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おっさんのやり直し日本史を生暖かく見守るスレ

1名無しさん@おーぷん:2015/11/07(土)13:24:54 ID:jO6()
●スレのごあいさつ

中学3年間、歴史の勉強をして、高校では1年だけ日本史を勉強した50代のおっさん。
日本史は受験科目でもなかったので、遠い昔に一通りやっただけ。

そんなおっさんが最近衝撃を受けました。

「鎌倉幕府っていつ出来た?」
「もちろんいいくにつくろう鎌倉幕府だから1192年、、、」
「ブー!残念でした。今では1185年なんだね。おっさん遅れてるわ」

ガーン。衝撃を受けてパラパラと日本史の本をちら見したら、そのほかにも
人類起源が400万年前、最近では700万年?前。
(おっさんが学生の頃は100万年前と習ってたのに、、、)

あと誰もが知ってるはずの「大化の改新」のあのドタバタ劇は今では
ただの「乙巳の変」に格下げ。
そういえば「任那の日本府」は存在しない事になっちゃってるようだし。。。
そもそも日本書紀がデタラメ満載の所に格下げ扱いw

などなど、おっさんの頭のなかの日本史は、どうやら全面改訂が必要な予感。

ということで、おっさんは一念発起。日本史を勉強し直すことにしました。
といっても、この歳なんで、今更受験とかは関係ない。
なので、暗記のための暗記はやらないで、歴史の本質に少しでも近づけるような
勉強をしようと考えて、このスレを立ち上げた次第です。
252名無しさん@おーぷん :2016/08/27(土)10:52:22 ID:tXI
カントの平和論、というのがよくわからなかったです。。。。


ところで、「天皇」の「権威」についての変遷の話ですが、最近思ったのは、
ちょっと根本的な見直しを必要とするのではなかろうか、ということです。

ざっくり言いますが、
天武より前の段会の天皇の時代は、実は天皇ではなかった、天皇は存在しなかった、と考えるのが
天皇史全体を考える上で、きわめてすっきりするための補助線となる、いうことです。

現実問題、天皇の呼称がはじまったのは、天武天皇の時代。
で、同時に、中央集権を当然の前提として稼働しているわけです。

ではその前はどうだったのか、ということです。

これについて考察します。
253名無しさん@おーぷん :2016/08/27(土)10:57:22 ID:tXI
平たく言うと、豪族と、豪族連合国の族長の時代であり、族長は、2人体制だった、ということです。


天武以降と比較します。

天武以降は天皇は「天皇」であり、意味するところは権威の象徴で、権力は時と場合によって憑いたり離れたりします。

天武より前は、天皇は「オオキミ(大王)」であり、意味するところは、権威かつ権力。
ただし、権威は太陽と話をできる日巫女が、権力は豪族を束ねる豪族長が担当します。

豪族というのは、地元に根付いた地元の有力者であり、これは天武前の時代の中心。
天皇時代以降は、この豪族の部分が「貴族」になります。
ちなみに貴族は現在で言うと官僚(事務次官級)に相当する。
254名無しさん@おーぷん :2016/08/27(土)11:12:26 ID:tXI
卑弥呼の時代、あるいはそれ以前の時代から、神とつながり、権威を担当する日巫女と、現場を担当する豪族長の時代。
これが最初の遣唐使(西暦600年)の頃まで続いていた。
(宋書倭国伝に日本は二頭体制であり、それじゃあだめだろと唐が指導した話が残されている)

それ以後日本は
律令を柱とした中央集権体制に向けて、変化していくんだが、有力豪族連合体の話し合いで物事を進めていく体質は残っていた。
これが十七条憲法に色濃く残っている。

俯瞰すると、卑弥呼時代(もしかするとそれ以前)から連綿と続いていた、豪族共立連合体としての「政府」が、
中国側の変身(=中央集権の大国家として出現)に対応するべく、日本中央集権化が必要となった。

仏教を集合体の象徴として使ったんだけど、「豪族連合」は、「船頭多すぎて船が山に登る」烏合の集団であることが判明する。
これは、白村江の戦いで致命的に露見。物量的に圧倒的に優位な日本側が、少数精鋭の唐軍に壊滅させられたことでもわかる。


俯瞰すると、蘇我氏というのは、緩やかながら、仏教を活用するなどして、中央集権化を進めようとしていた集団だった。
しかしそれに横槍を入れて、蘇我氏の利権を奪い取り、蘇我氏に汚名を着せたのが皇極、孝徳、天智の連中だった。


そして藤原不比等はあろうことか嘘八百の毒を日本正史である日本書記に盛り込み、
その後選年以上に渡り(あるいは現在まで含めて)国民を騙し続けてきた。
255名無しさん@おーぷん :2016/08/27(土)11:16:29 ID:tXI
じつは、おっさん、ここで書き込むために、順番に、少しずつ調べていったんだけど、
蘇我氏のあたりから疑問点がものすごく増えて、それらに整合を与えようとするために七転八倒。

で、やっと最近、天武以降をいわゆる天皇制(公地公民)、それまでの間は豪族連合(私地私民)と分けると
歴史の変遷の流れが上手く説明できることに気がついてきた。
で、中央集権化の過渡期が蘇我氏4代で、中央集権志向のエネルギー源は、中国で統一国家ができたことに依る危機感。
256名無しさん@おーぷん :2016/08/27(土)11:21:11 ID:tXI
更に付け加えるならば、縄文時代の民族の興亡と、弥生時代へのはいりかた、
弥生時代では出雲が重要なキーマンになる。

