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北条が秀吉に臣従してたら

1名無しさん@おーぷん:2016/09/15(木)21:24:20 ID:Sti()
秀吉死後は家康と5大老筆頭を争うくらいにはなれたの?
2名無しさん@おーぷん :2016/09/15(木)22:29:48 ID:AWW
家康の領地はどこになるんだ?
3名無しさん@おーぷん :2016/09/15(木)22:51:56 ID:Sti()
三河のまま?
4名無しさん@おーぷん :2016/09/16(金)00:20:55 ID:7Sa
小田原攻めがキャンセルだと伊達がどういうことになってたのか気になるな
5名無しさん@おーぷん :2016/09/16(金)05:44:58 ID:0g9
秀吉が認めないだろ。
あんな大領土を維持したままの臣従なんて。

第一、最近の研究では、北条の側は臣従する意思が有ったが、秀吉が拒否って戦争になったらしい事が解ってきているそうだし。
北条側は、反秀吉派の筆頭の氏政が、上洛しようと準備を整えていたらしいし。

中央情勢に疎い東北地方の諸大名に、豊臣家の力を見せつける為にも、北条家は血祭りに上げられなければならなかった。
6名無しさん@おーぷん :2016/09/16(金)18:35:01 ID:Fv3()
>>5
徳川と北条の扱いの差は何に起因したんだろう
小牧長久手で手痛い目にあったとは言え、がちで押し切れば秀吉が徳川滅ぼすこともできたでしょ
7名無しさん@おーぷん :2016/09/16(金)20:09:07 ID:0g9
>>6
家康を滅ぼすのはかなり時間かかったと思うけど。
東海道に加えて、甲斐国や信濃国のような山岳地帯までもが家康領土でしょ?
で、家康は北条と同盟を結んでいるし、この状況下では、東北地方の諸大名もどう動くか解らない。

毛利家とかの扱いを見てると、「百万石」くらいまでなら秀吉も認める許容範囲だったんじゃないの?
北条は、氏直の代には余裕で二百万石を突破してたから、到底許容出来なかったという訳で。

伊達も、葦名領土を併合して百万石を突破してたから没収されてるし、
さらに後の一揆煽動も加味されて、最盛期の半分近くにまで石高を落とされたよな。
(新田開発を繰り返して、結局江戸時代初頭には百万石の大領土に持ち直したけど)
8名無しさん@おーぷん :2016/09/16(金)20:46:17 ID:Fv3()
>>7
なるほどねぇ
いやなんでこんなこと思ったかっていうと、秀吉亡き後は徳川一強で天下が動いたけど
対抗馬として北条が残ってたらめっちゃ面白い話になってたろうなって
9名無しさん@おーぷん :2016/09/16(金)20:47:12 ID:7Sa
家康が慎重だったってことなんだろうな
小山会議と小田原評定の違いかな?
10名無しさん@おーぷん :2016/09/16(金)21:14:54 ID:7Sa
とりあえず国内は平定されるわけで、大陸出兵時期が繰り上がるわけだよな?
秀次に関白を譲らず、明との交渉は家康に任せたらどういう結果になったんだろうか?
11名無しさん@おーぷん :2016/09/16(金)21:18:58 ID:0g9
>>8
北条と徳川は姻戚関係に在る同盟国だよ?
恐らく、徳川の本国から遠く離れた九州か東北にすっ飛ばされ、
200万石を与えられて終わりだったんじゃないのかな?
12名無しさん@おーぷん :2016/09/16(金)21:24:08 ID:0g9
>>10
そうかね?
もし北条征伐をやらなかったら、東北地方の諸大名が秀吉の実力を認めなかったと思うけど。

