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【1:17】歴史学科に入学が決まった無知な俺におすすめの歴史本教えてくれ
1名無しさん@おーぷん:2016/02/15(月)17:06:06 ID:M6E
時代や国は問わず



8名無しさん@おーぷん:2016/02/17(水)12:12:33 ID:SGx
>>7
小林よしのりでオススメと言えば、
戦争論(1)、2、3と、『台湾論』、『沖縄論』、そして最近出版された『新・戦争論1』

この辺りが歴史モノの本

9名無しさん@おーぷん:2016/02/21(日)05:00:21 ID:tkX
網野善彦『日本の歴史を読み直す』
おすすめやで

10名無しさん@おーぷん:2016/02/21(日)12:09:02 ID:YpD
>>9
それ良い本だけど、入門としては取っつきづらくない?

11名無しさん@おーぷん:2016/03/03(木)19:05:27 ID:bW9
まずは実証主義の立場に立った方がいい。人に説明するとき説得力をもって話す力がつく。
あとは岩波の日本通史だったか歴史講座だったか、通史的な研究をまとめた本をよんで歴史学とはこういうものだ、と認識しといた方がよい。
とにかく、右や左と言う前に研究の仕方を知っといた方がいい。
ネットにあるような知識のひけらかしあいじゃないから

12名無しさん@おーぷん:2016/04/02(土)16:43:33 ID:Poo
>>9
これは絶対読んどけ

13名無しさん@おーぷん:2016/04/02(土)16:46:51 ID:Poo
論文とか読むのもいいけど早いうちから史料の読み方を勉強しておくといいよ

歴史を研究していくにあたってぶっちゃけ高卒レベルの歴史の知識も必要ない

14名無しさん@おーぷん:2016/04/02(土)16:48:43 ID:Poo
連投ですまんけど歴史学とはどういうものかを早め早めに知ろう

15名無しさん@おーぷん:2016/08/11(木)10:24:33 ID:dyl
近現代史が好物、学びたいならば、このブログも読んでおけば?
基礎知識があれば、かなり惹かれる内容が多い
ただ更新が月8~9回は学生さんだからかな
http://goo.gl/E4lvBk

16名無しさん@おーぷん:2017/03/15(水)09:47:58 ID:Xh9
>>13
の言う通り専攻に進んだらある程度は要るにしろそんなに知識はいらないし正直広くは必要ない。
卒論とかを目指していくなら尚更広く知ってる必要ないからできるだけ早いうちから
専攻か興味あることに絞ってそういう類の本をよむほうが良い。

余裕があれば他に手を出すくらいで

17名無しさん@おーぷん:2018/04/20(金)02:34:26 ID:cga
http://youtu.be/_l2DBWPBa_A

名前: mail:

【2:13】【皇国史観】日本の起源を語ろう【戦後史学】
1名無しさん@おーぷん:2015/11/10(火)19:15:50 ID:FB5
【日本】とはいったいいつできたのか?

神武天皇即位年からなのか?
ヤマト王権誕生時なのか?
明治政府誕生年からなのか?
大戦後の主権回復時なのか?

既存の学説でもあなた独自の説でもいいので書きこんでください。



4サボテン■忍法帖【Lv=11,せんし,MjD】◆SABO///jlE:2015/11/19(木)18:39:52 ID:tw@SABO_jlE 
日出ずる国って言ったとこから

うむ、全くわからんから見ておこう

5名無しさん@おーぷん:2015/11/26(木)22:08:48 ID:Iv4
701年からで

6名無しさん@おーぷん:2015/12/20(日)09:11:10 ID:I1N
>>3
称号が変わっただけで建国年とはいえんやろ
大変換点ではあるかもしれんけど

7名無しさん@おーぷん:2015/12/20(日)09:48:18 ID:2KG
>>6
対外的、少なくとも対中国に於いては、倭ではなく「日本」という国になった、
そして中国皇帝の「属国」ではなく、「対等の天皇」が対等の中国皇帝に使いを送ると公式に宣言した契機ではある。
確実に年数も特定出来るし。

8名無しさん@おーぷん:2016/02/06(土)12:12:00 ID:dxo
>>3
そういう説はフェミ系の学者が唱えて一時的に受けてたけど
女系論と女権論を意図的にごっちゃにしたもので
学問的でない。政治的プロパガンダだよ

9名無しさん@おーぷん:2016/02/06(土)12:16:31 ID:dxo
日本も天皇も天武天皇からだろ、言葉それ自体は。
日本が持統天皇とか初耳、そんな説あるか?

10名無しさん@おーぷん:2016/02/06(土)12:18:06 ID:dxo
天皇と書かれた木簡が出土してるのに
いまだに大宝律令説? 古い学説じゃね?

11名無しさん@おーぷん:2016/02/07(日)17:57:30 ID:qcf
「天皇」という称号を制定したのは天武五年(676年)
倭国から日本国に国号を変更したのは天武十二年(683年)

12名無しさん@おーぷん:2016/06/02(木)19:13:18 ID:hT8
持統が中継ぎしたようにみえて、本当の中継ぎは大海人皇子なんだよな
天智天皇がバックレた後に壬申のクーデターを演出することで色々とウヤムヤにできた事が多いような気がする

13名無しさん@おーぷん:2018/02/04(日)16:08:07 ID:2uI
大化の改新がなかった場合、この辺ってどうなっていたの?

名前: mail:

【3:15】後北条氏時代の江戸
1名無しさん@おーぷん:2017/09/09(土)09:56:06 ID:Ds0
史料となるのは分限帳や寺社の記録その他



6名無しさん@おーぷん:2017/10/11(水)17:27:53 ID:gHH
あと江戸に限らず
中世の城下町は近世城下町と違って
城の近くの色々な所に町がある感じ

7名無しさん@おーぷん:2017/10/22(日)00:05:53 ID:0RN
江戸魚市場めぐり(2)-四日市-
http://blog.goo.ne.jp/kyrie999/e/24ffa4d27d5733ca3919d049f7dda8a3
>この辺りは幕府が開かれる前から四日市場村という村落があり、
>市が立ち、商いが行われていた場所。
>野菜や乾魚などを売っていたとか。

太田道灌時代の江戸城にいた人(万里集九)も
門前に市があるって言ってたし
後北条氏時代の江戸にも引き続き市があったのだろう

8名無しさん@おーぷん:2017/10/22(日)00:08:12 ID:0RN
後北条氏時代の江戸→
後北条氏時代の江戸城の前にも
訂正

市は江戸の他の場所にもあるな

9名無しさん@おーぷん:2018/01/27(土)11:16:09 ID:QVk
伊東一刀斎が鐘捲自斎に剣術を習ったのは
どうも後北条氏時代の江戸のようだ

伊東一刀斎
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E6%9D%B1%E4%B8%80%E5%88%80%E6%96%8E
>『一刀流極意』(笹森順造)によると「高上金剛刀を極意とし英名を走せていた中条流の達人鐘捲自斎通宗を江戸に訪ね、
>就いて自斎から中条流の小太刀や自斎の工夫になる中太刀を学んだ。

1550年生まれ説や1560年生まれ説があるけど
どちらにせよ時系列的に後北条氏時代の江戸に訪れた事があるようだ

10名無しさん@おーぷん:2018/01/27(土)13:16:51 ID:20t
>>7
四日市場ってどこかと思ったら日本橋のことか

浅草海苔っていつできたの?