この辺りの滔々とした流れが見えてきたのと同時に、かつて習った歴史とはかなり違ったものになっていることに気がつく。
と同時に、なぜ違った形だったものが押し付けられていたかも今になって見えてきました。

歴史というのは、数学や英語などと違い、「誰がやっても同じ」「度の本を読んでも同じ」とならないところが難しさであり、面白さでもあります。
特に、「事実と評価」の「評価」面。これが人によりかなり違ってくるし、時代の空気という圧力もかなり影響を与える。
なので、よほどしっかりしないと、あるいはいくらしっかりしていても、流されてしまいそうな危惧を持つわけです。
257名無しさん@おーぷん :2016/08/27(土)11:37:52 ID:tXI
ざっくり言うと、2万年弱前には、日本に縄文人の先祖が住み着いていた。
このメンバーは当時大陸にも大勢存在していた。

5千年くらい前には東日本(落葉樹林帯)は、それなりの文化圏で人口もあった。
西日本(照葉樹林帯)は、土地がやせ細っているため、人口はほとんどいなかった。
これが弥生時代前までの日本の基本。

これが、4千年弱前あたりから、大陸や半島から難民がやって来始める。
中国では動乱が始まっており、殷の建国と崩壊、周の建国と崩壊。
これらにより、半島や日本へ、難民の津波が発生する。

パラパラとこぼれてきた難民は、千年弱かけて、日本で水耕栽培として進化していく。
ゆっくりと浸透していくので、激しい闘いにはならない。
ちょうど大陸は、殷(約37百年前~3千年前)・周(2千年前~)

2千年前あたりになると、水耕栽培と鉄器に依るパワーをつけた西日本集団間で争うようになる。

どうもその頃、出雲組は日本でパワーを付けており、東日本まで文化圏として影響を与えていたようである。

卑弥呼の時代、宮崎は日向を根城にしていたんだけど、北九州から沖縄のちょい手前まで自国化していた。
で、出雲と手を組んで、当時の日本を支配していた。

実は関門海峡。ここが重要ポイントで、出雲と手を組んでここを占拠することで、半島からの鉄をその他の地方(瀬戸内海や大阪湾の世界)に
やらないですむという、そういう戦略。ヤマトは、山戸(山でできた戸)の意味で、関門海峡のことを示している。

で、出雲と卑弥呼がタッグを組んで他の地域が勢力化しないようにしていたんだけど、いつまでもその平和は続かない。
やがて越(若狭湾とかのあたり)から、山越経由で、近畿地方にも鉄がやってくるようになる。
そうすると、出雲の優位は一気に消える。

そのため出雲は近畿連合国集団に負けてしまい国をぶん取られる。
ついでに邪馬台国(ヤマタイではなくヤマトと当時表現されていた)もやっつけられた。
ただし、ここで問題が発生する。
258名無しさん@おーぷん :2016/08/27(土)11:52:37 ID:tXI
この頃すでに、邪馬台国は「親魏倭王」として中国大陸から認可されている。

そのため、近畿連合国では、邪馬台国を滅ぼすのは構わんが、大国である中国から怒鳴り込まれるのはまずいと判断。
そこで、近畿連合は、宮崎に蟄居していた、邪馬台国の宗女トヨの子孫を近畿に迎い入れ、近畿事態をヤマト国とした。
これが神武東征の実態。

なお。、ヤマト国の内容は有力豪族の寄せ集めであり、合議制。
なので、大和とかいてヤマトと読ませる表記になった。

さて、ヤマト政権とかヤマト朝廷とか後の時代から言われても、その内実は豪族の寄せ集まりなんで、意見が別れると殺し合いになったりする。
なので、崇峻天皇が殺されたり、山背大兄皇子が殺されたりもする。そういう世界。まだ天皇制として確立されていないので、しょうがない。

ところでこの間、力をつけてきたのが、蘇我氏。
蘇我氏は、渡来人のノウハウを使って、二重帳簿で私腹を肥やした。
大王の三蔵担当(財務大臣)だったから簡単にできた。

具体的には屯倉の徹底管理。
そこで働く人員名簿を作り、穀物の取れ高管理をしていた。
財産が増えた蘇我氏は、公共事業も担当する。更に財産が増える。
戦後の自民党や、秀吉時代の太閤検地のような視点をすでに持っていたといえる。

組織を率いるには、金と暴力が必要。
暴力を持っていた大伴氏は、同じく暴力を持っていた物部氏に敗北。
、財の力で葉柄を雇い、物部氏を滅ぼしたのが、蘇我氏。
この時点で、財も暴力も手に入れた。蘇我氏最強。

この蘇我氏を嵌めて、財力を横取りしたのが皇極天皇と孝徳天皇のタッグ。
皇極というのは希代の浪費家。当時、隋の建国の姿にあこがれて、真似をしたいが金がない。
金は蘇我氏が一心に集めている。ようしあいつを葬っちゃえ、というのが乙巳の変。
259名無しさん@おーぷん :2016/08/27(土)12:03:26 ID:tXI
蘇我氏の持っていた財産をほしがったのが、皇極。
孝徳は、自分が天皇(と言うか当時はまだ天皇の概念がないので本当は「大王」)になるために、乙巳の変に手をかした。

というのも、当時は天皇の位の禅譲がなかった。
平成の現在と同じで、天皇は、死ぬまで天皇をやらないといけない。
すると次の天皇になる順番の孝徳は、推古天皇の氏を待ちわびて先に死んでしまった聖徳太子の二の舞いになりかねない危機を抱いていたため、
クーデターに手を貸す代わりに、生前退位を要求した。

