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福岡の歴史好きに質問なんだが

1名無しさん@おーぷん:2014/10/26(日)05:52:42 ID:cMRAw9Oh4()
菅原道真の大宰府左遷をどう思う?
確かに政治家としては失脚だが 大宰府の生活はいうほど
悲惨なものだったのか?すくなくとも気候は京都より温暖
だし食い物もうまいだろ また和歌の始まりといわれる
梅花の宴が 京都でなく大宰府で開かれてこと思えば
在野の文人知識者も多かったのではないか?
大宰府の道真は幸せだったのではないかと思うのだ    
2名無しさん@おーぷん :2014/10/26(日)10:21:11 ID:vyNUK3tii
道真に出生意欲があったのなら
そりゃ不満でしょ
『ゆくゆくは摂政関白に』とか野心があったとすれば

何よりも「太宰権師」とか言って、仕事が何も無い状態だったのが応えたんじゃないか?
仕事人間が定年退職とか迎えると一気に老け込むらしいし
当時は今と違ってゴルフだとかゲートボールだとか老人の暇つぶしも無かっただろ
3名無しさん@おーぷん :2014/10/26(日)10:22:43 ID:vyNUK3tii
出生意欲ではなく『出世意欲』の間違いだな
遅くとも、宇多天皇に娘を嫁がせた時点では、菅原道真にも人並みの野心があったと思ってる
4名無しさん@おーぷん :2014/10/26(日)22:22:10 ID:sb1jUpiy8
雨漏り酷い井戸水でないあばら家に住まされて、逆賊としてあることないこと言いふらされて
社会からも抹殺されてる。それに監視も酷く仕事もさせてもらえなかった。
天皇に嫁がせるのはその当時の流行みたいなもんで他の家臣もしてる。
最後まで身の潔白も書いてるし醍醐天皇は自分の非を認めて最期まで怨霊に怯えてる。
いうほど以上に酷かったんだぞ。
5名無しさん@おーぷん :2014/10/27(月)21:39:53 ID:nVFynaKnt
スレありがとう
娘に関しては>>4の意見 道真の位だとむしろ娘を送ら
ないほうが不遜なんじゃないかな 野心に関しては無か
ったといいづらいが 藤原家や他の文人達の妬みを買う
恐ろしさは讃岐守になった時知らされていたはずだし

それでも右大臣まで上りつめたのは道真の能力の高さと
同じに政治家としてのバランス感覚が優れていたんじゃ
ないのかな 実際に職をやめようとしたけど叶わなかっ
たんじゃなかったのか

>>4の惨状をつづった詩は あくまで中央を意識したもの
だと思う その文言は学者貧乏の範疇だし讃岐守時代で
も嘆く詩は書いている 私はこんな有様でも恨みを持たず
反省してますというアピール 

左遷に連れ添った年少の男女は夭折したから幸せであったと
は言い過ぎたけど 世間から孤立したとは考えがたい
何より官僚として有能さはピカイチだし中央とのつながりを
知る役人は知恵を借りたんじゃないのか また文人としても
名高い道真に博多の文人や僧侶が彼のもとを訪れないのは
どうなんだろ もっとも本を読み返してもそういった交流
があったような文はない だから福岡の人に伝承としてそう
いったものはなっかたか聞いてみたかったんだ   
6名無しさん@おーぷん :2014/10/28(火)10:32:45 ID:vYuTX8Wgy
普通に考えて国家第一級クラスの犯罪者扱い受けてる逆賊なのに交流なんてできないしできたとしても
関わったら自分の家や家族がどうなるかわかったもんじゃないからするわけがないだろ
娘やるのだって宇多天皇に頼まれれば嫌とは言えないし職をやめて学者に戻りたがってたし
野心があるとは考えにくい
アピールというが実質流刑みたいなもんだし嘘ではないだろ
寧ろ歪曲されて中央に報告されてた
7名無しさん@おーぷん :2014/10/29(水)21:02:56 ID:AySWvK1ZU
夭折したのは男の子だけだった すまん
>>6
天神縁起にもあるけど 円仁の顕揚大戒論の序文を代作をはじめ
数多くの代作をしている これは讃岐守になった時も変わりなかった
大宰府は田舎ではない大陸の風の防波堤でありかつ交流拠点でもある
力ある役人豪族僧達にしてみれば 中央にいた時には頼めることも適
わなかった代作を得るチャンスだと思う 道真がもし詩にあるように
生活に困窮しているのなら なおさら頼みやすいはず
国家的なプロジェクトに寄稿する道真の文章に価値がないとは考えづ
らい 
8名無しさん@おーぷん :2014/10/30(木)08:27:16 ID:xnxlsKMed
だから朝敵の大反逆罪なんだからどう考えたって無理なんだって
身分が低ければ将門みたいに殺されて晒し首にされてもおかしくないレベル
自分の身の危険冒してまでする馬鹿いるわけないだろ
昔だからお家が大事な時代だったんだから尚更そう
9名無しさん@おーぷん :2014/10/30(木)11:11:49 ID:VQFnPuXwe
菅原道真がニート気質だったら長生きできたかな?
「仕事なくてサイコーwww」
とか思ってれば。
10名無しさん@おーぷん :2014/10/30(木)22:36:08 ID:Ka1Xx5KRg
>>8
実質流罪だったけど表面上は左遷だった ここ大事じゃない?
似た境遇の頼朝は伊豆で恋愛してたし慶喜は駿府の田舎を満喫してた
九州の人間が中央に気兼ねするかな また藤原家の謀だよ可哀想にね
ぐらいじゃない 
 
