皆ぶっ潰れるのは小学生だって理解できるだろうに
80名無しさん@おーぷん :2017/08/04(金)09:34:58 ID:anD
円高で海外移転を煽った上でバブルをプチプチしたら資金繰りのドサクサで技術流出するに決まっているだろドアホ
81名無しさん@おーぷん :2017/08/04(金)13:48:03 ID:So7
何か明治政府の擁護と、明治政府の批判の話に矮小化されてるけど、
重要な論点はそこじゃないからね?

「明治・大正は立派だったのに、昭和は魔法にかかったように馬鹿で阿呆で間抜けで愚劣で発狂していた」
みたいに主張する>>1の思想が正しいかどうかの検証であって。

「本当に昭和の日本人が【特別異常で劣っていた】などと言えるのか?」

という点に加えて、

「じゃあ、昭和と比較してそこまで賛美される明治政府は、果たしてそんなに立派で有能であったのか?」

という意味で、明治政府の批判が行われてる訳であって。

「愚かさ」で言えば、馬関戦争や薩英戦争を起こした薩長とて相当愚かだったし、
必要の無い戊辰戦争を起こした事や、
政権を薩長だけで独占しようとした藩閥政治、
薩長出身者でありさえすれば、どんな無能でも取り立てられるという異常さ、
自浄作用すら機能せず、汚職を摘発しようとした同志の江藤新平ですら、征韓論論争に発展させて政権から追放、佐賀の乱を引き起こさせて縛り首にするというのが正しいのか?
まして教育勅語などで天皇は「徳を樹つる事深厚なり」などと豪語していたのだから、
なおさら明治政府は「徳治政治」で挑まねばならなかったはずであろう。
実際にやった事は、単なる陰謀と権力闘争、そして腐敗であった事が問題なのだ。

到底、
「昭和の人間よりも明治の人間の方が優れていた」
などとは言えない。

また、江戸幕府も幕府なりに近代化の方法を模索していた以上、
「幕藩体制では日本の近代化は不可能」
というのも無理がある。

幕府だけが近代化に努力していた訳ではなく、
佐賀藩は独自にアームストロング砲を作ってしまったし、
薩摩藩も独自に洋式工場を建設してしまっている。
幕末、全く名前が出てこない加賀百万石の前田家ですら、洋式蒸気船を購入して運用していたのだ。
備中松山藩5万石という山間部に位置する小大名ですら、小規模なりといえども蒸気船を運用し、強力な洋式軍隊を組織していた。

洋学研究に不熱心で近代化に遅れていたかのように思われがちな東北地方でさえ、実際には蘭学研究は盛んであった。

これが日本人である。
82名無しさん@おーぷん :2017/08/04(金)13:59:59 ID:So7
トロイの遺跡を発掘したシュリーマンは、幕末に日本にやってきた事があったと言うが、
シュリーマンが驚いたのは、子守りの少女が赤ん坊をあやしながら、読書に耽っていたという状態であった。
シュリーマンが宿を取った女将さんも読書をしていた。
当時の外国で、女性が、しかも一般人が本を読むなどという事は有り得ず、驚愕の対象だったのだ。
(また、おんぶひも一つで赤ん坊を抱えながら両手を扱えるようになるという工夫にも、外国人たちは驚嘆した)

当時のヨーロッパでは、イギリスのロンドンの、しかも男性でさえ識字率が20%という状態である。
フランスでは、6割以上の男性が「結婚の際の役所手続きで自分の名前すら書けない」と言われていた。
一方の江戸の町ではほぼ全員の男性が文字が読めたし、女性も七割の女性が読み書き出来た。
女性の寺子屋の主が存在したくらいである。

こんな日本が、戊辰戦争のような多大な血を流す「暴力革命」を行わなければ近代化出来ないと言うのはおかしいのではないか?
83名無しさん@おーぷん :2017/08/04(金)14:53:37 ID:ne2
>>82
文化程度が高かったことは事実だとは思う。
ただ、それは倒幕が不要かどうかとはまた別の問題だ。
だいたい、旧来の階級社会では、そういう末端の文化力を国力に昇華させることは難しかったんじゃないのか?
幕軍はそういう力を活用できなかったからこそ、力士やら大工やら、そこらへんのおっさんかき集めて作った奇兵隊に敗れたんじゃないの?