中大兄皇子は、当時19才。使い走り。意味もわからず人殺しの手伝い。
中臣鎌足は31才。結局蘇我入鹿の首をはねたのは、中臣鎌足で、その鎌足は、実は百済からの人質の余豊璋の和名。

そしてその子の藤原不比等が、史人(ふひと:文書担当の官僚)として持統天皇の下で、700年台に活躍する。

活躍の白眉は日本書記。

全国から風土記や系図を集め(713年)日本史を捏造し、持統天皇が孫に譲位するのを正当化させ、
かつ藤原鎌足が日本人の大恩人であるかのような嘘八百な話をちりばめた日本書記を編纂。
260名無しさん@おーぷん :2016/08/27(土)12:05:00 ID:tXI
ざっくりと点描すると、こんな感じになります。

とにかく、蘇我氏の前後で一気に話が拡散してしまったんで、前に進めなくなってしまったというのが現状です。
261名無しさん@おーぷん :2016/08/28(日)10:53:06 ID:XnE
天皇制について、新しく気がついたことを記します。
その前に、まず、いままで述べてきたまとめから。


ここからまとめ。

天皇制は、「権威」と「権力」を持つ。
この2つの力により、天皇は国民を支配統治してきた。(→建前、と言うか表面的な見方)

  ちなみに
  権力とは、支配統治のための「力」である。
  権力の内訳は、「暴力(軍)」と「財力(金)」である。

  権威とは、上記の権力を国民支配統治のために使用する「正当性を付与する力」である。



しかし、天皇による統治、すなわち「権威」と「権力」を活用する政治は、
現実には、権力と権威の両方を天皇が握って活用している時代はほとんど存在せず、
そのほとんどが、権力を別のものに委託してきた。(→本音、というか、本質的な見方)

つまり委託先に権威を付与することで自己存在の価値を保持し続けてきた。

なので、権力者が藤原氏であろうと、武士に変わろうと、国民議会に変わろうと、何に変わろうとも、
天皇は、その時代その時代における権威を保持する者としての力を温存し続けることができた。

ここまでまとめ。



で、以下、新しく気がついたこと。

天皇のパワーを権威と権力に分化できたように、権威そのものもさらに分化できる。
そのことに気が付きました。

天皇の「権威」は、知的なものと、感情的なものに分類できる。
知的なもの(と言うか、理屈的なもの)、とはメカニズムなもの。いままで述べてきた機能ともいうべきものの部分。
時の権力者に権力の正当性を付託するという機能の部分。

感情の部分、が今回気がついた部分です。

感情的なもの、それは超能力的なもの、シャーマン的な、巫女的な、神との繋がり的な、いじめると祟るぞ的な、そういうある種宗教的な力。
これが感情的な部分です。

この視点から、天皇制をもう一度俯瞰してみます。
262名無しさん@おーぷん :2016/08/28(日)11:05:08 ID:XnE
まず、卑弥呼の時代。
西暦で言うと100年台から200年台の話。

このころは、「天皇」のパワーはもっぱら権威の感情の部分、すなわち超能力的な部分に特化しています。
またj権威におけるメカニズムな部分は未発達。言い換えるならば、世襲は成立しておらず、「男系天皇」のような縛りも発生していない。
巫女的な部分(すなわち「権威の、感情の部分」)だけが機能しています。権力の部分は、有力豪族の合議に依る共立。



次に、失われた4世紀、から倭の五王の時代。
西暦で言うと300年台、400年台の話。

この頃は武力統制が強くなり、「天皇」は同族内世襲で、親子ではなく、どちらかと言うと兄弟世襲が中心です。
更に言うなら男系相続。

なぜこの形になったかというと、おそらくは闘争が激しくなったから。子供が一人前になるのを待っている間に自分が殺される可能性が高い地代。
だから、大勢いる兄弟の誰かに渡していく、という話になる。また、戦乱の世だから、シャーマンおお告げに頼っていては勝てなくなる。
暴力が支配する戦場では女の出る幕でもない。

このような環境から、男兄弟に依る世襲が基本形になってきたのだろうと思います。



さて、世襲が進むと、権威の理屈の部分が「前例踏襲」の積み重ねにより正当性を補強され続けてくる。

これに、当時の常識である祟(たたり)や穢(けがれ)の思想(と言うか考え方、者のうけ止め方)が、権威の感情部分を維持させる。



問題なのが、500年台600年代。蘇我氏4代の時代。

日本書記によると万世一系天皇みたいな流れで物語がとうとうと作られているし、ソレは通説にもなっているし受験ではソレにそって回答をしないと
間違い扱いされてしまうけれど、果たして実態はどうだったのか。

長くなりそうなので、別項にします。
おっさんは、
263名無しさん@おーぷん :2016/08/28(日)11:29:53 ID:XnE
問題なのが、500年台600年代。蘇我氏4代の時代。

日本書記によると万世一系天皇みたいな流れで物語がとうとうと作られているし、ソレは通説にもなっているし受験ではソレにそって回答をしないと
間違い扱いされてしまうけれど、果たして実態はどうだったのか。

このころは、まだ有力豪族による共立連合国形態の国だったのではないかと思います。
だから推古天皇はシャーマンであって本来の天皇ではなかったと思われます。
実態としての天皇の地位には蘇我馬子がついていたんだけど、いわゆる天皇として存在していたわけではない。

