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継体天皇について執拗に語ろう

1名無しさん:2014/04/11(金)17:46:38 ID:5FJWVXO3V()
「今城塚古墳いってきた。
地震で墳丘ぐしゃぐしゃだね。」
2名無しさん :2014/04/11(金)17:48:58 ID:5FJWVXO3V()
「山の辺の道を歩いてきたけど
奥さんと何十kmも離れて埋葬されているね」
3名無しさん@おーぷん :2015/04/05(日)07:57:51 ID:ubr
840 名前:日本@名無史さん
投稿日:2015/02/14(土) 05:37:17.78 .net

日本書紀編者は継体の即位を河内の樟葉宮としていて、
大和に入ってからとはしていない。
大王空位時代を隠すためかもしれない。
4名無しさん@おーぷん :2015/04/05(日)08:23:14 ID:ubr
連続かきこであがるはずだ
5名無しさん@おーぷん :2015/08/22(土)03:12:36 ID:1bV
>>3
しかし最近の説では即位前から
大和のオシサカ宮にいたってことらしいじゃん
6名無しさん@おーぷん :2015/09/02(水)23:02:14 ID:vNm
テキトーに言うけど・・
それまでの皇統が絶えてしまって、すごーく遠縁の人物が皇位を継いだってことじゃないのかな?
7名無しさん@おーぷん :2015/09/25(金)17:12:21 ID:iC9
>>6
テキトーも何も、記紀にそう書かれてるよね
8名無しさん@おーぷん :2015/12/17(木)00:37:15 ID:qN0
記紀って正直だよなー
始まって数百年の王朝だから、万世一系なんて概念もなかったんだろうな。
9名無しさん@おーぷん :2016/02/06(土)12:25:45 ID:dxo
万世一系を守ろうとしたから遠縁の人を連れてきたんやで
どうでもよけりゃ遠縁じゃなくて赤の他人でもよかった
10名無しさん@おーぷん :2017/04/14(金)09:51:51 ID:F3K
>>9
遠縁の人が継いでる時点で「一系」ではないのだが。
皇室の歴史は系よりも「血」。
しかも男女を問わない。

今みたいな「男系!」「男子!」「女性天皇排除!」「側室制度無し!」なんて狭っ苦しい規定なんて、明治時代以降だけの話。
11名無しさん@おーぷん :2017/06/30(金)19:27:10 ID:aWe
>>10
おまえは一系の意味をわかってない
12名無しさん@おーぷん :2017/07/01(土)17:22:35 ID:0jj
律令の上では慶雲三年二月庚寅以前は皇統が短かったりするのだろうか?
13名無しさん@おーぷん :2017/07/19(水)10:59:58 ID:Vo4
若沼毛二俣皇子の妹が允恭天皇の皇后になって雄略天皇を産んでるし
大郎子の母は祖母の妹で息長系
いうほど遠縁でもない
14名無しさん@おーぷん :2017/07/23(日)09:36:11 ID:VoU
>>11
お前こそ何も判っていない。
そもそも「一系」なんて単語が使われたのは明治時代以降。
それ以前は「万葉一統」と言っていた。
これならば別に「一系」に拘る必要が無い。
実際、日本史の明治時代以降百年を除けば、日本人の大多数は、天皇を「一系」であるかどうかで判断などしていない。
南朝正統論の太鼓叩きを行った「神皇正統記」の著者北畠親房ですら、
「一系」だから尊いなどとは一言も述べていない。
お前がまるっきり無知なのが明らかだ。

大化の改新前の、天皇が大王と呼ばれ、未だ豪族に担ぎ上げられているような状況を指して、
「一系だから~」とか馬鹿馬鹿しいにも程があるw
15名無しさん@おーぷん :2017/07/23(日)09:38:38 ID:VoU
>>13
それは、男系男子・万世一系信者が忌み嫌う、
「女系によって」繋がりが保ててた証明なのですが……
女系の価値なんぞ一切認めない男系男子主義者がそんな話を持ち出すなんぞ、恥知らずも良い所ですよ!
16名無しさん@おーぷん :2017/07/23(日)09:53:40 ID:VoU
一系かどうかを重視するって発想も、
明治時代以降の男尊女卑主義者によって産み出された妄想。
日本の古来からの伝統などでは無い。

聖徳太子や大化の改新前の「大王」とは、非常に広い範囲に対して「同族意識」を持っていた。
皇室から分家した蘇我氏なども「同族」認識であったし、
男系というイデオロギーに囚われていては大王と血縁関係が無いように見える大伴氏や物部氏ですら、
「同族」と認識し「一統」意識を抱いていた。

もっと言えば、統治されるはずの民に対してでさえ「同族」意識を持っていた。
その証拠が、民の詠む歌すらも収録されている「万葉集」であり、
「日本は天皇を家長とする、緩やかな家族国家」と思わせる家族国家論であった。
無論、家族国家論自体は明治時代によって普及された代物であったが、
元々、皇室の伝統儀式や、民を我が事のように大事に想うなどという発想に、既に家族国家論の萌芽が見えている。

仁徳天皇は、山登りした時に、山頂で民の竈から煙が上がってないのを見て、
「民は炊けるだけの米も無いのに違いない」
と判断、以降三年間に渡って年貢の徴収や、労働義務などを免除した。
お陰で仁徳天皇の皇居は雨漏りがする程痛んだが、民の暮らしは非常に豊かになったという事が書いてある。
自らの宮殿や財産を粗末にしてまでも民を重視するなど、世界中の王室に見られない行動であろう。
仁徳天皇の逸話が書かれ、また民たちの歌が掲載された万葉集が成立した8世紀時点で、
既に日本には「家族国家論」「万葉一統」の萌芽が在ったのだ。

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