例えば、最近有名になってきた話として、石田三成の「忍城水攻め」が有るよな?
石田三成の「戦下手」を証明する根拠みたいに長年言われ続けてきたけど、
実際には秀吉が、反対する三成の意見をはねつけて強引に水攻めを強行させたと。
あれって、関東地方や東北地方の諸大名に、豊臣家の力を見せつける為のデモンストレーションでしょ?
あれとか、小田原城を十重二十重と囲む光景を目の当たりにしなかったら、東北地方の諸大名たちが臣従を決意したか甚だ疑問なんだけど。
13名無しさん@おーぷん :2016/09/16(金)21:31:11 ID:0g9
>>10
秀吉としては、福島正則とか加藤清正とかの子飼いの武将に、
もしくは宇喜多秀家とか小早川秀秋とかの養子に大陸で大領土を与えたかった訳で、
まず、既に250万石の大領土を誇ってる家康に任せるとか有り得ないでしょ。
14名無しさん@おーぷん :2016/09/16(金)21:33:01 ID:7Sa
>>12
見せるだけならどこだっていいでしょ
大陸出兵をデモンストレーションにしたほうがもっと大規模にできる
15名無しさん@おーぷん :2016/09/16(金)21:36:33 ID:0g9
それか、秀吉の養子扱いだった結城秀康辺りを朝鮮に配して、
家康に家臣団の半分くらいを朝鮮に送れとか命じて戦力を削ぐ事も出来ない訳じゃないけど。
結城秀康は家康よりも秀吉の方を慕ってたみたいだし。
秀吉が家康並みに狡猾だったら、そういう手も有ったかも知れない。

家康が実際、伊達政宗に仕掛けた罠がそれだったし。
関ヶ原の戦いで「百万石のお墨付き」を与えておきながら約束を反故にした事で怒った政宗を慰める為に、
東北地方から遠く離れた四国の宇和島に伊達家の分家を作らせてあげ、結果的に伊達家の戦力を削ぐ事に成功してるし。
16名無しさん@おーぷん :2016/09/16(金)21:38:53 ID:0g9
>>14
今みたいにインターネットも無ければ、電話もラジオもテレビも存在しない時代に、
海の向こう側でデモンストレーションを行って何の意味が有るのよ?
情報が伝わると思う?

それに人間は聞いた事よりも、己の目で見た事を信じる物だからねぇ。
朝鮮に実際に渡海しない限りデモンストレーションにはならんでしょ。
17名無しさん@おーぷん :2016/09/16(金)21:48:20 ID:7Sa
>>16
そもそも小田原攻めだって行かなきゃわからないのは同じ
18名無しさん@おーぷん :2016/09/16(金)22:35:10 ID:0g9
陸路で歩いて行けるのと、
遠く海路を(しかも安全ではない海路を)行くのとでは苦労が違うのでは?
19名無しさん@おーぷん :2016/09/16(金)23:31:39 ID:7Sa
だからこそ動員力が凄いと言えるわけで
結局見返り次第だよな
気候的には東北の冬と比べてどうだったんだろ
20名無しさん@おーぷん :2016/09/17(土)12:12:40 ID:nqg
>>19
朝鮮王朝の悪政続きで米が取れないから、寒さはともかく、補給が続かない。
実際、戦死者なんかより餓死者や、病死者の方が多かったんじゃなかったっけ?
21名無しさん@おーぷん :2016/09/17(土)22:09:36 ID:hEj
虎退治してる暇があったら小田原みたいな補給不要な拠点をどんどん作っていけばよかった気がする
22名無しさん@おーぷん :2016/09/18(日)00:49:08 ID:5w2()
面白い
もっと話聞かせて欲しい
23名無しさん@おーぷん :2016/09/18(日)02:10:42 ID:17O
コマ郡とか海を渡った難民が開拓したみたいな地名が東国には沢山あるわけだから
その辺ゆかりの人材掘り出してくればもっとマシな口実付けられたんじゃないだろうか?
24名無しさん@おーぷん :2016/09/18(日)14:54:04 ID:sj3
この時代、「侵略=悪」なんて概念無いから、
口実なんか必要ないでしょ。
秀吉の頭の中では、台湾も琉球も朝鮮もシナも、
小田原征伐や九州征伐をするのと同レベルの次元であったという時代感覚だったという訳で。
実際そういう時代だったしね。
25名無しさん@おーぷん :2016/09/18(日)15:11:39 ID:sj3
信長は内政下手だから無理だったろうけど、
秀吉は内政上手の人たらしだったから、
もし長生きしていたら朝鮮は勿論、満州、シナ大陸本土、天竺まで占領出来ていたかもね。
日本王朝とか、倭王朝のシナ王朝が出来ていた訳だ
26名無しさん@おーぷん :2016/09/18(日)15:29:17 ID:17O
>>24
いや、交渉の口実
そもそも私戦禁止に違反したという口実で征伐したり処分してるんじゃない?
27名無しさん@おーぷん :2016/09/21(水)17:59:40 ID:PRM
朝鮮出兵の300年後、日韓併合が行われる訳だが、
それを強行した初代朝鮮総督の寺内正毅は、朝鮮をその目で視察して、
「まるで鎌倉時代のようだ」
と述べたそうな。