ただ有力豪族ナンバーワンだったため例えば当然のごとく「?の?(やつらのまい)」をしたりしていたのではないかと思います。
日本書記ではこれを蘇我氏傲慢不遜の証拠として暴き立ててますが、当寺その点についてなんのクレームも出ていなかったことを
考えると、むしろ、逆に当時の蘇我氏は実質天皇としての権力を保持していた、という証拠になるのかもしれません。

この辺りはよく解らず混沌としている部分です。
264名無しさん@おーぷん :2016/08/28(日)21:07:44 ID:LIR
中央集権化こそが中華であり大和朝廷でしょ?
統一中国の危機感というより、そこに生じる権威を利用したわけだ
高句麗の方が序列上なので半島では意味がなかったんだろうな
統一集権化してからはそれ自体に権威が生まれて同格になり、聖徳太子はうまくやったわけだな
265名無しさん@おーぷん :2016/08/28(日)21:42:32 ID:LIR
>>255
私有概念こそが権威がないと成立しないんじゃないかな?
マンションのベランダ的な何かであって、月の土地の権利書的なものではなさそう
266名無しさん@おーぷん :2016/09/02(金)18:09:53 ID:Osj
流れを見ないとリアルは見えてこないと思いますよ?

まず最初は、小集落が点在してて、だんだんと統合されていったわけ。
統合の流れがスピードアップすると、現状の小集団支配を認知許可した上で、ショバ代をとって統合する、という感じ。

これ実は、戦国時代から段々と統合されていって、秀吉の天下統一に到る流れと似てる。

戦国時代には、群雄割拠。
それが秀吉に恭順する代わりに自分の領地の現状を安堵してもらう。
こういうながれ。この段階では私地私民。その意味では、江戸幕府も、私地私民的。

戦国時代の群雄割拠から、江戸時代の私地私民時代を経て、明治時代の公地公民時代になるまで、約400年。
実はこのタイムスパン、卑弥呼時代の2世紀から、大宝律令の8世紀までの6世紀とほぼ同じ。
前者のほうが、鉄砲などのために統合機関が短くなってるという部分はあるけど。


ちょうど、卑弥呼以前の群雄割拠時代から、ヤマト政権統合を経て、大宝律令の公地公民に到るムーブメントってのは、
戦国時だから、江戸時代を経て、明治維新に至るムーブメントと流れが似てる。

こういうのを歴史は繰り返すっていうのかもしれない。
267名無しさん@おーぷん :2016/09/02(金)18:13:57 ID:Osj
>>264
>中央集権化こそが中華であり大和朝廷でしょ?

そうなのかな?
ヤマト朝廷が中央集権化したいと思ってたのは確かだけど、方法論が見いだせてなかったようにも見えます。

実際には仏教を使ったんだけど、今ひとつだったような流れでもある。
歴史を俯瞰すると、天武天皇を待たないとダメだったんだな。


>>265
>私有概念こそが権威がないと成立しないんじゃないかな?

私有概念しかない時代、というものを設定する必要があります。
まず複数の小集落の存在。それが。小集落のママ連合国を創る流れ。
この段階までは必然的に私地私民。

公地公民は、「豪族の土地を取り上げ、貴族として給料を支払う」とした奈良時代に初めて成立するものと思われます。
268名無しさん@おーぷん :2016/09/02(金)18:18:09 ID:Osj
おっさん、良いネタ見つけました。
「新しい日本の歴史」(育鵬社 平成24年度使用開始 の、中学生向けの教科書の市販本)です。
この本を読みながら、気がついた点や補足したい点、啓発された点その他諸々、この本登の対話を楽しみたいと思います。

高校の日本史教科書や世界史の教科書だと妙に細かくなってしまって、重たくなるというデメリットがあるんで、
あえて中学教科書を選んだ次第です。

どうなるかわかりませんが、おっさんと中学教科書の対話ということで、やってみたいと思います。
269名無しさん@おーぷん :2016/09/02(金)23:01:47 ID:ZEv
>>268
>この段階までは必然的に私地私民
集落の自治体こそが公でしょう
規模はともかく専制体制が確立できないと持ち物というのは文字通り自分が持っているモノ
月の土地を所有するには所有者から譲り受ける必要があるわけだ
所有者って誰?
270名無しさん@おーぷん :2016/09/03(土)11:04:06 ID:WH4
日本史で私地私民とか、公地公民というときは、地域自治体ごとにまとまっている状態は私地私民とされます。
天皇を頂点として日本全体を天皇のものとする、というのが「公地公民」の究極のイメージ。

私地私民というのはソレに対応する群集落状態のこと。
個別集落の中におけるそれぞれの公私の話は「公地公民とか私地私民とか」の話とは別。


>集落の自治体こそが公でしょう

集落を統制支配している豪族の私有物私有民と考えるため、それは私地私民の範疇になります。
271名無しさん@おーぷん :2016/09/03(土)11:15:42 ID:WH4
日本の支配の成り立ちの変遷をイメージしておく必要がありますね。


まず、縄文時代は、小集落で、激しい貧富の差がない状態で、集団で生活している。
この集団は、ムレ(群)。

弥生時代になると、貧富の差が出てきて、支配・被支配の関係が明確になってくる。
この段階で、ムラがあちこちに発生している状態。ムレ(群)がムラ(村)に発展した。

そして弥生時代も終わりの方になると、邪馬台国のように、ムラが群集して、連合国状態になる。
それぞれのムラの代表である豪族が一同に会し合議して、集団としての意思決定をする。
しかし、利害関係は一致しないので、殺し合いに発展しがち。

