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喜連川藩(徳川家の臣下だったのかどうか判然としない)

1名無しさん:2014/04/11(金)21:22:14 ID:5FJWVXO3V()
喜連川藩(きつれがわはん)は、関ヶ原の戦いの後に
下野国塩谷郡喜連川(現在の栃木県さくら市喜連川)に立藩された藩。
藩庁は喜連川陣屋。藩主は足利国朝(正室は古河公方・足利氏姫)を藩祖とする喜連川氏。
喜連川氏は足利尊氏の次男・足利基氏の後裔であり、
名族足利氏のなかで唯一明治維新まで大名格で存続した家である。
2名無しさん :2014/04/11(金)21:23:36 ID:5FJWVXO3V()
頼氏は関ヶ原の戦い(1600年)に出陣しなかったが、
戦後に徳川家康に戦勝を祝う使者を派遣したことから1602年(慶長7年)に1000石の加増を受けた。
それでも総石高4500石程度に過ぎず、本来ならば大名ではなく藩と呼ぶことはできない。
しかし江戸幕府を開き源氏長者となった家康は、かつての将軍家でありかつ源氏長者でもあった
足利氏の格式を重んじ、高い尊称である御所号を許して厚遇した。

また四品格となり、代々の鎌倉公方が叙任された左兵衛督や左馬頭を称したが、
これは幕府からの受けた武家官位ではなく自称であった。
にも関わらず、幕府などもこの自称を認めていた。
また足利の名字を名乗らず喜連川を称した。
3名無しさん :2014/04/11(金)21:24:27 ID:5FJWVXO3V()
このように、喜連川家が江戸幕府から受けてきた待遇は「大名(諸侯)」・「旗本」・「交代寄合」の
いずれにも当てはまらず、その実態は幕藩体制における武家の身分統制から外れており
徳川将軍家との明確な主従関係すら存在しなかった
(喜連川家は自身を「天下ノ客位」「無位ノ天臣」と称していた)。
4名無しさん :2014/04/11(金)21:25:53 ID:5FJWVXO3V()
仙台藩が費用節約のために喜連川を通り過ぎたくても、
宿場前にはいつも喜連川藩主(御所様)が待っていたという。
5名無しさん :2014/04/12(土)21:09:29 ID:zAd3HJYvh
へぇ、そんなに自由な立場だったとは…
6名無しさん :2014/04/12(土)21:27:52 ID:lXNvuFDWQ
当主は「御所号」といって、御所と敬称されることを許されたが、
これは五摂家の当主に許された特権であった
7名無しさん@おーぷん :2014/04/30(水)23:50:49 ID:OhVp1kv1W
たしか喜連川の殿様にすごい強弓の使い手がいたよな
8名無しさん@おーぷん :2014/05/01(木)17:20:50 ID:yyjEyOerP
参勤交代はやってたの?
9名無しさん@おーぷん :2014/08/16(土)05:23:18 ID:2zUpAuCIB
なんで足利姓を名乗らなかったんだろう
10名無しさん@おーぷん :2014/08/16(土)12:16:37 ID:UNmGn4xWt
吉良上野介は吉良姓のまま、オーケーなんだよね。熊本の細川氏も元は和泉の細川氏の家系だが、京兆家が豊臣時代に断絶しているので、実質、細川宗家の立場だが、そのまま、細川姓でオーケー。

だが、越前の結城姓はノーだったようだ。結城は鎌倉北条得宗家の時代、足利と席次(家格)争いをするぐらいの名家。よって、越前は松平姓に復帰した。不思議なのは、何故、松平であって、徳川姓でなかったか、だ。
11名無しさん@おーぷん :2014/08/16(土)12:35:23 ID:UNmGn4xWt
関東公房の高貴さと言うのは、三管四識以上。公房、室町殿を政権与党党首とすれば、関東公房は野党第一党党首。室町幕府の権威では、ナンバー2なんだよね。

三河の松平は駿河の今川の保護下におかれるようになったが、その今川ってのは、野党第一党党首である関東公房を監視する室町殿の目附の御連枝大名。徳川家は松平時代、この今川に実質、隷属していたのだが、関東公房家なんざ、仰ぎ見る高貴な家過ぎて、江戸時代、その姓のまま、殿中にいられると、上座で将軍家が困るんだよね。
12名無しさん@おーぷん :2015/03/10(火)23:45:52 ID:O7S
>>9
名乗れなかった
13名無しさん@おーぷん :2015/03/15(日)18:39:17 ID:FV9
>>8

毎年12月に「自発的に」江戸に詰めていた。
14名無しさん@おーぷん :2015/09/02(水)23:11:24 ID:vNm
バッタモン源氏の徳川にしたらホンマモンの源氏である喜連川を無碍には出来ないんだろう

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