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ゆるーく日本史を語るスレ

1名無しさん@おーぷん:2015/11/26(木)09:16:14 ID:UVT()
専門板を近づきやすい雰囲気にしようという思いから立てました
おんjやvipなどで日本史の話になった時にこのスレに移行してもらえると、板の活性化につながりますので是非活用してください

もちろん日本史板に来た人もどんどん書き込みしてください^_^
2名無しさん@おーぷん :2015/11/26(木)09:23:20 ID:UVT()
じゃあ好きな時代でも語っていきますか
ワイはやっぱり古代が好きやね
卑弥呼とか古墳とかロマンの塊やんあんなん
3名無しさん@おーぷん :2016/05/08(日)20:31:51 ID:0HU
その名も丹久枝。第44代猪名県主である。
伝説上のイワナガヒメかマトノヒメかと言われた容姿、県主の息女という生まれ、
難しいと言われた白村江の戦いで撤退戦を指揮し近江朝廷で二度将軍に任用され、その後
壬申の乱でも、大友皇子の軍を破って大海人皇子を支援。天武朝で大臣を2期務めた後、
694年の藤原京で、鵜野讃良皇女(いわゆる持統天皇)になぜか副太政大臣に指名された。
ここまでは、普通のサクセスストーリーなのだが、丹久枝の本領発揮はここからである。
副太政大臣就任後、草壁皇子の邸宅を訪問した際に妃の阿閇皇女に「よめでないよね違うなら言って」
と間違えたり、地理感覚がめちゃくちゃで、伯耆国を視察した際「私は伯耆大山が大好きです。
甲山で育ったも同然ですから」と言ってみたり(ちなみに甲山は丹久枝が育った国である)、
副太政大臣就任前に、白村江の戦いの経過(もちろん海外派兵での大敗北のことである)について
聞かれたとき、「はくすきのえ滞在中、彼に文を書いたけど覚えててね、忙しいのに唐と新羅が
何度も攻めてきていやがらせか、別れるわ」などのような発言をしてみたりと、失言、読み間違い、
言い間違いのオンパレードで、則天武后だったら何回処刑されたか分からないという人物である。

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