そのムダな殺し合いを回避するため卑弥呼のような超能力シャーマンを立てて、
その下に豪族たちは頭を垂れる。これがクニ(国)の状態になる。

更にい言うなら、この時のシャーマンが、後の天皇の役割。
ただし、この頃(西暦二百年前後)はまだ、それが世襲でもないし、男が次ぐものでもないし、ましてや万世一系でもなかった。
この辺りの形はここから数百年の間(古墳、飛鳥、奈良時代)で、だんだんと固まっていく。


古墳時代には、そのクニはいくつかあった。九州の邪馬台国、中国地方の出雲、吉備、近畿の葛城(後の蘇我)など。
最終的にこれらのクニが合議して一つのヤマト政権として誕生する。

それで、なんだけど、ヤマト(合議)政権が誕生した、まさに瞬間の集団の形態を見ると、
各豪族の支配下におのおのの土地と人民が存在している。

各豪族ごとに群雄割拠している人財産と土地財産は、その各豪族のもの。この状態を私地私民と言ってるわけです。

で、律令体制時代になると、豪族共は土地も人も全部天皇によこせと。各豪族は、わかりましたと。
この段階で、公地公民(全ては天皇のもの)となる。
272名無しさん@おーぷん :2016/09/03(土)11:26:40 ID:WH4
そしてその公地公民の状態が中央集権の形でもあるんだけど、まず、なぜ豪族は自分の財産を手放すことを認めたか。
ソレは中央集権のもとでの中心的官僚になることが約束されていたから。
豪族の超時代よりもラクに確実に利益を世襲できるようになったから。

では、なぜ、公地公民・中央集権の時代を作り上げたのか。
直接的には、白村江の戦い、もう少し間接的に広げると隋や唐と言うような強力な統一国家が出現したためです。

白村江の戦いでは、日本は1000の船で戦いを挑んだ。
対する中国は140隻の船。しかし、日本は俺が俺が俺がの豪族の集合体。船頭だらけの烏合の衆。
対する中国は中央集権で律令の骨格の元一糸乱れぬ体制でテキパキと戦闘をした。

その結果、400の日本の船が沈没。日本は壊滅敗走。大敗北。
ここから中央集権化(徹底の公地公民化)の必要性を真剣に感じたため、その後すぐに中央集権化が進んだ。


ちなみにこの辺りの動きってのは、明治維新とかなり良く似ている。
藩体制政治の、各大名が自分の土地を経営するという、いわば「私地私民」状態の日本に対して、
外圧がこのままでは日本は滅びてしまうという危機感を共有したため、天皇のもとに一致団結する公地公民の世界が現出。

この流れは、ある意味、白村江の戦いで負けてビビった日本が戦犯の天智天皇を処刑して天武天皇の下で
統一国家を作り上げたという流れと同じ。


逆に言うと、かつてそういう体験をしていたために、幕末から明治維新の流れ(ソレはある意味「革命」)がスムーズにできたと言っても良い。
いわば、予防接種だったという捉え方。明治維新という大病が筒菜がなく収束できたのは、かつて白村江の戦いから壬申の乱を経て逮捕府立料に到る流れを
経験したという予防接種があったから、といえるような気がしないでもないです。
273名無しさん@おーぷん :2016/09/03(土)18:53:46 ID:JNp
>統制支配している豪族

>ムラの代表である豪族
では全然違うだろう

群集している段階では前者は居ない
274名無しさん@おーぷん :2016/09/03(土)19:26:49 ID:JNp
統一国家自体は帥升の段階で成立している
しかし誰だかわからんのでほぼ無視されてるんだよな
275名無しさん@おーぷん :2016/09/12(月)01:06:33 ID:yY2
土地を譲ったのは誰か?
記紀が言うには神である
そりゃ島でもなんでも作れる存在を神と呼ぶわけだから当然だ
まあ実際には死んだ人が譲ってくれたからこそ神として名が残ってるんだろうな
276名無しさん@おーぷん :2016/09/23(金)16:47:02 ID:OiO
私地私民と公地公民についてまとめる。
群れとリーダーとの関係を考えると、少なくとも次の5段階をへていると思う。

・1)群れリーダー
・2)村落レベル
・3)連合国レベル
・4)ヤマト政権レベル
・5)天武天皇以降レベル

1)は旧石器時代から縄文時代あたり。
三内丸山遺跡の存在を考えると、旧石器時代、と限定したほうが良いかも、の時代。


2)は縄文時代から弥生時代の初期あたりまで。
水稲耕作が始まると、村全体の一致団結が必要とされる。
それと同時に他の村落と川の水利権などを巡って殺し合いの発生とか出てきそう。負けた方は、奴隷になる、というような世界。
世界史の流れを見ても、当寺の水準はそんなもの。


3)は卑弥呼が出てきた頃の時代。
卑弥呼は村落レベルの集団が約30個集まって連合国になったときの、連合国のシャーマンリーダー。

村落同士の殺し合いは消耗が激しいので、共存しようという話し合いがなされ、その「へそ」として巫女が扇の要になった。
九州の卑弥呼、中国地方の出雲、吉備、近畿の葛城、北陸の越など、連合国が幾つか群生している時代。


連合国同士で覇を争う時代となる。
その中で、全国ナンバーワンにのし上がったのが、、、、、
4)のヤマト政権の時代。
この頃は、弱い連合国を、「俺の部下になって財産を一部差し出すか、一族もろとも死んで全滅するか選択しろ」と言う流れ。