11名無しさん@おーぷん:2018/01/30(火)08:49:00 ID:P70
>>10
諸説あるな
945年に当時の武蔵守の平公雅が発案したのが原型で
室町~江戸時代に今の形になった感じかな

岡村金太郎によると室町時代には既に浅草海苔はあったそうだが

食用の海苔自体は風土記にも記され
飛鳥時代には既にあったようだ

12名無しさん@おーぷん:2018/03/29(木)01:06:43 ID:xCp
天陽院
https://tesshow.jp/minato/temple_shibakoen_tenyo.html
>浄土宗寺院の天陽院は、生譽珍公が開祖となり、応永31年(1424)武蔵國日比谷飯倉附近に創建

南命山善光寺
https://tesshow.jp/minato/temple_naoyama_zenko.html
>浄土宗寺院の善光寺は、南命山と号します。善光寺は、永禄元年(1558)谷中に創建

広度院|港区芝公園にある浄土宗寺院
https://tesshow.jp/minato/temple_shibakoen_kodo.html
>浄土宗寺院の広度院は、酉譽上人が増上寺を開基、廣度を其院名とした時、別に一院を建立
室町時代の話

大本山永平寺別院長谷寺
https://tesshow.jp/minato/temple_wazabu_chokok.html
>龍雲院と号して赤坂溜池に天正12年(1584)創建

経覚寺|港区芝にある浄土真宗本願寺派寺院
https://tesshow.jp/minato/temple_shiba_keikaku.html
>経覚寺は、了吟(応安5年1372年寂)が開基となり、文化元年(1352)天台宗寺院として創建、
>後浄土真宗に改め、八丁堀に堂宇を建立、永禄2年(1559)に芝へ移転

勧勝寺|港区芝にある真宗大谷派寺院
https://tesshow.jp/minato/temple_shiba_kansho.html
>真宗大谷派寺院の勧勝寺は、金杉山と号します。
>勧勝寺は、建長4年(1252)足立郡内植村に真言宗寺院として創建、正徳5年(1715)当地へ移転したといいいます。

法音寺|港区芝にある浄土宗寺院
https://tesshow.jp/minato/temple_shiba_hoon.html
>浄土宗寺院の法音寺は、演暢山観光院と号します。
>法音寺は、信蓮社行誉上人祟山和尚(文明15年寂)が開山となり文明12年(1480)に創建

13名無しさん@おーぷん:2018/03/29(木)01:09:16 ID:xCp
太田道灌公の足跡
http://www.asahi-net.or.jp/%7Ejt7t-enmt/index1/oota.html

14名無しさん@おーぷん:2018/03/29(木)01:10:25 ID:xCp
後北条氏時代の江戸には寺町が複数あった
今の麹町の局沢や
芝や浅草等に

15名無しさん@おーぷん:2018/03/29(木)08:30:11 ID:ueR
徳川家康と城 第3回 | 家康入城以前の江戸はさびれた漁村だったのか
https://shirobito.jp/article/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6%E5%BA%B7%E3%81%A8%E5%9F%8E%20%20%E7%AC%AC3%E5%9B%9E%20%7C%20%20%E5%AE%B6%E5%BA%B7%E5%85%A5%E5%9F%8E%E4%BB%A5%E5%89%8D%E3%81%AE%E6%B1%9F%E6%88%B8%E3%81%AF%E3%81%95%E3%81%B3%E3%82%8C%E3%81%9F%E6%BC%81%E6%9D%91%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B

>戦国大名北条氏の重要拠点の一つで、
>城下町もそれなりに発達していたのである。
>「江戸は砦のある漁村」といったイメージはこの際払拭する必要があるのではなかろうか。
>前述岡野友彦氏が指摘されたように、
>江戸は浅草からはじまる利根川・常陸川水系と、
>品川からはじまる太平洋海運とを結ぶ結節点に位置していたわけで、
>江戸が平安時代から中世を通じてある程度発達していた点をみておく必要があるように思われる。

小和田哲男先生はこう語っている

名前: mail:

【4:11】復興!周王室(天子)!倭人は呉の末裔か!?vol.6
1名無しさん@おーぷん:2014/06/04(水)22:57:25 ID:8bBNeaDz9
男子無大小、悉黥面文身。自謂太伯之後(晋書)
倭者、自云太伯之後。俗皆文身(梁書)

神武天皇は入れ墨をしていた!

過去スレ
復興!周王室(天子)!倭人は呉の末裔か!?
http://unkar.org/r/history/1189507021
復興!周王室(天子)!倭人は呉の末裔か!?vol.2
http://mimizun.com/log/2ch/history/1206938431/
復興!周王室(天子)!倭人は呉の末裔か!?vol.3
http://logsoku.com/thread/academy6.2ch.net/history/1225586417/
復興!周王室(天子)!倭人は呉の末裔か!?vol.4
http://unkar.org/r/history/1256401997
復興!周王室(天子)!倭人は呉の末裔か!?vol.5
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1295856332/



2名無しさん@おーぷん:2014/06/04(水)22:58:48 ID:8bBNeaDz9
天皇こそ正統周王家の生き残りなのです。

銅鐸がなぜ巨大化していったのかという古代史の謎をここに解き明かしましょう。
呉の末裔達が列島に渡来してしばらく後かられは列島の青銅器の一部、とくに銅鐸を鼎に相当するものとして扱うようになりました。

しかし、鼎にはかつて楚の荘王からその大きさを問われた苦い過去がありました、(いわゆる「鼎の軽重を問う」)