それに、「戊辰戦争が不要か」という問いには全く別の答え方もある。
即ち、德川慶喜が降伏した新政府に、奥羽越の諸藩が抵抗しなければそれで済んだ、という答えだ。
会津・庄内両藩が江戸城開城に倣って武装解除し、藩主が謹慎すれば、新政府としてもそれ以上の戦争は必要なかった。

つまり、たとえ幕府の決定でも、諸藩が従うとは限らないということ。諸藩の命運を決するような重大な決定なら、特に従わない藩は多いということがわかる。
そういう争乱が現実に起こったこと自体、幕府中心の平和的・漸進的な近代化が困難であったことの一つの証だと思うんだが。
84名無しさん@おーぷん :2017/08/04(金)15:12:02 ID:ne2
>>81
別に政争のためだけに征韓論を潰したわけじゃなかろう。
当時の国力で朝鮮を押えるなんてとても無理な話。ちょっと朝鮮朝廷に工作して、朝鮮に自力で近代化してもらうくらいしか手段がなかった。
賄賂関係で江藤新平が目障りな存在になっていたとしても、江藤を潰すためだけに江藤と真逆のことをいって論争して、西郷や板垣まで一緒にして追い出した、というのはあまりにも曲解しすぎだと思うんだが。

確かに山縣は金に汚かったが、新政府全員が汚職まみれだったとは思わない。松方正義のような廉潔な有司も多かった。松方は財政のことしかわからなかったが、明治天皇の信任は非常に厚かったという。
だいたい世界的に見ても、日本の政治家や役人は賄賂の授受がかなり少ない方だ。

「薩長なら出世できる」というのも、それまでの「家老の子なら出世できる」のと何が違うのやら。藩閥の無能が多かったとしても、それは頭の固い諸藩家老とくらべてどうだったのか。
それに中央集権国家では、出先の人間は中央の言う通りに働くんだから、求められる能力もいわゆる「有能」とはまた違うものなんじゃないのか?
85名無しさん@おーぷん :2017/08/04(金)15:15:26 ID:ne2
>>77
台湾出兵に関しては、「日本国民である琉球人」が台湾人に殺傷されたから、そういう事件が再発しないように出兵した。
朝鮮にはそういう大義もないし、「化外の地」という清の言質もないわけだから、台湾出兵と同列に扱うことはできない。
むしろ、「政敵の言うことでも正しいことは実行した」と評価できるんじゃないか?
86名無しさん@おーぷん :2017/08/04(金)15:19:52 ID:So7
>>83
勘違いがある。
新政府軍は、
「武力倒幕以外の道は無い」
と最初っから言い放っていたのだ。
例えば西郷隆盛が武力倒幕の口実捏造の為に、
江戸で押し込み強盗や火付け強盗を働いて騒ぎを起こした事は有名だ。

また、会津藩は最初っから恭順姿勢を見せていたし、
北陸戦争で最も激しく抵抗した長岡藩とて、最初は中立を宣言してどちらにも味方しない姿勢だったのだ。

これを強引に戦争に持って行ったのは、
「世良修蔵」と言うキチガイであり、
「岩村高俊」と言う若僧であった。

世良修蔵は「会津は不倶戴天の敵」「会津を滅ぼす以外の条件は認めぬ」と居丈高に言い放ち、
虎の威を借る狐となって最初は新政府への恭順姿勢を見せていた仙台藩や米沢藩に対して居丈高に振る舞った。
加えて、世良修蔵と一緒に仙台にやってきた新政府軍の質は至って悪く、仙台で略奪や強姦を働いたり、
「竹と雀を奪って俺たちの者にしてやる」などと唄って仙台藩を激怒させた事すらあった。
(「竹と雀」は仙台藩伊達家の家紋であり、仙台藩の武士として最大の侮辱である)

仙台藩や米沢藩がどんなに尽力して寛大な和平提案を行っても世良修蔵はそれを拒否し続け、
結果的に「奥羽は皆敵」と書いて新政府に讒言しようとした事もバレて仙台藩の憎悪を浴びた世良は、
仙台藩の藩士に斬り殺されている。

