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後北条氏時代の江戸

1名無しさん@おーぷん:2017/09/09(土)09:56:06 ID:Ds0()
史料となるのは分限帳や寺社の記録その他
2名無しさん@おーぷん :2017/09/09(土)10:12:22 ID:Ds0()
増上寺
http://www.zojoji.or.jp/info/
>その後、1470(文明2)年には勅願所に任ぜられるなど、
>増上寺は、関東における浄土宗教学の殿堂として宗門の発展に寄与してきました。

後北条氏時代のちょっと前だけどこの頃から増上寺は結構発展してたようだ

法恩寺
http://houonji-web.jp/houonji_toha.html
>開山は本住院日住上人、開基は太田道灌公であります。

>又、当山には秀吉、家康共に小憩され、朱印地も与えられました。

それなりの建物が後北条氏時代には既にあったようだ
3名無しさん@おーぷん :2017/09/09(土)10:19:07 ID:Ds0()
飯倉郷
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E5%80%89_(%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E6%B8%AF%E5%8C%BA)#.E9.A3.AF.E5.80.89.E9.83.B7
>御馬廻衆大草左近大夫康盛 39貫780文 「飯倉之内前引」
>江戸衆島津孫四郎 38貫150文 「飯倉内桜田善福寺分」
>江戸衆飯倉弾正忠 11貫280文 「飯倉之内」
>江戸衆太田新六郎康資 14貫850文 「江戸飯倉内小早川」 寄子衆蒲田氏に配当

こんな感じで小田原衆所領役帳を見ていくと
後北条氏時代の江戸に
少なくともどれくらいの人がいたのかもある程度分かる

ちなみにこの貫高は兵数との整合性的に税収を表す
4名無しさん@おーぷん :2017/10/11(水)17:23:07 ID:gHH
小田原衆所領役帳によると
後北条氏時代に既に
江戸は江戸城や江戸前島の辺りだけじゃなく
広域になってるんだよな

ただ江戸時代の江戸と範囲が同じ所と違う所がある
そして後北条氏時代の方が江戸の範囲が広い感じ
5名無しさん@おーぷん :2017/10/11(水)17:26:29 ID:gHH
後北条氏時代の江戸の範囲は
豊島郡や荏原郡の広い範囲+新座郡の一部+多摩郡南東部の一部な感じ

後北条氏は街道と伝馬制の整備に熱心だったし
内陸に楽市を設けているけど
内陸の方を重点的に町の開発をしていたのかも
6名無しさん@おーぷん :2017/10/11(水)17:27:53 ID:gHH
あと江戸に限らず
中世の城下町は近世城下町と違って
城の近くの色々な所に町がある感じ
7名無しさん@おーぷん :2017/10/22(日)00:05:53 ID:0RN
江戸魚市場めぐり(2)-四日市-
http://blog.goo.ne.jp/kyrie999/e/24ffa4d27d5733ca3919d049f7dda8a3
>この辺りは幕府が開かれる前から四日市場村という村落があり、
>市が立ち、商いが行われていた場所。
>野菜や乾魚などを売っていたとか。

太田道灌時代の江戸城にいた人(万里集九)も
門前に市があるって言ってたし
後北条氏時代の江戸にも引き続き市があったのだろう
8名無しさん@おーぷん :2017/10/22(日)00:08:12 ID:0RN
後北条氏時代の江戸→
後北条氏時代の江戸城の前にも
訂正

市は江戸の他の場所にもあるな

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