そのトラウマから銅鐸や銅剣の一部が巨大化してつくられるようになっていったのです。

3名無しさん@おーぷん:2014/06/04(水)23:02:56 ID:8bBNeaDz9
一般には水稲農耕伝来が弥生時代の幕開けとされているようなので縄文時代に稲作というより弥生時代が遡ると解釈した方が適当かもしれません。
現在では弥生時代の幕開けは紀元前10世紀後半まで遡るのが有力説です。
よく言われる弥生人の特徴を持った人骨が出土するのは北部九州から山口県山陰にかけてです。
胴長短足の彼らの特徴を我々現代日本人は顕著に受け継いでいます。
面白いことに同じ北部九州でも西よりの長崎県や熊本県の浜辺・離島部からは四肢の末端が長い縄文人の特徴を持つ人骨が同時代の遺跡から多く出土します。
土井ヶ浜遺跡人類学ミュージアムの松下館長が中国で出土する周代末期から前漢の人骨を調べた結果、先の九州北部山口県山陰で出土する弥生人の人骨と酷似するものが多数発見され縄文人の特徴を持った人骨は皆無だったそうです。
「日本の縄文末期から弥生時代に中国東部にいた人々は九州北部山口山陰型弥生人と同じ形質だったと考えられる」と結論付けてらっしゃいます。
その土井ヶ浜遺跡からは集団埋葬跡地が発掘されているのが有名で、発見された人骨は300体を超えます。
その人骨すべてが響灘から大陸を望む西方に顔を向けて埋葬されているのです。
朝鮮半島の位置する北方ではなく呉の位置した西方にです。
祖国を滅ぼされ海を渡り日本列島に移住してからも祖国である呉を想い続けた我々の祖先の思いが偲ばれます。

4名無しさん@おーぷん:2014/06/06(金)17:46:09 ID:VmsSl2v4X
◆日本人特有の遺伝子とは?
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfree&page=11&nid=357060

島国であり人の出入りが少なかった日本人は、世界でも稀な古代血統とされるY遺伝子D系統を多く持つ人種である。

日本人はY染色体DNAのD系統を高頻度で持つ事で有名である。
世界的にもチベット人や中近東の人だけがこのDNAをもっているが、他の世界のどこにもほとんど存在しない。

さらに日本のすぐ近くの朝鮮半島や中国人がアジア特有のO系統であり、孤立したD系統を持つ日本人の異質さが際立って見える。

またこのD系統はYAP型とも言われ、アジア人種よりも地中海沿岸や中東に広く分布するE系統の仲間であり、
Y遺伝子の中でも非常に古い系統である。

東アジアの地域全体にはアジア系O系統が広く分布し、島国の日本や山岳のチベットにのみD系統が残ったと考えられる。

D2系統はアイヌ人88%、沖縄人56%、本土日本42~56%(参考までチベット33%)で、韓国ほぼ0%である。

アイヌにはアジア主流のO系統は無く、完全なD系統であり、本土日本人と沖縄人にはO系統が混ざっている。
それでも本土日本人のD系統は半数以上である。
つまり事実上アイヌと本土日本人は大差がなく、アイヌにアジア主流のO系統を足したのが本土日本人となる。

結論として日本人は基本的に共通して、アイヌ人~本土日本人~沖縄人までD系統(北方古モンゴロイド)がベースになっており、
日本人3集団が持つD系統を持たない韓国人は赤の他人と結論できる。

5名無しさん@おーぷん:2014/09/24(水)00:39:47 ID:EiLpvxHRX
本家からわざわざ糞スレもってくんなよw
周王室と倭人は関係ないからなw

6名無しさん@おーぷん:2015/01/28(水)19:06:17 ID:2Sh
>>5

糞スレかもしれないが、なぜか書き込みが多いぞw

7日本万歳:2015/02/02(月)22:37:11 ID:EWe
日本万歳

8名無しさん@おーぷん:2015/04/05(日)07:47:14 ID:ubr
本家2ちゃんでは、なぜか人気スレだな

9名無しさん@おーぷん:2015/04/05(日)07:47:44 ID:ubr
呉服=和服だな

10名無しさん@おーぷん:2016/12/14(水)16:25:08 ID:aaZ
何気に歴代最長だった周王朝

11名無しさん@おーぷん:2018/01/11(木)21:52:23 ID:wD2
で、太白の末裔って他に誰か居ないの?
遺伝子調べれば一発じゃね?

名前: mail:

【5:13】雄略天皇【武】 
1名無しさん:2014/04/11(金)18:30:48 ID:5FJWVXO3V
Q:南朝ではなく北朝と接近したほうが良かったような気がするが。

A:交通上ムリがある

A:整理しよう
当時の同盟国は百済で敵対する高句麗は北魏に朝貢している
北魏としては宋と高句麗に挟撃されるのを嫌うので
百済王の長ったらしい上表文を貰っても高句麗の南下政策は黙認するわけです
北魏も国内に不安要素が皆無ではないので南朝を併合するほどパワーもない
一方宋は皇族同士の殺し合いが盛んで、かつ豪族の貴族化が激しく軍事力が低いというよりは
戦略的指導体制に不備があるため、北伐とかは一流の武将にも反対される始末で強行しても失敗します
要は南朝は軍事的には当てにならないが北朝は戦略的に味方にならない
詰んだ状態なわけです



4名無しさん@おーぷん:2014/05/01(木)11:37:44 ID:aAjFbWvDD
倭王武の上奏文に見られるようなヤマトの強烈な領土拡張意識は、
天壌無窮の神勅が当時からあったような気がする

5名無しさん@おーぷん:2014/05/01(木)15:13:10 ID:zSwt3hQwO
>>4

まあそんな感じだな。

始祖王の遺言とかがあったような感じだな。

6名無しさん@おーぷん:2014/05/19(月)03:28:44 ID:3lcY7IyF2
倭国は親魏倭王でかつ黄幢を預かる責任者なんだよ、これは異例のズバ抜けた扱い
倭国としては魏の同盟国のつもりであり、魏→晋→宋という魏の正統な継承政権の
同盟者という地位はアイデンティティーとして譲れない
北朝とはもちろん戦略的な理由から非公式な交流はあったろうけど
公式な国交を開くわけにはいかなかったんだよ

7名無しさん@おーぷん:2014/05/20(火)10:18:47 ID:ZBZjC5sUF
>>4

> 天壌無窮の神勅


かっこいい表現だ

8名無しさん@おーぷん:2014/09/24(水)00:42:01 ID:EiLpvxHRX
武の上表文は朝鮮半島の南半分は倭国に権利があるってことを説明してるだけ
だから「百済も含めて」都督諸軍事を認めろって話

9名無しさん@おーぷん:2015/04/05(日)07:44:29 ID:ubr
新年度なので保守

10名無しさん@おーぷん:2015/04/05(日)07:46:11 ID:ubr
連続かきこであがるはずだ

11名無しさん@おーぷん:2016/02/29(月)22:08:37 ID:MIn
倭王武と雄略天皇が同一人物とは限らんよ?