しかも死に際は遊郭で女と遊びほうけており、
二階から飛び降りて逃げようとして骨折し、命乞いをしながら惨めに殺されたとか。

こんな情けない、武士道の風上にも置けない小人が、
「ただ長州出身である」
というだけで出世していたのが明治政府の実状であった。

こんなのが相手では、会津がどんなに譲歩しようと戦争は避けられないであろう。

ルーズベルトという反日狂人を相手に、絶望的な交渉を強いられた昭和日本のようなものである。

そもそも、会津藩と桑名藩は「京都守護職」と「京都所司代」として尊皇攘夷派の恨みを買っていたらしいが、
京都の治安を乱して押し込み強盗や火付け強盗を働いていれば、弾圧されて当たり前ではないか。
87名無しさん@おーぷん :2017/08/04(金)15:27:14 ID:So7
>>84
台湾は風土病が蔓延し、首狩り族が存在する朝鮮以上の野蛮な土地でしたけど?

そもそも征韓論論争のわずか2年後には、「江華島事件」で無理やり朝鮮を砲艦外交で開国させたのだから、君の理屈は成立しないよ?
西郷隆盛は江華島事件を聞いて大変立腹したらしいけどね。

「ならば何故征韓論を潰したのか」

「日本がかつてやられて非常に嫌な思いをした砲艦外交を、朝鮮相手ならこっちから仕掛けても良いと言うのか」

西郷の理屈は筋が通っている。
二年前に征韓論を潰した同一人物たちが、
日本がやられて非常に屈辱に思った砲艦外交で江華島事件を起こし、
これまた日本が押しつけられて非常に嫌な思いをしている不平等条約を朝鮮に押しつけた…

「己の欲せざる所、人に施す事なかれ」(論語)

自分がやられて嫌な事を朝鮮に押しつけている国が、「道義」など「徳」だの言う資格はなかろう。
日本はここで欧米諸国と変わらない、ただの帝国主義国家、侵略国家の仲間入りを果たしたのだ。
88名無しさん@おーぷん :2017/08/04(金)15:32:35 ID:So7
>>85
そもそも他の人間はいざ知らず、西郷隆盛は「征韓論」ではなく、「遣韓論」だったのだが。

即ち、己が江戸城無血開城の時の如く直接朝鮮に赴き、誠意を持って朝鮮国王や臣下たちを説得する。
これが西郷の考え。

もしもその結果、日本と朝鮮が友好関係を保って相互に付き合いが出来れば良いが、
万一、朝鮮人が西郷を殺そうものなら、その時初めて「征韓」すれば良い、
そうすれば日本は真心を籠めて説得に励んだのに、朝鮮は日本の誠意を受け止めなかったとして大義名分は立つ。
西郷は征韓論者であった板垣辺りをこのように説得していた。

西郷隆盛が激怒した江華島事件は、このようなステップ一切抜きで、
しかも日本が押しつけられて苦しんでいる不平等条約を朝鮮には押しつけるという道義的に見てまことに不届き千万な物であった。
89名無しさん@おーぷん :2017/08/04(金)15:34:24 ID:So7
>>86の続き。

また、何故「庄内藩」が「逆賊」なのか?
庄内藩は京都守護職でもなければ、京都所司代でもない。
尊皇攘夷派弾圧などには関係していない。

単に、鳥羽・伏見の戦いの頃、「江戸留守居役」を仰せつかっていただけである。
薩摩藩が、西郷隆盛の指示の下、江戸で強盗や殺人など治安を乱す乱暴狼藉を働いたから取り締まっただけであり、
薩摩藩に強盗の下手人を引き渡すよう口頭で要求している。
それを拒否したのは薩摩藩の側であって、
庄内藩が問答無用で焼き討ちにした訳ではない。

「強盗を取り締まれば、名指しで明治新政府に逆賊認定されて討伐される」

って、さすがにそれはおかしいだろ。
90名無しさん@おーぷん :2017/08/04(金)15:49:15 ID:So7
長岡藩の場合も、決して会津の肩を一方的に持っていたのではない。
「進軍を一時ストップしてほしい。責任を持って会津藩を説得し、戦争無しで解決してみせる」
と和平の斡旋を申し出ていたのだ。