農業一つ取っても雨乞い頼み。
雨が無ければ干ばつになり、雨が降りすぎれば洪水になる……
当然、人々の平均寿命も短く、20代で亡くなる者も多かった。
(鎌倉時代は、執権の北条家ですら30代で亡くなる者が多かった)
28名無しさん@おーぷん :2017/01/25(水)18:34:52 ID:JhN
>>20
それに、北朝鮮地域は米食地域ではなく、雑穀地域でもあるし、
仮に補給が続いても、当時の日本人の食生活で慣れ親しめたかどうか疑問。

いずれにせよ、占領地から早々に内政を開始していればなぁ……
内政のスペシャリストの石田三成とか増田長盛とか五奉行の面々をさっさと送り込んで、現地で自給自足出来るよう工夫をするべきだった。
29名無しさん@おーぷん :2017/01/25(水)21:21:39 ID:h8J
っていうか黒田ですら匙投げて帰ってきちゃう仲の悪さってどうにかならなかったの?
いっそ外様を国替えして送り込んだほうが浮いた監視役の人材を有効活用できたりして?
30名無しさん@おーぷん :2017/01/26(木)11:04:49 ID:BZW
加藤清正と小西行長の仲の悪さはどうしようも無い。
元々秀吉子飼いの武将同士だった時から仲が悪かったので。
秀吉もそこを承知の上で盛んに競争させてたし。
まさか豊臣家を二分するほどの激しい争いになるとは想像もしてなかったんだろう。

ちょっと考えれば、加藤と小西には、逆に「共通の基盤」が無さ過ぎて仲良くなれるはずが無い事は明らかだったんだけどね。

農民代表VS商人代表

尾張代表VS近江代表
(小西は堺出身、備前育ちだが、どっちかと言えば親石田派)

狂信的日蓮信者VS狂信的クリスチャン

重農主義VS重商主義

陸軍代表VS水軍代表
31名無しさん@おーぷん :2017/01/26(木)11:09:01 ID:BZW
>>29
むしろ、秀吉子飼いの武将やら、秀吉の養子たちに大陸で大領土を与えてやるつもりの大陸出兵だったので、
外様は何が何でも絶対に海外派兵させなかったと思うのだが。
実際、徳川も前田も大陸には渡っていない。