12名無しさん@おーぷん:2017/12/17(日)21:16:20 ID:iZp
スサノオ

13名無しさん@おーぷん:2018/03/12(月)08:29:25 ID:zHI
雄略天皇の顔って絶対おっさんよな

名前: mail:

【6:20】客観的に憲法今まで改正なしって凄くね
1名無しさん@おーぷん:2017/08/21(月)12:38:59 ID:hT9
よく考えてみても革新派が、憲法維持したいとか異常だわ



11名無しさん@おーぷん:2017/08/25(金)16:51:14 ID:Ubq

考えてみれば当たり前の話で、
【つい15年前】、
日本中を無差別爆撃し、海上封鎖し、原爆を落としたのがアメリカであった。

戦後は戦後で、勝手に憲法を作り替えられ、不敬罪は廃止され、
アメリカに都合の悪い人間は片っ端から「公職追放」された一方、共産主義者は「凱旋将軍の如く」仕立てられて釈放したのがアメリカであった。

更に付け加えて言えば、アメリカ本国に帰ったマッカーサーが、アメリカの国会での証言で、
「日本人なんぞ13歳のガキ」呼ばわりした事も当時の人間は誰でも知っていた。

こんなアメリカに好意など感じる訳も無い。
「60年安保闘争」は、右翼と左翼が仲良く手を取り合って、岸信介という【アメリカのスパイ】と戦ったのである。
岸は日米安保を結んでさっさと辞任、その後の池田勇人は、
「憲法改正なんぞより経済優先」とかほざいて、完全に憲法改正機運を押しつぶしてしまったのだ。

憲法改正が出来なかったのは【自民党の怠慢】の責任というのは、何万回指摘してもしすぎる事は無い。

12名無しさん@おーぷん:2017/08/25(金)16:51:48 ID:Ubq
>理想を言っても、実現しなければイヌの糞だよ。

つまり、あなたは55年体制以来の自民党の歴史を全否定するのですかw

13名無しさん@おーぷん:2017/08/25(金)17:02:57 ID:Ubq
>>8
それも違うな。
日本国憲法は、アメリカによる【占領統治法】だったのだ。
GHQ統治時代の日本と言えば、アメリカが国防を代行するのが当然だったので、
「軍隊を持たない、国の交戦権は認めない」という内容で当たり前。

逆に言えば、【占領統治法】を70年経っても改正しなかった日本人の方が異常なのだ。
本来だったらサンフランシスコ講和条約の時点で廃棄されるべきゴミだった。

しかし、それに猛反対したのが【吉田茂】。
吉田は戦時中、軍部に迫害されたというルサンチマンを抱えており、
また、当時の軍部が社会主義とかナチスドイツ、ソ連などに狂ったように心酔していた姿を見て、
『再び日本に軍隊を持たせたら、そっくりそのままソ連の手先に変貌するのではないか』
と警戒して、日本の軍備は最小限にし、アメリカ軍の占領統治を継続するよう求める日米安保条約を結んできたのである。

つまり、吉田茂は「日本軍よりも米軍の方が信用出来る」と考えていたのだ。
確かに、515事件や226事件、三月事件や十月事件を繰り返すような「日本軍」よりは信用出来ると考えても無理は無いが。
それに、21世紀の今でも、明らかに「中国の主張の代弁者」と化している自衛隊出身の「軍事評論家」が居たり、
中国人の何らかの血縁関係に在る人物が自衛隊になっていたりするので(妻とか片親が中国人とか)
吉田茂の心配もあながち「杞憂」の一言では片づけられないのが実状。

だが、結局アメリカ軍とて「トンキン湾事件」の自作自演でベトナム戦争介入を行うような陰謀国家だったし、
決して「綺麗な軍隊」などではなかったのであるが。

14名無しさん@おーぷん:2017/08/25(金)17:40:11 ID:6gw
>>13
それは9条だけ着目した見解だよ。全条文に込められた悪意というか仕掛けについて調べることを薦めるよ。

15名無しさん@おーぷん:2017/08/26(土)18:02:46 ID:IDb
>>14
昭和天皇は、今の憲法で満足だったようだが?
天皇条項が問題になった時なんかも、
「良いじゃないか。今までの歴史上でも天皇は象徴的存在だったのだし」
と仰ったそうだし。

むしろ大日本帝国憲法に書いてあったような、
軍隊を指揮する【大元帥陛下】なんてのがフィクションだよ。

そもそもあんなフィクションを定めてしまったからこそ、
【天皇の戦争責任】なんてのが問われるようになってしまった。
何せ、軍隊の最高指揮者は「天皇=大元帥陛下」って事になったんだから。
部下の軍部が何かしでかそう物なら、たちまち最高指揮官である天皇の責任が問われるのは当然の事。

大日本帝国憲法は、日本国憲法と比べて「良かった」と言う人も居るけど、
対して「良い」とは思わないね。

「押しつけ憲法」という意味でも、日本国憲法と同じだし。

小林よしのりが『大東亜論』で指摘したけど、
大日本帝国憲法は、民間が盛んに作っていた「私議憲法」を片っ端から無視して明治政府が「押しつけ」した憲法なんだよ。

美智子皇后が五日市憲法を高く評価した話は有名だけど、
日本の新しい憲法を考えるのであれば、
大日本帝国憲法だけじゃなく、民間人が全身全霊を打ち込んで作り上げた私議憲法をも参考にすべきだと思うね。

16名無しさん@おーぷん:2017/08/26(土)18:13:53 ID:IDb
なお、沖縄人にとっては一般常識だし、今でも沖縄人は恨んでいるようだが、
昭和天皇は沖縄を【売った】。
昭和天皇も吉田茂と同じく、
「日本に軍隊はいらない。持っても軽武装まで、国防は全面的にアメリカに頼るべし」
って考えであったらしい。

これまた当たり前の話で、
戦前、226事件の青年将校や、宮城事件の将校たちは、

『天皇陛下の御為に!』

と叫んでは、天皇の信頼する臣下を殺して回ったり、クーデター未遂を起こしまくっていた。

本土決戦用に用意されていた「松代大本営」とは、「天皇・皇后の為の刑務所」とでも言うべき施設であり、
当時の軍部の本音は、平和志向の天皇は邪魔だという認識であった。

昭和天皇自身、何度か当時の軍部の思い出を語っており、

「もしも私が堂々と戦争反対と言ったり、軍部の主張を天皇大権を使って退けたりなどすれば、首をちょん切られたか、死ぬまで精神病院に放り込まれただろう」

などと語っている。

こんな昭和天皇が、日本人による軍隊に対して不信感を抱くのも当然の事であり、
のちにアメリカ国務長官になったアレン・ダレスを通じてアメリカに、
「例え講和条約を結んだとしても、日本からアメリカ軍は出て行かないでほしい」
と懇願していた事が明らかになっている。

その担保として代わりに、沖縄をアメリカに【売った】のだと。
まあ、昭和天皇の意向など関係なしに、既に沖縄はアメリカの軍政統治下に在ったのであり、
昭和天皇の言葉は、その現状の承認と、
「でも、潜在的主権は日本に在る」
という事をアメリカに認めさせた=つまり日本は沖縄返還要求をする資格を有するという意味では画期的では在ったのだが…