岩村高俊は、土佐出身で「陸援隊」の一員ではあったものの、坂本竜馬にも中岡慎太郎にも会った事の無い、
「没後の入隊」でしかなかった小物であった。

北陸戦争の時、岩村はまだ「22の若僧」でしかなかった。
こんな男が、「土佐藩出身」「陸援隊の一員」という肩書きだけで、
新政府軍の「監察」「応接係」などという大役を任され、各藩の家老を顎で使っていたのだ。
長岡藩の英雄であった河井継之助に対しても、
「どこの藩でも居る馬鹿家老と思った」
などと後年述懐している。

山県有朋でさえ、長岡戦争で長岡藩の激しい抵抗に遭って奇兵隊の隊長ですら殺される事態に、
「岩村のような小僧に応対させるのではなかった」
と地団駄踏んで悔しがったそうだし、
北陸戦争の真っ最中でありながら女を侍らして豪勢な朝食を取っていた岩村に激怒して蹴り飛ばしたという逸話が残っている。

この手の「小物」が、単に「出身地だけ」という理由で引き立てられたのが明治維新の本質。

島崎藤村の父親は信濃の尊皇派だったのに、
「薩長出身者ではない」という理由だけで政権にありつけなかった。
それを島崎藤村が小説に書いたのが「夜明け前」である。
91名無しさん@おーぷん :2017/08/04(金)16:59:30 ID:So7
一万円札の顔、明治日本を代表する知識人であった福沢諭吉は、
「痩せ我慢の説」という本を書いている。
「脱亜論」ばかりクローズアップするバカウヨが、何故か無視する文献だ。

福沢はこの書の中で、勝海舟と榎本武揚の二人を激しく非難した。
「武士は二君に仕えず」の武士道を捨て去って、かつての敵である新政府に嬉々として仕えていたからだ。
福沢諭吉は「門閥制度は親の仇」と言うほど嫌っていたが、「武士道」まで捨てた訳ではなかったのだ。
むしろ福沢自身は武士道を日本を代表する思想として高く評価していた。
己も、死ぬまで武士である事を誇りに思い続け、居合い切りの稽古に没頭し続けた。
一説には、福沢諭吉の死期を縮めたのは「居合い切りの稽古のやりすぎ」とも言われている。

福沢諭吉は、「痩せ我慢の説」以外にも様々な箇所で明治政府のやり方を批判していた。
直接批判すると言論弾圧国家にしょっぴかれるので、回りくどい言い方になったが。
先ほどの「武士道を忘れ果てた元幕臣」に対する批判も、当然の事ながら単に勝海舟や榎本武揚への批判だけに留まらない。

かつて「尊皇攘夷!」とか言って騒いでいたくせに、維新後には忘れ去って贅沢三昧な生活をし、
ただひたすら「欧米化」への道を突き進んでいた薩長出身者への批判も包含していたのだ。

別の書、「文明論の概略」の中では、もっと直接的に欧米化に邁進する日本を批判している。
福沢諭吉は、単に日本を欧米のような国に置き換えよう、
いわゆる「日本的なる物」を滅ぼし尽くして顧みない連中を激しく嫌悪した。
福沢は既に「文明論の概略」の中で、日本が欧米諸国と大戦争する運命に在る事を予見している。

日本がこのまま欧米諸国にならって近代化、帝国主義化への道を歩むのであれば、
いずれ日本も一つや二つくらい植民地を獲得する事になる。
当然の事ながら、それは欧米諸国との軋轢を生む事となり、それがいずれは戦争の火種になるであろうと。

実際、日本が日清戦争で台湾を領有しただけで、ほぼ同時期にフィリピンを領有したアメリカとは緊張状態に陥っている。

朝鮮を併合したら、ロシアと国境を接する事となり、満州にも深入りしなければならなくなった。
満州に深入りしたら、今度は中国大陸にも深入りしなければならなくなったし、アメリカとの摩擦も激しくなった。