自分が「私地私民」という話をしたのはこの時代のことで、私地私民の「私」とは被支配豪族長のことを示す。

余談になるが、この「差し出された一部の財産」は屯倉のことで、この経営を行ったのが、財政担当の蘇我氏。
渡来人の会計ノウハウを使い、戸籍の見える化の手法で税の取り漏らしのないように運営。
二重帳簿で私服も肥やし、蓄積した財産で傭兵を雇い、物部氏や大伴氏などの軍属豪族を蹴散らスことで実験を握った。



蛇足になるが、5)は天武天皇以降。
この頃は、完全に公地公民。ソレまでの有力豪族を貴族に衣替えさせて、給料を支払う系の
統治に切り替わっている。
277名無しさん@おーぷん :2016/09/23(金)16:53:36 ID:OiO
おっさんは、現在世界し一本に絞って勉強してるんで、日本史はちょっと遅滞しています。
ソレだけだと愛想ないんで、最近見つけたすごいオンライン無料学習ページを紹介しておきます。


●日本史ストーリーノート(公式)
https://www.youtube.com/playlist?list=PL10Gth9S1y6U_ecXgnH6bF-7l6zbalyzW


●try itの学習。youtube利用のため、倍速視聴可能。ノートも無料ダウンロード可能。
導入・旧石器・縄文文化 https://goo.gl/78tpGX
弥生時代 https://goo.gl/mYOAw4
古墳時代 https://goo.gl/mOLXBo
飛鳥時代 https://goo.gl/5UzFFL
律令制度 https://goo.gl/vr18Mk
奈良時代 https://goo.gl/wA0BtB
平安時代 https://goo.gl/eRSrFe
荘園公領制 https://goo.gl/3ZZze1
院政と平氏政権 https://goo.gl/QyUATq
鎌倉時代 https://goo.gl/Ax80Xb
建武の新政と南北朝の動乱 https://goo.gl/I5Xzrq
室町時代 https://goo.gl/HNXJSL
戦国時代 https://goo.gl/kWnCyH
ヨーロッパ人の来航 https://goo.gl/mPx31c
織田信長と豊臣秀吉 https://goo.gl/AS34In
江戸時代初期(家康~家光) https://goo.gl/NG2UO8
江戸時代の社会経済 https://goo.gl/7ZpyNH
文治政治と三大改革(家綱~家慶) https://goo.gl/hHLONd
開国と幕末の動乱(家慶~慶喜) https://goo.gl/cWJlpS
明治維新 https://goo.gl/TvqIuE
明治維新初期の外交 https://goo.gl/Tm9z5g
自由民権運動と政党の結成 https://goo.gl/6sFm5M
明治初期の経済 https://goo.gl/1avHYF
内閣・憲法・初期議会 https://goo.gl/HyLY3c
日清戦争 https://goo.gl/mzmdvj
明治時代の産業発展(産業革命) https://goo.gl/XMPjJQ
日露戦争 https://goo.gl/vRLIJN
大正時代 https://goo.gl/sCYlYs
大正デモクラシー https://goo.gl/v0jz6r
昭和戦前 https://goo.gl/dsBgFF
占領下の日本 https://goo.gl/ve5e4N
高度成長から現在の日本へ https://goo.gl/oDRMqA
278名無しさん@おーぷん :2016/09/23(金)16:54:57 ID:OiO
●tryitの文化編
飛鳥文化・白鳳文化 https://goo.gl/iIhqNv
天平文化 https://goo.gl/ntg732
弘仁・貞観文化 https://goo.gl/61kwgC
国風文化 https://goo.gl/1EGv1a
院政期の文化 https://goo.gl/eNJvHw
鎌倉文化 https://goo.gl/rMgpT8
室町文化 https://goo.gl/Sbc5rJ
桃山文化 https://goo.gl/3m5141
江戸時代の文化(寛永期の文化~元禄文化) https://goo.gl/gLEYDA
江戸時代の文化(化政文化) https://goo.gl/a7kimo
江戸時代の文化(儒学) https://goo.gl/I3HeXr
江戸時代の文化(儒学以外の学問) https://goo.gl/Zf8AcV
文明開化と明治の宗教 https://goo.gl/JdJzDK
明治時代の文化(思想・教育・学問) https://goo.gl/WwRcC0
明治時代の文化(新聞雑誌・文学・芸術) https://goo.gl/YtJ0zf
大正・昭和戦前前の文化 https://goo.gl/DkTo2m
昭和戦後の文化 https://goo.gl/L8vJYm

ただし、化政文化の中に、宝暦天明文化が混在しているかも知れず。
新指導要領では要注意ポイントやね。
279名無しさん@おーぷん :2016/09/23(金)17:02:26 ID:OiO
ちなみにおっさんの世界史、悲惨なレベルです。
「基礎」の前に「根底」が求められるレベル。
特に古代のヨーロッパ・中東地域は、ちんぷんかんぷんです。

何回読んでも頭に入らなくて、アラム人とアムル人を混同したりでもう、涙目ですわ。
世界史もtryitの映像が良さそうなんで、とりあえずソレをかじり始めてます。
あと本では文庫本の読むだけでスッキリわかるシリーズや、単行本ではナビゲーター世界史。

まだ何が何だかのパニック状態が続いています。

でも、日本史との近似点があったりもして、なかなか興味深いものもあります。
それに、世界史を読むことで日本史の分からなかった部分が見えてきたりもすることがあったりして
ソレはソレで面白いです。