17名無しさん@おーぷん:2017/08/26(土)20:56:56 ID:LpH
>>15
「昭和天皇は、今の憲法で満足だったようだが?」という話は、終戦の詔勅に
「朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ」あるようにと、ポツダム宣言受諾に当たって最低限の条件であった「国体護持」が確保されたことを言っているにすぎない。
つまり「君民共治」という国家形態が日本が世界の殆どの国々と異なる歴史伝統を持っていることを意味する。

ただ、103条の条文全体に流れるトーンはやはり日本破壊の自爆装置みたいなものであると言わざるをえない。
これを理解しない憲法論議なんて無意味でしょう。GHQというかソ連のスパイが仕掛けた爆弾をみずから温存する行為に他ならない。

昭和20年8月15日の「終戦の詔勅」、あれの中身をちゃんと読むと、当時の日本政府の立場、昭和天皇の思いが切実に感じられる名文だよ。

18名無しさん@おーぷん:2017/09/03(日)10:02:45 ID:flz
>>12
デタラメでも構わないから、改正されさえすれば良いなんてものじゃないんですけどね

19名無しさん@おーぷん:2017/10/26(木)18:32:44 ID:nKB
(戦前の)右翼思想と(戦後の)在日狐狸庵(含む帰化人)どもは我々を亡国フルスロットルに至らしめる二大業障だと思う。

20名無しさん@おーぷん:2018/01/21(日)19:10:32 ID:dCI

このままロクでもない9条を持ってると
中国に攻め込まれて日本国民はなぶり殺しにされるぞ。
チベット、内モンゴル、ウィグルのような地獄が始まる。

名前: mail:

【7:91】おまいらとっておきの日本史の知識教えてくれ
1サボテン™◆OPENkphnk2:2015/06/25(木)21:38:30 ID:9TM
この板ならかなりマニアックな人たちが居るので聞きにきますた



82名無しさん@おーぷん:2015/08/12(水)23:56:09 ID:Fcp
>>81
ちなみに、海軍を騙したあの詐欺師、先に陸軍に話を持ちかけに行ったんだよね
でも陸軍では、さすがに水からガソリンができるなどとにわかに信じられず、
実験をさせてみても怪しげな所が多々有ったので「詐欺師」と断定して相手にしなかったの

海軍がそんな詐欺師を相手にして実験を行うと聞いて、
「そいつ詐欺師だから!ウチで行った実験結果を見せてやろうか?」
と親切にも提案してくれたにも関わらず、海軍は、
「余計なお世話だ!」とはねつけて実験を決行

結果的に大恥をかく始末となっている

83名無しさん@おーぷん:2015/08/13(木)00:07:18 ID:sfL
この手の陸海軍の対立は諸外国でもよく見られることだけど、
日本の場合「ムラ社会意識」も手伝ったのか、かなり酷かったみたい

陸軍「ドイツから最新式航空機と航空機用エンジン買ったぜぇ!」
海軍「陸軍に負けられるか!ウチもドイツに発注だ!」
ヒトラー「日本の陸海軍は敵同士かw」

陸軍「太平洋の島々の前線に補給してほしいんだけど」
海軍「制海権も制空権もないから無理」
陸軍「潜水艦使えば、敵に見つからないで補給できんじゃん」
海軍「そういう船じゃねーからこれ!そんなことより艦隊決戦したいんだけど!決戦!」
陸軍「てめえらの方から泣きついておきながら、前線の兵士を見殺しにすんのか、タコ!」
海軍「ああ、そこまで言うんなら、てめえらに潜水艦くれてやるから、てめえらで運用しやがれ!」
陸軍「うるせえ!こうなったら海軍の施しなんか受けるか!こっちはこっちで独自に潜水艦作るかんな!」

そんなこんなで、帝国陸軍は「補給用潜水艦」という、世にも珍しい存在を開発させましたとさ

http://dic.pixiv.net/a/%E3%81%BE%E3%82%8B%E3%82%86

84サボテン◆SABO.../FKpz:2015/08/15(土)16:01:02 ID:Go1
>>82
確かに陸軍と海軍仲があまりよろしくないっていうのは聞いたことがある
>>83
>ヒトラー「日本の陸海軍は敵同士かw」
これ好き

85名無しさん@おーぷん:2017/04/14(金)09:33:00 ID:F3K
>>77
夢野久作は「気違い小説家」ですぜ、旦那(褒め言葉)

本人はノンポリであったようだが、父親が政治マニアで、日本はおろか孫文の中国革命にすら援助しているような豪気な御仁。
自分の家の財産については全く無頓着だったようで、莫大な借金だけ残して他界してしまう。
当然、その借金は夢野久作の方に回っていき、久作は小説を書きながら必死に借金返済に取り組んだ。

そして何とかかんとか借金全額を返済し終え、その祝いとして編集者や取り立て人が集まって宴会をやろうという話になり、夢野久作がご挨拶。

「やっと終わりましたな、ご苦労さまでした。
いゃあ、これで・・・
あっはっはっ・・・」

と言って両手を挙げた瞬間、昏倒して死去。
脳溢血だったと言われる。享年47歳。残念。

なお、禅僧であり、陸軍の将校でもあり、詩人でもあり、郵便局長でもあったそうな。

86名無しさん@おーぷん:2017/06/28(水)13:02:47 ID:51X
>>69
http://tocana.jp/2017/01/post_11959_entry.html

今の地球は温暖化よりも寒冷化に向かってるって科学者も認め始めたな。
海流が一切何の影響も受けずに今まで通りに流れ続ける事を前提にした気候モデルとか、今までのバカ学者は一体何を考えてたのやら。
素人目でもそんな最悪な事態を想定しない気候モデルはおかしいと指摘するだろうに。

87サボテン◆ZZZZZZZZZZry:2017/10/15(日)17:43:34 ID:EIO
>>85
まるでそれが生きる理由だったかのようなコメントだなぁ

てかワーカーホリックだったんでしょうかねぇ、、、

88名無しさん@おーぷん:2017/10/23(月)03:59:11 ID:Tyo
いわゆる河内源氏の諱(いみな)に於ける二大〝通字〝な。
「頼」と「義」の二文字だ。
八幡太郎「義家」、賀茂二郎「義綱」、新羅三郎「義光」etc.etc.