一方九州の諸大名は根こそぎ大陸に放逐するつもりだったと見え、動員している。
大友家とか早々にやる気無くして改易されてる。
32名無しさん@おーぷん :2017/01/26(木)18:10:20 ID:Qqn
>>31
外様に大領土を与えて何か困るだろうか?
治められなければ改易するだけだし、国替えなら子飼いを国内の大大名にできる
33名無しさん@おーぷん :2017/01/26(木)22:57:43 ID:BZW
>>32
そもそも秀吉その人が既に日本に足場が無い人で、
大陸出兵成功の暁には、中国の寧波に本拠地を移して天竺侵攻の為の拠点とするとか考えてた。
天皇陛下も北京に移住予定。
日本国内に大領土を与えても意味ないでしょ。
34名無しさん@おーぷん :2017/01/26(木)23:19:37 ID:Qqn
>>33
本拠移しちゃったら実質明の将軍でしかなくね?
あくまで本拠は日の本であるべき
35名無しさん@おーぷん :2017/01/27(金)15:10:15 ID:A2Q
>>34
今みたいに、「国籍」とか「国境」なんて概念、無きに等しい時代だからねぇ。
秀吉の大陸出兵自体、小田原北条氏や九州征伐と同次元、同レベルのイメージで行ってたと言える物だし。
秀吉死後50年目くらいに活躍した国姓爺こと明朝の復興を念じた鄭成功も、
日本人と中国人のハーフで、都合によって日本人の立場と中国人の立場を使い分けていた和冦だった。
(そもそもこの頃の後期和冦とは、日本人なのか朝鮮人や中国人が主体だったのかよく解らないごちゃ混ぜ海賊団)

ついでに、朝鮮半島には天皇の皇子の誰かを貰って王に据え、
宇喜多秀家か豊臣秀勝(どちらも秀吉の養子)を実質上の支配者に置く予定だったらしい。
36名無しさん@おーぷん :2017/01/27(金)22:13:43 ID:1mG
言葉の問題を考えると都は重要じゃないかな?
まあ口頭じゃ済まないから手紙が沢山残ったんじゃないかという気はするけど
37名無しさん@おーぷん :2017/01/28(土)00:31:39 ID:UWa
>>36
言葉の問題を言うなら、当時は日本国内でさえ「共通語」という物が存在しなかった時代な訳で。
それに程近い「京言葉」とか「都言葉」みたいなのは有ったけど、それに適応出来ない人々も多く存在した。

薩摩の島津義久という大名が居たが、九州征伐の後、弟の義弘に家督を譲っている。
表向きは「秀吉への陳謝」って事になっているが、
実際には、島津義久に「都言葉」の適応力が無く、さっぱり上方の言葉が理解出来なかった事に起因するそうな。
弟の島津義弘の方が、まだ京言葉、都言葉に適応出来たので、豊臣政権との外交交渉の為にも、藩主の座を譲ったという訳だ。

このように、日本国内でも統一言語が存在しないに等しかった訳で、
むしろ、博多の商人とかにとってみれば、東北弁や関東弁に聞き慣れるよりも、中国語の方が馴染みが深かったろう。
38名無しさん@おーぷん :2017/01/28(土)00:34:54 ID:UWa
モンゴル帝国とか、
言葉なんかどうでも良いと言わんばかりに、
今の北京辺りに「大都」とかいう都市を築いて首都とした。

もし、秀吉の大陸制覇が成功してて、百年とか経てば、言語の問題は自然と解消されるんじゃないかと思われる。
まぁ、恐らくは「日本人の中国人化」という形だったろうけど。
39名無しさん@おーぷん :2017/01/28(土)19:17:19 ID:UHG
っていうか、跡継ぎを人質にしていれば15年で解消するだろう
だからこそ都の言葉は諸行無常の鐘の声なんだよな
40名無しさん@おーぷん :2017/01/30(月)13:18:20 ID:363
>>39
それが出来なかったから、五胡十六国時代とか、中国の南北朝時代とか、満州民族の清とか、
どれもこれも「漢民族化」の現象を起こして中国語を公用語としてしまっている。
満州国皇帝の傅儀なんかは、満州語がさっぱり解らなかったらしいし。
41名無しさん@おーぷん :2017/01/30(月)13:19:20 ID:363
ちなみに、満州語の研究家を多く輩出していたのは当の満州人や中国人よりも「日本人」が多かった。
42名無しさん@おーぷん :2017/02/01(水)16:42:29 ID:NxG
>>39
満州国は約15年の寿命だったが、
満州国の元住民たちが日本語ペラペラに育ったかと言えば別問題だぞ?