福沢諭吉の予言通り、日本が帝国主義政策を突き進んだせいで、欧米諸国と軋轢が積み重なり、結果として戦争になったのだ。

福沢諭吉は、自分は決して戦争待望論者でもなければ、侵略主義者でもないとした上で継のように言っていた。
「日本はいずれ欧米列強と戦争になるであろうが、その時日本の武器となるのは決して欧米の価値観ではない。
日本人を日本人たらしめていた物、つまり日本的なる物こそが日本人の最大の武器となるであろう」
92名無しさん@おーぷん :2017/08/04(金)17:04:28 ID:So7
福沢諭吉は「門閥制度は親の仇」と呼ぶ程嫌悪していたが、
単なる欧米のやり方の猿真似もまた嫌っていた。
(「欧米者流」と呼んで吐き捨てている)
福沢にとって「近代化」とは、日本の独立と個性を維持する為の物であり、それ以上でもそれ以下でもなかったのだ。
日本をひたすら欧米のような国に作り替えるなど論外であり、
あくまでも日本固有の精神や文化を維持したままの漸進的近代化が福沢の考えであった。
93名無しさん@おーぷん :2017/08/04(金)17:17:51 ID:anD
>「愚かさ」で言えば、馬関戦争や薩英戦争を起こした薩長とて相当愚かだったし、
結局問題は攘夷論なのであって、連中が地方では対抗出来ない事を悟った結果の中央集権化であり富国強兵策だったのだが、
それが実現すれば今度は自分達が攘夷を受ける立場になるんだということもしっかり言い含めておき
自らの経験を活かして各地のナショナリズムに鞘当てされないような布石を打っておくべきだったのだろうな
出る杭は打たれるという当たり前の事を知らない馬鹿なんてどこの世界でも孤立するに決まっているわけだ
94名無しさん@おーぷん :2017/08/04(金)17:51:07 ID:So7
攘夷論は消滅したのではなく、大東亜戦争にリバイバルしたのだと思いますね。
「新しい歴史教科書を作る会」の会長だった西尾幹二が指摘していましたが、
日本はペリーの開国要求以来「百年戦争」を戦っていたと言えます。

一人や二人の外人を刀で斬り殺す「小攘夷」から、
軍艦や最新式鉄砲、航空機なども揃えた近代的軍隊による「大攘夷」という訳です。

「馬鹿は痛い目見ないと解らない」と俗に言いますが、
幕府はアヘン戦争の清国の敗北を見てさっさと開国姿勢に転じたというのに、
いつまでも理解せず徹底的に叩き潰されるまで理解出来なかったのが薩長という訳です。

もしも馬関戦争や薩英戦争で、香港と同じように植民地化されていたらどう責任が取れたというのでしょう?
賠償金も自分で仕掛けておきながら幕府に丸投げしましたし、とことんやり方が汚いです。
95名無しさん@おーぷん :2017/08/04(金)17:55:30 ID:So7
>>93
元々、江戸時代には朝鮮とも清国とも摩擦など無かったのであり、
朝鮮などは将軍の代替わりに「通信使」を送ってくる間柄でした。
裏でどう思ってたかは知りませんが、決して表向きは仲が悪い関係ではなかったのです。

それを江華島事件を仕掛けて、自分がペリーにやられて屈辱を感じた砲艦外交で開国させたというのが日韓関係の不幸の始まりでしょう。

こういうのが在るから戦後左翼に、
「日本もろくでもない帝国主義国家だった」
と批判されるのですよ。

道義面だけはどこの国にも負けないと胸を張って言える振る舞いをしておけば、
決して戦後の日本人の多くが、理不尽な罪悪感を感じる事など無かったと思います。
96名無しさん@おーぷん :2017/08/04(金)18:38:00 ID:anD
日露当時の意識のまま列強に攘夷しているつもりで大戦始めた訳だが、実際には彼らに攘夷された結果の包囲網だった訳だ
開国を求めたアメリカが鎖国するというならいつでも鎖国できるようにしておくべきだったね、ソ連じゃないけども
97名無しさん@おーぷん :2017/08/04(金)21:31:55 ID:So7
>>96
というか、その間、「模範的な欧米主導の体制」に順応しようとして日本は生きてきた。
不平等条約を屈辱を感じながらも受諾した時と一緒だ。
しかし米英の勝ち組クラブが日本を対等な存在として認めてくれる事は無かった。

一方、「民族主義国家」を標榜していたドイツは、日本人を「対等の人間」として認めてくれた。
『我が闘争』で日本人を、
「アーリア人種が生み出した産物をコピーするしか出来ない二流民族」
と書いたヒトラーは、のちに公式に誤りを認めて、日本人を高く評価するようになった。
今からすれば「馬鹿馬鹿しい」かもしれないが、
ヒトラーは日本人の事を「名誉アーリア人」と認定したのだ。
ナチス基準、アーリア民族主義基準で言えば、日本人が一流民族として認定された事と同義であった。

このように、米英よりドイツの方が日本人差別は少なかったのだ。
98名無しさん@おーぷん :2017/08/04(金)21:41:55 ID:So7
「週間ドイツニュース」というのがあった。
名前の通り、一週間の間に起こったドイツのニュースを取り扱う映画であったが、
このドイツニュースの中で、最も頻繁に登場した「非ドイツ人」は誰だったのか?