氏寺にすぎなかった太宰府天満宮の前身安楽寺が 中央の恩恵を受け
かつ中央のパイプ役として繁栄していくわけだけど 裏返せば九州には
地域に根付く神々を信奉し中央と対峙していたことにはならないか

>>9
道真の心情は それに近い感じだと思う
道真は遣唐使を廃止したけど 最後の遣唐使として自分の名を連ねた
このことに歴史家は疑問を持つけど 菅原家の中興は遣唐使となった
曽祖父古人祖父清公伯父善主に起因する 廃止すると分かっていても
その末席に自分の名を記したいというのは当然の話だ

筑紫下向中の道真は不思議な感慨にとらわれていたはずだ
罪人としてだが 自分が先代と同じ道を歩んでいることを
旅慣れない幼子を励ますため 小さい頃聞いた遣唐使
の話をしたはずだ そして話す内に下向は逃れることの
できない宿命だったという思いに至りはしないか

政治家家長として道真の片目は京都にむかったが もう片方は
しぜん先代の渡った大陸に向かったのではないか?

地図で見たが 太宰府天満宮と光明禅寺は予想以上に近いな
渡唐天神図の説話はここで作られたに違いない 適わぬと分か
りながら大陸に向かう文人道真の志を誰が引き継ぎ それが
この説話の核となったのではないか 

隈麿と紅姫 浄妙尼 味酒安行 ネットで漁れるのはこれぐらいか

   
11名無しさん@おーぷん :2014/11/02(日)05:31:16 ID:gQ4BxqUVD
紅姫は朝鮮に行った伝説があるけど これ渤海じゃないのかな
道真は来朝した渤海客史の正史斐頲を歓迎し詩を交わしている
12名無しさん@おーぷん :2014/11/14(金)15:49:24 ID:SJZFwSLgv
>>10
似た境遇?頼朝が高齢になってから逆賊になったのか?
流罪で全部ひとくくりあつかいかよ
13名無しさん@おーぷん :2014/11/16(日)17:48:40 ID:pmbiXQTvG
福岡行った事無いし知り合いも居ないから知らないんだけど
玄界灘って荒れ果てた海なの?
14名無しさん@おーぷん :2014/11/19(水)06:58:28 ID:e5zoeFdFz
>>12
確かに伊豆のほうが悲惨だな
15名無しさん@おーぷん :2014/11/19(水)06:59:36 ID:e5zoeFdFz
伊豆のほうが悲惨だろ
16名無しさん@おーぷん :2014/11/19(水)07:00:14 ID:e5zoeFdFz
連投すまん
17名無しさん@おーぷん :2014/11/19(水)20:57:21 ID:e5zoeFdFz
>>13
軍師官兵衛見てました?自分も万葉集で時風ではじまる歌を
見たので調べましたが 冬は北西の季節風が強く荒れるようです
神風も冬の季節風のによる嵐の説があります 黒田熊之助は渡航
が7月のことなので この季節風とは関係がないようです 
18名無しさん@おーぷん :2014/11/20(木)09:54:13 ID:Sb5wNSFE0
>>17
ありがとうございます

その玄界灘を見て育ったのが、頭山満とか広田弘毅か。
19名無しさん@おーぷん :2015/05/02(土)13:04:32 ID:ana
>>14
断言できる根拠は?
そしてその時の状況については無視?
20名無しさん@おーぷん :2016/08/16(火)17:27:20 ID:yW1
道真公がついた役職は正式には大宰員外帥。
他の大宰員外帥をみても中央に復帰できてないから
それ程厳しい役職だったことがわかる。
(藤原豊成は実質役職に就いてないから例外)

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