たとえば聖徳太子、あるいは蘇我氏一族はゾロアスター教と深い関わりがあったのではないか?
という説を以前読んだときには、すごく違和感があったんだけど、今回世界史でゾロアスター教に触れて
むしろ自然な流れと言えたのではないかと納得できたりとか。
280名無しさん@おーぷん :2016/09/23(金)17:08:16 ID:OiO
ちなみにおっさん、スタディサプリにも加入してるんだけど、こっちの世界史はちょっと受験に近いレベルなんで、当面近づきません。
日本史の方は伊藤賀一先生で、面白おかしく無駄話を入れてくるんで、聞きやすいですが。

今のところ、基礎を固めたいならtryitで、基礎をまとめたいなら「世界史20話プロジェクト」「日本史ストーリーノート」あたりがよさそうです。
山川の世界史の教科書は、クソ。読めば読むほどわからなくなる。

どうも日本の高校生が使っている歴史教科書は歴史の知識を持った人が見るとよくまとまっているが、これから勉強する人に対してはものすごく冷たいというのが実感。
歴史の流れや関係性が全然見えてこないんだな。

色んな種類の参考書を同時並行で読み始めて、自分のレベルに会うものを読破して、次に別系統を読破する、というやり方でしか基礎は固められないのかもしれません。
ただし、今の時代はネットを使っての無料映像講義が入手できるので、やる気さえあれば、天国な環境だと思います。
281名無しさん@おーぷん :2016/09/29(木)20:19:42 ID:ZaD
>>276
公地公民といえば律令制
中華かぶれの女王国は公地公民ではないだろうか?
シャーマンとはそもそも神の代理人なので勝手に私物化はできない

古墳が天下普請ならば公共工事である
差し出す財産の一部とはすなわち国庫に納める税である
そういえば神社のお賽銭は「神」への願い事の対価ではなく神の縄張りの管理費だというね
しかし私腹を肥やすことは不正だったからこそ大化の改新が成立するのだろう
282名無しさん@おーぷん :2016/10/01(土)10:00:01 ID:tgS
>>281
>中華かぶれの女王国は公地公民ではないだろうか?

「公地公民」、、、ではないですよ。
ざっくりいうと、「公」とは、天皇と言い換えても良いしろもの。
そういう目線での話だから。つまりは、群雄割拠の時代は公地公民ではない。

というか、そもそもこの話ってのは、土地税制の問題なんだわな。

最終簒奪者は誰なのか、としたときに、
例えば九州地方は卑弥呼、中国地方は出雲、、、みたいな状態のときは公地公民とはいえない。
「その群集落の中ではその中のものはトップが総取りだから公ではないのか?」というのは、屁理屈。
283名無しさん@おーぷん :2016/10/01(土)10:05:07 ID:tgS
再掲載すると、

・1)群れリーダー
・2)村落レベル
・3)連合国レベル
・4)ヤマト政権レベル
・5)天武天皇以降レベル

4までは私地私民。
それぞれの地域豪族がそれぞれの地域を自己の財産として経営している。

5で一応建前の公地公民。でも荘園が発生した時点で、その部分が私地私民になるから、
厳密に言うと、公地公民が崩れてるといえる。

701年:大宝律令で、全日本は天皇のもの、としたのに、
723年:三世一身の法で、速くもほころび始めている。
あとは例外処理だったはずの荘園がどんどん拡大してこの「治外法権区域」が基盤になってしまってる。

なので、きちんと公地公民が成立したのは、明治時代になってから。
と言ってもいいんだろうと思う。
284名無しさん@おーぷん :2016/10/01(土)21:33:03 ID:xbd
>ざっくりいうと、「公」とは、天皇と言い換えても良いしろもの。
中華というんだから皇帝の話でしょ
天皇が成立したのはヒミコじゃなくスイコだろう
群雄割拠じゃなくて三国志の時代だ
285名無しさん@おーぷん :2016/10/04(火)17:11:13 ID:eqd
>>284
いい加減、屁理屈合戦に付き合うつもりはないぞ?

きみが1)と5)ではレベルが違うというくだらない話をするから
わかりやすいように、こっちは「4)と5)の違いが焦点になってるという話をしてやったんだよ。



そもそも天皇の成立は推古じゃなくて天武だ。
それ以前は大王であって天皇ではない。
286名無しさん@おーぷん :2016/10/04(火)23:47:27 ID:Bl3
>>285
何を言ってるんだ?
>統制支配している豪族
これが4)で
>ムラの代表である豪族
これが2)だろ?

邪馬台国は一般的には3)だが、記紀を信じるなら4)であり
金印の地なら公地公民と言える
287名無しさん@おーぷん :2016/10/05(水)17:32:45 ID:OJh
>それ以前は大王であって天皇ではない。
これこそ下らない話だな。
それ以前は朕であって私ではないみたいな自称の話をしているわけではないだろう。
ビルマだろうがミャンマーだろうが、倭だろうが日本だろうがJAPANだろうが区別する必要はない。
だが出雲が中国だからって戦勝国ではないだろう。
台湾が中国だからって常任理事国ではない。

そもそも大王位継承を天皇と言い換えたのなら、とよとみみのりの大王は聖徳天皇とするべきだろうな。
つまりこれらの呼称は執筆当時か文献によるもので言い換えではない。
記紀を作成させたのが誰かを考えればそれが天皇なのは確実だが、推古期成立確定の史料は現存しないというだけの話である。しかし憲法十七條は全文引用されているので公地公民を疑う必要は無いだろう。
捏造ならそれこそ天皇と書かれていなければおかしな話である。