実は、日本大使の「大島浩」(陸軍中将)であった。
白人ではなかったのだ。
当時のドイツ人で「ジェネラル・オオシマ」を知らない者は、子供でさえ居なかった。
今で言うハリウッド大スターの如く、日本大使の大島浩を登場させていたのだ。
当時の世界中の国々の中で、黄色人種の、しかも大使をこのような大スター扱いしていた国がどこに在ったのだろう?

アメリカ人やイギリス人は、昭和天皇ですら、
「眼鏡で出っ歯の不潔で陰謀を企んでいる卑怯者」
みたいなカリカチュアとして描いていた時代である。

まあ、アングロサクソンの世界では、「神」以外に絶対的に崇め奉る者など存在せず、
少し前に世界中で大ヒットしたMr.ビーンの中でさえ、エリザベス女王をチェーンソーで真っ二つにして笑いを取るような国民性であるのだから、
昭和天皇に対してそのような不敬な振る舞いに及ぶのも理解出来るが。
(国旗への敬意も無いから、平然と自国国旗を水着や制服などに作り替えられる)
99名無しさん@おーぷん :2017/08/04(金)22:14:39 ID:anD
イギリスなんか折角家康から東京湾内に領地貰ってたのに、東インド会社の内輪揉めで撤退しちゃったんじゃなかったか?
当時アメリカは当然存在しないが、立ち寄ったと思われる「奥州王」の使節はローマで市民権貰って貴族と認めてもらったが、
太平洋交易は実現しなかった結果攘夷したのが鎖国と呼ばれた状態だった訳だが、実現していたら新大陸の歴史も変わっていたかもね
100名無しさん@おーぷん :2017/08/04(金)23:57:19 ID:So7
アメリカ人のまことに奇妙な点は、
「自分たちは、帝国主義に狂奔する国々の中で、唯一善意と人道に満ち溢れた博愛国家である」
などと狂信していた点に在った。

第二次大戦中、ルーズベルト大統領はイギリスの大使と会談した際、話題が世間話になった。

「私はイギリス人を尊敬しており、こんな事は申し上げたくはないのですが」
と述べた上で、ルーズベルトは香港をイギリスがアヘン戦争で奪い取った過去を持ち出して婉曲に批判した。

イギリス大使は呆気に取られ、こう答えたと言う。
「大統領…確か私の記憶が確かならば、その頃のあなたのお国は米墨戦争の真っ最中ではありませんでしたか?」

ルーズベルトが特別馬鹿なのではなく、アメリカ人の大半がルーズベルト並みの理解であった。
アメリカは常に正義と人道と博愛の下に行動する清く正しい国家であると信じていたのだ。
このような「善意の押しつけ」ほど、はた迷惑な話も無い。

中国大陸に於ける「門戸開放」「機会均等」の訴えも、中国を植民地化の危機から救ったなどと評価する声もあるがとんでもない。
アメリカは中国市場を独占したかっただけだ。
しかし、既に日本とヨーロッパ列強が中国市場を分割していたので、
「俺にも分け前を寄越せ」と言いたいが為だけに、誰にも反対出来ない「綺麗事」を大義名分に仕立てあげた訳だ。

アメリカのこの手の「綺麗事」は数え上げていけば枚挙に暇が無い。
国際連盟を提案した張本人でありながら、国際連盟に縛られる事を嫌がって自身は加盟しなかったり、
九カ国条約で、以後中国大陸での問題は九カ国の話し合いで解決すると定めたにも関わらず、
自分だけ中国政府と勝手に交渉を行って利益を独占しようと試みるなどである。
「ハリマン提案」もただの「綺麗事」でしかなく、あんなのを受諾していたら、日本は結局裏切られて満州権益をアメリカに奪われていたであろう。

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明治・大正ときて、昭和になった途端にみんな馬鹿になる