(氏の長者)惣領的家督と言う定義で申すなら、
頼信ー頼義ー義家ー義親(勘当、廃嫡か?相続せず)
義忠ー為義ー義朝ー頼朝ー頼家ー實朝(頼家の弟)


「頼」と「義」のオンパレードだ。實朝は例外。
で、それを補助線として以下に考察する。

89名無しさん@おーぷん:2017/10/23(月)04:47:44 ID:Tyo
鎌倉太郎義朝の長子に悪源太義平がいる。
叔父の帯刀先生(たけわきぜんじょう)義賢を討った「義平」だ。彼の〝通字〝は「義」。
一方、その弟、頼朝の〝通字〝は「頼」であるが彼は同時に父、義朝の「朝」の字をも継承している。
この「朝」の文字は父、鎌倉太郎義朝の末弟、高名な鎮西八郎為朝の「朝」でもある。
頼朝の直ぐの兄、朝長も父、義朝の「朝」の文字を受け継いでいるが、諱(いみな)の二文字の両方が累代の〝通字〝であるのは頼朝だけだ。
さらに申すなら、鎌倉太郎義朝の長子、悪源太義平の官途の詳細が不明であるのに対し、三男、頼朝は13歳で既に右兵衛権佐に叙せられている。(次兄、朝長の中宮大夫よりも格上)。
これらの事実から、頼朝こそが幼少時から河内源氏為義流の嫡統中の嫡統として、中興の期待を一身に集めていた〝超貴種〝である事が分かるのである。

90名無しさん@おーぷん:2017/10/24(火)17:30:36 ID:OdQ
>高名な鎮西八郎為朝の「朝」でもある。

人気者であっても庶子である為朝が受け継いでいる時点で
そういった価値がないものと証明されているのでは?

91名無しさん@おーぷん:2017/10/24(火)20:12:56 ID:nc8
>>90

価値があったかどうかは、おれには分からんので何とも答えられん。
或いは、あんたの指摘通りかも知れない。
それはそれとして、ですな。今、ふと、オモタ。
為義は保元の乱以前に実質、隠居、家督譲渡を済ませていたとすれば、ですな。
次男、帯刀先生、義賢(木曾義仲の父)以外の庶子たちは形式的にもせよ、家督継承者、義朝の家来と言う事になる。
(帯刀先生は自立した独立勢力だったのだろう)
故に、鎮西八郎為朝の「朝」は氏の長者たる義朝の諱の下の文字を拝領すると言う意味あいだったのかも知れん。
とすれば、義朝以降、河内源氏為義流にとって「朝」の文字は嫡統と藩塀連枝の関係を示す重要な〝通字〝の意味を持つようになった、と考えられるんじゃね?

名前: mail:

【8:239】南進論選んだ大日本帝国wwwww
1名無しさん@おーぷん:2017/09/02(土)11:40:28 ID:feM
【天才】【北進論】大日本帝国陸軍 ➡︎ 
昭和16年7月7日 関東軍特種演習で85万の軍勢を展開。
ドイツ軍の作戦「タイフーン作戦に」合わせてソ連に宣戦布告する
予定だった、ドイツのヒトラーと外務大臣リッべントロップから矢
のような催促が日本に来ていた。日本の勝利条件はシベリア軍団を
5ヶ月ほど足止めするだけ
(その前提で昭和9年から満州に9つの要塞を建設、最大は虎頭要塞)

【馬鹿】【南進論】大日本帝国海軍 ➡︎
 昭和16年12月8日 真珠湾攻撃 日本の勝利条件 
連合軍に勝って降伏させること



230名無しさん@おーぷん:2017/10/11(水)10:53:14 ID:jym
>>228
キチガイが次から次と詭弁と嘘八百を垂れ流して必死だねw

>例えば今の日本国憲法は戦争という文字はありますが、戦争を目的として書かれていないのは明らかです

キチガイは何をほざいてんだ?
戦争を想定しているからこそ、九条や前文にその旨記載してあるんだろうが。
こいつには法律を語る資格が無い!

想定していないのであるなら、法律には「記載しない」のが常識なのだ。
戦争を想定しているからこそ条文によって「国家の方針」、もしくは「制限」が加えられているという事がさっぱり理解出来ていない馬鹿である!

>政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する

>日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、
>平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない

「戦争を想定していない」のなら、こんな条文不要であるw

法律の世界では「法律に書いてない事は存在しない」が原則である。
どんなに道義的におかしかろうが法律にさえ則っていれば無罪放免なのが「法学」の概念である。
逆に言えば、法律に書いてあるという事は、きちんとその事について認識しており、
その上で国家はこうすると意思表示しているのが憲法とか法律という物なのだ。

大学で法学の授業を受けた事が無いのであろう。
いや、大学に入れるだけの知能レベルに達してないかw

>聴診器のゴム管を裂けば医療目的以外で利用できたよというようなものでしょう

そんな事はどこにも書いてないねw
お前が曲解してるだけ

「軍艦や航空機を動かすには石油が必要だろ」という話に、
「石油なんか無くてもゴムで飛ぶ」などとキチガイじみた反論をした馬鹿が居ただけの話だ。

空を飛びさえすれば良い訳じゃない、戦闘や爆撃が出来なければ話にならんのに。

231名無しさん@おーぷん:2017/10/11(水)10:56:29 ID:jym
>>228
で、キチガイ馬鹿はさっさと、
「無人のゴム飛行機で、ムスタングやB29を落とせたのか」
について答えれば?
ムスタングやB29を落とせない代物だったら無駄だからね?

大体、人間一人乗せられんのに、機銃や爆弾が乗せられるか!馬鹿が!

232名無しさん@おーぷん:2017/10/11(水)11:07:00 ID:jym
キチガイ馬鹿には、次の文章が、
『聴診器のゴム管を裂けば医療目的以外で利用できたよというようなもの』
と読めるらしい。
幼稚園から人生やり直すか精神病院行ってこい

>>59
>飛行機なんて人を乗せなきゃゴム動力で飛ぶんだよ
>飛行機なんて人を乗せなきゃゴム動力で飛ぶんだよ
>飛行機なんて人を乗せなきゃゴム動力で飛ぶんだよ
>飛行機なんて人を乗せなきゃゴム動力で飛ぶんだよ
>飛行機なんて人を乗せなきゃゴム動力で飛ぶんだよ

233名無しさん@おーぷん:2017/10/11(水)13:05:15 ID:jL8
>>230
>そもそもこのスレのテーマは戦争ではないだろう
と主張された事に反論しているあなたの主張は、
「このスレも日本国憲法も戦争を想定しているから戦争がテーマだ」ということでいいですか?
違うと否定せずに書き込んだ時点で両者の主張はこの通りだと確認したものとします

聴診器のゴム管の話なら>>66で出ているので、調べていればどうやって使ったかはわかっている筈です
調べてないことがこれで確定しましたね
目的外活用の実例として出されただけなので、ねじ曲げたゴムが復元する力で模型のプロペラが廻って進む事は言うまでもないですが、
話はゴムではないのでねじ曲げると進まなくなるだけですね

234名無しさん@おーぷん:2017/10/11(水)16:03:03 ID:jym
>>233
いや、そもそもは、次の妄言に反論してたんですけどね。
勝手に曲解しないでくれませんか?