日本の朝鮮統治は、保護国時代から起算すれば40年に及ぶが、
それでも朝鮮人の日本語理解力は3割程度だったとの説も有る。
(戦時下になってから日本語教育が急速に普及したが、それでも5割=半分を越える事は無かったと言う)

一民族の言語をそっくりそのまま切り替えるには、百年や二百年単位の支配が必要なのではないか?
つまりは【三世代】である。
そう言えば、江戸っ子を名乗る資格が生じるのも、【三世代、江戸で産まれ育つ事】が条件であった。
(つまり、よその国から江戸にやってきた一世代目はカウントせず、4代目の曾孫の代から江戸っ子として受け入れるという意味)
43名無しさん@おーぷん :2017/02/02(木)22:49:05 ID:uKL
>>40
意味不明
都を移せば人質だろうが皇帝だろうが都の土地の言葉がわかるようになるから会話できるようになるというだけの話
但し訛りとか単語で元の言葉の影響を受けるから都の言葉は変化が早く、意外と田舎の言葉の方に本来の都言葉の特徴が残っているのな
44名無しさん@おーぷん :2017/02/02(木)23:43:42 ID:uKL
>>42
意思の問題でしょう
支配者の言葉が理解できなければ命に関わるのは直接会話できる立場の人間なわけで
派遣された役人は現地の会話を理解できなきゃ仕事にならないから嫌でも覚える
そういえばフランス人は意地でもフランス語で通そうとするって本当なんだろうか?
45名無しさん@おーぷん :2017/02/03(金)16:51:57 ID:J31
>>43
会話出来るようになる、どころか、
異民族のはずの中国皇帝その人が、中国語しか理解出来なくなってしまっていたと指摘している。

>>44
小役人程度なら、現地で科挙でもやって雇用すれば良いんじゃないの?
さすがに、あの広大な中国大陸を、日本人だけで支配するのは無理がある。

フランス人の話は、空港の管制官がフランス語を押し通すって話は有名だね。
飛行機の機長なんかは英語とフランス語を話せないと仕事にならない。
46名無しさん@おーぷん :2017/02/03(金)23:00:45 ID:oxC
>>45
百年も住んでりゃ言葉はおろか異民族であるという意識さえ怪しくなるだろう
三世にとってはおじいちゃんのうまれた田舎でしかないもの

電波少年で中国人タレント同士がお互いの中国語では会話できなくて共通語が日本語だけだった話とか
有名だと思うけど、最近はそういうの聞かないから世代が変われば事情は変わってるんじゃないか?
47名無しさん@おーぷん :2017/02/04(土)14:58:10 ID:5hn
>>46
つまり、豊臣秀吉の大陸出兵が仮に成功してたとしても、
大陸行った連中の百年後は、ただの「中国人」と化しているって事だよな。

いわゆる「日本的」とか「日本人的」なる物って、江戸時代の鎖国時代に形成・確立された物ばっかりだし。
48名無しさん@おーぷん :2017/02/04(土)21:51:45 ID:TmP
幕末じゃない?
中央集権以前の幕藩体制で確立されたのは地方の名産やら県民性じゃないだろうか?
もう百年以上経つので限界集落と共に失われつつある

そもそも中国という範囲は統一されてた時期の方が短いんだから、結局通商ブロックでしかないんじゃないか?
49名無しさん@おーぷん :2017/02/05(日)03:03:28 ID:zs1
>>48
いや、未だに青森県民と岩手県民は仲悪いし、
会津若松市と萩市も仲悪いんだが。