正朔を奉ずる「神」が私的所有を認めない限り私地私民は存在することができない。
独立を叫んだところで只の逆賊扱いにしかならないのだからね。
だから問題は後付けか云々ではなく呼ぶのにふさわしい存在だったかという話である。

天皇とは三皇五帝の三皇として元々あったわけで、始皇帝がそれより上方として作ったのが皇帝であるなら、
天子として同格と名乗れた存在としてはむしろ役不足な位だろう。
太陽が(使者として)下りきった所の天子が皇帝だと言っているわけである。
288名無しさん@おーぷん :2016/10/05(水)20:53:01 ID:vuI
天皇という概念自体が天武の時代に成立したもので、しかも中国のマネ。
それ以前の中国では天皇ではなく、天子とか皇帝とか。

そもそも古事記は偽書(平安初期の作成物)だし
日本書記は藤原不比等が持統天皇と組んで自分に都合いいように焚書して作り上げた代物。
詳細のどうでもいいようなところは正確だったりするが肝心要のところは嘘のつきまくり。

歴史の実態と本質を洞察しようとしない限り歴史は学ぶほど毒になるだけ。
どうやら毒が回りすぎてるようだね。
289名無しさん@おーぷん :2016/10/05(水)21:26:54 ID:OJh
始皇帝以前に皇帝があったと言いたいの?
そもそも天智はいつ退位したんだろうな。それではただの僭称である。
問題は肩書きではなく実態があったかと言うことである。
証拠を否定する証拠がない以上、否定はデタラメでしかない。
290名無しさん@おーぷん :2016/10/05(水)22:55:01 ID:vuI
>>288

>始皇帝以前に皇帝があったと言いたいの?

なんでそういう話になるの?意味不明だわ。


>そもそも天智はいつ退位したんだろうな。

天智天皇が死んだときにきまってる。


>それではただの僭称である。

なんで?
天皇という肩書がないだけで、実質はあったわけでしょ?大君として。



>問題は肩書きではなく実態があったかと言うことである。

こっちは最初からからそのつもりで話していたんですが?



>証拠を否定する証拠がない以上、否定はデタラメでしかない。

何についての話?。
291名無しさん@おーぷん :2016/10/06(木)00:18:37 ID:k5L
>天智天皇が死んだときにきまってる。
だからいつよ?
292名無しさん@おーぷん :2016/10/06(木)00:45:28 ID:k5L
>天皇という肩書がないだけで、実質はあったわけでしょ?大君として。

天武とて実質の話でしかないなら推古でも問題はないし、倭の五王の時代でもいいだろう
まあ暦が統一されていればもう少しマシに書けてたと思うけれど
293名無しさん@おーぷん :2016/10/06(木)19:31:03 ID:vVm
>>281 wikiに書いてあるよ

>>282 やはり相変わらず行間が読めてないんだな。

「俺は実質の話をしてるんだよ」
「肩書の話には持って行きたくないが、仮につきあったとして、推古がおかしいだろ。やれやれ」

という意識の流れよ。
294名無しさん@おーぷん :2016/10/06(木)20:48:51 ID:k5L
どこにレスつけてるんだ?
そもそも群雄割拠は応仁の乱みたいな戦乱の時期だけで、普通の時はそんなに揉めてないんじゃないか?
むしろ書いてあることがしょぼいから実効支配は及んでいなかったとか疑うのだろうが、
文化を画一化することが支配じゃないと考えれば、考古学的な分布とは重ならないのではないだろうか?
荒れていればむしろ境目がわからなくなる筈
295名無しさん@おーぷん :2016/10/06(木)21:35:55 ID:vVm
>>294
>どこにレスつけてるんだ?

あ、ほんとだ。申し訳ないw。
おっさん、老眼がひどくて、6と8と9を時々間違えてしまうだよ。
すまんかったね。

ということで修正再掲載。

>>291 wikiに書いてあるよ

>>292 やはり相変わらず行間が読めてないんだな。

「俺は実質の話をしてるんだよ」
「肩書の話には持って行きたくないが、仮につきあったとして、推古がおかしいだろ。やれやれ」

という意識の流れよ。
296名無しさん@おーぷん :2016/10/06(木)21:53:00 ID:k5L
wikiがなにかわからんよ。
ハワイ語なりアルファベットが当時書かれた文献があったら大発見じゃないか?
297名無しさん@おーぷん :2016/10/08(土)18:26:37 ID:ikg
大秦王安敦、つまりローマ皇帝ですら王なのな
298名無しさん@おーぷん :2016/10/24(月)05:40:26 ID:9YS
征服した側が征服した相手を国と認めているのだから只の村長ではなく、都市国家群があったと考えるべきだな
そうでなければ私的な反乱として記録される筈
299名無しさん@おーぷん :2016/11/11(金)09:01:42 ID:FHZ
>>297
対等な国家関係なんて、彼らの概念には有りませんので。
我が文明国である中華帝国に従うか、従わないかの二者択一しか無いのです。
300名無しさん@おーぷん :2016/11/11(金)09:03:23 ID:FHZ
まあ、日本も渤海の事を「日本の属国」みたいな扱いをして遇していたので、
「対等な国家関係」という近代の概念が持ち込まれるまでの東アジアは、
どこの国も似たり寄ったりだったと思われますが。
301名無しさん@おーぷん :2016/11/12(土)19:11:32 ID:E75
>>300
だからこそ聖徳太子は凄いんだよな
どこに否定する要素があるのかねえ?

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