>>59
>飛行機なんて人を乗せなきゃゴム動力で飛ぶんだよ

「軍艦や航空機を動かす石油が禁輸されたから南進せざるを得なかった」

この言葉に対して、「人が乗せられないゴム飛行機」なんか引き合いに出して何がやりたいの?
スレの荒らし?まともに議論する気無いでしょ?
「軍艦や航空機」と書いている以上、ここで言う「航空機」とは軍用機以外の代物である訳が無い。
ただの「遊覧飛行」じゃない事は明らかではないか。
なのに、なんで「人が乗せられないゴム飛行機」なんて話を持ち出してんの?
喧嘩売ってるでしょ?

235名無しさん@おーぷん:2017/10/11(水)16:07:50 ID:jym
>>233
このキチガイは、結局、何が問題になってるのかすら解ってないのだ。


>>59
>飛行機なんて人を乗せなきゃゴム動力で飛ぶんだよ

こんな馬鹿馬鹿しい発言をした事を棚上げして他人だけ非難してるのだから良いご身分だな。

体重60キロの人間一人が乗せられないのに、機銃や爆弾が搭載出来るのかよ?
無人飛行機でどうやって敵の飛行機や軍艦を攻撃するんだ、馬鹿?

この馬鹿は未だにこの程度の質問にすら答えない。

「ムスタングやB29を落とせる能力がゴム飛行機にあるのか?」

たったこれだけの問いからすら逃げ回っている卑怯者のキチガイなのだ。
キチガイの妄想を勝手に弄んでスレを荒らしているだけのキチガイなのである。

236名無しさん@おーぷん:2017/10/11(水)16:09:38 ID:jym
せっかく何度も次の妄言をご丁寧に引用されているにも関わらず、
何が問題になってるのかさっぱり解らない時点で頭がおかしいキチガイか、スレを荒らす以外に目的の無い奴かのどっちかである。

>>59
>飛行機なんて人を乗せなきゃゴム動力で飛ぶんだよ

237名無しさん@おーぷん:2017/10/11(水)19:50:00 ID:jL8
>>234-235
ではこのスレのテーマは戦争ではないという主張にあなたは「反論しない」ということですね
主張の訂正はなかったのでこれで確定しました

238名無しさん@おーぷん:2017/10/16(月)06:28:47 ID:Vq7
>>237
北進や南進、または「大日本帝国陸軍」とか「海軍」の言葉が、
「戦争を意味しない」と思えるキチガイなのか、お前はwww

239名無しさん@おーぷん:2017/10/17(火)02:12:03 ID:8ZF
抵抗する敵とかいなくても軍が存在するだけで戦争を意味するって主張でいいですか?

名前: mail:

【9:222】【幕藩体制】江戸幕府その1【徳川氏】
※ID非表示スレ
1名無しさん:2014/04/04(金)13:04:59 ID:???
江戸幕府について語ろう



213名無しさん@おーぷん:2017/06/18(日)23:50:10 ID:???
いわゆる、300諸侯って、大杉じゃね?
一万石や二万石でも大名とか、財政持たんだろ。
零細諸侯には参勤交代の免除とかあったはず(と推察する)が、誰か詳しい人教えれ。

214名無しさん@おーぷん:2017/06/19(月)00:01:08 ID:???
超高速参勤交代って実在の藩だったのか、しらんかった

215名無しさん@おーぷん:2017/06/19(月)08:17:55 ID:???
>>213
江戸定府の大名は結構居た。
名目では35万石を公称していたが実質10万石と言われていた貧乏御三家の水戸藩もその一つ。
会津藩の祖、保科正之もずっと江戸に詰めており、引退間近の60代に一度だけ己の墓所を定めに会津に帰ったっきりであった。
他にも認知には代官だけ派遣して己は江戸住まいという大名は結構存在した。

216名無しさん@おーぷん:2017/06/19(月)12:55:49 ID:???
諸国漫遊どころか水戸街道すら使わないって面白いな

217名無しさん@おーぷん:2017/06/25(日)15:33:27 ID:???
ついでに、参勤交代は形骸化しており、
半ば意地や見栄の為に続けられていたような状態であった。
豪勢な行列を下々の者に見せびらかす事は、武家にとって一種のステータスであったのだ。
馬鹿馬鹿しいと笑うかも知れないが、現代人だって外車やブランド物で身を固め見せびらかす人間は跡を絶たない。
参勤交代もそれと同じであった。

カラクリに気がついた藩では、参勤交代に金を使わずに済むような方法をあの手この手で考えた訳である。
「蘭癖大名」佐賀の鍋島直正などは、参勤交代に賭けられるだけの金が無かったので、
「病気」を理由に江戸に行かなかった事すら有った。
(当然幕府の許可は得ているが)

逆に、領土の支配は家老たちに任せ、自分は江戸に住み続ける事によって参勤交代しないで済ませる大名も居た。

ウルトラCのような裏技を思いついた上杉鷹山などは、
さっさと若年の内に隠居してしまい、自由な身分となってから藩政改革に精を出すような事例も有った。
(上杉鷹山は養子であり、養子入りした先で実子が生まれてしまった為に早々に隠居する事を余儀無くされた面もあるが)

218名無しさん@おーぷん:2017/06/25(日)15:53:15 ID:???
倹約令は出しても参勤交代は廃止されなかったわけだから、それなりにうまく行っていた制度ではあるんだろうな

219名無しさん@おーぷん:2017/06/25(日)20:23:52 ID:???
参勤交代で江戸に出てくるメリットも当然有った。
江戸時代の大名たちの多くは江戸生まれ、江戸育ちである。
大名の妻子は人質として江戸に置く事を義務づけられていた。
従って仙台伊達家であろうが、薩摩島津家であろうが、地元よりも江戸の水や食べ物の方が体質に合ったのである。
幕末の名君の一人であった島津斉彬は、父親に疎まれてなかなか大名になれなかった。
その分江戸暮らしが長かったのであるが、
大名となって初めて薩摩に入った時、全く会話が成立せず難儀したそうな。
見る物聞く物珍しい物だらけで、薩摩を代表する剣術、自顕流の稽古を見た斉彬は、
「狂った猿の遠吠えのような音」
を聞いて面食らっている。

それはさておき、参勤交代などによって江戸に各地方の風習や文化が流れてくる事は、
技術交流や学問交流の面から歓迎すべき事であった。
それまで日本列島には、共通した日本人意識などという物は皆無に等しかったのだが、
江戸時代250年によって、やっと「日本人らしさ」という物が日本全国津々浦々にまで広まったのである。
参勤交代と、庶民はお伊勢参りの成果であった。