靖国神社の今の徳川宮司が、
(徳川慶喜の曾孫だったか)
会津藩やいわゆる賊軍の死者も祀りたいと発言しただけで右翼が、
「殺してやる」
などと脅迫したくらいだ。

未だに150年経っても、会津藩は賊軍。
そして靖国神社に祀られる事は無い。
50名無しさん@おーぷん :2017/02/05(日)04:49:32 ID:c8g
>>49
末代まで祟る話は何を伝えて何を墓に持っていくかという問題で
県民性とは関係ないだろう
忘れられない浦島太郎はおじいさんになる訳だ
51名無しさん@おーぷん :2017/02/05(日)11:25:12 ID:zs1
>>50
一種の「地域差別」と言えるかも知れないけど、
関西地方とか行けば、今でも「部落差別」みたいの残ってるんじゃないの?
知り合いの女性が、婚約まで行ったんだけど、
相手の男性の実家が、
「部落出身じゃあるまいな?」
と探偵事務所か何か雇って、しつこく彼女の過去や先祖をほじくり返した事がバレて破局したそうだ。
彼女自身は部落出身ではなかったが、いちいちそんな差別を家ぐるみでやってのける風潮に付いていけなかったのだとか。

今でも、朝鮮人部落とか被差別部落の辺りは、
駅前の立地条件が非常に良い所であっても、
何故か極端に地価や家賃が低いポイントとなっている。

そうそう簡単に「地域差別」の根は消えないよ。

「自由の国」とか「移民の国」とか美化されてるアメリカでさえ、地域差別は物凄いらしいから。
ボストンに留学してた事が有ったけど、あそこの連中は、アラバマとかミシシッピとかの南部とか、
カリフォルニアとかの西部を物凄く毛嫌いしていたね。
歴史が無いアメリカですらそんな感じ。
52名無しさん@おーぷん :2017/02/05(日)11:28:37 ID:zs1
つい最近国民投票が行われたけど、
イギリスからのスコットランド独立運動も、
そうそう簡単に差別意識とか、被害者意識が抜けない事を物語ってるね。
今のイングランドの王様は、本来のイングランドの王室がエリザベス一世の時代にちょん切れてるので、
スコットランド系の王様のはずなんだけどね。
(厳密に言えば、スコットランド→イングランド→ドイツ→イングランドという順番か)
53名無しさん@おーぷん :2017/02/05(日)11:42:54 ID:c8g
>>51
世界中どこにでもある話が地域の特色とは言えないだろ
どこが県民性なんだよ

差別に関してはむしろ永続的で無い方がアジアの特色っぽい気がする
54名無しさん@おーぷん :2017/02/05(日)16:01:03 ID:zs1
>>53
いや、県民性でしょ。
アメリカに行ったら「州民性」とでも言う物に変わるだけの話じゃん。

インドのカースト制度なんかは有名だけど、
人間は差別するのが常態。
白色人種の有色人種差別然り。
中国や朝鮮では近代まで奴隷制度が維持されていたが、これも然り。
日本でも、「四民平等令」の後でも部落差別が残ったのが然り。

西洋も東洋も変わらないよ。
西洋にも東洋にも、素晴らしい人間も居れば、
極悪非道な人間も居るってだけの話。
55名無しさん@おーぷん :2017/02/05(日)16:10:39 ID:zs1
むしろ陰険さと言うか、執拗さという意味では、
アジアの方が陰湿だと思うけどね。

韓国とか、全羅道と慶尚道の争いが、もう1500年くらい続いてる。
百済と新羅の時代からね。
国家を二分するくらいの激しい争いになっている。

ついでに言えば、日本に多いとされる済州島出身の在日朝鮮人。
今のようなリゾート地化が進んでいない頃の済州島とは、
「犯罪者のゴミ捨て場」という認識が韓国では近代まで一般的であり、
例え犯罪者でなくとも、済州島出身者と名乗るだけでクソミソに差別されたそうな。
だから差別されない、もしくは朝鮮よりはマシな差別である日本に逃亡してきたのだと。

普通、1500年も昔の国同士で、争ったりするのは馬鹿馬鹿しいと思うはず。
でも、アジアではそういう現象がちょくちょく有るでしょ。
カースト制度も、生まれながらに勝手に頂点から最下層まで定められてるし。
法律でどんなに厳禁しても、なかなか無くならない。