220名無しさん@おーぷん:2017/07/23(日)17:38:08 ID:???
参勤交代自体しなかった者も居た。
さすがに大々名ではそんな者は居なかったようだが、
一万石程度の陣屋大名や、万石未満の領地を持った旗本の中には参勤交代をしなかった者も存在した。
彼らはずっと領地に居たのだ。

参勤交代は「義務ではなく自発性」というのは本当の事であった。
各大名たちは、参勤交代で煌びやかな大名行列を見せつけて民衆の話題をかっさらう事を誇りに思っていたのだ

第一、嫌々やらされていたのであれば、
大藩にもなれば数千や万単位の手勢を率いていたのだから、
そっくりそのまま倒幕軍に編成し直して関東で暴れ回れば良いのではないか?
江戸城陥落は無理でも、関東地方の各城はいくつか落とせるはずだろう
この時代、ストレスが溜まった大名が突如発狂するなんて事も珍しくはなかったのだから

221名無しさん@おーぷん:2017/08/22(火)00:31:02 ID:???
>>215
御三家でも尾張・紀伊と水戸ではかなり差があるような?
特に尾張、肥沃な濃尾平野・木曾の山林など実質100万石ぐらいで水戸とは大違い。
居城の名古屋城も巨大だし。

222名無しさん@おーぷん:2017/08/22(火)02:25:55 ID:???
>>221
水戸藩の初代藩主、徳川頼房は、失言が原因で徳川家康に疎まれたと言う。
尾張藩の祖、義直と、紀州藩の祖、頼宣、そして頼房の三人が子供の頃、
江戸城天守で家康と語り合った事があった。
家康は三人に、もし江戸城天守から飛び降りる代わりに何でも与えられるとしたら何が欲しいか三人に訊ねた。
頼房は「天下が欲しい」と答えた。
「地面に激突して死ぬまでの間であっても一度は天下を取ったという評価が残れば歴史に永遠に名前が残るから」
という理由であった。
家康は、頼房は野心家であると思い、以後大領土を与えなかったと言う。

これとは別の逸話として、家康がわざわざ頼房に言い含めて納得させた上で、
水戸藩だけは、何があっても幕府ではなく朝廷に仕えよと命じたという話がある。
将来、幕府と朝廷が争い、幕府が滅ぼされたとしても、水戸藩だけでも朝廷に忠勤を励んでいれば、最低でも徳川の家名は残る。
徳川家の菩提を弔う存在は残るからである。

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【10:40】官位について語るスレ
1名無しさん:2014/04/13(日)16:48:12 ID:j8hLhxj1J
252 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2013/04/09(火) 21:27:04.01
江戸期に京都の庶民(といっても豪商)が天皇家に寄付をした見返りに貰えた位はどれぐらいまでなんですか?

253 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2013/04/10(水) 04:40:11.31
七位。その外の手としては摂家・清華あたりの諸大夫は無理としても侍として
仕官の形をとり六位をもらうとか。

254 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2013/04/10(水) 09:41:43.79
地下家伝を見ると、省寮の史生で従六位下に進んだ例はいくつかあったから、
豪商の例も中には有ったかも。
それと史生は金を出してなるばかりではなく、
食い詰めた人が縁を頼ってさせてもらうこともあったらしい。



31名無しさん@おーぷん:2015/04/05(日)07:42:14 ID:ubr
>>5

>鎮守府将軍任官者には幕府を開く資格があったらしい。

「らしい」というのが微妙

32名無しさん@おーぷん:2015/04/05(日)07:42:41 ID:ubr
連続かきこであがるはずだ

33名無しさん@おーぷん:2015/09/02(水)22:51:13 ID:vNm
>>6
>>10
親王任国と言って、財政が厳しい天皇家のために親王しか「守」になれない国のことだ
あと、親王任国は 上野・上総・常陸 の3国だよ
下総は親王任国ではない
源義朝(頼朝の父)は保元の乱以前に下総守になっている

34名無しさん@おーぷん:2015/09/02(水)22:54:02 ID:vNm
存命中に正一位に叙せられた最後の人物は三条実美
故人で正一位に叙せられた最後の人物は織田信長

35名無しさん@おーぷん:2015/09/02(水)23:07:25 ID:vNm
>>5
時代が下るに従って、秋田城介 → 鎮守府将軍という出世ルートが出来たみたい

36名無しさん@おーぷん:2015/09/02(水)23:14:07 ID:vNm
>>5
>>31
幕府開けるのは右大将からじゃなかったっけ?

37名無しさん@おーぷん:2016/06/12(日)07:11:13 ID:W6X
役職の歴代の記録ってどのくらい残ってるのかな?
wikipediaで平安時代の生年不詳の人物の履歴みたら○○守って載ってたから、
いつ頃だろうかと思って○○守の所を見てもないからアレ?と思ったらそもそも前後一世紀位抜けてたんだけど、これは記録がないのかやたら変わってるので記載端折ったのかどっちなんだろ?

38名無しさん@おーぷん:2017/08/15(火)09:25:46 ID:HYF
>>16
太平記の記述で「久我畷の戦い」において北条(名越)尾張守高家という大将が討ち取られている。
名門名越流北条氏の若い大将で慢心があったのかもしれない。そして鎌倉幕府は「終わり」に向かっていった。
こんなことがあったのも「尾張守」が避けられた一因かも?

40名無しさん@おーぷん:2017/08/20(日)04:06:08 ID:GCc
>>25
藤原も天皇の御落胤という説がある。
藤原不比等と中臣鎌足との間には血縁が無いという話がある。
実際、藤原不比等は親の七光りで出世したのではなく、下級官僚から自分の実力で成り上がり、そして日本を支配するまで登り詰めた。
「なぜ中臣鎌足の実子が下級官僚スタートなのか?」
「なぜ下級官僚スタートの不比等がとんとん拍子に出世していったのか?」
「なぜ藤原の姓は中臣鎌足の子孫全員に与えられたはずなのに、不比等直系以外は中臣氏に戻されたのか?」
色々疑惑がある。

39名無しさん@おーぷん:2017/08/20(日)04:06:08 ID:GCc
>>25
藤原も天皇の御落胤という説がある。
藤原不比等と中臣鎌足との間には血縁が無いという話がある。
実際、藤原不比等は親の七光りで出世したのではなく、下級官僚から自分の実力で成り上がり、そして日本を支配するまで登り詰めた。
「なぜ中臣鎌足の実子が下級官僚スタートなのか?」
「なぜ下級官僚スタートの不比等がとんとん拍子に出世していったのか?」
「なぜ藤原の姓は中臣鎌足の子孫全員に与えられたはずなのに、不比等直系以外は中臣氏に戻されたのか?」
色々疑惑がある。

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