アジアにはアジアで良い所も有るのだろうが、
陰湿さという点では、西洋に劣ると思われる。

西洋は西洋で、極悪非道さに賭けてはアジアに勝るが。
56名無しさん@おーぷん :2017/02/05(日)16:20:34 ID:zs1
朝鮮出兵の話が有ったけれど、
どうも小西行長は、朝鮮との和平交渉をしつこく繰り返していたが故に、
結果的に中国や朝鮮に手玉に取られて負けて退却という事になったらしい。
秀吉が当初言っていた「仮途入明」という言葉を字義通り信じ込んで、
朝鮮には「日本との同盟」か、最低でも「好意的中立」に傾かせようと必死に外交努力を続けていたらしい。
実際に朝鮮出兵が始まってからも。

朝鮮側にも、日本との和平=明からの独立・自立を望む勢力が存在しており、
決して小西の取った行動は夢見る乙女のロマンではなかったのだが、
如何せん、日本側も加藤清正らが講和に反対。
朝鮮側も朝鮮側で、権力闘争の真っ最中というお粗末な状態。
しかもこの頃40年も国王をやっていた朝鮮国王は、和平派だったらしのだが優柔不断で、しかも重臣たちの権力闘争を抑えられない有様。
それぞれの和平派の代表者たちが、好戦派の軍人たちに潰された結果、と言うのが朝鮮出兵だったらしい。

なお、小西や対馬の宗氏が秀吉を騙していたというのは半分嘘で、
文禄の役の辺りまでは、秀吉も了解済みの上で朝鮮と和平交渉、明への道を借りるだけという交渉を続けていたらしい。

だから進軍速度が速まったり、突然ストップしたり一定する事が無かった。
57名無しさん@おーぷん :2017/02/05(日)21:19:05 ID:c8g
>>54
地域で独自性のないものを県民性と言い張っても無意味だよ

そもそもこのスレの後北条にしても秀吉にしても、彼らの素性を考えたら
差別ではなく単なる地位による区別としか言えないだろう

>>55
只の確執だろそんなもん
一度和解してしまえば水に流れて忘れる話
和解したことだけ都合良く忘れる(教えない)と受け継がれる
58名無しさん@おーぷん :2017/02/06(月)00:11:02 ID:wzf
>>57
そんな簡単に和解出来るのなら、世界はとっくに平和な単一国家になっている。
実際にはEUがガタガタになっているように、「そんなもん」が幅を利かせているのがこの世の実態なのだが?
あなたは21世紀現在の世界の一体何を見て、そして聞いているのか?
理解に苦しむね。
59名無しさん@おーぷん :2017/02/06(月)00:16:43 ID:wzf
>>57
>地域で独自性のないものを県民性と言い張っても無意味だよ

そんな事言ったら「国民性」とか「民族性」と言う代物も消えて無くなるのだが。
欧米人にとって見れば、日本人と中国人、韓国人の見分けがつかないように、
我々からすれば「彼らは違う」と思ってても、傍目から見れば「似たり寄ったり」に見えるんだろう。
要するにあなたの主張では、
日本人とか日本的なる物なんて幻想で、
日本人と中国人、もしくは韓国人は同一であると言いたいのか?

漢字が共通しており、儒教の影響も共通しており、
外面はそっくりで、江戸時代なんて李氏朝鮮や清国とほとんど変わらない停滞国家だった日本に、
中国人や韓国人とかけ離れた「独自性」など存在するか?
60名無しさん@おーぷん :2017/02/06(月)01:30:23 ID:nx3
>>58
和睦ってそんなもんだろ
リメンバーパールハーバーだよ
焼け野原もキノコ雲も無条件降伏も現在の日本に至るプロセスだから

>>59
個性を把握して、その集団の平均を考えないと単なる当てずっぽうだろう
血液型の分布とかには差があるという人も居るな

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北条が秀吉に臣従してたら
CRITEO